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輝ける闇
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輝ける闇の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全46件 21~40 2/3ページ
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筆者の名作を評価する立場にありません。素晴らしい文体に傾倒しています。 | ||||
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従軍記者であり小説家である「私」は、戦場となったベトナムの森や村を、兵士の死を、庶民の暮らしを、知識人の屈折を、観察します。 「いろいろな物のまわりにある匂いを書きたい。匂いのなかに本質があるんですから」 「眼もなく耳もない一頭の巨大な軟体動物がうごめいているのである。それはふくれあがって小屋いっぱいになり、壁を這いまわり、夜空までみたしている」 全編が、爽やかさとは対極にある熱帯の戦場の息苦しさと、生の匂いにあふれています。虐殺と言うべき最後の戦闘の場面では、死以上に恐ろしい死があるということを知りました。 | ||||
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1802年に現在のベトナムとほぼ同一の領域を最初に支配した統一政権の阮朝(越南国)は、清国に朝貢して形式上従属しながら自国を「中国」と呼んで世界の中心に位置すると称し、自国と清は兄弟で対等であると見なして国家を存続させていた。1858年にナポレオン3世がフランス遠征軍を派遣してコーチシナ(ベトナム南部)を植民地にした事を起源として、1882年にトンキン(ベトナム北部)占領、それを基にした宗主国清の介入による清仏戦争(1884〜1885年)での清の敗北の結果の天津条約(1885年)で清が宗主権を放棄した事を経て、1887年にインドシナ連邦としてフランス領インドシナ(仏印)が成立し植民地とされた。阮朝自体は1945年まで続いた。 第二次大戦中の1940年にナチス・ドイツがフランスを占領した事から、ドイツの同盟国日本は同年に仏印北部に、翌年に仏印南部に進駐して在来の仏印政府との共同統治体制を布いた。其の年に、ホー・チ・ミンは「ベトナム独立同盟会(ベトミン)」を組織してその主席に就任した。 1945年に日本が敗北してベトミンが北部のハノイで蜂起して8月革命を始め、南部のサイゴンでの民衆蜂起等を経て同年に「ベトナム独立宣言」を発表し、ホーは「ベトナム民主共和国」を建国して国家主席兼首相に就任した。しかし、旧宗主国仏や米英中ソ等の連合国側諸国が承認しなかった。ポツダム協定により南北に分割されて、北部に中華民国軍、南部に英軍が進駐した。その直後に仏国が南部の支配権を奪取して、インドシナ一帯の再支配を目論んだ。ホーは北部の国民党軍(中国)の進駐が長引く事を恐れて仏国を受け入れたが、仏国とのベトナム独立についての交渉を重ね、1946年に一旦は独立が承認されかけたものを仏のコーチシナ共和国樹立という分離工作によって破談し、同年末に仏がベトナム民主共和国に攻撃して第一次インドシナ戦争が始まった。1954年に仏国が敗北してジュネーヴ協定が締結され、北緯17度線で南北に分割され、北部はベトナム民主共和国、南部はベトナム国が統治する事となり2年後に再統一の全国選挙が予定された。 しかし翌年、ジュネーヴ協定に調印しなかった米国が名目上ドミノ理論(ある一国が共産化すれば、周辺諸国も共産化される)を唱えて、共産主義を嫌悪する資本家や宗教家、自由主義者等と図って、南部に「ベトナム共和国」の政権を発足させた、経済的・軍事的支援を行った。ジュネーヴ協定で定められた再統一の全国選挙を南部のベトナム共和国がボイコットし、反対勢力を弾圧する独裁政治を行った為、それに抵抗する形で1960年にベトナム労働党の支援のもと、「南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)」が結成された。其れによってベトナム戦争が始まり、ベトコンは介入を始めた米国と激しく戦った。ベトコンは主要都市と幹線道路を除く農村地帯をほぼ完全に勢力下に置いた。 1965年に米軍がベトナム民主共和国へ北爆を開始し、50万人の大軍を投入して本格的となった。米軍は軍事関連施設のみを爆撃の対象と言いながら、実際には病院・学校・民家・キリスト教会・農業施設等、枯葉剤やナパーム弾を用いて「皆殺し作戦」を行なった。枯葉剤は戦後に健康被害や出産異常を引き起こし、焼夷兵器のナパーム弾は広範囲を無差別に焼き尽くした。又、米軍やその他の同盟国軍による一般村民への戦争犯罪として、無差別機銃掃討や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋の放火等があった。後に、ベトナム女性との混血児(ライタイハン)が確認されている。又、其の米国に対抗する為に、前線へ出た男性の民衆に代わって後方では婦人部隊が組織され、農作業の際にも銃を所持し、町の警備に当たる等をして、民衆全体が米国に対して抵抗し独立に向かって戦った。 又、南部のベトナム共和国の第2代・3代大統領グエン・バン・チューは強烈な反共主義者であったが、南ベトナム国内での麻薬の不正取引の元締めであり、しばしばベトコンからも麻薬を入手していた。更に南部の政府は不正や汚職が蔓延し、軍も堕落し士気が下がって規律の維持も難しくなり、一般市民は米軍に媚び諂って売春等が流行り、全てが腐敗していた。 次第に国際世論が反戦・反米となり、且つ米国がベトナム戦争に莫大な戦費を費やした事から、退陣に追い込まれたリンドン・ジョンソンに代わったリチャード・ニクソンが1969年に大統領に就任して撤収を模索し始めた。借金国に転落した米国は、1971年にドルの金本位制を撤廃して紙幣と金の兌換を停止してドルが「紙切れ」となり、以降、民間銀行であるFRB(米連邦準備制度理事会)によって憲法や議会に拠らずに、民間人が自由に幾らでも輪転機でドル紙幣を発行出来る様になってしまった。1973年には泥沼化した戦争を終わらそうとして、1月27日にパリ協定(ベトナム和平協定)がベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の間で調印されてベトナム戦争終結を約した協定を結んだ。又、第一次オイルショックでの景気停滞や不況で打撃を受け、ニクソン政権が残したウォーターゲート事件やジョン・F・ケネディー政権が進めたアポロ計画の月面探査への膨大な出費もあった事等もあって、ジェラルド・フォード大統領は軍の派遣や軍事援助を拒否し、1975年にサイゴンが陥落して戦争が終結して南部のベトナム共和国は崩壊した。北のベトナム民主共和国が主導して南北統一を実現し、翌年に「ベトナム社会主義共和国」が成立した。そして、米国は其れ以降、世界一の借金大国である。日本のお金は米国へ流れ、貸したお金が返ってくる事は無い。 ホー・チ・ミンはベトナム戦争中の1969年に亡くなられたが、共産主義の実現よりも民族解放・ベトナム独立が生涯の主要課題であった。又、腐敗や汚職、粛清に無縁で、禁欲的で無私な指導者であった。更に、自らが個人崇拝の対象になる事を嫌っていた。自伝の類を残さずに亡くなられた為に、自己の業績について殆ど語らないという伝統がベトナムに生まれた。現在存在する霊廟や墓所、銅像、エンバーミングした遺骸は、ベトナム労働党政治局がホーの遺言を無視して作ってしまった物で、ホーはそれらの物は個人崇拝に繋がる為に望んでおらず、遺書には火葬後の遺骨を北部・中部・南部に分骨して埋葬する事と、戦争勝利後の農業合作社の税金を1年間免除することが書かれていた。その高潔な人柄から民衆から尊崇を集めて愛され、慈愛に満ちた風貌から「ホーおじさん」と民衆に親しまれた。(参考文献:ウィキペディア) 本書の著者は、1964年に南ベトナムの米軍に同行して取材を行なった。現地での直接取材でベトコンからいつ襲われて殺されるかもしれない状況にて米軍側からの視点に立って取材した。米軍の北爆が開始されて前記のような米軍の残虐行為が問題となって、国際世論の米国批判が高まる前であったことや、米国との同盟国としての日本の立場、本書の中に出てくる病院での奉仕に来ていた米人のクェーカー教徒の言う「…堕落…傲慢、無知、侮蔑、恐怖、無神論…」が米国とその他南側の同盟国軍に存在する事、米国追従国家日本の特にメディアの姿勢等も影響にあった様な内容であるように感じる。南部の腐敗は伺えたが、米国帝国主義による北側への無差別爆撃等の虐殺、侵略行為については、本書からは全く解らない。ベトナム側の視点に立ち、その様な米軍の悪の「真実」が解る様な内容の方が私にとっては良かった様に思い、残念である。知識の余り無い人にとっては、視点を持つ、或いは主人公の側が正義の様に勘違いされ、相手の敵が悪者と勘違いされかねない。 参考動画:「NDN(株)日本電波ニュース社」のホームページ([・・・])や、YouTubeチャンネル・「NihonDenpaNewsTV」にて1960年代に撮影されたドキュメント映画(のダイジェスト版?)が公開されている。其の中にはホー・チ・ミン主席への単独インタビューも在る。こちらの方から真実が伝わって来る。 | ||||
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まず結論から言ってしまうと、久々に純文学らしい純文学を読んだ、の一言に尽きる。開高健は戦後の荒廃の中で、自分を見つける事から作家として出発した。だが、その後日本は急速に近代化・資本主義の爛熟へと進み著者はそこで、自らの極限状況を見出すためにベトナムの赴いたのだろう。だが、そこでの著者はあくまでも部外者である事から逃れられない自意識に苛まれる。初めてみた処刑に全身がおぞけるほどの感覚を覚えながら、二度目には不感症のようになってしまう自分。最前線を離れれば、フランス統治下の影響にあった食文化を残したカフェでカフェ・オレやクロワッサンで朝食を取る自分。それらの虚しさから逃れるように若いベトナム女性とのまぐわいに耽溺する自分。 ここには、戦場にありながらそこに参画することができす、しかし最後は最前線で死の極限に接する場面を求める開高健のあがきが描かれる。 ラストの戦場の場面でベトナム側の壮絶な銃撃を受け、その中であがく主人公の姿には素っ裸の人間が迫力ある文章でリアリティをもって描かれた圧巻の場面で小説は終わる。開高健の作品は夏の闇 (新潮文庫)の凄さに昔圧倒された覚えがあり、久々に著者の作品を読んだのだが期待を裏切らない充実した読書体験になり、満足している。 | ||||
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1964年末から65年初頭にかけての著者ベトナム 取材で経験した事を元に書かれた小説。 1965年に出版された著者のベトナム戦争のルポである ベトナム戦記が事実ベースで、それを読めばもう少し 理解が深まり、どこまでが現実かわかるかもしれない。 いや、ひょっとすると本小説のほうが現実に近かったかも しれないと感じさせる精細な描写です。 現地で空いた時間に読んだ"マーク・トウェイン"の小説 「アーサー王宮廷のヤンキー」がベトナム戦争の本質を はるか前から言い当てたものであると気付く場面が印象的です。 日本のかつての戦争を体験し、まだそれをひきずった 世代の著者が、終わったのは自分が生まれる前の戦争 体験を語っているわけなんだけど、まったく色褪せた感じがしなく 目の前に著者が座って語っているが如くリアルな感じがします。 ディティールは過去を感じさせるのに、人々の心の機微は 恐らくあまり変わりなくて、戦争で命を落とす理不尽さを 本著を通して感じさせられます。 | ||||
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開高健氏の本です。 ベトナム戦記という別の本では外の世界における戦争の一部始終を記録していくのに対し、この本はそのドキュメンタリー的な部分をかなぐり捨てて、自分の内面に入っていき、そして自分自身をえぐりだすような本に仕上がっています。 まったく殻をかぶらないでありのままの姿をこれほど強烈に書くのは普通の人間では無理なのではないかと思いました。 解説では秋山 駿氏が三島由紀夫との話を載せてます。 三島由紀夫は「全て想像力で描いたのなら偉いが、現地に行って取材してから書くのでは、たいしたことではない」という意味のことを言ったということです。しかし、秋山 駿氏はこれとはまったく違う見解を持っていらっしゃいます。見てしまったからこそ、書けないということもあるということです。 これには私も同感でした。 戦争に取材という第三者的な立場で参加した開高健氏がつくづく戦争は嫌なものだと感じた叫びが伝わってきたような、そんな壮絶な一冊でした。 興味のある方は是非ご一読ください。 | ||||
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「解説」に秋山駿氏が『ここにあるどの一行を採っても、それはさながら 破裂寸前の果実のように緊張している。そんな緊張をこんな長さで続ける のは、非常の場合である』と、これまた非常に緊張した表現でこの作品の 本質を表しています。 同行した米兵のムッとするような汗臭さや、懇意にしていたうら若いベト ナム女性との情事の絶頂感までどこからか漂ってくるような、読んでいる 自分も体感できるような。だから所々「シャワーを浴び」と書かれている のを読むと、なぜかそれらの臭いから解放されてさっぱりする気までして きます。 これは日記なのか。後から一気に書いたのか。日記とは到底思えないが、 後から書いたにしてはあまりに微に入り細にわたり、現地の濃密すぎる空 気が伝わってきます。書き終えて著者がどれほど心身共にすり減ったか、 容易に想像できます。 | ||||
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本書はベトナム戦争に従軍した開高健の実体験を書いたのではと思わせるような小説で、ベトナムの茹だるような熱気・湿気と戦争という極限状態の中で、主人公が視て、触れて、感じたことが執拗なまでに詳細に描写されており、読んでいると自分自身が汗・血・腐臭・死体などにどっぷりと浸ってしまうような気がしてくる。ここに登場する人々は主人公を含めて殆どの人がこの世界に沈み込んで出口が見つからないまま澱んでしまっている。不思議なことに主人公が付き合っているベトナム人女性の素娥だけはみずみずしさを保っているようにも見えるが、それは主人公の視点からそう見えるだけかもしれなくて、しばらくすると現実の重さに引き込まれて沈んでしまうのだろう。最後の戦闘シーンで人間としての自尊心すら失った主人公はこの後どう生きていくのだろう。このような極限を体験してしまうと二度と元には戻れないと思う。ベトナム戦争下でもがく人間の闇を切り取って白日に晒したような圧倒的な迫力がある作品だ。 | ||||
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今年は、開高健没後20周年。 遅まきながら「夏の闇」を読み、シリーズに逆行して今回「輝ける闇」を読了した。 この長い物語の最後にーー 「・・つくづく戦争はいやだと思った」 という当たり前だが、著者の「本音」がシンプルでストレートに表現されていて 何故か安心した・・・ 「人を支配するもっとも陰微で強力な、また広大な衝動、最後の砦は自尊心であった」 「私は泣きだした」 「戦争」は、人間の根源さえも瓦解させられるのである。 今後世の中核を戦後生まれが占め、「戦争」を知らない者達が増えるなかで(小生もその一人)、 これから世界がどう変化していくのか、 果たして「第三次世界大戦」は起こり得ないのだろうか・・ うまく書けないが、 恐慌し混迷している時世で、我々が本当に希求するのは何かを 少なからずこの本は、示唆してくれそうに思える、開高渾身の一冊。 | ||||
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当時のベトナムの現実が圧倒的に迫ってきた。ベトナム従軍記者として赴任された筆者しか表現出来ない。彼は、読む者に自分そして己を取り囲む現実を其の儘に直視し、表現する力を与える。この愚直な世界は、猛々しく、いつの時代でも失われた何かを示すのではないか? | ||||
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この小説は何度も読んでいますが、「夕方、ベットのなかで本を読んでいると、ウェイン大尉が全裸で小屋に入ってきた」という冒頭の一文から、「森は静かだった」という最後の文まで読み返すと、また改めて私の身体の細胞の隅々までが、入れ代わったような経験をします。小説の力を感じさせる名作です。 | ||||
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釣り師・開高健を中学時代に知り、その文学へと進んだ。 本書を読んだのは私が高校生の頃だったはずである。 寝る前の読書のはずが、紙面にのめりこみ一晩で完徹して読んだ。 本書には方寸の定まらぬ錯乱した少年をも捉えて離さない圧倒的な何かがある。 この<何か>という部分をどう定義してよいものか…。 私はいまだに定義できないままでいる。 とにかく開高健は本書によって書き手として極少数の者しか到達し得ない、 言語を絶するはずの、至高であると同時に、 世界に選ばれた書き手のみが許される、 耐えがたきまでに孤絶された場所へと到達したことは間違いない。 本書以降、手当たり次第に本を読み、さまざまな作家に触れてみたものだが、 それでも結局は開高健の希少さ、「輝ける闇」の特別性を確認しつづけるだけの 経験でしか無かったようにさえ思える。 私はときおり勃然と何事かを書こうと思い、実際そのようにするのだけれども、 そのつど絶望感にうたれて、自身の書いたものに酷く嫌悪感を感じるのは、 ほかならぬ開高健の「輝ける闇」と比較してしまうからである。 私は本書に生き方を問い、回答を与えられ、その示すように生きたいと願う。 痛感する生の先に死を捉えることなのだろうか? 死に触れつづけて生を知ることなのだろうか? あるいは生と死の混沌に在りて自身が堅牢であるということなのか? 原則とは、自らの命を張りこんで自らの言葉を得るということなのか? 開高健と「輝ける闇」。 この事実は私が死ぬまで背負う巨大な十字架の一つであり、 そして同時に憧れてやまぬ文学の極点だ。 | ||||
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ベトナム戦争の従軍記者としての経験を記した本です。戦争を経験し、それを記した本は多くありますが、本書は戦争体験を書いた本ではなく、前線において戦争を客観的に見つめる記者の目で描かれたのもです。だからこそ読み手にビシビシと緊張感が伝わってくるのかもしれません。開高氏独特の観察感と溢れんばかりのボキャブラリーによって、はじめてこれだけの緊張感を描くことができるのだと改めて感心しました。 | ||||
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この小説を初めて読んだのは、25年以上前になります。 私はそのはじめて読んだ単行本を今も持っていて、2、3年に1度読み返します。 読み返すたびに、25年前と同質の迫力を感じます。 著者の視点は、ぺトコンと戦わされるベトナムの兵士たちにもに注がれます。 彼らはある瞬間にスイッチが切れたように反応しなくなります。それは自らの 意思さえも入り込まない拒絶の表れです。 そういった彼らとの付き合い、彼らの死。著者は戦闘に同行し命を落としかけて いますが、銃を所持せず、あくまで傍観者として彼らの死を見続けます。 私は滅多に小説を読み返しませんが、この作品だけは何回も読み返しています。 | ||||
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開高健を、ただの釣り好きの美食家のように思われているとしたら、本書はその認識を根本的に転換すること間違いなし。 ベトナムという地で、遠く1975年まで戦争が行われていたことを、今は忘れてしまっているとしても、まるでその場にいるかのような圧倒的な臨場感が吹き飛ばしてしまうような、臭いが、音が聞こえてくるようなリアリティーを持つ作品。 開高健が好きなら決して外せない、ベトナム戦争に興味があるなら極めつけにお勧め。まして両方なら、決定的にお勧めです。 | ||||
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ほとんど文学作品は読まない私が読んでいる数少ない作家の一人。プラトーンを久しぶりに見たから惰性でこの本も読み返す。全然ジャンルも内容も違うけど、出だしを読み始めて「限りなく透明に近いブルー」を思い出す。言葉の言い回しなんかがふと似ているように思った。但し1ページ目だけですが。秋山駿が書いている後書きの解説に「これはたいした作品でない云々と三島由紀夫が言ったとか・・」と書かれていますが。こんな文章を見るにつけ、やっぱり俺は三島由紀夫なんかは読む気にならんなあと改めて思ってしまう。人生に対する美学が全く違うもんね。ただこの本は正直なんともいえない書物です。このあと段々と「オーパ」路線に行ったような気がするのは僕だけでしょうか? | ||||
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開高健先生は秋元カメラマンと文字通り生死をともにした仲であり、その時にお二人で、われわれの命日としようと決められたそうです。それ以来、お二人は命日が来ると酒を朝から浴びるように飲んでおられたとか・・・・。 私も友人と海外で会社そのものがライバルに売り飛ばされ、3/1から新しい会社(ライバル社)に名前が変わりました。折しもオリンピック開催の年であり、2/29が存在します。私は友人と開高健先生のアイデアを盗んで、我々二人の命日と決めており、それ以来、その命日では二人だけでハメを外しております。開高先生も秋元カメラマンもお二人とも本当の命日をもっておりますが、天国でもあの調子でやられているのでしょうか? ぜひそうであって欲しいと願わずにはおれません。開高先生の作品はどれも内容が高く、何から子供に読ませようかと悩むこのごろです。 | ||||
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著者が従軍記者としてベトナム戦争で体験したことをもとにして書かれた「小説」。作品全体が押しつぶされそうな陰鬱な空気に覆われている。比喩や言い回しは、確かに粘りつくような開高節なのだが、それも暗く重たい。 一度目の従軍取材を終えた後のサイゴンでの生活で、“私”は多くのことを知り、考え、煩悶するのだが、その生活は、いいものを食べ、酒を飲み、女を抱くという、怠惰ともいえるものである。しかし、その中には戦争の傍観者でしかない自分に対する、やり切れなさが感じられる。 “私”は、あることがきっかけとなり、再度、従軍取材に赴くのだが、そこで200人の小隊の内17人しか生き残れなったというゲリラ戦に巻き込まれる。作品の最後半でこの戦闘が描かれているのだが、そこは、極限の状況におかれた人間の狂気の世界である。 その中で著者は「いやだと思った、つくづく戦争はいやだと思った…何もかもやめて泥の中にうずくまり、声をあげたくなった」と、戦争の当事者になってしまった“私”の思いを記しているのだが、直接的な表現を避ける著者のこの文章が、戦争を体験したことのない私に重くのしかかった。 戦争を描いたドキュメンタリーよりも、戦争の愚かさを伝えることのできる、実体験をもとに書かれた壮絶な「文学作品」であり、読み継がれるべき作品だと思う。著者がこの続編とも言える「夏の闇」以降、小説を殆ど書かなくなったのも理解できるような気がする。 | ||||
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作者自身が従軍記者としてベトナムに行き、200人の小隊のなかで彼を含めて17人しか生き残れなかったという経験を軸に書かれた大作。日本の小説にはいわゆる「私小説」というスタイルがあるが、本作はそうした形で書かれた作品としてはもっとも強烈なものではないか。80年代にアメリカがベトナムを素材にした映画をいくつも作ったが、そうした映像よりも何よりも強烈な印象があります。開高氏のような戦中派というか幼少時代に戦争を経験した世代には「生と死」というものが非常に重い。作家はベトナムだけでなく、アイヒマン裁判、ビアフラなどなど世界中の戦争、生と死、それを起こした人を追いかけている。経験しなければ語れないというのであれば、彼の経験の昇華と言える本作は、いよいよ重いと言えるのである。名作である。。 開高氏はこれと「夏の闇」以降は釣り、食、といった一見エピキュリアンな方向へと対象がシフトしていくように見える。上記のような極限状態を経験すれば、そうなっていくこともまた納得なのである。純文学作家としての開高というのがあまり語られないのはなぜだろう。語れる人がいないのではあるまいか?今の文学界に。そう思わずにはいられない。 | ||||
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最初から最後まで途切れること無い、まとわりつく情感のような 文体。 確かにとっつきにくく、読みづらい。争いの現場をいる彼と 私たちの距離はそうそうに縮められない。 それでもゴリゴリと読み進める。すると途中話が前後して いるような、流れが追いにくい場面が現れたりする。 読者はまさに先の見えぬジャングルを進むような感覚であると思う。 しかし読後にサーっと伝わってきた。あらゆることが。 彼の混乱、戦地の混乱、何もかもぶちまけられたパズルのように 決して組み合わさることの無い断片のようで、それがきっと彼が とめどなく感じてきたことなのであろうこと。 戦地での個人的な体験は、大変に無為な日々であるとしか言い様が無い。 彼は記者で小説家でそれ以上でもそれ以下でもない。同様に、 ベトナム人はベトナム人でしかなく、米軍は米軍でしかない。 私は途中まで、ベトナム人チャンが言うように、記者や米軍は エゴイズムの混じった無駄な日々を過ごしているように感じていたが、 違う、それぞれが無為な日々を過ごしているのだ。 著者は粘着質としかいえない文章を、きっと狂気の状態を保ちつづけながら 書き出したと思う。 無為の日々での、一つ一つの欲望を丹念に描き出す。 その熱さの全てを受け取ることはきっと永遠に出来ないが、 その熱すぎる文章からはみ出る熱風は、何かを感じざるを得ない代物である。 | ||||
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