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(短編集)
神聖喜劇
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【この小説が収録されている参考書籍】
神聖喜劇の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 41~59 3/3ページ
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この第2巻では舞台は全て兵舎の中であり、第1巻のような主人公=東堂の回想シーンも殆ど無く、上官や古兵らの屁理屈(?)による新兵いびりが延々と続き、更には身体・知的障害に対する差別や部落差別の要素も加わり、読んでいて気分が暗くなってきた。 第1巻でも感じた事だが、主人公の東堂太郎の設定がかなりスーパーマン的過ぎて、あまり感情移入できないし、やや荒唐無稽でもある。もう少し人間的弱みを持った現実的人物造形にすれば、作品の完成度も増したのではないかと惜しまれる。 | ||||
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表紙で大きく口を開けて怒鳴っている人物は主人公東堂太郎ではなく、言わば敵役の内務班長大前田文七である。そしてこの場面は第1巻でのハイライトシーンの一つで、彼のセリフは 「職業軍人でもない俺達の 誰が好き好んで五年も七年も こげな妙ちきりんな 洋服ば着て暮らすか うんにゃ、何のためか ようと考えてみよ ・・・」 1頁まるまる使った大コマで次のページは後姿でセリフの続き。本の裏表紙にはその後姿。その白黒画面に紫の明朝縦書きで「第一巻 神聖喜劇 大西巨人のぞゑのぶひさ岩田和博」名匠鈴木成一デザイン室の面目躍如である。本編の当該場面に至ってこの装丁の素晴らしさを実感した。 | ||||
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大西巨人の原作を紐解いた事のある人ならこの作品の漫画化という作業がどれほどの大仕事だったかが分かるだろう。事実この作品は十年という歳月をかけて作り上げられ(原作は二十五年)、その仕事は見事に成功の域に達している。しかしこれを読んで原作を知った気になってはいけない。原作に忠実に描かれてはいるけれどやはり奥行きに限界はある。それはまったくこの漫画の評価を落とすものではないし、原作者もこれらの作品は別々の独立した作品として読まれるべきだとも言っているが、やはり原作あっての本書、原作を知っているがゆえに楽しめた部分は少なくない。原作への最良のガイドにもなると解説で中条氏は語っているが、僕としてはやはり原作の後に本書を読まれる事をおすすめする。もちろんガイドとしても一向に問題はない。つまりは、原作を読んでみて欲しいという一言につきる。 | ||||
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このマンガ、みんな褒めてるのは知ってたけど、かなり値が張るでしょ。だから購入を躊躇ってたんです。でも、たまたま第1巻を古書で見つけて読んでしまったら、残りの5巻新本で買っちゃいました…ううん。 物語はゆっくりゆっくり進んでいくんですが、やっぱり5巻から6巻の大団円の部分に、すべてが凝縮されて流れ込んでいる感じですね。長さに意味のある物語なんですよね。いいですよ。なんか版元の幻冬舎には一抹の悔しさも感じますけど。 先頃、手塚治虫文化賞新生賞と日本漫画家協会賞大賞を受賞しましたね。しかし、背表紙に3人も名前が並んでいたのは、最初はかなり違和感ありましたけどね。 各巻の終わりに収められている「解題」では、第2巻の三浦しをんの文章が面白かった。三浦しをん、読んでみたくなりました、関係ないけど… | ||||
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読後、さわやか。第一巻から読んできた者は十分な満足と充実感、そしてえも言えぬさわやかな気持ちをえる。 この第六巻(第八部永劫の章)で、読者は大日本帝国陸軍の中の一兵卒として在る自分に気付く。軍隊内部で錯綜する悲喜劇。 緊迫した状況下でドラマは予想もしない展開をする。感動につぐ感動。そしてあっというエピソード。ああ、大前田軍曹。 ああ、漫画はこのようなことが可能なのか。 「“一匹の犬'”から“一個の人間”へ実践的な回生・・・そのような物事のため全力的な精進の物語 ―別の長い物語でなければなければならない」(最後の248頁)と、いう言葉通り。 己の生き方を問われる書である。 この書を完成させた人たちに感謝。第11回手塚治虫文化賞 新生賞、第36回日本漫画家協会賞 大賞おめでとう。 | ||||
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この巻の最も印象的な、また共感を持つ部分は、後半中国大陸での戦闘を経験してきた「大前田」氏が「戦争のなんたるか」を力説する部分です。 彼は戦争とはより多く敵を殺し、より多く陣地をぶんどった方が勝つ、ただそれだけが本質の、上品でも高等でもなんでもないものなのだと喝破、 軍の高官や国のお偉方にいまさらキレイ事は言わせない!と主張します。 戦争の現実、本質はその通りなのだと思います。 結局、それ以上ではないのでしょう。 なんと非難されようと、より多く残虐にヒトを殺した方が勝ちなのです。 そして殺し、殺される役回りをさせられるのタダのヒト(私や私の家族。 先の大戦では父の従兄は沖縄で、義父の兄二人は南方で亡くなっています。 彼らは壮絶に殺し、殺されたのでしょう)。 憲法9条の改正や再軍備(=徴兵制の復活?)、核保有の是非はともかく、 それを声高に主張する方は是非有事の際に最前線で捨て駒となる覚悟でお願いしたいものです。 (安全無害な司令室での作戦会議を担当するなどという想定はゴメンです。) 史実や映画、こんなマンガを読むたびに、人間の残虐さを思い知らされますが(きっと私もなんでもやるのでしょう)、 そんな人間の残虐さが現れる状況を避ける、 つまり戦争状態を避ける事がとても大切なこと!だと思います。 やはり再軍備より手練手管、優秀な外交官の人数を増やす事のほうが大事だという思いを新たにしました。 (こどもにも読ませようか、と思っての購入でしたが、 第一巻とも中国人捕虜・日本人在中女性へのすざましい暴挙の描写で取り止めました。 いつかはそんな事も知らしめなければならないのですが。) | ||||
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なんの予備情報もなく、「とにかくすごいらしいよ」というだけの噂を頼りに、一巻を読みました。 読み終わった後も、自分が読んだのが「何」であるのか、よく分かりません。 とにかくものすごい言葉の量でした。 作中の主人公、東堂はあらゆる書物を読破し、その一言一句を全て頭にいれいる、優れた記憶力の持ち主です。「世界は真剣に生きるに値しない」と考えた彼は、徴兵検査において同郷のよしみで見逃してくれようとした医師の情けを振り切り、兵士に志願し、軍隊に入隊します。 そこで起きる様々な理不尽に、彼は言葉のみで応戦してゆきます。怒濤のようにあふれる論理に、全ての人は閉口します。 東堂は、決して声を荒げたりはしません。 軍での数々の理不尽な規律も、よくある戦争マンガのように悲劇的には描かれず、淡々と、つい読み流してしまうような調子で描かれます。 ですから、ストーリーは、全体を通して一種の静けさが漂います。 絵柄はトーンを一切使わず、画面のすみずみまで黒々とペンで覆われて、「10年かけて漫画化した」というこの情熱と、ドラマティックな描き方の一切が押さえられたストーリーは、いっそ対称的で、それがこのマンガの「凄み」を増しています。 原作者、大西巨人は、この小説を25年かけて完成させたそうです。 私は戦争体験がないし、戦争の悲劇も悲惨さも、本当の意味では理解することはできません。ただ、大西巨人と、漫画化したのぶえのぶひさの、あふれんばかりの「鬱屈さ」は、理解できるような気がします。 このマンガは、戦争という、誰が描いたのかしれない、とてつもなく大きく理不尽な物語に巻き込まれた人物の、「あれは一体なんだったのか」という理不尽を徹底して問うているものだと思います。 そのために、膨大な書籍を読破し、引用し、言葉の限りをつくして、主人公はその理不尽さに対峙するのです。これは作者の大西が戦中言いたかったことのすべてを、「これは一体何であるのか」という世間への問いを、主人公に代弁させているのではと思います。 しかしそれは、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせるものではなく、それがいったい「何」であるかなど、断定することはできません。多くの死者と悲劇を産み出したものが「何」であるかを説明などできないのです。しかしその「説明することのできなさ」、そして「何」であるのかを誰も知らぬままにただ抑圧されてきた者たちの鬱屈、そういったものが描かれているのではないでしょうか。 私が戦争体験がないのと同様、漫画化したのぶえのぶひさにも、戦争体験はありません。それでいて、軍生活の細部までもを絵で表現するという「無謀」に挑戦するのは、抑圧された者の語り得ぬ言葉の鬱屈さを彼も抱えていて、語りたい、言葉が欲しいという、ただ一つの情熱ではないかと思います。 戦争はたくさんの人から言葉を奪いました。そして今も、たくさんの人が自分のリアリティについて、語る術を持たず、沈黙を強いられています。 そういった人々が何かを語らんとしたとき、それはダムの決壊のような勢いを持って、言葉の放流となって私たちの前に現れます。 私たちはそれにとまどい、それが「何」であるのかを理解できません。言葉はあまりに複雑で、あまりに多すぎるからです。 そして、その言葉の放流を前にしたとき、私たちは「閉口」するのです。主人公の東堂に論破される人々のように。 そして、語っている本人ですら、もはやそれが「何」であるのかなど、分かってはいないのかもしれません。ただ、その語り得ぬ「何」かを、その「説明することのできなさ」を、他者に言葉を尽くして「説明している」のだと思います。 オマエはこれを知っているのか、知っているなら語ってみよ、説明してみよ、と迫るのです。そして誰も説明できずに、言葉を飲み込むしかないのです。 これだけの言葉を尽くしても、決して説明しえない理不尽があり、これだけの言葉を用いて25年かけても昇華されない痛みと悲しみと怒りがある。 極力まで押さえた表現からにじみ出てくるもののすごさに、私はただただ、言葉を失って、圧倒されたのでした。 | ||||
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懇切力の入った職人的描法がいいです(^^)。 また論理的に考え、話すことに快感を覚える私ですが、冷静沈着で堂に入った主人公「東堂」の振る舞いに『私もこのままガンバロウ♪』と刺激を受けました(汗)。 ちなみに第二巻はまた違った感慨を持ちます。 | ||||
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自己の生きている状況を「喜劇」として、観るというのはかなり力がいる。ましてや、「神聖なる喜劇」として 観ると いう立場を維持し続ける意志力。そう 観ることで 冷ややかに 自己の立場を 貫こうとしている。舞台は敗戦間近 対馬。そこの大日本帝国陸軍。 大西巨人という作家・・・大西巨人は 『神聖喜劇』を完成させた。奇怪なる 文体。その緻密な 世界は 彼の文体でないと 描かれないことに納得する。妥協しない 大西巨人。 私たちは彼の世界に屈して彼の世界に入り込まざるを得ない。そこは かって私たちが知ることができない未知の世界。全く 異なる 世界を 私たちは 見ることができる。大西巨人の『神聖喜劇』は そのようなもの。天才と言うべきか 奇才と言うべきか 私には わからず。 かって 私は『神聖喜劇』を 読み通す努力をした。彼の世界に入る儀式は大変であった。 今、大西巨人の『神聖喜劇』は いつ映画化してもいいように 脚本が 別の人によってきあがっている。 そして、粘り強く 漫画化した創造者がいたとは。おどろきと感動。新しい体験をしてみましょう。一緒に。 | ||||
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原作の第二部を描いたこの漫画版第二巻は、第一巻とはかなり雰囲気が異なっている。ここで焦点をあてられるのは主役の東堂ではなく、冬木や大前田、鉢田、橋本らである。とくに大前田の一挙手一投足には注目させられるが、そのほかの三人も相当の役者である。 クライマックスは後半を占める演習中のできごとで、ここの描写はまさにこの作品の魅力を凝縮したような、異様に密度の濃い展開がある。原作からして、この場面だけ芝居にしてもそのまま十分面白いほどの出来であるだけに、漫画版ではこの場面が物質的な重みを持って読者に迫ってくる。漫画では主人公の心の動きや、さまざまな考察は省略されているので少し分かりにくい点もあるが、それが逆に読者自身をこの場面に感情的に直に向き合わせる。原作も驚異的な作品だが、その漫画版もまた十分に……いやもしかしたら原作以上に楽しめる内容となっているかもしれない。 白眉は、社会外社会で生きてきた部落出身者が、大前田が直面してきた戦争という現実を「あってあられんごたぁある」と表現するところである。これは、当時の日本が抱える社会的矛盾を見事に凝縮して呈示した場面であるだけでなく、ここに至る大前田と数人の兵士たちとの、東堂にさえ思いがけない展開をみせていたやりとりの頂点にあるものでもある。ここには、ほとんどシェイクスピア的に豊かで、一語一語ごとに状況が変化し、当事者たちの微妙な心境もまた変化していく演劇的場面がある。 小説をあわせて読むといっそう楽しめるが、この漫画だけでも場面場面の迫力は十分以上に伝わってくる。それだけでない、この漫画は、二十世紀のポリフォニー的な小説形式を、漫画もまた取り得ることを明らかにした。漫画の未来もまたここに予見されている。戦慄する傑作だ。 | ||||
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自己の生きている状況を「喜劇」として、観るというのはかなり力がいる。ましてや、「神聖なる喜劇」として 観ると いう立場を維持し続ける意志力。そう 観ることで 冷ややかに 自己の立場を 貫こうとしている。舞台は 敗戦間近 対馬。そこの日本帝国陸軍。 大西巨人という作家・・・大西巨人は 『神聖喜劇』を完成させた。奇怪なる 文体。その緻密な 世界は 彼の文体でないと 描かれないことに納得する。妥協しない 大西巨人。 私たちは彼の世界に屈して彼の世界に入り込まざるを得ない。そこは かって私たちが知ることができない未知の世界。全く 異なる 世界を 私たちは 見ることができる。大西巨人の『神聖喜劇』は そのようなもの。天才と言うべきか 奇才と言うべきか 私には わからず。 かって 私は『神聖喜劇』を 読み通す努力をした。彼の世界に入る儀式は大変であった。 今、大西巨人の『神聖喜劇』は いつ映画化してもいいように 脚本が 別の人によってきあがっている。 そして、粘り強く 漫画化した創造者がいたとは。おどろきと感動。新しい体験をしてみましょう。早く。 | ||||
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大西巨人の超傑作『神聖喜劇』を渾身の力業で漫画化した作品です。原作に感動し、大笑いし、まじめに考えた人なら、きっとこの漫画版も好きになるのではないかと思わされます。少なくとも私は、忙しいのに読み始めたら止まらず、台詞だらけの2冊500ページあまりをイッキ読みしてしまいました。 基本的なストーリーは原作に忠実です。その内容や思想性についてまとめるのは私の手に余りますが、透徹した戦争批判・差別批判であるとともに、そのようなスローガンに収まりきらない「人間」のあらゆる面、可能性を網羅する観察記録のような趣もあります。 印象深かった点を一つ。普通、小説がマンガやアニメになると、どうしても「キャラのイメージが違う〜」と思ってしまいますが、そしてこの作品でも確かに違ってはいるのですが、私は最初の方で主要登場人物が初めて描かれたとき、「ああ、あの冬木ってこんな顔してたのか」等と感じて、不覚にも目頭が熱くなってしまいました。木訥な絵柄ですが、底知れないリアリティに引きずり込まれてしまったのです。 | ||||
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他の人たちのレビューによって、おおよその概要はわかると思います。そのため、私は『神聖喜劇』を読み終えて考えた内容を少し書いてみることにします。 主人公東堂は自ら対馬連隊へと加わり、戦地において「死ぬこと」が彼の望みだったのです。しかし、連隊での経験や過去の記憶がその気持ちを揺るがしていきます。どんな社会でもよくあることですが、連隊の中でも上下関係が存在し、その中では制度や法をも無視し、権力をもっている人間こそが法なのである、といった形です。東堂はこの矛盾と戦っていき、やがて彼の心に変化をあたえるのです。 『神聖喜劇』は東堂の物語であり、私たちの物語ではありません。しかし、私たちが社会の矛盾に出会ったとき、どのような姿勢でそれにぶつかっていくかを考えさせられる一冊であったと思います。 | ||||
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読んだのは、28歳のころですかね。月給も安くて1冊500円は結構きつかったけど全巻買って、仕事の合間や通勤電車のなかで読みました。 ストーリーは、太平洋戦争も末期の兵営が舞台。徴兵された新兵の主人公が、天皇の軍隊による人格の否定や人間的権利の剥奪に徹底して抵抗する様が描かれています。抵抗の武器は論理。全巻通して軍規や軍法をめぐり非常に精緻な論理の解釈や下士官や将校との論争が描かれています。これは見もの(読みもの?)です。天皇の名による軍規や軍法を逆手に取って兵の権利を論証し主張する。天皇をバックにしちゃうから上官も応ぜざるを得ない。こうして論争の場に引きずり出された軍隊は、決して一枚岩の組織ではなくレンガ積みの巨大な楼閣として正体をあらわにします。ここそこで展開されるレトリックには、ぞくぞくします。 天皇の軍隊への二等兵の抵抗。ここに人間としての抵抗の原点を探ろうとした、著者の思いもまた知るべしです。 付け加えて、兵営内のおかしな慣行や、そこで生きる兵隊たちの人物描写、心理描写もなかなか興味深いものです。 著者の大西は、莫大なエネルギーをこの作品に注ぎ込み完成にいたりました。そのモチベーションも興味をそそられるところです。もちろん、天皇制と旧軍への批判もある。しかし、もうひとつ、著者がかつては立場をともにした日本共産党とその文芸活動への痛烈な一撃たらんとこの作品を上梓したと考えるのは私だけでしょうか。これだけのもの書けるものなら書いてみろ!てな意識も多分にあったと思います。 読んだぞー!って叫びたくなるほどの満足感に星5つです。 | ||||
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下級兵士として日本軍に徴集された主人公東堂は その超人的な記憶力(と「ひねくれ精神」「反骨精神」を)武器に、 軍隊における(またそれは根元的に日本社会にこびり付いている)不条理や非合理に敢然と闘争を挑んでいく。 また、東堂太郎の目を通して描かれたわずか3ヶ月、しかしあまりに重厚な3ヶ月の間の様々な出来事を通して 読者は「人間」の暗部・愚劣さ醜悪さ、また逆に「人間」であることの幸福を目の当たりにするだろう。 これだけある種、病的なまでに「おのれ」を見つめ、 「おのれ」即ち「人間」について考えられた、若しくは考えさせられる小説はあまり例を見ない。 世界文学の最上部に位置する小説。 | ||||
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軍隊もの、確かに。エンターテイメント小説、確かにそう。 そうなんだけれど、この日本文学の金字塔「神聖喜劇」とはいったい何だったのか、について考えるとき、 それらの諸要素はあくまで付随的なものでしかない。 とことん「おのれ」を見つめ続けたことによって、また「人間」というものについて考え続けたことによって生み出されたものであることは間違いないし、また日本封建社会の言いしれぬ闇と、その問題に直面したときの人間の心の状態をこうまでも見事に観察、描写したものは滅多にない。 | ||||
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「神聖喜劇」と言う題名はまさに当を得ている。決してあからさまに滑稽な描写があるわけではなく、内容も所謂喜劇的なものでは決してないのだが、普通の場面、真剣な、真面目な(滑稽・喜劇とは正反対な内容)場面の中の一行で思わず笑うことを禁じ得ない。そのような箇所が幾度となくこの小説には現れる。大西巨人という小説家の文章力の賜、表現力の豊饒さと言ってしまえば簡単なのだが、近代・現代日本文学の名作と呼ばれるものを読んできた上で思ったことだが、表現力の豊饒さ、文章力の賜といったものだけでは決してこのような体験を読者に与えることは出来ないのではないだろうか。ではいったいなんなのかと問われても上手く答えられない。わからないことは「奇蹟だ」と言ってしまえばどうにかなっ!てしまうので、たぶん本作は奇跡的な書物だと思う。 | ||||
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軍隊の話ということで少し気が重かったんだけど、表紙がきれいなのと字が大きいことに惹かれて読んでみました。 出だしの文章が硬くって取っ付きにくい印象を受けるかもしれませんが、読んでいくとわくわくして続きを読まずにいられなくさせる小説です。主人公がピンチに陥っては切り抜けたり推理小説っぽいところがあったりして、軍隊の話というよりはエンターテイメントとして肩の力を抜いて楽しめます。 この小説の雰囲気をわかりやすく言うと、原のハードボイルドな探偵や村上春樹の小説の主人公を徴兵して軍隊に入れたらこんな感じになりそうです。主人公の格好よさもこの小説の魅力でしょう。 全5冊でまだ4冊あって毎月発売が楽しみです。 | ||||
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