深い河
- 転生もの (41)
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混沌とした世界の中で、己に目を向けがちになるけど個々に紆余曲折の人生が存在していることを改めて思い知る。 | ||||
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遠藤周作の深い河は、インドのガンジス川を舞台に、人生の喪失感や迷いを抱えた日本人たちが自己の内面と向き合う物語で、宗教や生死について深く考えさせられる一冊で、読むと心が浄化されるような感覚を味わえます。特に、東洋と西洋の宗教観の違いを巧みに描いている点が独特で、遠藤周作ならではの深い洞察が光る | ||||
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キリスト教の洗礼を受けた遠藤周作さんによるキリスト教と東洋的宗教思想の違いをテーマにした群像劇的な小説です。 登場人物は妻に先立たれて初めて妻の大切さを知った男、動物たちに励まされながら病気と闘った男、ビルマの戦争で地獄を味わった男の過去のいきさつが描かれていますが、中心となるのは、キリスト教者でありながら西洋的哲学への違和感を払拭できない男(遠藤さん自身がモデル)と、これら様々な男たちの受け皿的存在である無神論者の女の二人です。 遠藤さん自身がキリスト教のことを「着せられた洋服」として自分には合っていないけれど着てしまったのだからしょうがないと言っています。遠藤さんの「イエスの生涯」ではイエス・キリストはユダヤ教の罰する神ではなく愛する神を説くために自ら迫害を受けて弟子たちに愛の深さと強さを示したと描かれています。 「イエスの生涯」でもイエスの弟子たちは神の愛など役に立たないと思って最初はイエスの元を去ったり裏切ったりしたわけですが、十字架で無惨に殺されたイエスを知って、一気に改心しその後命懸けで神の愛を説き、それが全世界に広がったと描かれています。 ローマ打倒を願うユダヤ人たちからリーダーに担がれても決して煽動にのらなかったイエスですが、自ら癩病患者の元に行きじっと手を握るところは本書のガンジス河そばに住むアウトカーストたちや、病室で患者の手をやさしく握る成瀬美津子と重なるところがあります。 本来イエスもユダヤ教信者であったわけですが、ユダヤ教の神というのは非常に厳しくて人間(ユダヤ人)との間に契約(律法)をもうけ、それを守らない人間は激しく罰するといった存在でした。キリスト教になって、同じ神でありながら、単に厳しくて罰するだけの神から慈愛をもった神へと変容していくわけですが、それでもキリスト教の神というのは絶対であり決して人間に寄り添うような存在ではありません。 このあたりは小此木さん河合さんの「フロイトとユング」が大変面白かったのですが、西洋キリスト教は父性的であるのに対して、日本を含む東洋は母性的であると書かれています。本書のガンジス河での描写もそうですが、生死や毎日の衣食住を見守るような存在、自然と一体化したような存在になっています。西洋の場合、ギリシャ哲学の時代から自然と人間精神は別になっているわけで、キリスト教以前から思想が違っていて面白いです。 本書でもたびたびセリフのなかに出てきますが、西洋は善と悪を二分化して考えるが東洋人には馴染めないというのも本質的な部分だと思います。ガンジス河や寺院の描写の中にあるようにインドでは何もかも包み込んでしまう熱帯性の自然がより力強く人々の目に映るのでそういう思想になってしまうのかも知れません。 | ||||
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インド中心の話で、面白かった | ||||
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何度も何度も読み返しています | ||||
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