狗賓童子の島
- 処女作 (383)
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大塩平八郎の乱に参画した父親・西村某が没した時、主人公の常太郎は6歳だった。義賊大塩平八郎等の大きな知名度と幕末乱世への影響を懸念し、大阪西町奉行所は15歳の主人公を隠岐の島に流罪に処した。本書は常太郎少年が隠岐の島到着時の情景を枕として、時空を遡る形で大塩蜂起の物語に入っていく。流人としての負の立場と義賊の子息という陽の立場少なからぬ庇護者たちとの回合を通して、主人公の | ||||
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著者の『雷電本紀』以降の作品の中では、同作、『神無き月十番目の夜』、『始祖鳥記』が最も好みには合っていて、『黄金旅風』や『出星前夜』は悪い出来だとは思わないが、個人的にはイマイチという感じである。では、本作はというと、どちらにも属さないタイプの作品だなと思っている。 正直なところ、80ページぐらいまでは難渋した。かなりディテールにこだわった描写、物語の流れの遅さなどが原因かもしれない。しかも、雑誌掲載時に読んでいて、物語全体の流れも分かっていたため、興がそがれたのかもしれない。それでも、100ページを越えてしまうと、「巻を惜くを能わず」という感じで一気に読了した。 主人公は、大塩平八郎の乱に加わった西村履三郎の遺児・常太郎で、彼が15歳の折りに隠岐の「島後」に流されてきてから物語が始まる。常太郎は医師となり、冷静な判断による治療や種痘などによって島民を助けていく。一方で、幕末という時代の波が、隠岐にも押し寄せ、やがては「島後」では農民から漁民までが、松江藩の支配に蜂起するに至る。そして、明治の世の中になると、常太郎の罪は許され、隠岐も鳥取藩の預かりとなる。 本作の最も興味深い点は、常太郎が罪人扱いをされているため、物語のクライマックスともいうべき隠岐の蜂起と主人公が実質的に無関係ということ。医師としてけが人の治療にこそ出向くが、実際のところ傍観者足らざるを得ない。知人たちが、それぞれの立場で対立するときも、常太郎は終始一貫して中立であり続けるしかない。だから、隠岐の蜂起を主眼にするのであれば、常太郎を主人公にする必要など全くなく、その存在を描くにしても背景にとどめることも可能であったはずなのだ。 では、なぜ常太郎を主人公としたのか? 「大塩の乱」が持った意味合いが、常太郎の生涯と隠岐の蜂起とを絡ませることで、くっきりと浮かび上がってくる。そして、庶民を単に自分たちの道具ぐらいにしか考えていない為政者たちこそが問題であること、それは政治体制が変わったからといって簡単に変わらないことも。それと、本気で変えようと思った時、庶民にも「武力」以上に「知恵」が必要であることも。 末尾近く、瑞鷲山護国寺の玄道師の「ただ否定や破壊することが、混迷を打ち破る良策に映ることが間々起こる。だが、思考することを止めて短絡に走れば、それは必ず自滅を招く」という言葉に、そのことが象徴されているような気がしてならない。 | ||||
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作者の作品としては「出星前夜」に続いて本作を読んだ。「出星前夜」は「島原の乱」を題に採りながら、単なるヒーロー譚・悲劇譚に陥らず、権力側の腐敗とそれに対する民衆の怒りとを圧倒的な描写力で活写した力作だった。本作もそれと類似の意匠を有した負けず劣らずの力作だが、題材に新規性がある。また、「出星前夜」における"寿安"の成長過程をより深く掘り下げようとの意図も感じられた。 本作の題材は「島原の乱」から約200年後に起こった「大塩平八郎の乱」(とその後)。当然、権力側の腐敗はより悪化している。この着眼点がまず優れている。物語は「乱」の9年後に大塩の高弟の息子の常太郎が隠岐島諸島の1つ「島後」に流罪になった所から始まる。即ち、「狗賓童子の島」とは「島後」であり、「狗賓童子」とは「島後」において「狗賓」から特殊な役目・能力を授かった若者の事を指す。まず、常太郎が流人でありながら、「島後」で歓待される様子を描き、権力側の腐敗と大塩人気の高さを印象付け、一転して、9年前の「大塩平八郎の乱」及びその背景の詳細を描いて、その印象を更に強めるという出だしが流麗かつ本作全体を説得力あるものとしている。 ここから先は常太郎の成長物語であり、幕末史そのものでもある。常太郎が医学の道を志すのは、上述の通り、"寿安"の継承であろう。私の意表を突いたのは、常太郎が稲作を試みる事である。これによって、稲作に関する神話を含め、農家の方が如何に自然を畏敬し、地道で丹念な作業を行なっているかが良く伝わって来た。本作は島人の視座から見た幕末史でもあり、奇縁によって結ばれた人々の一体感の醸成の物語でもあるのだ。そして、これに続くエピソードの豊饒性には目を見張るものがある。種痘(!)による疱瘡との闘い、異国人によってもたらされた猖獗を極めるコレラとの闘い、異国対策用の無意味な農兵の徴集、米価上昇による島人の苦しみと対立、そして、とうとう勃発する島人の一揆等々、枚挙に暇がなく、もう数冊分の小説を読んだ様な充実感を覚えた。特に、島人の一揆が「大塩平八郎の乱」と相似形である点に作者の意匠を見る思いがした。また、夥しい数の登場人物を描き分ける作者の筆力にも感心した。その中で、島女の逞しさを体現する寡黙な"お初"の造形が光る。 「大塩平八郎の乱」が幕府崩壊の予兆だったという言説は良く耳にするが、その過程をこれ程までに緻密に描いた小説は稀有ではないか。豊饒なエピソードと合わせ、時代小説の金字塔と言っても過言ではない傑作だと思った。 | ||||
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この著者の歴史小説を初めて読む。 大塩平八郎の乱である。 しかし、私はこらえ性がなくなっている。 53頁読んでも、面白くならないのである。 それは、私がこらえ性がなくなったからである。 | ||||
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実に読み応えがあった、500頁超でそれ自体にボリュームがあるのだが、読み飛ばすことを許さない濃い訴えかける文章は、同量の小説と比べても、はるかに読み疲れる、同時に読み憑かれるから、本書を置けない。 大塩平八郎の乱から始まる本書は、隠岐に生きる人々とともに時を重ね、明治の世を迎える。 しかし、本書には、凡庸な幕末小説にありがちな竜馬も西郷も登場しない、それどころか、勇ましい維新トークは一つもない。 経済も政治も崩壊した江戸末期の社会を、隠岐という更に見捨てられた貧困と流罪の島から描いている。その描き方は、実にプロレタリアート文学で、武士は殆ど腐敗して因循姑息、懸命に生きる労働者、彼らと思いを重ね改善を図る新進層、逆にそこに対立する保守層など、読者は、著者の描く世界が、遠い昔のことでなく、現代まで地続きの世界であることが分かる構造になっている。 主人公と思しき者の成長譚と思いきや、本書は中盤から意外な群像劇というか列伝の体に変わってくる。どんな時代にも懸命に生きる日々があり、誰かのために汗をかく者、よりよい明日を目指す者など、これほどの檄を飛ばしまくりな時代小説も珍しい。 そして、ラストに至って、歴史の奥に埋もれていた出来事が、実にドラマチックに私達の心を揺さぶる。 低視聴率で見る者も少ないが、大河ドラマでは呑気なお花畑の幕末が描かれているが、そんな大文字の勇ましい、あえていえばシバリョーをやらなくても、時代小説は十二分に魅力的であることを本書は教えてくれる。 | ||||
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