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沈黙



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沈黙の評価: 4.41/5点 レビュー 388件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.41pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全28件 1~20 1/2ページ
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No.28:
(3pt)

うー

可哀想
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.27:
(3pt)

暗いモノトーン一色のやうな

映画・沈黙の原作ということで、映画鑑賞前に拝読しました。
全編に渡り、モノトーンの画が浮かぶような悲愴な物語の中、パードレとしての苦悩・矜持・諦め、そして、ゴルゴダの丘での出来事と自らを重ねて夢想し絶望する姿は、言葉にならない重たい何かを残した作品でした。画像が美しい映画に、期待を寄せます。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.26:
(3pt)

Nothing regrettable

Nothing regretable
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.25:
(3pt)

隠れキリシタンとその宣教師の苦悩

キチジローが頻繁に登場し、ユダと比較されるのが不自然でした。キリストのお顔を思うシーンが頻繁にあり、神はお顔よりも魂ですので、不自然な感じがしました。宣教師を世界中に派遣する本部では、恐らく、マニュアルの様な物があり、拷問を受けたり、強迫されたときの対処方法が決められていたのではと思います。非常時に、信者の命を脅迫されたとき、その場で転んだ振りをするのは許されるはずです。本部でも、事情を勘案し、一時預かりになって当然と解します。そもそも、キリスト教では、転生輪廻を認めておらず、死後、天国に行けても、生まれ変わりがありませんので、この世限りとなり、その都度"神の声"を期待するのではないかと推察します。一方、仏教では来世、来来世がありますので、この世で叶わなかったことは、来世で実現できるように頑張ることになります。
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No.24:
(3pt)

「沈黙」っていう作品を語った感じではない?

映画「沈黙~sirens」で興味を持ち、原作「沈黙」、「沈黙の声」と読み進み本書にたどり着きましたが。
作品を語るっていうより作者・遠藤周作を語る感じ。
映画作品を語るっていうよりも映画ウラ話を話すっていう感じに取れてしまい、かなり残念でした。
そういう意味では「シンポジウム」自体の空気は伝えられているのではと思います。
悪い内容とは思いませんが、自分が欲しかったものとは違ったようなので、☆-1で。
遠藤周作と『沈黙』を語る―『沈黙』刊行50年記念国際シンポジウム全記録 (長崎文献社ブックレット)Amazon書評・レビュー:遠藤周作と『沈黙』を語る―『沈黙』刊行50年記念国際シンポジウム全記録 (長崎文献社ブックレット)より
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No.23:
(3pt)

違うと思う。これはキリスト教ではないと思う。

苦痛と信仰との間での懊悩はキリスト教っぽくないと思う。神父牧師がここに煩悶しないというわけではない。これまでに多くの聖職者の葛藤があったんだろうと思います。これをテーマに信仰を考えるのはキリスト教っぽくないと思う。
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No.22:
(3pt)

信仰とは?

この作品をこの読む前に、本書の著者の「私にとって神とは」を読んでみた。
彼がクリリスチャンになった動機、きっかけを知りたかった為である。
理由は簡単で母親がクリスチャンであったため一緒に教会に連れられて行き洗礼をうけ
クリスチャンになっただけの理由であった。
 従って、キリスト教に傾倒する気持ちは毛頭なかった。しかし人生経験を経る中で大病を
何度も患い、また様々な苦労を多く重ねるうちに、子供の頃に洗礼を受けた神についての考
えが繰り返し思い浮かぶようになり、作家となったいま、「神」について作家の目で著作し
てみたいと思う様になりこの「沈黙」を描き上げたそうだ。
前置きが長くなったが、この「沈黙」自体、彼のキリスト教に対しての非常に冷徹な
目で見た「キリスト」をテーマにしている。主人公ロドリゴはスペインの宣教師であり自
分の師で大変尊敬していたフェレイラ教父が日本に布教で送られ、結果的に布教に失敗
し、今では棄教してしまったと聞いた。そのことを自分の目で確かめる為日本にはるばる
ポルトガルよりやってきた。
 フェレイラ師を探す中多くの隠れキリシタンに頼りにされ、又は助けられ師を探し求
める中、多くの隠れキリシタンが役人から死刑を含め各種の拷問を受ける光景を何度も
目撃する。
その都度ロドリゴは「神」に祈り、その拷問をやめさせてもらう様「祈る」が「神」は
一向にその兆候すらみせてはくれず「沈黙」を続けている。
そうしているうち、自分が探しているフェレイラ師と面会するチャンスが訪れる。
フェレイラ師が語る棄教の動機、経緯はロドリゴが経験したと同じ拷問、死刑を目撃し
同様に「神」にその救いをもとめるが、やはり「神」は「沈黙」を続けるばかりで何も
してくれなかった。フェレイラ師は自分が「棄教」する事により、多くの隠れキリシタン
を救えるなら、それこそ「神の御心」に沿うもので有り、形式的に「踏み絵」を踏み「棄
教」を装うが心の奥では未だに信仰を捨てずに持ち続けている事を知り、ロドリゴ自身も
「棄教」のまねごと「踏み絵」を踏んでしまう。
 私の読後感としては主人公達の持つ信仰心はどの宗教についても言える事で、その
宗教の名前と形式のみが異なるだけである。
 この本を読んだのは最初に記載した通り遠藤周作がなぜキリスト教(カソリック)を信
ずる様になった事であったが、これまた良くある結果でありチョットがっかりしてしま
った。祈りにより病気が治った、貧しかったものが人並みに暮らせるようになった等
色々な理由があると思うが、昔から多くの宗教に接してきてき「奇跡」を体感する機会
は残念ながら一度もなかった。昔一部の信仰は、入信して初めて「体験」出来る物との誘
いに乗りある宗教の信者となった事もあったが「自分の中の“信仰心“を満たしてくれる
「モノ」を感ずる事は一度もなかった。
この作品で遠藤周作が言いたかった事も「そんな簡単に奇跡など度々起こるものではな
く、宗教心は自分の心の中で“人生のよりどころ”として持つものであり、
何か絶対的な「モノ」を宗教の形をとって自分で考え、持ち続ける事」であると言ってい
る事を強く感じた。
この一冊では遠藤周作の真意を量り知る事は出来ず他の著作も今後
読んでみようと思っている。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.21:
(3pt)

名作である、だが著者はガンバリズムを要求するキリスト教の本質がわかっていない

今は、キリスト教の信者が耐え難い迫害を受けて殺されるという時代ではないが、そういう時代に生きていた信者たちは、どのようにキリスト教と向かい合わなければならなかったか。

この点は不明な部分が多いが、「迫害されても殺されても、絶対にイエスを否定するな」というのが教会の教えだったのではないか。しかし、そんなことができるのは不屈の精神をもった一部の人間だけである。なのに、どうしてそんな無理難題を神は望むのか、神は本当にそんなことを望んでいるのか――というのが、本書が提起した問題である。

この問題に対する本書の回答もはっきりしない。だが私なりの理解に基づいていえば、「無理してイエスを肯定しなくてよい、やばくなったら踏み絵を踏んでいい」というのが本書の主張であり、著者が言いたかったことではないだろうか。

世の中には強い人間も弱い人間もいるが、キリスト教的な見方でいえば、誰でも例外なく罪を犯さざるをえない弱い存在である。イエスはすべての人間の罪を背負い、身代わりとなって苦痛を受けたのだから、理論的にいって、もはやわれわれが命の危険を冒してまでもイエスを肯定する必要は全然ないのである。だから堂々と踏み絵で踏んでよろしい(!)。

本書は小説だからこれでよいのだろう。しかし詰めて考えると、なかなか難しい話になる。脅されたら簡単に踏み絵を踏んでしまうような輩は、そもそもイエスを愛していないから、そんな人間を救う義理は神にはないだろう。だから、神が救うような人間は、最終的に踏み絵を踏むにしても、ぎりぎりまで苦しんで踏んだ奴ということになる。では、どのくらい苦しめばいいのか? 強くて真面目な人間は、イエスが悲しそうな顔をして「あなたは3度私を知らないというだろう」などとぼやいた聖書の例の嫌味なシーンが頭に浮かんでくるので、結局死ぬまでがんばってしまうだろう。実際そうやって殉教した人はたくさんいたわけだし。そこまで強くない人間でも、目ん玉くらいは犠牲にするまでがんばるかもしれない。迫害の時代では、キリスト教をどのように解釈しようと、これを信じる者が命や身体を粗末にすることにかわりはないのである。
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No.20:
(3pt)

沈黙

少し位読み物でしたが、理解出来キリシタンの訳が良く分かりました。早い対応有難うございました。
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No.19:
(3pt)

最後は期待しすぎ?

キリシタン弾圧の時代背景や心情のリアリティは感じられましたが、
大どんでん返しを期待していたので最後は「あれ?」という感じがしました。
あまりに評判が高かったので
ハードルが上がってしまったのかもしれません。
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No.18:
(3pt)

茶人肝庵

何故、キリストが踏み絵を踏む事を許すのか、人々が踏み絵を踏めないのは、地獄に落ちないように日々拝んで天国や極楽を望んでいる自分の心に存在する神や仏を失うような行為は、それが偶像であっても無かってもできないはずである。
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No.17:
(3pt)

素晴らしい作品ではあるが

今自分に小説を追っていく気力がない。描写も素晴らしく、名作たるゆえんはわかる。やはりかなり読み終わりでつかれた。小説としてはよくできている。自分では途中の厳しさが身に染みた。疲れた。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.16:
(3pt)

なぜ沈黙しているのか

根源的な問い「神は存在するのか」
大きな自然災害や事故やテロなんかがあるとロドリゴのように「あなたはなぜ沈黙しているのか」と思うことがあります。「なぜ多くの命が失われるようなことを…」と。
いつか答えがあるのですかね?雲が割れ天から光が射して…なんてことが。
わたしは無神論者です。我が家にも時どき宗教の勧誘に来る人たちがいます。
ああいう人たちはなぜ来るのですかね?人びとを救うと自分が来世でよりよい人生が送れるから?人びとを苦しみから救いたいから?
人は弱くなったときに何かにすがりたくなるものです。理解できない出来事に意味を見出したくなるものです。
本当に本当にいらっしゃるならその存在の証しを見せてほしいものです。
人びとを苦しみから救ってほしい。
この沈黙は長過ぎます。
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No.15:
(3pt)

可もなければ不可もなし

とてもいい小説と聞いて購入したが、可もなければ不可もないといった感じである。あとがきで遠藤周作の沈黙について述べているが、その捉え方が秀逸だ。
キリストの愛の素晴らしさは理解する。そこに焦点を当てて書かれた小説とは違うような気がする。
やはり、神を信じ、キリストをこれまでに信じる信者が迫害を受ける、どうして沈黙している神なのか、それを訴えたかったのが遠藤周作の意図と思える。キリストの愛は小説の構成上バランスを取って入れたもので、キリストの愛を知らない人には非常に新鮮で感動を呼ぶものかもしれない
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No.14:
(3pt)

難解

最近ハリウッドで映画化されました。不朽の名作と名高い作品ですが未読だったので購入してみました。
ページをめくる手が中々進まず、淡々と進んでいく(内容は波乱に満ちてますが)文章にハマりきれず、読みきるのに時間がかかってしまいました。
私の知識不足故ですが、最後の漢文のページなんて何が書いてあるのかさっぱりでした。
映画の方はまだ観てませんが、映像に向いてる作品だと思うので機会があれば是非観てみたいと思います。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.13:
(3pt)

映画を観損ねて原作を読んだが・・・

主人公であるロドリゴには、ジュゼッペ・キャラというモデルが実在する。もちろん、小説的な変改は加えられており、作品は史実というわけではないものの、扱われている事件や人物の大方は、史実に基づいているらしい。
 とはいえ、この作品を読んでも、特に時の幕府のキリスト教弾圧が惨いだとか、拷問された宣教師が可哀想だとか言った感情は、不思議と自分には湧いてこない。なぜだろうか。それは、宣教師たちが、日本に行けばどういう運命を辿ることになるのかを分かった上で、敢えて来ていたからだ。当時の日本が採っていた宗教政策も、また切支丹が拷問にかけられることも、ポルトガルやその他の国にいるキリスト教宣教師は全て知っていた。それでも敢えて日本に潜入したのである。つまりそれは、違法だとわかっていて確信犯的に違法行為に手を染めるようなものである。で、あれば、同情の余地はない。むろん、当時の切支丹を取り締まっていた政策が良いか悪いかは全くの別問題である。
 しかも、井上筑後守(映画ではイッセー尾形)やその部下の通辞(映画では浅野忠信)は、何度も何度もロドリゴ(映画ではアンドリュー・ガーフィールド)にも、フェレイラ(映画ではリーアム・ニーソン)にも棄教を促し、棄教しなければどんな目に遭うかも教えていた。それにもかかわらず、断固として棄教に応じなかった。その結果が拷問だったのである。ならば、それは宣教師本人の自業自得なのであって、それもまた日本に来る前からわかりきっていたことなのである。よって、時の日本政府の拷問が酷かったという批判も、一概に適切な批判とは言い難い。
 さらにもっと言うならば、井上筑後守がロドリゴに語ったように、宣教師たちの身勝手なキリスト教拡大の“野心”のために、無辜の百姓たちが無残にも拷問されたのではないか。キリスト教が拡大しようとさえしなければ、そもそもそんな悲劇は起こらなかったのではないか。宣教師たちが身の程をわきまえて余計な拡張・拡大を試みたりさえしなければ、自分たちが拷問されることも、百姓が酷い目に遭うことも、そもそも無かったのではないかだろうか。まぁ、そこまでいってしまうと、「鶏が先か、卵が先か」という類の議論になってしまうのだが・・・。
 さて、作品名の『沈黙』とは結局、どういう意味だったのだろうか。やはり、「神は助けてはくれない」、「神は沈黙を貫くものだ」という意味に自分としては解釈する。そして、それはひいては、「天は自ら助くる者を助く」という意味に転ずるのではあるまいか。つまり、ただ祈っているだけでは神は助けてはくれない。何かを語ってもくれない。自分で自分の運命を切り拓こうとする者だけしか助けてくれないのである。
 キリスト教の信者数は世界の宗教の中でも最も多いそうだが、日本に限ってはその例外で、日本でのキリスト教信者はわずか260万人に留まっており、日本の全人口の50分の1程度しかいない。歴史上、宣教師たちが幾人もやってきてはその布教に挫折していった。世界では通用したかもしれないが、日本では通用しなかった。それは、日本が歴史的に持っていた、八百万の神々を奉るという日本古来の考え方があって、キリスト教もまたその中に呑み込んでしまったからなのではないだろうか。世界的にみれば世界最大の宗教といえども、日本において八百万の神々の中では、キリストもまた神々の中の1柱にしか過ぎないのである。しかも、キリスト教という宗教そのものさえも、日本流にアレンジしてしまった。つまりそれは、作中でもフェレイラが言っていたように、本来のキリスト教では決してなく“日本版基督教”なのである。
 他の諸国と比較して、日本はなんと懐が深く、奥行きがあり、幅は広く、なんと深遠なことだろうか。たかが一宗教ごときで、世界最古の国たる日本國を、日出ずる処の国たる日ノ本を、支配したり白人の思うように従えようなどと考える白人たちの、なんと愚かで浅はかなことか。図らずも、この『沈黙』は、そういうことを露呈してしまったのではないかとさえ、思えてくるのである。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.12:
(3pt)

久しぶりに読むと

学生の頃に読んで以来、久々に読んだ。
改めて読み返すと、心理描写が凄いと感じた。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.11:
(3pt)

読んでいる途中です

先に映画を見てしまいました
えいがではだいぶカットしてあるのでゆっくり読みたいと思います
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.10:
(3pt)

神などいない。そんな当たり前のことを納得するのに一生を無駄遣いするバカな信者たち。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
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No.9:
(3pt)

読み切ります。

映画を観る前に読み終える予定です。読んで見たい一冊でした。早く届きました。ありがとうございます。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152

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