神無き月十番目の夜
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幕藩体制の確立時に常陸国北限の村が皆伐されたという言い伝えを、200年後に調べ記した「探旧考証」及び明治時代に刊行された「水戸歴世譚」を基にした小説です。四部構成となっていて~ {序章}1602.10.13 比藤村で肝煎(庄屋)を務める大藤嘉衛門が、皆伐された小生瀬村の肝煎を託されるべく幕府使者から呼び出され、事件から数日後の惨状を目の当たりにする場面から話は始まります。 徳川治世になり再検地が行われ、それまで村人の自治を尊重されていた半士半農の日々から単に徳川に年貢米を供出するだけの百姓とならざるを得ないことを思いながら~小生瀬での蜂起を最後に郷士・保内衆は滅びて時代が変わりつつあることを痛感した嘉衛門は「ともかく生きることだ」と、自らに言い聞かせます。 {第一章}1589.10.26~関東進出を目論む伊達政宗が須賀川城を攻め、対して関東勢の一翼を担う常陸佐竹の一員として参戦した小生瀬の肝煎・石橋藤九郎が弱冠16歳でありながら敵・白石騎馬武者三騎をほふり一躍近隣に名を馳せる顛末の後、1602.5.8に家康の覚えの良くなかった藩主・佐竹義宣が領地没収され出羽秋田へ転封されることが書かれています。 {第二章}1602.7.1~24 小生瀬を含む佐竹氏統治下の依上保の地の背景・風習が述べられた後、田の検地方法や年貢米の上納割合を案じた藤九郎は幕府の起請文に署名せず帰村して七名からなる村顔役に相談、厳しい取立ての中で恩典のある肝煎を辞退する旨伝えます。やがて検地が始まり、藤九郎が検地に同行している間~大切にしている稲田を検地を理由に踏み荒す検地役人、村人が楽しみにしている盆の風習を無視するそのやり方に危機感を募らせた村の若衆組頭・辰蔵が絵図にない隠田を探しに赴く検地役人の一派を殺戮。 また、事件調査の為に新たに水戸から送られた検使一行を謀を用いて月居峠で惨殺してしまいます。 {第三章}1602.8.2~関東郡代が小生瀬に密偵を放し得た情報を知らされた検使・芦沢信重は小生瀬征伐の意を固め1602.9~水戸から袋田に武田24将の一人・穴山梅雪以下400名の兵を呼び寄せます。 一方、辰蔵以下村の若衆は血気にはやり武器を準備しますが、戦となっては甚だ勝算ないことを知っている藤九郎は己一人が責を負い村を救おうと検使のもとへ向かいますが、辰蔵らとの行き違いから事故死。 1602.10.10 梅雪の兵が一村皆伐します。皆伐前日の夕暮れ時、生瀬四か村随一の鉄砲術をもつ直次郎が一人守備を離れ、自分の子であると思われる娘と産んだ母を隣村に訪ね、夕暮れ時の透き通った光のなかで陰から二人を見つめながら「霊魂というものが本当にあるとしたら、己の魂はこの沢水を引いた洗い場を見下ろす杉木立の陰にやって来て、コトとこの女童をずっと見守り続けていくような気がした」この場面、胸が熱くなります。 読み終えて~今更ながら、ありふれた日常を生きていることの有難さ大切さを思いました。 p.s. 脇差しについての記述も心に残ります。藤九郎は須賀川城へ出陣の際に戦死した幼なじみの彦七と脇差しを差し換え、月居峠で事故死した際には直次郎が自分の脇差しと差し換えます。10.10 死を覚悟した直次郎は、弟・弥三郎に「藤九郎様の脇差し」として託します。常に身につけている脇差しですから、その人をも写し込んでいると考えていたのでしょうか。(刀身の細くなった室町期の脇差しです) | ||||
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江戸時代初期に起こったといわれる悲惨な事件を元にした小説。 文章は硬いが、導入から引き込まれる。それぞれの立場のボタンの掛け違いや思い込みから最悪の結果となるのが恐ろしい。 | ||||
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日頃は東野圭吾などのミステリー小説を多く読んでいる人でも楽しめます。 時代物に読み慣れていない人は、最初の数頁、物語の情景がどうなっているのか掴めないかもしれません。 しかし、一旦ストーリーの中に入ってしまったらもう抜け出せません。 面白くて頁を捲る手が止まらず、次から次へと読み進めてしまいます。 読んで後悔することはないので、是非とも読んでもらいたい一冊です。 | ||||
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とても良かったです。 | ||||
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不思議な題名のこの歴史ミステリーは、帯や背表紙を見ると、おおよその内容は分かってしまう。現代で言うところの「大量虐殺」とか、「ジェノサイド」であろう。悲劇の結末に向かって、物語は進行するのだ。 だが、読ませます。悲劇を「おもしろい」というのも語弊があるが、ぐんぐん読み進めたくなってしまい、寝不足になってしまうほど。 興味深かったのは、当時のオオカミや馬などの動物の習性、森の藪の中でヤマカガシに噛まれないように歩く方法、まるでこの時代にタイムスリップしたかのような生活のこまごまとした様子、などなどの時代考証である。 人物描写も説得力があるので、おもしろい。 神域の森に入った役人たちが次々に「やられて」ゆく場面は、過酷な「検地」にて生活の糧を土足で荒らしまわられた村民の「仇討ち」の心理をよく表しているので、読んでいてもなんだか小気味好いとすら思ってしまう。 実際の史実には詳細は伝わっていないらしい。 どなたかが書いておられたが、「教科書の歴史」は「勝者の歴史を記載したもの」ということなのだろう。 それに近い、年貢をめぐるいさかいはあったのかもしれないが、為政者(この場合は徳川家)による見せしめとして、歴史上よくあることだったのかもしれない。 理不尽に殺されるほうは、堪らないが、「人権」の概念はなかったのだ。 御沙汰があれば、即刻、命のない時代。とはいえ「人権」のあるはずの近現代でも、日本でも、世界のどこかでも、ああ、いろいろあるなぁ、とまた考えてしまう。 作中は、自治独立の村が、徳川幕府の年貢納め直轄地になる、という設定だが、その対比がまた現代社会の縮図を見ているような錯覚を起こすのはなぜだろうか。 「それぞれに課された年貢に追いかけられ、そのあげくお互いの暮らし向きにしじゅう気を向け、ささくれだった日々しかありえない」、「妬っかみと僻(ひが)みに身を焼く毎日」、「他人の不幸ばかりを願って夜も満足に眠れん」。 ああ、こういう人、いるよな、と思ってしまう。(それにしても、本書の描写は見事。) 苛烈な「年貢」のせいなのね、と少し思う。 「倉入れ地(幕府直轄地)としての暮らしの耐えがたさは、その貧しさなどよりも、絶え間ない退屈さにある。」 「拠り所」のあるのは、幸いなのだと思う。はたして現代の日本は、どちらなのだろうか。 幕府の役人にとっては「隠し田」だが、自然相手の村民にとっては、それは自前のセキュリティシステムなのだった。 長雨の夏も、「予備の田んぼ」があれば、ぎりぎりの食でも翌年の種もみは確保できる。 他国に攻め入られても、「神域」の森に逃げ込めば、数日間、生き延びられる。 現代人の我々に、そんな「余力」のようなものがあるだろうか。「森」さえあれば、「土地」さえあれば、厳しいけれども十分な暮らし、という世界が、この日本にもあったのだろう。 作中にこの虐殺を逃れた、ごく少数の者は、「森」も「土地」もなくしたが、”己(おのれ)の生を信じ、己を拠り所にして”、生き延びたのだろうか。 そうだったらいいな、と思う。 | ||||
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