カシスの舞い
- 首なし (61)
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40年ぶりに再読しました。 あの頃「白い夏の墓標」で鮮烈なデビューを飾った作者の次か、次の作品だったのではなかったか? 先日、パリ・オリンピックがきっかけで<マルセイユーパリ旅行>を実践、マルセイユ空港からエクス=アン=プロヴァンスを訪れ、翌日或る人の提案でカシス"Cassis"へ行くことが決まった瞬間、カシス・ソーダではなく(笑)、この作品のことを速攻思い出しました。それほど思い出深い小説だったからなのかもしれません。そして、旧作を読み返すことがほとんどない私にとって逆に訪れたカシスを再読すべくこの小説をもう一度読んでみることにしました。 マルセイユの大学病院が舞台。そこで首なし死体が発見されますが、被害者とおぼしき元患者のカルテが消えてしまっています。疑惑を抱いた日本人精神科医の水野はそれとなく調査を始めますが、疑惑はより深い<陰謀>へと直結していました。その静かに忍び寄るサスペンス。1981年の法王狙撃事件が大いなる引鉄になったのか?ミストラル。サンシャルル駅。旧港。ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂。カナイユ岬。フレンチ・コネクション。私にとってのマルセイユ・キー・ワードが渦巻く中、主人公・水野とその恋人・シモーヌとの道行は、崖とカランクと呼ばれる保護された入江を持つ港町、カシスへと辿り着きます。 精神科医でもある帚木蓬生が熟知する世界の広がりがその後の「依存症」に纏わる著作へと継承されていくわけですが、一つ間違えば絵空事と捉えられ兼ねない危うい素材であるにも関わらず緻密に構築された事件の全容は、四十年後でも色褪せない堅固さを持ち合わせています。 サスペンス・スリラーですからそのディティールを書き留めることは叶いませんが、三点だけ主張しておきたいと思います。 一点目は、これが書かれた時代、これほどの筆力でフランス、マルセイユ、カシスを描写できる作者がいたことに驚きを禁じ得ない。 二点目は、水野とシモーヌの道行の舞台でもあるカシスがまるで透明度の高いその海の青さのように描写されていること。 そして、主人公・水野のレーゾン・デートル。彼の振る舞いの清冽さは、海外において己がアイデンティティを確立させながら生きようとする人々への何ものにも代え難い<岩>となり得るのではと思わせます。 世界は時間も距離も超えて新しく繋がることができる。そんな<旅の歓び>もまた反芻できるようなとてもいい読書になりました。あのフレンチ・コネクションからカシス・コネクションへ。 「マルセイユはやはり東洋とアフリカ、そして西洋の合流点」(54%部分)だった。カシスが情念の合流点であるのと同じように。 ◻︎「カシスの舞い」(帚木蓬生 新潮社) 2024/8/31。 | ||||
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マルセイユ?カシス、精神病院、研究、いろいろなテーマで描かれていて面白かった。 研究、病院の描写では、このような事があるのだろうか?と思ってしまう。 作者ならではの内容なのでは | ||||
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普通のミステリで首無し死体なんてものが出てくれば当然そちらが中心に話が進むものだが そこは帚木蓬生、終盤までたまにその事件に触れられるぐらいで、基本はフランスで暮らす 水野ののどかな生活がメイン マルセイユでの恋人や友人たちとの交流はのどかながら魅力的で風情を感じさせられた 終盤明かされる事実は中々にグロテスクながら、ある種の必要悪的な要素もあり 中々考えさせられるものがある 概ね帚木ファンなら満足な一冊だろう | ||||
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日本人内勤医水野が、自分の務めるマルセイユの大学病院で起きた事件に疑問をいだき、少しずつ調査を進めていく。その過程で、次々に不可解な事件が続いてゆく。やがて彼は、脳研究所で行われている恐るべき実験の真実を知る… 昨年から著者の作品を6冊ほど読んだ。『白い夏の墓標』、本作、『臓器農場』『閉鎖病棟』『逃亡』『聖灰の暗号』である。共通して感じたのは、“狂気”が描かれていることだ。 ただし、精神科医である著者が描いた“狂気”は、いわゆる精神病の狂気ではない。正常と見なされた人、それもほとんどは、一定の社会的地位にあるか、優秀と見なされた人たちを蝕む“狂気”についてである。しかも、その“狂気”には必ず、“国のため”“医学のため”“宗教のため”などいった正当化するための大義名分がついて回っている。 例えば、本作では、“脳科学のため”などの美名のもと、異常な研究と実験にかかわる人たちが登場する。また、『白い夏の墓標』では、“国をまもるため”の生物兵器の開発という“狂気”と、一度はその世界に入り込みながらも離脱した細菌学者の生涯が描かれる。 著者は精神科医として、精神病としての狂気をよく知っている。一方、小説家としても、病ではない“狂気”がいかに“正常”な人々を蝕み、そして、そこにこそ本当の恐ろしさがあることをよく知っているようだ。 | ||||
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冒頭に、ローマ法王暗殺未遂事件が描かれ、「いまや法王でさえ標的のタブーではなくなった。それは、この世界がどこか見えないところでひび割れ始めている証しではないか」という一文があります。そして、社交的で世長けたムーラン教授と、理知的なポロー教授が「二つの対抗する城」として登場する講演会の場面。 その後展開される物語の大筋は、精神分裂病(統合失調症)の病理を生化学的・薬理的に研究する人々の狂気のサスペンスで、筋立てがおもしろく、精神疾患についての細部の描写も興味深くて、引き込まれ、一気に読んでしまいました。 そして読後のいま、冒頭の象徴的な場面が意味をもって問いかけてきます。人間の原罪(神に背き善悪の知識の木の実を食べた→知識への欲望)と、主に主人公カップルによって描かれる愛による救済が、対比されていたように思います。知への欲望が人類に文明をもたらし、病を克服する道となった一方で、目を神に向けてみれば、なんだかそれは罪を帯びているような。暴走すればとんでもないことになる、そうなる傾きを持つ人間の悲しさを感じます。 最後に再びムーラン教授が登場したとき、冒頭では俗物のように思えたこの人が、たいへん魅力的に感じられて驚きました。主人公の一貫した誠実さも快かった。陰惨な筋立てだけれど、読後感はすがすがしく、希望があります。よきメッセージのこめられた作品だなあと思います。 | ||||
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