俘虜記
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私の叔父は、レイテ戦において19歳で戦死しました。勿論、家族のもとにお骨は帰ってきませんでした。それを踏まえてこの著作を読むと戦時中の生き様がみられます。人間として葛藤もあり、生きる為に敵を殺さねばならない。究極の状況で私だったらどう、生きるのだろうか。ふと、そんな思いになりました。 | ||||
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厚生労働省によると、フィリピン戦での旧日本軍の戦死者は約51万8000人である。 戦闘で亡くなったのは少数でほとんどが戦病死(餓死がほとんど)であった。 フィリピンで生き残った日本兵は約12万7000人。 この数字を見ると本書の著者大岡昇平さんは幸運だったと思う。 なかば意識なく一人野に晒されアメリカ兵に援けられたのは奇跡的だった。 氏が『俘虜記』を執筆したのは45年12月帰還後の翌年46年4月末から5月にかけてであるから、まだ鮮明な記憶にあるときであり、自身の経験したことや俘虜仲間たちを観察した細部もリアルで辛辣な批評も定かなものであろう。 氏が米軍の俘虜になるまでの記述は悲惨なものであり、九死に一生を得たことは間違いない。 が、その後、氏が体験したアメリカ軍の待遇は、評者が数年前に読んだ会田雄次著『アーロン収容所』や古山高麗雄著の戦争文学三部作『断作戦』、『龍陵会戦』、『フーコン戦記』と『兵隊蟻が歩いた』、そのほか山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』などと比べると、氏が俘虜として体験したことは随分恵まれていたようだ。 氏が京大出のインテリで英語を話すことが出来るから通訳としてアメリカ軍に用いられ、他の俘虜より恵まれた境遇だった。 通訳としての特権でアメリカの雑誌や探偵小説を読み「探偵小説を読む奴も馬鹿だが、書く奴はなお馬鹿である」と吐いて捨てている。(P309) この件を読み、評者は、「ちょっと待てよ!」と呟いた。 氏が、推理小説の愛読者であったことを知っていたからです。 1978年に『事件』という推理小説で日本推理作家協会賞を受賞したし、何冊かのミステリ小説も翻訳していたからです。(俘虜中に読んだのは、パルプマガジン掲載の駄作だったのだろう) 本土がB29で毎夜のように爆撃を受けているときに、食うものにも困らず、死の恐怖もない世界で暮らす疚しさも氏は吐露しています。 日本政府がポッダム宣言を受託せず、米空軍が毎夜爆撃を続けていることをアメリカの新聞で知り、「私は憤慨してしまった。名目の国体のために、満州で無意味に死なねばならない兵士と、本国で無意味に家を焼かれる同胞のために苛立ったのは、再び私の生物的感情であった。天皇制の経済的基礎とか、人間天皇の笑顔とかいう高邁な問題は私にはわからないが、俘虜の生物学的感情から推せば、八月十一日から十四日まで四日間に、無意味で死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である。」と怒りをもって書いています。(P350~351) 評者はこの『俘虜記』を、この「」内の件だけでも本書を読む価値があると思いました。 終戦前日の1945年8月14日から翌日にかけ、全国10カ所以上で空襲があり、2300人以上が犠牲になった事実がこの件を証明しています。 無差別空爆を命令したアメリカ軍のカーティス・ルメイ将軍へ戦後(1943年)航空自衛隊指導の功績という名目で日本政府は勲章を授与しています。 「勲章呈する奴も馬鹿だが、受け取る奴も馬鹿だ!」言いたくなりました。 氏は、俘虜収容所で探偵小説を書いて本にして莨一本で俘虜たちに貸したり、演芸会の艶笑劇を書いたり、炊事係の十七歳の給仕係兵士の吉田と冗談を言いながら干し葡萄の密造酒を飲み交わした末、泥酔し、本気で喧嘩をしたりして俘虜の無聊を過ごします。(P410) 京大出のインテリの『俘虜記』を「事実は小説より奇なり」の思いを深くしながら読んでしまいました。 評者は、先に読んだ『アーロン収容所』の記憶から、イギリス軍俘虜収容所とアメリカ軍俘虜収容所との彼我の差待遇に驚きながら本書を読み終えたのです。 <蛇足の追記> その1:「捉まるまで」という章は、先に読んだ『靴の話』にも重複して掲載されていました。 その2:29年ぶり日本に帰還した小野田寛郎予備陸軍少尉は、大岡昇平さんが駐屯したミンドロ島の北西にあるルバング島でした。 | ||||
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中古感が無くて、良いと思いました。有難う御座いました。 | ||||
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初版は90枚の「短編」であったものが、章わけされ、一冊の本に仕立てあげられている。全体の枚数は変わらないかもしれないが、どうしてこのようなことになってしまったのか? 当然、短編の迫力は消えている。著者も合意のことだったのか? まことに残念である。 | ||||
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ちょっと長すぎる嫌いがあるが、時間をかけてもう一度読もうと思う。 | ||||
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