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(短編集)
神聖喜劇
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【この小説が収録されている参考書籍】
神聖喜劇の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 1~20 1/3ページ
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内容としては非常に簡素で、陸軍二等兵・東堂太郎が博覧強記をもって上官の不備をつきやり込めてゆく、という筋が主となっています。ポイントとなるのは、不備をつかせるだけの整然とした規則という論理を、守る存在があったということでしょう。現実に軍内部でそう理路整然とし正しかったとしても上が絶対だ問答無用とねじ伏せられたろうと思われますが。成り立たせたのは鬼軍曹の大前田で、彼が退場することによって本作に幕が降りるのは、必然であったでしょうね。 日本固有の、それもだいぶ古色蒼然としてきたイメージでありますが、文学と言えば小説であり純文学だというもの。そしてそのイメージにある純文学である小説とは、むつかしい漢字、言いまわしがガチガチに詰まった深刻な内容であるもの。それはある部分生きていて、例えば芥川賞受賞作品などに見られる純文学は、文章からみればへなへなすかすかしたものが多数派を占めるようになりましたが、深刻というのか胸がわるくなるようなもの、常軌を逸したものほど好まれる、高く評価される傾向が見受けられますね。その良否、好悪はおくとして、本作ほど古色蒼然とした純文学の小説の特徴をあらゆる意味で完備したものはない、ように思われます。古今東西の文学作品からの引用、執拗なまでの緻密な描写、言葉の正確さへの執念。それでいて、あまりにも突き詰めていったために、古色蒼然としたイメージを突き破ってしまっている、と感じるのは私だけでしょうか。それは文章のみならず、表現だとか取り扱いについても。主人公とおなじく徹底的に正攻法、理路整然とゆき、あまりにゆきすぎるため、そこらの軽々しい目を引くためだけにやっている奇を衒ったものをはるかに越えた威容が現れるかんじ。発表登場からだろうと思われますが、いまの(とりあえず)純文学といわれる小説のなかにおいたとき、あまりに異質すぎて戸惑いを覚える人がほぼほぼなのではと推察します。私自身、混乱しますし。軽いもの、ただ奇を衒っただけのもの、それが悪いとは思いませんが、それだけではあまりに貧しいですね。不満や疑問を感じている方、ときには失望や絶望をもたれる方もいるのではと思われます。これだから日本の小説など読んでいられないのだ、という歎きを見聞したことが実際にありますし。そんな方々に、ぜひ手にとっていただきたいものですね。 | ||||
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きれいな本で、直ぐに読んでしまいました。 | ||||
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あのような大作を漫画化するなんて、なんて無謀な。と思ったが、入り組んだ知の迷宮を見事に浮き上がらせ、すっかり見晴らしの良いものにしてくれている。 元祖論破王・東堂の活躍は痛快でとても面白いのだが、知の巨人が主人公を通して繰り出す古典の引用や軍隊の難しい用語などが、バカすぎるわたしの頭脳には眠気ばかりを誘い、中途断絶してしまっている原作だったが、ようやく続きを読む勇気を与えてくれた。おすすめです。 | ||||
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さてようやく最終巻。第六巻は「第八部 永劫の章」。 一人の新兵が「殺人の前科者(正確には「障害致死」で本人の責任は軽いとさ れ、執行猶予中)で」、「その上に生まれが生まれ(被差別部落出身)とこうくり ゃ…”不祥事”がおこると、とかくたいていの奴等がその”生まれの悪い前科者 ”の冬木に、目を付けて犯人(銃剣の鞘の意図的損傷)に仕立てたがる」。 差別意識丸出しの上官達は、この冬木を追い詰めていく。勿論証拠などどこに もない。そうしてなんと「投票箱」によって冬木を犯人と確定しようとする。一 種のリンチであろう。 主人公は信頼できる者と冬木を誘い、話をし、この事件の真実を見つけようと した。二晩かけて三人はようやく「真の犯人」らしき者を推定する。この後の流 れはいささか冗漫であるが「推理もの」としてもなかなか面白い。 論理でもって上官に立ち向かっても、冬木が犯人であるということは論理的に 無理があるとしても、冬木が犯人でると押し通す上官。 ここに至って主人公は冬木に、「軍隊内務書」の定めによる「上申」をするよ うにすすめる。 「自己ニ対スル他人ノ取扱不条理ナルト考フルトキハ徐ニ順序ヲ経テ之ヲ事件関 係者ノ直上所属隊長ニ上申スルハ妨ゲナシ」。 また「投票」は、「犯罪ノ嫌疑者ヲ互選投票シ又ハ私ニ懲戒糾問スル等ノ行為 アルベカラズ」という規定を主人公は主張する。 だがその所属長は詭弁を弄し、なかなか今までの対応を不正義とは認めない。 しかし事態が重大となるのを防ぐべく、急速に事件の犯人捜しは終わりを遂げる。 結構迫力のあるストーリーで、本書一番の盛り上がりではないだろうか。 上記事件とは別に、部隊を離れてい犯民家の庭先にあったするめを持ち去った、 いつもイジメの対象になっている他の新兵を、上官達はまたも難癖をつける。 些細なミスにわざと「死刑相当」と怒鳴りつけ、新兵を怯えさせる。ここでの 主人公の武器は、やはり「知識」であった。「陸軍刑法」によって、このような 行動を批判する。 結局この騒ぎでも主人公は「重営倉三日」となった。理由は「陸軍軍人ニシテ 其ノ本分に背キ」。 上官の陰湿な嫌がらせは続き、主人公はすさまじいリンチをくらう。これは上 官の方が細かなどうでもとれるような規定を悪用したことによる。主人公らしか らぬミスだろう。 さらに謎めいた事件が続く。悪質極まる上官は行方不明となる。見つけ出され 陸軍拘禁所送りとなった。その「逢い引き」の相手の女性は入水を遂げた。 ここで唐突に物語は終わる。 わずか三ヶ月ばかりの教育応召。その間の出来事を細かに描写して、大西巨人 はようやく筆を置く。 小説の漫画化を手がけた岩田和博は、本書を「戦後文学の最高傑作」と手放し で褒めるが、どうなのだろうか。まあ小説自体を読んでいないのでどうにも言え ないのだが、ここまで持ちあげても事実(さほど読まれているわけでもなかろう) はそこまで評価が高いわけでもない。 ほぼ十年という長い時間を」かけて大西巨人と連絡を取りながら、この企画を 完成させたとある。途中で、「自費出版も視野におきながら」だったらしい。 「漫画化にあたり私の心がけた事は、文章は限りなく原作の意に忠実に」であっ た。 「原作未読の方々に小説『神聖喜劇』の必読を願う…原作はまさに大自然の大河 の流れであり、本書はせいぜい田に引く川」とある。 画を描いた「のぞゑのぶひさ」は、「2005年、ほぼ十年前から描き始めた 小説『神聖喜劇』…の最後のページの作画を終え」た。「主人公東堂が『一匹の 犬』から『一人の人間』に戻る。…読者に感動を与える」。 大西巨人は、「あくまでもフィクションである点を踏まえて言えば、『神聖喜劇』 に書かれたかなりの部分は実際の”何か”」であり、事実にかなり近いことを書 き下ろしたのであろうか。 「私は、日本軍隊について(ひいては日本国家全体について)、『累々たる無責任 の体系』、厖大な責任不存在の機構」と集団の特異性を述べる。これは大西巨人 も書いているように丸山真男の言と同じである。 ただ繁雑で妙に細かいことをほじくり出す、トリビアリズムそのものの本書は、 この最終章でいくばくかのまとまりを見せている。 「あとがき」や「エッセイ」を読まなければ理解しにくいカ所が実に多い。 ゆっくり一ヶ月くらかけて、事実関係を確認しつつ読む(見る)のがいいだろ うが、根気のない私にはさっと目を通すしかなかった。 読後感は悪くなく、「大団円」という言葉がよく似合う。 ただ、万人向けではなく、読み手を選びすぎる「観念が事実に先行する物語」。 | ||||
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第三巻は「第三部 運命の章」と「第四章 伝承の章」。 大前田(主人公東堂の上官)は相変わらず、新兵(教育兵)の出自をほじくり かえす。軍隊内部での被差別部落出身者への差別感情が見てとれる。 主人公は、不可解な兵士の自死事件等を何やら頭の中で思い起こしながら、その 自死の原因を思う。 この部分はいささか不思議で、この作品の中での位置づけすら分からない。プ ルーストのような「意識の流れ」を描きたいのでもないだろうに、解釈に困る。 村上という少尉が大前田の暴走を止めるが、この少尉の何という観念的な物言 いか。「戦陣訓」を引きながら大前田に言うのだが、実にまどろっこしい。 急に会話の最中に「陸軍刑法」が登場する。これも奇異。 他の日中戦争時の日記や日誌も結構読んだが、応召兵に「陸軍刑法」をきちんと 伝えたという記録は、ほとんど読んだことがない。わずかに「憲兵」となった兵 士の記録に登場するのみだった。 この場面での唐突の「法」の登場はどうにも主人公を引き立てるためかとも思う。 村上少尉は一つの「理想像」であったのか、大前田の言動を否定し、「皇国の 戦争が”殺して分捕る”を目的とする事は断じて許されない」と断言する。 室生犀星の詩=「マニラ陥落」の紹介もある。著者の大西にはこの「非政治的 なほうのこの作家」に含むところがあるようだ。 回想と現実とが入り交じる構成でこの小説は進む。 応召前の特定の女性との邂逅と逢い引き。何とも浮き世離れしている会話が淡 々と続く。戦争一色に塗りつぶされている当時、彼女と主人公は、イギリスの、 アメリカの、詩人について語る。 そして、「私は、この戦争に死すべきである」と主人公はニヒリスティックに 思う。この漫画での主人公の顔の描写もあいまって、リアリティを喪失した観念 だけが一人歩きする光景しか浮かばない。 逢瀬にわざわざチェーホフを持ち出すが、無駄に晦渋な場面を作り出している し、俳句を紹介したりで、二人は実に忙しい。 現実にこんな話を延々と続ける恋人達がいたならさぞ気持ち悪いだろう。観念 遊びが極まって涙も流す。何なんだこれは。二人の悦楽の図は、まるでつげ義春 の画。内容も不気味な性的放縦さを示していて、どうにも読み辛い。これが何や ら意味を持つとは到底思えない。 現実では、新兵が並ばされていて、その前で大前田と村上との会話が続くのだ が、時間の流れが明らかにおかしい。時間がなくて村上は大前田を問い詰めるの だが、こんなに時間をとっているのは矛盾する。 これでは一時間も二時間も新兵はラッパに遅れることになる。 途中で作者の大西もこれではおかしいと気がついたのか、新兵の「トイレ要求」 を挟んでいるが、実に唐突。おまけに「まだ待て」って言うことがまた目茶苦茶。 長い台詞回しの後に橋本が「穏坊」をしていたことが明かされる。 この後に被差別部落民への差別感情が露わになる。主人公は「近世諸著作」に置 いて、博学な知識を披露する。 新兵でも群を抜いて「出来の悪い」二人は、長々とした村上の「訓話」と「説 教」の後に、「皇国の戦争の目的」を「殺して分捕ること」とまた答える。この シーンは一種の皮肉のつもりなのか。もしそうなら失敗したストーリー展開でし かない。 現実→回想→現実。なんともありきたりの構成で、面白さがほとんどない。 大西はあまり構成力がない作家なのだろうか。何か評論家的言辞を登場人物に言 わせると、「重み」でも付くと思っているのだろうか。 これを「小説」という形式で提出されれば、まず読まない。 理由は簡単、面白くなく自己満足的文章の連続であるから。 巻末のエッセイ(要塞の日々3)では、大西が自らを「札付き」と言って自慢 げに当時の事を語る。自慢話をしたいほど年老いていたのだろう。様々な悶着を 起こしたことを殊更に言い立てるのは、自慢負けすると思うのだが。 「訓練」においては行動できても、実際に「戦地」でこう行動できたのは、かな り疑問。 「解題」は青山真治(映画監督 残念ながら作品は全く観ていない)。青山はこ の作品の本質を、「正確であること」に見出しているが、大西の経歴は特筆する ところはほとんどなく、正確だったら実に味のない経験を味のないままに書き出 したのだろう。そもそも大西は「フィクション」と言っていることにも矛盾する。 どうにもこの第三巻、間延びして緊張感が続いていない。「中だるみ」なのだ ろうか。同じような訓練内容と同じような主人公の対応。これでは張りつめた糸 も弛んでしまう。 最も意味不明なのが回想シーン。これでは原作の小説自体もダメダメなのだろう。 これが名作なのだろうか。かなり疑問。二巻がそこそこ面白かったので、 逆に不満が大きい。 ☆?。 二つが限界でしょう。 | ||||
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第二巻は「混沌の章」。主人公の東堂は帝国陸軍の教育応召を受けた元学生。 この巻でも兵営での新兵訓練の様子が綴られている。 「約一ヶ月(教育召集全期間の三分の一近く)が過ぎ去り、私は同年兵達ととも に屯営生活に関する一定の理解および慣れを身に付ける事ができた」。 対馬での物語。 旧帝国軍の兵隊扱いの悪さは群を抜いているが、ここでも「たかが食事内容に 文句」を手紙に書いただけで、暴力的制裁の対象になる。「大根だけが出てくる ことへの不満」はどうやら「機密事項漏洩」になるらしい。 毎日毎日の愚にもつかない言いがかりと、それに耐えねばならない新兵。当時 はこんな状況がどこにでもあったのだろう。主人公は単なる「軍隊的こだわり」 でしかない「軍隊的規範」に鋭く反応する。「教えられていない」、「どこにも根 拠がない」ことを、「忘れました」と言い換えるそのあり方に絶対に拝跪しない。 軍隊的納得や軍隊的認識に染まらないという、主人公の矜持であろうか。 混乱に混乱を重ねるような「異常な指導」としか思えぬ、班長や上官の「指導 ・教育」と称する数々のイジメ。上官達の高学歴者に対する故のない反感。 主人公はここでも驚異の記憶力を発揮し、上官の間違いの一つ一つの間違いを 指摘する。漢字の読み方一つでも揺るがせにしない。 本書では野砲の詳しい図解があるが、小説では文章で説明してあるらしい。著 者の大西も第一巻で、漫画の方が分かりやすいと記している。輜重隊としての訓 練の毎日。輜重隊にいた方の書いた本では、輜重隊の戦場での動きは独特であっ たよう。ただ主人公は「砲兵」だった。 上官のイジメには心が冷える。旧帝国軍(現自衛隊も同じだろう)では、権力 構造の上位に立つ者は、何か自分が「偉くなった」ように感じるらしい。イジメ をするその精神構造は今も昔も変わりないと実感した。 中国大陸で中国人を焼き殺したこと、凄惨な殺人を犯したことを語る上官=大 前田。「俺が殺したとは、人は人でも日本人じゃないぞ”支那人ぞ”」とわめく。 大前田の言は実は真実を言い当てている。殺すことが戦争の目的で、殺して取り 上げた土地を日本のものとする。大将がもったいぶって何を言っても同じこと。 「殺して殺し上げて…(それが)戦争じゃ」。 「隠坊」による「火葬場」での行動を思い出し、そこから「穢多」、「ちょうりん 坊」、「四ッ」、「新平民」という単語が飛び出してくる。これは第一巻に伏線があ った。同輩の橋本に対する上官の罵詈雑言から、東堂は橋本が被差別部落の出身 であることを知る。軍隊という集団内で、差別意識はさらに拡大する。 巻末のエッセイで大西は「要塞の日々2」として、教育召集された時の兵隊の 状況を語る。 「私のような第三乙種―補充兵の場合、教育召集自体は、ある意味、いつ来ても おかしくない…除隊になって…補充兵のままで過ぎる場合もあり得たし…未教育 の補充兵のまま終えることもあり得た。それは戦局次第」。 当時の召集は戦局に合わせてとにかく召集できる者は召集する、ということだ ったのだろう。 砲兵としての訓練の様子も丁寧に語られる。白兵戦をする一般の歩兵とは異な り、前線よりも後方から的を撃つ。 大西はこの「教育召集」の後は、「下関重砲兵聯隊」に配属された。 その「約四年間に、私たちの後からも兵隊は加わってきたよ。…初めから臨時 召集を受けた年上の大人たち」。 兵隊として暮らした年月で、「軍隊に入って何よりも一番いやだったことは、や っぱり<絶対服従>だった」。 「解題」で三浦しをんが書いている。古本屋のアルバイトをした時は、結構「神 聖喜劇」が売れていたこと。三浦自身も気に入って、旅先で夢中で読んだこと。 面白いことが書いてある。 「東堂(主人公)が大変素敵な男性であることは間違いないが、情事のあいだす ら捨て去らぬ生真面目さと分析癖を見るにつけ、つきあうのはなかなか大変そう だ」。なるほど。 読みやすく面白いです。おすすめ。 | ||||
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大西巨人(敬称略 以下同じ)の「神聖喜劇」は名前だけは知っていたが、何 せ大部(5巻本)であり、手にとっても読み通すことはできないだろうと諦めて いた。 だがAmazonをのぞいている時に、漫画化されていることを知り、この機会に 漫画ででも(失礼な言い方です すみません)読ま(見な)ければ、おそらく読 むことはないだろうと、とにかく眼を通すことにした。 本では5巻だが、この漫画は六巻本。 第一巻「第一部 絶海の章」 第二巻「第二部 混沌の章」 第三巻「第三部 運命の章 ・ 第四部 伝承の章」 第四巻「第五部 雑草の章 ・ 第六部 迷宮の章」 第五巻「第七部 連環の章」 第六巻「第八部 永劫の章」 各巻末には大西巨人のエッセイ。「解題」は各巻で異なる人が担当。 第一巻のエッセイでは、大西巨人がいかにして漫画化を承諾したのかが述べら れている。申し出があった際にはすぐに承諾したようだ。 ただ、「映画化の計画を聞かされた時と同じように、<無謀な企てをする無謀 な人たちだな>」と思ったことが記されている。 「漫画『神聖喜劇』は小説だから、私の実体験とイコールではありません」。と あるが、来歴を確かめた限りではほぼ実体験といってもいいのではないか。 大西巨人は、どうにも舟橋聖一が嫌いなようで、舟橋をこき下ろしている。舟橋 の「後付けの反戦行動」が気にくわない様子。 画風はどことなく水木しげるを思い出される。劇画調のタッチでであり、トー ンはほとんで使用せず、大部分が手書きの線で書き込んでいる。実に丁寧な画で あり、一つ一つの画は「綺麗」だ。タッチはまるで違うが、大友克洋の画を思い 出した。 召集された主人公=東堂太郎の旧日本軍での召集兵の教育場面から始まる。実 に下品な上官=大前田文七。 主人公は、「軍部と戦争とを嫌悪していたにもかかわらず、私個人についてそれ らを回避したいとは、もはや考えなかった。…この時代の私の”思想”は相当に 複雑微妙であった」。「私…の思想は…世界は真剣に生きるに値しない・本来一切 は無意味であり空虚でさり壊滅すべきである」。何とニヒリスティックな言葉か。 ある言葉を言おうとしない主人公に、意地を張って生きた大西の意気を見る。 あまりにも主人公が「格好良すぎて」本当かなとも思ったが。 一瞬で全てを記憶してしまう主人公。 第一巻では(でも)軍隊内での生活と、学生時代の特高の尋問(勿論暴力を行 使しての尋問)や旧制高校(現 九大)内部での思想調査の様子が、交互に語ら れる。 第二インターナショナルの「スツットガルト(シュトゥットガルト大会(1907 年)決議」が出てきて、知識のない私にはいちいち調べる必要があった。 主人公も特高や学生部の教授も実に多弁であり、主人公の人離れした記憶の良 さも随所に出てくる。これが煩いと感じる人も多いだろう。私も少々喋りすぎの 主人公等に辟易した。 台詞は長く、よくこれだけマルクス主義に関わる問題を漫画という形式で展開 しえたなと感心した。コミンテルン、社会ファシズム論、人民戦線戦術、ディミ トロフ、ローザ・ルクセンブルク、等々。ただトロツキーの名前は出てこなかっ た。 神聖喜劇の初出は「25年間書き継いだ」らしいので、初出は1955年ころ か。1955年は、スターリン批判の前年であり、まだスターリニズムへの本格 的批判がない年代。日本でもようやく「日本トロッキスト聯盟(正式名称)」が 1957年に結成されている。 どうにも大西のトロツキーへの評価がないのが歯がゆい。 大学(高校)在学中の学生指導教授(おそらく現在の学生部の教授か)との延 々とした話が続く。あまりにも饒舌で、これは読む人によっては「自分の主義主 張を述べているだけか」とも感じられてしまうだろう。 この漫画(の第一巻だけ読了)を読んで(見て)、つくづく小説に手を出さな くてよかったと思う次第。 とにかく、理解するのに時間がかかります。 これは読み手を選ぶ。 | ||||
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すごいとは聞いてはいましたが、ここまですごいと思いませんでした。 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のレベルだと思います。 つまり、日本文学の不滅の長編の一つに入ると思います。 もっと早く読んでいればよかったと思いました。 この本がすごいのは、戦争小説というジャンルを軽く飛び越えた普遍性にあります。 日本人をここまで徹底的に描いた作品を私は知りません。 旧日本軍の不条理といじめが徹底して描かれています。 日本軍がアメリカによる攻撃にかかわらず、遅かれ早かれ自壊するのは時間の問題だったことがわかります。 そしてこの、組織の不条理といじめの体質は、日本の会社や学校などに根強く残っているのです。 | ||||
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きれいな状態でした。 | ||||
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全5巻を読み終えての感想だが、これは凄い小説だ。日本にこんな小説があり得たとは! 人間に対する深い洞察、緻密なストーリー展開、スリル、ユーモア、個性的で魅力的な登場人物達(主人公東堂は勿論、大前田軍曹、安芸の彼女、村崎古兵、冬木、曾根田、橋本、吉原 等々)どれを取っても、これだけのものはなかなかない。私の文学体験(極めて浅薄なものだが)からすれば、これに比肩し得るのは「カラマーゾフ」くらいしか思い浮かばない。第二巻目で解説者が書いていたが、「迷わず全巻買い揃えるべきだ」という意見には全く同感である。昨今のラノベのような軽い作品に馴れている人達にも、たまにはこういう骨太で重厚なものを読んでみることを強く薦める。 | ||||
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原作が日本の20世紀後半の文学・小説を代表する作品であることは筆者が言うまでもない。この作品を映画化を想定した?「シナリオ 神聖喜劇 」大西 巨人 (著), 荒井 晴彦 太田出版 を読んだ時に、原作にあった膨大な引用部分の映像化は難しいんだろうなと感じた。その点では本作品も同様。それでも最終巻の主人公が配属先に向かう船上の描写などは原作を読んだ時のイメージに近く再現されていたし、「集団抗命」の場面は的確に映像化されていて感動を新たにした。映画で言えば大道具、小道具にあたる細部の描写も相当な現実感をもって描かれているのだろうと感じられた。 とはいえ、また今回改めてkindle版で読んで、本作品のセリフの文字の多さが気になってしまった。その点で言えば原作はやはり「小説」という表現形式に最適化されていたのでは、と感じた。さらに付け加えれば、本作品245〜248ページにあたる部分を原作で読んだ時に脳裏に広がったイメージはもっと明暗のコントラストが強く、鮮やかな色彩で、かつ爽快だった。 小説がマンガ化、映像化される際には原作小説ではできなかったマンガ・映像ならではの表現がされたと感じられるか否かを目安に、その成功・失敗を判断するのだけれど、本作品で前述の細部の現実感以外の点で「ここは原作を凌駕する」という部分を見出すことは筆者の読力ではだいぶ難しい。それでは本作品が「神聖喜劇のマンガ化」として無意味だったかと言うと、そうとも思っていなくて、何故かと言えばやはり「書き言葉」による表現としてこれだけ完成された作品をマンガ化しようと言う意図そのものが偉大だからだ。ものすごい小説を漫画化する企てについて「失われた時を求めて フランスコミック版」 ステファヌ ウエ (著), マルセル プルースト (著), 中条 省平 (翻訳) があるが、こちらの方が「神聖喜劇」よりは映像化しやすそうに思えてしまう。それでも翻訳版は10年前に2巻で止まったままであるが、原著版はどうなっているのだろうか?と思って検索したら、続きの分が少しだけ翻訳・出版されているらしい。 そう考えてみると本作品が完結に至ったことの意義がわかる。さらに本作品を乗り越えようとする未来の表現者のことを思い、本作品が存在することの有り難みが実感できる。 もう一つおまけに言えば、本作品冒頭では東堂は「我流虚無主義」にとらわれ「この戦争で死ぬべき」と思っている状態にあり、作品内の経過中に徐々に・時に一気にそのような状態から抜け出すきっかけを得たとの過程と比較して作品中の東堂の相貌・表情が最初からすっきりと屈託がない。もうちょっとひねた顔貌でも良かったのではないか? | ||||
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原作の感じがけっこう上手く表現されていて悪くないと思う。ただ、キーパーソンの神山上等兵の絵があまりにイメージとかけ離れているのがちょっと・・・・。 | ||||
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ある青年が軍隊に入り・・・というお話。 と上記しましたが、それだけでは何の要約にもなっていない大長編。一応戦争中の軍隊内のお話しなので、戦記文学の系譜に連なる作品かと思いますが、なにしろ文庫五分冊でそれぞれ500ページあり、合計2500ページに上る大長編という言葉でも包括出来ない長さの巨編であります。書き始めから終わりまで、25年掛かったのも納得の一大巨編。 主人公が軍隊内で様々なキャラクターと出会い、そのキャラクターそれぞれにいわくや過去があり、それが日本の歴史を総浚えする挿話になっていて、日本史を小説で再現したかの如き作品。その挿話が日本の共産主義、部落差別、軍事史、男尊女卑の歴史、貧富の格差等、あまり他の国に知られたくない日本史の恥部を描いていて、故に世界で日本の歴史を知る為に読んでもらいたい内容になっていて、これだけの情報量、情緒量を一作の纏めた著者の筆力に感銘を受けました。これはもう、日本の文学史どころか、世界の文学史に残る偉業だと思いました。 書名の「神聖喜劇」とはダンテの「神曲」の正確なタイトルだそうで、「神曲」が地獄巡りの小説だったと記憶しますが、この小説はさしずめ日本の地獄巡りの小説と言えそうな作品だと思います。正に神聖なる喜劇というか。 特に、部落の問題は日本で一番デリケートな問題で、ほんの少し語弊を招く、或いは誤解を招く表現があると圧力団体から凄いクレームが来るという、あまり触れたくない、或いは相当に神経を使う問題の為に、多くの人が避けて通る問題なので、ここまで突っ込んだ内容の小説のネタにした著者の勇気に恐れ入りました。実際に色々な方面からクレームや批判もあったかと思いますが、そういう事も覚悟の上でここまで踏み込んだ見識と尽力に脱帽です。 トマス・ピンチョン氏の超大作「重力の虹」に比肩する小説はあまり無いと思いますが、この作品はその数少ない作品だと思います。 広く世界に読まれたい、世界文学史に残る偉業。必読。 | ||||
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これほど骨太の男性的な文学作品が日本文学にあろうとは本当に驚きです。この作品は今こそ日本人にもっと読まれるべき傑作だと思います。それにしても、文庫で小さな文字を追うのはいささかつらいものがあります。是非、単行本での再刊を出版社にお願いしたい。 | ||||
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今まで読んでいませんでした。 初めて読んで新鮮なので感激。 知人にすすめましたが結果はわからない。 | ||||
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長らく探していた希望通りの本がそれなりの値段で手に入り、満足しています。 | ||||
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まず、今の日本の社会では明らかにベストセラーにはならないであろう、このような文学作品を、 美しい装丁で文庫化して世に問うている出版社に、大いなる敬意を表したいと思います。 巻末の初版当時の書評で、いみじくも寂聴さんが仰っている様に、非常に男性的で骨太な論理的文体に、 まずもって圧倒されつつ、旧軍隊という閉じられた不合理な組織における笑止の沙汰を、 人間社会の普遍的な相へともたらして行く筆力構想力に、 日本人として望外の瞠目を強いられた、と言ったところでしょうか。 今回の選挙の投票率を見ても分かるように、日本はもう半分終わっていると思わざるを得ない昨今、 この作品が、もし若い人を中心に広く読まれるような日が来ることがあったら・・・・。 まぁ、そんな日は来ないんでしょうね、所詮人間は、多数決的な総体としては、少しだけ自然を操ることを覚えた、 類人猿よりは手先の器用な、驕り高ぶってスポイルされたサルの群れに過ぎないんだから。 | ||||
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最初に、コミック3巻まで読んだところで小説を購入して読了。 このたびキンドル版コミック4から6まで読みましたが、 こんなあっさりしてましたっけ? という感じです。小説にあった、本筋とは関連のない引用や詩がないからかな? この感覚は、『指輪物語』を読んでから映画『ロード・オブ・ザ・リング』を見たときと似ています。 | ||||
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文字が多すぎて、途中で挫折した。 小説よりは読みやすいのでしょうが、私には合わなかった。です! | ||||
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星0が可能であればそうしてました。 面白さが一切感じられなかったです。 | ||||
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