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輝ける闇
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輝ける闇の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全46件 1~20 1/3ページ
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この本を下地にしてベトナム戦争の本や映画を読んだり見たりすると更に奥深くなると思います。三島由紀夫が実際に経験したなら大した小説じゃあないと言ったらしく大嫌いになりました。 | ||||
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輝ける闇・・・開高健の代表作である。 ヴェトナム戦争見聞録、とも評し得ようが、著者の「若き感性の崩壊の記録」でもあろう。 同じ著者が その作家人生で二度と書き得ない、貴重な作品であると評し得よう。 | ||||
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輝ける闇・・・開高健の代表作のひとつである。 ヴェトナム戦争見聞録、とも評し得ようが、著者の「若き感性の崩壊の記録」でもあろう。 同じ著者が、その作家人生で二度と書き得ない、貴重な作品と評し得よう。 | ||||
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少年の時はもちろんベトナム戦争がわからなかった。青年になり少しはまともに世の中がわかりだし、下手に薄っぺらな知識を得て生意気になっても、やはり、ベトナム戦争はよくわからなかった。「国際共産主義勢力に支援されたハノイ共産主義政権の侵略戦争なのか。それとも、サイゴン傀儡の圧政と腐敗に抗して立ち上がった、南ベトナム知識人と民衆の反政府ゲリラ戦なのか。これらの根本の姿がどう見てもはっきりしてこないばかりか、その混沌の中で、敵味方関係なしに、日常茶飯事のごとく兵士や一般の犠牲者、特に貧しい農民の死者数が膨らんでいく。戦争とはいったい何なのか。私の疑問は結局、究極ではあるが、なんとも漠然としたものになっていってしまった。そして戦争ということになればその中に投げ込まれる小石にしか過ぎない一個の人間の極限状況もある。もちろんそれは戦争の当事者だけが経験する、いや当事者にされた人々が経験する「圧倒的何か」であろう。しかし戦争そのものの位置づけがない限り、その中でただ犠牲になる人々は、いったい何のために死んでいくのか。 「何でも見えるが何にも見えないようでもある。すべてがわかっていながらなんにもわかっていないようでもある。一切が完備しながらすべてがまやかしのようでもある。何でもあるが何にもないようでもある」(「ああ、二十五年」開高健より) 既に半世紀以上前の話だが、ベトナム戦争につきその小説の構想を立て、友人に上記のような感覚を表現したいのだがと語った開高健に対し、友人はウイスキーグラスおきながら「それはハイデッガーだ。ハイデッガーにその観念がある。彼は現代をそういう時代だと考えた。それを彼は『輝ける闇』と呼んでいる」と教えたのでした。こうして開高健の名著「輝ける闇」のタイトルが決まりました。 (別に「渚から来るもの」と言う「輝ける闇」の下敷きのよううな作品もありますが、開高健はそれをボツにしてる) ある方が、まるでネット時代の現代社会のようであると、先の開高健のことばを引用しそう指摘した短い文章で、たまたま私は、この開高健のことばを初めて知りました。その筆者は開高健が消化した「輝ける闇」ということばを、今のネット社会を掴む一つの切り口にできそうだと控えめに語るのです。筆者は「日々ネットに接していると、ある時はそれが民主主義の守護神にも、知恵の集合体にも見え、またある時には逆に軽薄さ、愚かさの集合体のようにも見える。そこに流れる情報も、本当のようで、嘘のようで、嘘のように本当のようで・・・」と語ってます。 私自身は今あげた筆者の言うネット社会を超えて、現代のアセンション、次元上昇の時代を考える事 に現在没頭しています。今の世の中に未だ溢れる3次元情報が、ホントに嘘っぽく感じられ、限界が 見えだした今日この頃、どのような世界が目の前に開けるのかがわからない不安を感じつつも大きな期待をもって明るい未来を考えてみたい。その時に昔から大好きな開高健の「輝ける闇」を、新しい自分の視点から再考したいと思ったのです。新潮文庫「輝ける闇」の優れた解説は秋山駿ですが私も彼がそこに挙げている開高健の文章が好きです。特に新潮文庫「輝ける闇」のP273から最後までは、私は何度も読み返しました。日本の終戦直前・直後のはなし、サイゴンでの戦場への再出発前の事、そして戦場での緊迫感に満ちた事と話が盛り上がります。秋山駿が挙げた文章もその中にあるのですが、その前後を含めて引用すると「だらだらと汗をにじみつづけるだけの永い午後と、蟻に貪られっぱなしの永い夜から未明へを、送ったり迎えたりしているうちに、自身との蜜語で蔽われてしまえば汚水に私は漬かる。徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。選ばない。扇動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私は既に半ば死んでいるのではないのか。事態は私の膚のうちにのみとどまって何人にも触知されまい。徒労と知りながらなぜ求めて破滅するのか。戦争は冒険ではない・・・・・」 秋山駿は次のように書いてます。「戦争と敗戦という絶好の機会にも関わらず、日本の文学で戦争という主題を正面から描いたもの、そしてこの主題を書くために自分のすべてを賭けたもの ー つまり 人がそこで一度死んで作家として再び生まれ変わってくるような、創造の行為として書かれた作品と しては、この『輝ける闇』の他には大岡昇平『野火』があるくらいではないか」また開高健が従来の作家のように彼の「青い月曜日」の延長線上に作家として成熟を目指すような者でなく、現代文学の 出発点とも言える覚悟のほどを示す解説を秋山駿はさらにする。「開高氏はそうはしなかった。こういうところが、従来の伝統的な文学の在り様とは手を切る、本物の現代文学の出発点でありその急所である。開高氏なら『青い月曜日』を読んで、自分で言うであろう ― ふむ、これはいい作品かもしれないが、ここに描かれた自己は、自己完了の形をしている、と。― そんな完了(或る成熟)しつつある自己を、徹底的に解体せよ。そして新たな自己自身を産め。それがこの作家の内耳で鳴った。大いなる声の強制である。彼はその声に素直に従った。徒手空拳、前途不明の賭けである。創造の起点にあって大切な、作家の無私とは、こういう意味のものだ」 これからのアセンションの次元上昇の中で生きて行くには、私のような凡人でも、程度の差こそあれ、自分自身を解体する作業が必須なように思われます。しかも、その世界はハイデッガーが言う「輝ける闇」のような世界ではなく、また開高健が苦しんだ世界でもなく、「見えなかったものが見えてくる世界」つまり、これまでとはまったく異なる、明るい積極的な世界であるはずです。それを文学的にはどう表現するのかは、凡人の私には、少々荷が重いです。しかし、開高健のこの「輝ける闇」に鮮やかに見て取れる「己を解体する」という覚悟ある生きざまは、大なり小なり多くの人がこれから経験していく事に違いないと強く感じます。「私のための戦争だ」と開高も「輝ける闇」の先に挙げた引用文のすぐ後で、そう語っています。平易な表現にすぎませんが、これも私にズシンと響くことばです。ことばが私に突き刺さります。 | ||||
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「ベトナム戦記」の後にこちらを読んだ。「ベトナム戦記」では、こう描かれていたものが、なるほど「輝ける闇」では、こう来るかなど確認しつつ読み進めた。私の中では、「ベトナム戦記」はルポであっても、報道関係者が書くそれとは違い、自ら戦地に分け入り、アメリカ軍や僧侶の組織等さまざまな人に会い、手探りでベトナム戦争と何かをつかみ取ろうとした記録として読めた。一方、「輝ける闇」は小説とも、ルポとも、日記ともつかない、それらを集約したもののように感じ、今まで読んだことのない不思議なジャンル分けが不能な文章と出会った印象を持った。 現代では馴染みのなくなった言葉も含め、濃密な表現にからめとられるような読書。きっとそれは、開高の内側から噴き出してきたどうしようもない思いが凝縮され尽くしているからなのだろう。読了して、果たして開高が強烈な体験を通して味わった世界を彼の内側を、どこまでくみ取ることができたのか、はなはだ疑問だが、何だかものすごいものを受け取ってしまったという実感はある。 戦場という殺し合いが公然と行われる場に身を置く作者は、そこにある様々な立場の人を描きながらも、実は作者自身の内面を見て深く入りこんでいくことが、一番の目的であったのでは?と思った。 いつ死んでもおかしくない状況にまで自分を追い込んでまで、作者が知りたかったこととは何なのか? どうして、このタイミングで、ベトナムへ行ったのか?さまざま疑問は残る。 ベトナム戦争を内側から見た風景の一部分、混沌とした中で、何を目指して争っているのかももはや失われつつある現実。人々は、おのおのが置かれた立場で戦争に巻き込まれ、ひたすら悩みもがき、あるものは考える力も余裕もなく争いを続ける日常を送り、やがて命をおとしてしまうという現実がごくあたりまえのことのように身近にあるさまはリアルに伝わってきた。 南ベトナム軍による少年の処刑の場面、アメリカ軍に加わりジャングルでのVCとの壮絶な射撃戦の場面は、映像で見るものとは違う、文章ならではの伝わり方があるのを知った。 ―徹底的に正真正銘のものに向け私は体をたてたい。私自身に形をあたえたい。ー(略)ーただ見るだけだ。わなわなふるえ、目を輝かせ、犬のように死ぬ。ー 最前線に赴く直前のこの記述のあたりが、開高の心の闇の核心なのだろうか。 | ||||
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学校の周年祭に彼は来た。鹿爪らしい演題は本人の希望で変更され、講演は野坂昭如氏との交友をはじめ、いわゆるバカ話、学校で許されるギリギリの半猥談ばかりだった。当時の私は彼の作品を何も知らず、聴衆の女生徒が何か質問したのも、初めて聞く外国語のように聞き流す他なかった。 今思うに、当時の彼はすでに代表作の大部分を書き終え、釣りと美食とに明け暮れる肥満漢に成り果てていた。けれど彼がかつて現代文学を牽引した一人であり、ベトナム戦争に従軍して死地を彷徨したという事実は残る。何が彼をhomo ludensに、快楽を貪る脂肪の袋に変えたのかは知らない。疑問は別にあった。なぜベトナムへ行ったのか、ということである。 従軍記者として派遣された彼は別に前線に出ずとも、毎日を安全な場所で、ただ日常の見聞と公式発表とだけを義務として送稿しながら、酒を浴び飽食し逸楽の限りを尽くしてもよかった。他国の戦争を傍観して面白おかしい娯楽記事に仕立てればよい。まして作家である彼は、せいぜいこれに付け加えて自作の題材を持ち帰れれば、行った甲斐があったと胸を張ることもできたのだ。 やはり「いい気なもんだ」で済ませていいのか、と考えつつ読む。しかし作中に自身の戦争体験が、そして飢えに苦しんだ戦後体験が描かれたことで気づいた。 そうか、あれと同じだ。 戦地からせっかく生還しても自死する兵士は決して例外ではないそうだ。原因はいろいろだろう。しかし死の瀬戸際の甘い恐怖に一度取り憑かれた人は、誘蛾灯に身を焼く蛾となるのではないか。解説にも引用された「徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい」に始まる数行(p.251)は、この未必の故意による自殺行為の、表向きの理由ではある。けれど真の理由は克服されざる戦争体験だったのではないか。そして彼にとっての悲劇は、それを吹っ切った時、真の作家としての生命が絶たれたことではないのか、と思う。 | ||||
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学生時代に推薦図書の定番だった開高健の作品を、50年遅れて読みました。愛読対象がフィクションからノンフィクションにシフトした時に、やはり避けては通れない作家と思ったからです。忘れかけていた泥沼のベトナム戦争の記憶が蘇ります。そして神秘的なもう一つの沼地の探検に羨望を覚えました。この部分はフィクションかもしれませんが。 | ||||
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純粋のルポルタージュではないので人により好みが分かれます。 ノンフィクションであれば時系列で年月日も忠実に記されていますが、本作品の場合は、事実を基にしてアレンジされたフィクションで描かれているので予想した感じではありませんでした。 それと芥川賞作家だけに比喩が多く、私には煩わしくて戦争の事実がストレートに伝わってこないです。 同著者の「ベトナム戦記」などを読んでから、再度評価したい思います。 | ||||
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これは1964年、ベトナム戦争の取材にでかけ、そこでゲリラ戦に遭遇ながら命からがら生還した体験を元に書いた小説。 まるでルポルタージュを読んでるがごとく、とにかく生々しい。 戦争の現場にいるかのような臨場感。 そして身を削って書いたような文章。 尋常ない緊張感に溢れた戦争小説の大傑作だと思う。 | ||||
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元々「オーパ!」や「日本三文オペラ」などが非常におもしろく好きでした。 期待して読み始めた「輝ける闇」は、小説というよりもルポの要素が強く印象深いシーンは数多いのですが、 時折挿入される過剰な比喩が読みにくく途中まで退屈に思っていました。 しかし、ある青年との別れのとき、目頭が熱くなり体が震えてしまいました。 私にとってはそのページを読めただけでもこの小説を読んだ価値がありました。 読み終えた本を閉じると、心のなかを掻き乱す映像がいくつもよみがえってきます。 とっつきにくい文体とテーマ、時が経ちすぎ馴染みのなくなった用語や言葉もあるでしょうが、 読み進めていけばこの小説には現代を生きる我々の心にも訴えかける何かが必ずあります。 三島の言うように想像で書けたら確かにすごいですが、 体験して描いた真に迫る小説というものはもっとすごいことだと私は思いました。 ただどうしても暗く重い話なので、これ一作を読んで嫌いになってしまっては勿体ないです。 初めて手に取る場合は明るくユーモアにあふれた別の開高作品のほうがおススメできます。 | ||||
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ベトナム戦争のまさに戦時下での体験をベースにした迫真の書き下ろし長編。ほんの50年前の出来事であるが、戦場に赴いた者でなければ描けない戦争の不条理をルポルタージュした貴重な記録・小説となっており、まさに読後は言葉も出ない。 | ||||
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本書は 開高健(1930-1989)全集第6巻です。 次の2つの長編小説が収められています。 『輝ける闇』 『新しい天体』 司馬遼太郎(1923-1996)も 谷沢永一(1929-2011)も 開高の最高傑作を『夏の闇』としています。 フィンランド文部大臣賞を受賞し ノーベル文学賞の候補だったと言われる 『夏の闇』の評価は揺るがぬものがあります。 ではナンバー2の作品はどれでしょうか? 白鳥の歌である『珠玉』でしょうか? 自伝的な『耳の物語』でしょうか? (日本文学大賞受賞) それとも開高にとってターニング・ポイントとなった 『輝ける闇』でしょうか? 『パニック』でデビューした開高健は 『裸の王様』で芥川賞を受賞。 『日本三文オペラ』 『ロビンソンの末裔』など いわゆる「遠心力」で小説を書いていきます。 遠心力とは自己の内側に向かわず 外側に対象を求める手法のことです。 従ってそういう小説のテーマは 完全なフィクションであるか あるいは 緻密な取材または資料の精査にもとづいた 事実をベースにした創作作品 になることでしょう。 『流亡記』 『屋根裏の告白』 はひとつの頂点を示しています。 開高自身いちばん好きな作品は 『流亡記』 と答えている時期があります。 しかし 谷沢永一が最初から見抜いていたように 開高は生まれ持った気質として 実は「内側に向いた」作家でありました。 やがて開高は小説の筆が進まなくなります。 E.H.カーの翻訳なども考えたようですが そんなことをしたら小説が書けなくなる と先輩に止められ ジャーナリスティックな方向へ転換を図ります。 『ずばり東京』として後に単行本になった ルポルタージュは好評でした。 視点の鋭さ、文体・様式の多様さが印象的です。 その延長として ヴェトナム戦争の取材が実現しました。 それが開高健の人生および文学を 決定的に劇的に変えることになるとは 出発前には想像もしていなかったことでしょう。 最初の自伝的な小説『青い月曜日』を 途中まで執筆していたのを中断し ヴェトナムに出かけます。 法的には 「南ヴェトナム政府軍 および軍事顧問団としての米軍」 実質的には 「米軍」に記者として従軍します。 いわば銃後である首都サイゴンから 最前線に従軍したとき。 VC(ヴェトコン)にDゾーンで包囲され 激しい銃撃を受けます。 200名いた部隊は17人になっていました。 単純計算すると 致死率91.7%という地獄以上の戦闘です。 奇跡的に 開高健と 秋元啓一カメラマン(1930-1979)は生き残りました。 の死を覚悟した開高と秋元は 遺影として互いの写真を撮りあいます。 その写真(モノクローム)が 本巻の巻頭に載っています。 開高は (階級章のない)軍服(のような服)に ヘルメットをかぶり 武器を持たずバッグ(水筒?)のストラップを 指で軽く握っています。 無表情です。 死を覚悟した人間はこうなるのか と思います。 致死率91%つまり文字通り 九死に一生を得て 開高は帰国します。 そして結実したのが 『輝ける闇』 でした。 戦争取材という 一見ジャーナリスティックな仕事のように見えて 開高が書いた『輝ける闇』は 私は「内側を向いた」作品であると思います。 「遠心力」の標語を使うならば 「中心力」「求心力」で書いた作品であると思います。 『輝ける闇』は遠心力で 『夏の闇』は中心力・求心力で書いた と評する方もいらっしゃるでしょうが そうではなくて両方とも 「中心力」「求心力」「内心力」で書いた作品でしょう。 たとえば 大岡昇平『レイテ戦記』(中公文庫)と比較すると ジャーナリズムと文学 記録と小説 の違いがはっきりします。 むしろ私は『輝ける闇』は ロータル=ギュンタ-・ブーフハイムの 世界的ベストセラーで映画化・TVドラマ化された 『Uボート』(早川書房) に通じるものがあると思います。 あるいは 開高自身、愛読書であり いちばん好きな映画であった レマルク『西部戦線異状なし』(新潮文庫) を意識していたのかもしれません。 『輝ける闇』というタイトルは マルティン・ハイデッガーからとったものです。 具体的な内容については みなさんご自分で読まれるのが いちばん良いと思います。 一点だけ注意を喚起するならば 素娥(トーガ)という女性の存在です。 ヒロイン登場、と言ってもよいでしょう。 開高健が 内側に向かって小説を書き始めたとき 「恋愛」 を描くことを条件のひとつに挙げていました。 言い換えると 「女」 を描くことです。 開高健の作品に 最初に、くっきりと 女性が登場するのは 素娥(トーガ)であり 細川布久子氏の表現によれば 「開高さんのヴェトナム時代のミューズ」 です。 量的にあまり多くは登場しませんが Chez moi? Chez toi? という会話だけで 互いの感情を推し量ることは容易です。 私は 『輝ける闇』をはじめとし 『怪物と爪楊枝』 『飽満の種子』 『兵士の報酬』 『岸辺の祭り』 『洗面器の唄』 など一連のヴェトナムものが好きで 繰り返し読みました。 『フロリダに帰る』の舞台は東京ですし 『玉、砕ける』は香港での話ですが 広義のヴェトナムものと言えるでしょう。 残念ながらこの全集で いわゆるヴェトナムものの短編は 8巻と9巻に分断されています。 1巻にまとまっていると便利だったように思います。 また私は 開高健を読んでから 『プラトーン』 『フルメタルジャケット』 『ハンバーガーヒル』 というヴェトナムものの映画を見ました。 イメージを補うという意味では 開高健を読むと同時に 映画もいいかもしれません。 なお本巻のもう1篇は上記の通り 『新しい天体』 です。 おいしい食べ物を発見することは あたかも新しい天体を見つけるがごとし というテーマの作品です。 グルメ小説のはしりです。 ヴェトナムもののお口なおしには ちょうどいい配置となっています。 | ||||
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小説というジャンルなのか???読んでいて、正直、小説というものを読んでいる気には一度もなれなかったが・・・・ いい本なのですからジャンルに拘る必要は一切ないでしょう 文中で主人公である著者は米軍の大尉にこう語る 「いろいろな物のまわりの匂いを書きたい。匂いのなかに本質があるんですから。(中略)匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂い書きたいんです。」 読者に必ずやベトナム戦争の匂いが伝わってくる・・・・ まさに「匂い」を書いた素晴らしい傑作だと思います | ||||
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非常に読み難い文体。。。 教科書に載っている短編二作は素晴らしかったので、晩年の「珠玉」を買ってみたら、そっちは読みやすいが力がない。 教科書にあった開高健を楽しむにはどの本が良いのだろうか。。。 | ||||
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汗、汚物、妄執、倦怠、肉欲、食欲、人間の臭気が物凄く濃い。 戦後間もない混沌とした日本、戦地のベトナム、 革命に高揚する騒乱の地を駆け廻り、転び、泣き叫び、 人は達観し、やがて「無」となるのか? 開高健の小説には常に「濃い臭い」がある。 だから、有る程度は腰を据えて挑まないといけない。 生半可な気分で相対すると、「濃い臭い」に気倒されてしまいます。 「闇」の中には「輝ける人々」が居るのですね。 | ||||
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もう引き込まれてしまいます。素晴らしいという言葉しか語彙がないのですが、とっても良い本です。 | ||||
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戦争の怖さ・愚かさ、平和の大事さ、日常生活の幸せを考えされられる本です。 | ||||
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正に、開高さんの文学を代表する本の1冊。何度読んでも飽きません。 | ||||
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開口氏の作風と人柄が「輝ける闇」に満載だと思って読んでいます。 | ||||
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二十歳前後の頃に氏の小説を夢中になって読みました。開高健の作品を読んで小説家になることを諦めた文学好きも多くいたと思います。これだけ凄い物があるのなら、書くよりも読む側でいた方が幸せだと・・・・・僕もその一人です。行間から滲み出る作家の溜息や呻吟まで味わって欲しい日本文学の傑作です。 | ||||
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