輝ける闇



    ※タグの編集はログイン後行えます

    【この小説が収録されている参考書籍】
    オスダメ平均点

    0.00pt (10max) / 0件

    8.00pt (10max) / 1件

    Amazon平均点

    4.67pt ( 5max) / 46件

    みんなの オススメpt
      自由に投票してください!!
    0pt
    サイト内ランク []A
    ミステリ成分 []
      この作品はミステリ?
      自由に投票してください!!

    0.00pt

    0.00pt

    0.00pt

    0.00pt

    ←非ミステリ

    ミステリ→

    ↑現実的

    ↓幻想的

    初公開日(参考)1968年01月
    分類

    長編小説

    閲覧回数1,543回
    お気に入りにされた回数0
    読書済みに登録された回数2

    ■このページのURL

    ■報告関係
    ※気になる点がありましたらお知らせください。

    輝ける闇・新しい天体 (開高健全集)

    1992年05月01日 輝ける闇・新しい天体 (開高健全集)

    ヴェトナムの戦場を肌で感じ生と死の異相を鋭く凝視した『輝ける闇』。官僚主義への痛烈な風刺を軸に美味の本質を見事に捉えた『新しい天体』。(「BOOK」データベースより)




    書評・レビュー点数毎のグラフです平均点0.00pt

    輝ける闇の総合評価:9.35/10点レビュー 46件。Aランク


    ■スポンサードリンク


    サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

    現在レビューがありません


    ※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
    未読の方はご注意ください

    No.46:
    (5pt)

    独特の文体が好き

    この本を下地にしてベトナム戦争の本や映画を読んだり見たりすると更に奥深くなると思います。三島由紀夫が実際に経験したなら大した小説じゃあないと言ったらしく大嫌いになりました。
    輝ける闇 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:輝ける闇 (新潮文庫)より
    410112809X
    No.45:
    (5pt)

    二度と書き得ない貴重な作品

    輝ける闇・・・開高健の代表作である。
    ヴェトナム戦争見聞録、とも評し得ようが、著者の「若き感性の崩壊の記録」でもあろう。
    同じ著者が その作家人生で二度と書き得ない、貴重な作品であると評し得よう。
    輝ける闇 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:輝ける闇 (新潮文庫)より
    410112809X
    No.44:
    (5pt)

    その作家人生で二度と書き得ない、貴重な作品

    輝ける闇・・・開高健の代表作のひとつである。
    ヴェトナム戦争見聞録、とも評し得ようが、著者の「若き感性の崩壊の記録」でもあろう。
    同じ著者が、その作家人生で二度と書き得ない、貴重な作品と評し得よう。
    輝ける闇・新しい天体 (開高健全集)Amazon書評・レビュー:輝ける闇・新しい天体 (開高健全集)より
    4106452065
    No.43:
    (5pt)

    「輝ける闇」から「見えなかったものが見える世界」へ

    少年の時はもちろんベトナム戦争がわからなかった。青年になり少しはまともに世の中がわかりだし、下手に薄っぺらな知識を得て生意気になっても、やはり、ベトナム戦争はよくわからなかった。「国際共産主義勢力に支援されたハノイ共産主義政権の侵略戦争なのか。それとも、サイゴン傀儡の圧政と腐敗に抗して立ち上がった、南ベトナム知識人と民衆の反政府ゲリラ戦なのか。これらの根本の姿がどう見てもはっきりしてこないばかりか、その混沌の中で、敵味方関係なしに、日常茶飯事のごとく兵士や一般の犠牲者、特に貧しい農民の死者数が膨らんでいく。戦争とはいったい何なのか。私の疑問は結局、究極ではあるが、なんとも漠然としたものになっていってしまった。そして戦争ということになればその中に投げ込まれる小石にしか過ぎない一個の人間の極限状況もある。もちろんそれは戦争の当事者だけが経験する、いや当事者にされた人々が経験する「圧倒的何か」であろう。しかし戦争そのものの位置づけがない限り、その中でただ犠牲になる人々は、いったい何のために死んでいくのか。

    「何でも見えるが何にも見えないようでもある。すべてがわかっていながらなんにもわかっていないようでもある。一切が完備しながらすべてがまやかしのようでもある。何でもあるが何にもないようでもある」(「ああ、二十五年」開高健より)

    既に半世紀以上前の話だが、ベトナム戦争につきその小説の構想を立て、友人に上記のような感覚を表現したいのだがと語った開高健に対し、友人はウイスキーグラスおきながら「それはハイデッガーだ。ハイデッガーにその観念がある。彼は現代をそういう時代だと考えた。それを彼は『輝ける闇』と呼んでいる」と教えたのでした。こうして開高健の名著「輝ける闇」のタイトルが決まりました。
    (別に「渚から来るもの」と言う「輝ける闇」の下敷きのよううな作品もありますが、開高健はそれをボツにしてる)

    ある方が、まるでネット時代の現代社会のようであると、先の開高健のことばを引用しそう指摘した短い文章で、たまたま私は、この開高健のことばを初めて知りました。その筆者は開高健が消化した「輝ける闇」ということばを、今のネット社会を掴む一つの切り口にできそうだと控えめに語るのです。筆者は「日々ネットに接していると、ある時はそれが民主主義の守護神にも、知恵の集合体にも見え、またある時には逆に軽薄さ、愚かさの集合体のようにも見える。そこに流れる情報も、本当のようで、嘘のようで、嘘のように本当のようで・・・」と語ってます。

    私自身は今あげた筆者の言うネット社会を超えて、現代のアセンション、次元上昇の時代を考える事
    に現在没頭しています。今の世の中に未だ溢れる3次元情報が、ホントに嘘っぽく感じられ、限界が
    見えだした今日この頃、どのような世界が目の前に開けるのかがわからない不安を感じつつも大きな期待をもって明るい未来を考えてみたい。その時に昔から大好きな開高健の「輝ける闇」を、新しい自分の視点から再考したいと思ったのです。新潮文庫「輝ける闇」の優れた解説は秋山駿ですが私も彼がそこに挙げている開高健の文章が好きです。特に新潮文庫「輝ける闇」のP273から最後までは、私は何度も読み返しました。日本の終戦直前・直後のはなし、サイゴンでの戦場への再出発前の事、そして戦場での緊迫感に満ちた事と話が盛り上がります。秋山駿が挙げた文章もその中にあるのですが、その前後を含めて引用すると「だらだらと汗をにじみつづけるだけの永い午後と、蟻に貪られっぱなしの永い夜から未明へを、送ったり迎えたりしているうちに、自身との蜜語で蔽われてしまえば汚水に私は漬かる。徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。選ばない。扇動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私は既に半ば死んでいるのではないのか。事態は私の膚のうちにのみとどまって何人にも触知されまい。徒労と知りながらなぜ求めて破滅するのか。戦争は冒険ではない・・・・・」

    秋山駿は次のように書いてます。「戦争と敗戦という絶好の機会にも関わらず、日本の文学で戦争という主題を正面から描いたもの、そしてこの主題を書くために自分のすべてを賭けたもの ー つまり
    人がそこで一度死んで作家として再び生まれ変わってくるような、創造の行為として書かれた作品と
    しては、この『輝ける闇』の他には大岡昇平『野火』があるくらいではないか」また開高健が従来の作家のように彼の「青い月曜日」の延長線上に作家として成熟を目指すような者でなく、現代文学の
    出発点とも言える覚悟のほどを示す解説を秋山駿はさらにする。「開高氏はそうはしなかった。こういうところが、従来の伝統的な文学の在り様とは手を切る、本物の現代文学の出発点でありその急所である。開高氏なら『青い月曜日』を読んで、自分で言うであろう ― ふむ、これはいい作品かもしれないが、ここに描かれた自己は、自己完了の形をしている、と。― そんな完了(或る成熟)しつつある自己を、徹底的に解体せよ。そして新たな自己自身を産め。それがこの作家の内耳で鳴った。大いなる声の強制である。彼はその声に素直に従った。徒手空拳、前途不明の賭けである。創造の起点にあって大切な、作家の無私とは、こういう意味のものだ」

    これからのアセンションの次元上昇の中で生きて行くには、私のような凡人でも、程度の差こそあれ、自分自身を解体する作業が必須なように思われます。しかも、その世界はハイデッガーが言う「輝ける闇」のような世界ではなく、また開高健が苦しんだ世界でもなく、「見えなかったものが見えてくる世界」つまり、これまでとはまったく異なる、明るい積極的な世界であるはずです。それを文学的にはどう表現するのかは、凡人の私には、少々荷が重いです。しかし、開高健のこの「輝ける闇」に鮮やかに見て取れる「己を解体する」という覚悟ある生きざまは、大なり小なり多くの人がこれから経験していく事に違いないと強く感じます。「私のための戦争だ」と開高も「輝ける闇」の先に挙げた引用文のすぐ後で、そう語っています。平易な表現にすぎませんが、これも私にズシンと響くことばです。ことばが私に突き刺さります。
    輝ける闇 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:輝ける闇 (新潮文庫)より
    410112809X
    No.42:
    (4pt)

    内面を見る

    「ベトナム戦記」の後にこちらを読んだ。「ベトナム戦記」では、こう描かれていたものが、なるほど「輝ける闇」では、こう来るかなど確認しつつ読み進めた。私の中では、「ベトナム戦記」はルポであっても、報道関係者が書くそれとは違い、自ら戦地に分け入り、アメリカ軍や僧侶の組織等さまざまな人に会い、手探りでベトナム戦争と何かをつかみ取ろうとした記録として読めた。一方、「輝ける闇」は小説とも、ルポとも、日記ともつかない、それらを集約したもののように感じ、今まで読んだことのない不思議なジャンル分けが不能な文章と出会った印象を持った。
    現代では馴染みのなくなった言葉も含め、濃密な表現にからめとられるような読書。きっとそれは、開高の内側から噴き出してきたどうしようもない思いが凝縮され尽くしているからなのだろう。読了して、果たして開高が強烈な体験を通して味わった世界を彼の内側を、どこまでくみ取ることができたのか、はなはだ疑問だが、何だかものすごいものを受け取ってしまったという実感はある。
    戦場という殺し合いが公然と行われる場に身を置く作者は、そこにある様々な立場の人を描きながらも、実は作者自身の内面を見て深く入りこんでいくことが、一番の目的であったのでは?と思った。
    いつ死んでもおかしくない状況にまで自分を追い込んでまで、作者が知りたかったこととは何なのか?
    どうして、このタイミングで、ベトナムへ行ったのか?さまざま疑問は残る。
    ベトナム戦争を内側から見た風景の一部分、混沌とした中で、何を目指して争っているのかももはや失われつつある現実。人々は、おのおのが置かれた立場で戦争に巻き込まれ、ひたすら悩みもがき、あるものは考える力も余裕もなく争いを続ける日常を送り、やがて命をおとしてしまうという現実がごくあたりまえのことのように身近にあるさまはリアルに伝わってきた。
    南ベトナム軍による少年の処刑の場面、アメリカ軍に加わりジャングルでのVCとの壮絶な射撃戦の場面は、映像で見るものとは違う、文章ならではの伝わり方があるのを知った。
    ―徹底的に正真正銘のものに向け私は体をたてたい。私自身に形をあたえたい。ー(略)ーただ見るだけだ。わなわなふるえ、目を輝かせ、犬のように死ぬ。ー
    最前線に赴く直前のこの記述のあたりが、開高の心の闇の核心なのだろうか。
    輝ける闇 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:輝ける闇 (新潮文庫)より
    410112809X



    その他、Amazon書評・レビューが 46件あります。
    Amazon書評・レビューを見る     


    スポンサードリンク