(短編集)
神聖喜劇
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
神聖喜劇の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容としては非常に簡素で、陸軍二等兵・東堂太郎が博覧強記をもって上官の不備をつきやり込めてゆく、という筋が主となっています。ポイントとなるのは、不備をつかせるだけの整然とした規則という論理を、守る存在があったということでしょう。現実に軍内部でそう理路整然とし正しかったとしても上が絶対だ問答無用とねじ伏せられたろうと思われますが。成り立たせたのは鬼軍曹の大前田で、彼が退場することによって本作に幕が降りるのは、必然であったでしょうね。 日本固有の、それもだいぶ古色蒼然としてきたイメージでありますが、文学と言えば小説であり純文学だというもの。そしてそのイメージにある純文学である小説とは、むつかしい漢字、言いまわしがガチガチに詰まった深刻な内容であるもの。それはある部分生きていて、例えば芥川賞受賞作品などに見られる純文学は、文章からみればへなへなすかすかしたものが多数派を占めるようになりましたが、深刻というのか胸がわるくなるようなもの、常軌を逸したものほど好まれる、高く評価される傾向が見受けられますね。その良否、好悪はおくとして、本作ほど古色蒼然とした純文学の小説の特徴をあらゆる意味で完備したものはない、ように思われます。古今東西の文学作品からの引用、執拗なまでの緻密な描写、言葉の正確さへの執念。それでいて、あまりにも突き詰めていったために、古色蒼然としたイメージを突き破ってしまっている、と感じるのは私だけでしょうか。それは文章のみならず、表現だとか取り扱いについても。主人公とおなじく徹底的に正攻法、理路整然とゆき、あまりにゆきすぎるため、そこらの軽々しい目を引くためだけにやっている奇を衒ったものをはるかに越えた威容が現れるかんじ。発表登場からだろうと思われますが、いまの(とりあえず)純文学といわれる小説のなかにおいたとき、あまりに異質すぎて戸惑いを覚える人がほぼほぼなのではと推察します。私自身、混乱しますし。軽いもの、ただ奇を衒っただけのもの、それが悪いとは思いませんが、それだけではあまりに貧しいですね。不満や疑問を感じている方、ときには失望や絶望をもたれる方もいるのではと思われます。これだから日本の小説など読んでいられないのだ、という歎きを見聞したことが実際にありますし。そんな方々に、ぜひ手にとっていただきたいものですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
きれいな本で、直ぐに読んでしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あのような大作を漫画化するなんて、なんて無謀な。と思ったが、入り組んだ知の迷宮を見事に浮き上がらせ、すっかり見晴らしの良いものにしてくれている。 元祖論破王・東堂の活躍は痛快でとても面白いのだが、知の巨人が主人公を通して繰り出す古典の引用や軍隊の難しい用語などが、バカすぎるわたしの頭脳には眠気ばかりを誘い、中途断絶してしまっている原作だったが、ようやく続きを読む勇気を与えてくれた。おすすめです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
さてようやく最終巻。第六巻は「第八部 永劫の章」。 一人の新兵が「殺人の前科者(正確には「障害致死」で本人の責任は軽いとさ れ、執行猶予中)で」、「その上に生まれが生まれ(被差別部落出身)とこうくり ゃ…”不祥事”がおこると、とかくたいていの奴等がその”生まれの悪い前科者 ”の冬木に、目を付けて犯人(銃剣の鞘の意図的損傷)に仕立てたがる」。 差別意識丸出しの上官達は、この冬木を追い詰めていく。勿論証拠などどこに もない。そうしてなんと「投票箱」によって冬木を犯人と確定しようとする。一 種のリンチであろう。 主人公は信頼できる者と冬木を誘い、話をし、この事件の真実を見つけようと した。二晩かけて三人はようやく「真の犯人」らしき者を推定する。この後の流 れはいささか冗漫であるが「推理もの」としてもなかなか面白い。 論理でもって上官に立ち向かっても、冬木が犯人であるということは論理的に 無理があるとしても、冬木が犯人でると押し通す上官。 ここに至って主人公は冬木に、「軍隊内務書」の定めによる「上申」をするよ うにすすめる。 「自己ニ対スル他人ノ取扱不条理ナルト考フルトキハ徐ニ順序ヲ経テ之ヲ事件関 係者ノ直上所属隊長ニ上申スルハ妨ゲナシ」。 また「投票」は、「犯罪ノ嫌疑者ヲ互選投票シ又ハ私ニ懲戒糾問スル等ノ行為 アルベカラズ」という規定を主人公は主張する。 だがその所属長は詭弁を弄し、なかなか今までの対応を不正義とは認めない。 しかし事態が重大となるのを防ぐべく、急速に事件の犯人捜しは終わりを遂げる。 結構迫力のあるストーリーで、本書一番の盛り上がりではないだろうか。 上記事件とは別に、部隊を離れてい犯民家の庭先にあったするめを持ち去った、 いつもイジメの対象になっている他の新兵を、上官達はまたも難癖をつける。 些細なミスにわざと「死刑相当」と怒鳴りつけ、新兵を怯えさせる。ここでの 主人公の武器は、やはり「知識」であった。「陸軍刑法」によって、このような 行動を批判する。 結局この騒ぎでも主人公は「重営倉三日」となった。理由は「陸軍軍人ニシテ 其ノ本分に背キ」。 上官の陰湿な嫌がらせは続き、主人公はすさまじいリンチをくらう。これは上 官の方が細かなどうでもとれるような規定を悪用したことによる。主人公らしか らぬミスだろう。 さらに謎めいた事件が続く。悪質極まる上官は行方不明となる。見つけ出され 陸軍拘禁所送りとなった。その「逢い引き」の相手の女性は入水を遂げた。 ここで唐突に物語は終わる。 わずか三ヶ月ばかりの教育応召。その間の出来事を細かに描写して、大西巨人 はようやく筆を置く。 小説の漫画化を手がけた岩田和博は、本書を「戦後文学の最高傑作」と手放し で褒めるが、どうなのだろうか。まあ小説自体を読んでいないのでどうにも言え ないのだが、ここまで持ちあげても事実(さほど読まれているわけでもなかろう) はそこまで評価が高いわけでもない。 ほぼ十年という長い時間を」かけて大西巨人と連絡を取りながら、この企画を 完成させたとある。途中で、「自費出版も視野におきながら」だったらしい。 「漫画化にあたり私の心がけた事は、文章は限りなく原作の意に忠実に」であっ た。 「原作未読の方々に小説『神聖喜劇』の必読を願う…原作はまさに大自然の大河 の流れであり、本書はせいぜい田に引く川」とある。 画を描いた「のぞゑのぶひさ」は、「2005年、ほぼ十年前から描き始めた 小説『神聖喜劇』…の最後のページの作画を終え」た。「主人公東堂が『一匹の 犬』から『一人の人間』に戻る。…読者に感動を与える」。 大西巨人は、「あくまでもフィクションである点を踏まえて言えば、『神聖喜劇』 に書かれたかなりの部分は実際の”何か”」であり、事実にかなり近いことを書 き下ろしたのであろうか。 「私は、日本軍隊について(ひいては日本国家全体について)、『累々たる無責任 の体系』、厖大な責任不存在の機構」と集団の特異性を述べる。これは大西巨人 も書いているように丸山真男の言と同じである。 ただ繁雑で妙に細かいことをほじくり出す、トリビアリズムそのものの本書は、 この最終章でいくばくかのまとまりを見せている。 「あとがき」や「エッセイ」を読まなければ理解しにくいカ所が実に多い。 ゆっくり一ヶ月くらかけて、事実関係を確認しつつ読む(見る)のがいいだろ うが、根気のない私にはさっと目を通すしかなかった。 読後感は悪くなく、「大団円」という言葉がよく似合う。 ただ、万人向けではなく、読み手を選びすぎる「観念が事実に先行する物語」。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第三巻は「第三部 運命の章」と「第四章 伝承の章」。 大前田(主人公東堂の上官)は相変わらず、新兵(教育兵)の出自をほじくり かえす。軍隊内部での被差別部落出身者への差別感情が見てとれる。 主人公は、不可解な兵士の自死事件等を何やら頭の中で思い起こしながら、その 自死の原因を思う。 この部分はいささか不思議で、この作品の中での位置づけすら分からない。プ ルーストのような「意識の流れ」を描きたいのでもないだろうに、解釈に困る。 村上という少尉が大前田の暴走を止めるが、この少尉の何という観念的な物言 いか。「戦陣訓」を引きながら大前田に言うのだが、実にまどろっこしい。 急に会話の最中に「陸軍刑法」が登場する。これも奇異。 他の日中戦争時の日記や日誌も結構読んだが、応召兵に「陸軍刑法」をきちんと 伝えたという記録は、ほとんど読んだことがない。わずかに「憲兵」となった兵 士の記録に登場するのみだった。 この場面での唐突の「法」の登場はどうにも主人公を引き立てるためかとも思う。 村上少尉は一つの「理想像」であったのか、大前田の言動を否定し、「皇国の 戦争が”殺して分捕る”を目的とする事は断じて許されない」と断言する。 室生犀星の詩=「マニラ陥落」の紹介もある。著者の大西にはこの「非政治的 なほうのこの作家」に含むところがあるようだ。 回想と現実とが入り交じる構成でこの小説は進む。 応召前の特定の女性との邂逅と逢い引き。何とも浮き世離れしている会話が淡 々と続く。戦争一色に塗りつぶされている当時、彼女と主人公は、イギリスの、 アメリカの、詩人について語る。 そして、「私は、この戦争に死すべきである」と主人公はニヒリスティックに 思う。この漫画での主人公の顔の描写もあいまって、リアリティを喪失した観念 だけが一人歩きする光景しか浮かばない。 逢瀬にわざわざチェーホフを持ち出すが、無駄に晦渋な場面を作り出している し、俳句を紹介したりで、二人は実に忙しい。 現実にこんな話を延々と続ける恋人達がいたならさぞ気持ち悪いだろう。観念 遊びが極まって涙も流す。何なんだこれは。二人の悦楽の図は、まるでつげ義春 の画。内容も不気味な性的放縦さを示していて、どうにも読み辛い。これが何や ら意味を持つとは到底思えない。 現実では、新兵が並ばされていて、その前で大前田と村上との会話が続くのだ が、時間の流れが明らかにおかしい。時間がなくて村上は大前田を問い詰めるの だが、こんなに時間をとっているのは矛盾する。 これでは一時間も二時間も新兵はラッパに遅れることになる。 途中で作者の大西もこれではおかしいと気がついたのか、新兵の「トイレ要求」 を挟んでいるが、実に唐突。おまけに「まだ待て」って言うことがまた目茶苦茶。 長い台詞回しの後に橋本が「穏坊」をしていたことが明かされる。 この後に被差別部落民への差別感情が露わになる。主人公は「近世諸著作」に置 いて、博学な知識を披露する。 新兵でも群を抜いて「出来の悪い」二人は、長々とした村上の「訓話」と「説 教」の後に、「皇国の戦争の目的」を「殺して分捕ること」とまた答える。この シーンは一種の皮肉のつもりなのか。もしそうなら失敗したストーリー展開でし かない。 現実→回想→現実。なんともありきたりの構成で、面白さがほとんどない。 大西はあまり構成力がない作家なのだろうか。何か評論家的言辞を登場人物に言 わせると、「重み」でも付くと思っているのだろうか。 これを「小説」という形式で提出されれば、まず読まない。 理由は簡単、面白くなく自己満足的文章の連続であるから。 巻末のエッセイ(要塞の日々3)では、大西が自らを「札付き」と言って自慢 げに当時の事を語る。自慢話をしたいほど年老いていたのだろう。様々な悶着を 起こしたことを殊更に言い立てるのは、自慢負けすると思うのだが。 「訓練」においては行動できても、実際に「戦地」でこう行動できたのは、かな り疑問。 「解題」は青山真治(映画監督 残念ながら作品は全く観ていない)。青山はこ の作品の本質を、「正確であること」に見出しているが、大西の経歴は特筆する ところはほとんどなく、正確だったら実に味のない経験を味のないままに書き出 したのだろう。そもそも大西は「フィクション」と言っていることにも矛盾する。 どうにもこの第三巻、間延びして緊張感が続いていない。「中だるみ」なのだ ろうか。同じような訓練内容と同じような主人公の対応。これでは張りつめた糸 も弛んでしまう。 最も意味不明なのが回想シーン。これでは原作の小説自体もダメダメなのだろう。 これが名作なのだろうか。かなり疑問。二巻がそこそこ面白かったので、 逆に不満が大きい。 ☆?。 二つが限界でしょう。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 59件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|