水神
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史実に忠実 | ||||
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福岡県で教員をしています。 四年生の学習で筑後川の大堰を見に行きます。 福岡県出身の若い先生意外と知らない。 県外から来た先生、やっぱり知らない。 見学の下準備として読んでおいたら良いかもです。ちなみに、凶弾に倒れた中村哲先生も、アフガニスタンに堰を作るために参考にされました。 | ||||
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江戸時代に筑後川の大石堰をつくったお話し。 帚木 蓬生著「水神」。 https://amzn.to/360hofu 郷土(若松)の誇り、九大の先輩である尊敬する故中村哲医師(火野葦平の親戚)の講演会が九大医学部主催で毎年開催されていて、2019年の聴講を楽しみにしていました。中村医師はアフガニスタンの灌漑事業で、この「水神」の物語の大石堰の近くの山田堰を実際に見学してその建造する手法を取り入れたということです。中村哲医師の著作の数々もおすすめですが、今回はその筑後川の大石堰を江戸時代に計画して、見事に完成させるまでの苦労の物語です。 僕は高校時代の後半の一年半、久留米市の旭町で過ごしていました。筑後川の土手を自転車で西鉄宮の陣駅まで行って、急行電車で筑紫丘高校のある大橋駅まで毎日通学していたのです。その宮の陣のちょっと上流に今回の物語の舞台である大石堰があるとのことで、高校生当時はそんなすごい堰があるとは知りませんでした。大石堰は、江戸時代に五人の庄屋によって作られたものですが、資金も自前(久留米藩は失敗を恐れて資金提供しなかった)、失敗したら全員死刑というとても考えられないものだったそうです。網に入れた石を沈めていく工法は、前記の中村医師のアフガニスタンでの灌漑事業に応用されています。これによって、肥沃な大地が生まれ、久留米有馬藩領の水田石高は増大したそうです。 久留米は昔から福岡では裕福な地域で、芸能文化や工業も発達して(チェッカーズや松田聖子の出身地としても知られていますし、月星やブリジストンの創業地としても知られています)いますが、それらも、元をたどるとこの大石堰での水田石高増大が影響しているのかもしれません。 | ||||
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五庄屋の覚悟、農民への思い、素晴らしい。是非一読して頂きたい。感動すること間違い無し。 | ||||
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ページをめくるたびに、製本が外れてバラバラになった。製本してから 時間が経っているとおもわれるので、ある程度は仕方ないことと 思います。外れた所はhottikisu止めをして処理をした。 | ||||
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