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沈黙
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【この小説が収録されている参考書籍】
沈黙の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全388件 121~140 7/20ページ
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つらい場面での表現にたびたび心が折れるが 時代を超えた作品であることに違いはない。 ただし気分的に少し余裕のあるときにしか読めない。 | ||||
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今自分に小説を追っていく気力がない。描写も素晴らしく、名作たるゆえんはわかる。やはりかなり読み終わりでつかれた。小説としてはよくできている。自分では途中の厳しさが身に染みた。疲れた。 | ||||
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映画『サイレンス』を観てから、読む。主人公ジュセッペ・キャラ(小説ではロドリゴ)は実はイタリアのシシリア生まれと知って、映画化した監督がイタリア移民の子であることの繋がりの不思議な縁を感じる。ついでながら、主人公は棄教後、日本名で岡本三右衛門を名乗るが、私の先祖(二代目)の名前も三右衛門なので、益々奇妙な気持ちになる。 この物語は、弾圧されるキリシタンを神は「沈黙」したまま見捨てるのかと問い続ける司祭ロドリゴと、キリシタンでありながらいとも簡単に踏み絵を踏んでその場を逃れるキチジローの二人を中心に展開される。ロドリゴは、自分が「転ぶ」(棄教)ことをしなければキリシタンが何人も逆さ吊りされて殺されるという窮地に追いやられた時、銅板のあの人が、「踏むがいい」と語りかけてきて、踏み絵を踏む。 民衆を救うために、形の上で「転ぶ」ことを選択するという司祭の行動に、「転向」の問題も見えてくる。また、キリスト教は日本に根付かないという井上筑後守の論理も出てくるが、神が仏とも似てきて、浄土真宗の仏は、キリスト教の主と通じる面があるようにも思えてきた。調べてみると、遠藤周作は、親鸞にも興味を示していて、仏教学者増谷文雄との対談もしている(『親鸞講義』)。この本も読似始める。「物心つかない頃に着せられたカトリックの洋服を、どうしても脱ぐことができない」という遠藤周作の言葉に、さもありなんと思う。 | ||||
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キリスト教徒である自分は、最近のハリウッド映画に非常に違和感を覚えたため、原作を読みました。やはり同じ教徒である遠藤周作氏の作品は、信者としてのエンディングでした。映画は大衆受けするように編集されており、これがキリスト教と思われると残念でなりません。原作をお勧めします。 | ||||
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キリスト教を学んだ土着の日本人だからこそ書けた作品だと思う。 輸入されたキリスト教が、日本では別の「何か」になってしまっているという指摘は言いえて妙。 そうはいっても、仏教だってインド、タイ、チベット、中国・・・とそれぞれ形を変えてそれぞれの地でそれぞれの発達を遂げて馴染んでいるのだから、それ自体は自然なことだと思うのだけど、一神教の考えからすると許しがたい事なのか。 苛烈なキリシタン迫害を描いているようで、異教徒であり日本人である私としては、迫害する側の辛さと優しさを感じてしまうし、作者も敢えてそのような描写を入れたのではないか。一方的に無実のものを責める魔女狩りのような形ではなく、「形だけでも棄教せよ、そうすれば責めないから」と繰り返し勧めている場面が何回も描かれる。日本人からすると温情のつもりであり、キリスト教徒にとっては侮辱であり精神的迫害であり、日本人側もそのことを承知しつつ行っているとしても。酷い拷問を行った点を除けば井上の考えは十分理解できるし、すべて含めて考えても、政治面も含め被害を最小限に留めたいという信念のもとに動いたのではないかとさえ思う。正しいかどうかは別として、彼なりに。 そして、現実には普通の人々の多くは、キチジロー的な立場に属するのではないか。小説に描かれているような、非常に辛い状況におかれて信仰だけが心の拠り所となった人たちは別として、平凡な普通の人が前半のキチジローのような行動を取ってしまうことは、普通にありえそうで、彼が特別「弱い人」とも思えない。逆に、後半、危険を冒してまで懺悔に走る彼はちょっと現実離れして思える。司祭がキリスト教の教義に想いを巡らすに当たって重要な役回りだけれど、ひょっとしたら途中からのキチジローは、悩める司祭の心が産み出した幻影として見たほうが良いのかもしれない。 信心深くない自分としては「多くの血が流れるくらいなら、形の上では従って、心の中だけで信仰を続ければいいじゃないか、むしろなぜそうしないのか」とさえ思ってしまうところを、そう単純な問題ではないのだよということを、キリスト教信者側の視点から描かれたこの作品から考えさせられた。 | ||||
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一度読んだ本作を再度購入して読みました。 キリスト教の理解を我々日本人が根本から理解する事の難しさを理解できました。 時代背景も細かく描かれていて、素晴らしい作品でした。 | ||||
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宣教師ロドリゴはキリスト教を広めるため日本にやってきた。しかし、既にキリシタン弾圧の時代に入っており、布教は困難を極める。キチジローの裏切りにより役人に捕らえられたロドリゴは殉教するつもりだったが、自分が棄教しないと信徒たちが殺されると知らされ、ついに踏み絵を踏んでしまう。そして、教会を裏切ったロドリゴはイエスの声を聴く。「キリシタンの苦しみを知りながらなぜ神は沈黙しているのか」「キリスト教は日本という泥沼に入ると変質し腐ってしまうのではないか」「イエスはユダのような裏切り者をこそ赦し救うのではないか」など、信仰に関していろいろな問題を提起してくれる作品である。 | ||||
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宗教の怖さと人間の弱さを記述した。神の沈黙をどう受け取るか、死の先を信じるか、現在の酷な状態との選択は、個個の苦しさと体験の差か。 | ||||
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こちらの本は映画を見て、面白かったので購入。 時は江戸時代、徳川家光の頃、ポルトガル人のキリスト教司祭が、日本へ布教するため、やって来る。 その頃、日本では基督教は禁制になっており、信仰者は役所の目を盗んで、密かに信仰を続けていた。 ポルトガル人のロドリゴは日本で布教活動を進めるが、やがて役人に見つかってしまい、踏み絵という形で、棄教を勧められる。 神様を裏切ることへの葛藤と、踏まなければ、他の信仰深かった日本人と同様に、何日間も拷問された後に、殺されてしまうことへの恐怖との板挟みに合いながらも、彼は棄教を選んだ。 周りからは司祭のくせに棄教した、転びのパウロとあだ名をつけられ、日本名まで役所から授けられ、惨めな余生を過ごした。 彼は果たして神を裏切ったのか?踏み絵をしても心の中で信仰を続けていれば、それは決して裏切りではないのでは? 宗教の深い一面を垣間見ることが出来た。映画もとても良い出来だったため、オススメ。 | ||||
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女の一生を読んだ後に、映画化されたので読んでみました。 暗い。。。。とにかく暗くて、どよどよしちゃいました。が、その分、 宗教とはなんだ?と、自分に問いかける面も多くて、☆はたくさんつけました。 キリスト教徒多数圏でなければ映画化はなかっただろうなぁ~って題材です。 | ||||
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映画を見て、本も読んでみようと思い、読みました。映画は原作とほぼ同じでした。いい本です、ただクリスチャンでない私には、理解しがたい部分もありました。 | ||||
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根源的な問い「神は存在するのか」 大きな自然災害や事故やテロなんかがあるとロドリゴのように「あなたはなぜ沈黙しているのか」と思うことがあります。「なぜ多くの命が失われるようなことを…」と。 いつか答えがあるのですかね?雲が割れ天から光が射して…なんてことが。 わたしは無神論者です。我が家にも時どき宗教の勧誘に来る人たちがいます。 ああいう人たちはなぜ来るのですかね?人びとを救うと自分が来世でよりよい人生が送れるから?人びとを苦しみから救いたいから? 人は弱くなったときに何かにすがりたくなるものです。理解できない出来事に意味を見出したくなるものです。 本当に本当にいらっしゃるならその存在の証しを見せてほしいものです。 人びとを苦しみから救ってほしい。 この沈黙は長過ぎます。 | ||||
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信仰とは何かを深く訴えかけてくる作品であった。 作品冒頭から興味が惹かれる始まりとなっており、展開が気になり、のめり込んでしまう迫真のストーリーであった。 敬虔なクリスチャンであるロドリゴ司祭が、棄教(信仰を捨てる)に至るまでの苦悩や葛藤が描かれている。非常に胸に迫ってくる内容である。 イエスキリストが十字架にかけられた時の受難の場面(神よ、なぜ我を見捨てた?)を重ねて考えさせられた。 生きることは辛く、様々な困難が伴うが、信仰とは、神にすがるためにあるものではない。 残酷な運命に直面しても、「受け入れて生きる・人間としての誇りのことである」と私は考えた。 | ||||
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たまにだけど頑固と言われるぼくには そういう程度の話ではないんだけど 考え方について気づかされるところがありました | ||||
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ここに買いてある事が真実をモデルにしているのなら、日本人は、背負わなければいけない十字架を自ら選んだのでしょう。それぞれの立場の違いが、苦しみを産みだして、とても辛いです。 昨年、長崎の外海を観光して周りましたが、その記憶と重なり、とても読んで辛くなりました。 キリスト者として生きているわたしには沈黙はなぜ、なぜ、だけでは終わらない永遠の問いかけだと思います。 | ||||
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映画化を契機として購入。 人間の無力さ、罪深さを痛感させる作品だった。 この世で力があるものに対して、神の力は、ことこの世の基準で考えるとあまりに無力。 この現実と「絶対者」であるはずの神への信仰を、どのように調和させるか。 本書ではそれらのことについて、私は考えさせられた。 神の存在に対する新たな解釈を得ると同時に、生きるということについてどう意義づけるべきか。 読了後に自分なりの考える課題が残った。 | ||||
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いつもお世話になりありがとうございます。どうしても欲しかったので手に入りうれしいです。 | ||||
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日本がすごいと自画自賛するTV番組があふれ、小学校から英語を学び、中高生でも海外旅行や留学体験を持ち、SNSやネットで世界と簡単につながるという今日この頃。そういえば「劣等感」という言葉も最近あまり耳にしなくなった。 でも、単なる偏見・差別や言葉の壁に限らず、異文化交流が衝突と苦悩に満ちていることは、満州に育ち、敗戦直後にフランスへ留学した遠藤周作にとっては痛切な真実であったはずだし、そしてその課題は、多くの日本人が見て見ぬふりをしているだけで、普遍的なものとして立ちはだかっている。 神はいるのか、いるならなぜ人間の苦悩を前にして黙っているのか。石川雅之『純潔のマリア』がギャグを散りばめながらも大胆に正面から問いかけた恐るべき疑問。神学においては信仰は奇跡によらずしてあるべきものだとされているし、神が答え、介入しなければ信じられないという欲求は稚拙な願望として退けられるのだろう。それでも、素朴な農民の、孤独な宣教師の苦しみに、なぜ神は答えたまわないのかという問いは、幼稚として片づけられるにはあまりに重すぎる。 キチジローの卑屈さも、貧しい農民の惨めさも、拷問で転ばせる奉行の狡猾さも、今の日本人が見まいとしているわれわれの真実だと思う。そして、作家が洗礼を受けたひとであるからこそいっそう重い、(ヨーロッパ化した)キリスト教は変質せずに日本に土壌に移植されるのかという異文化交流に対する根源的な疑念もまた、英語で世界とつながるとか、インバウンドでもうけよう、とかいった表層的なキャッチコピーあふれる現代においても、決して忘れるわけにいかないものだ。 ただし本書は、悲劇的であっても、絶望の書では決してない。これほど重い真剣な課題を、これほど面白く読ませる小説家は現代で数えるほどしかいないのではないか。発表から半世紀以上たっても本作は決して古びていない。 | ||||
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とてもいい小説と聞いて購入したが、可もなければ不可もないといった感じである。あとがきで遠藤周作の沈黙について述べているが、その捉え方が秀逸だ。 キリストの愛の素晴らしさは理解する。そこに焦点を当てて書かれた小説とは違うような気がする。 やはり、神を信じ、キリストをこれまでに信じる信者が迫害を受ける、どうして沈黙している神なのか、それを訴えたかったのが遠藤周作の意図と思える。キリストの愛は小説の構成上バランスを取って入れたもので、キリストの愛を知らない人には非常に新鮮で感動を呼ぶものかもしれない | ||||
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キリスト者たる著者の、日本におけるキリスト教徒の、殉教を身をもって表現し、現在「隠れキリシタン」なるものが、ローマ法王庁の支配する、キリスト教とは異なるものとして、今に続いて居る所以を説き明かしたものと、評価する。 | ||||
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