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沈黙
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【この小説が収録されている参考書籍】
沈黙の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全388件 201~220 11/20ページ
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まずはじめに、思うことは、人は生きている間に何度も厳しい選択を迫られる。 それはある意味「踏み絵」である。 「踏み絵」は時代の「踏み絵」でもあった。 例えば、美しいもの、希望、夢を戦争や言論弾圧で多くがねじ伏せられ、踏み絵を踏んだ。生きていかなければならなかったからだ。 現代でもなお「踏み絵」は踏まされているのだ。 厳しい選択の中でも、ねじ伏せられず、踏み絵を踏まずに死んでいった人がいる。 殉教である。 殉教した人は強く立派である。 では「踏み絵」を踏んでしまった弱い者は生涯浮かばれないのであろうか? 純朴な村の衆が踏み絵を迫られて言う言葉 「足ばかけんやったら、わしらだけでじゃなく、 村の衆みんなが同じ取り調べを受けんならんごとなる。 ああ、わしら、どげんしたらよかとだ」 むごい拷問の数々にも屈服せず、殉教したものがいるかと思うと、愛する者や家族の命、村の衆と引き換えにすることができず踏み絵を踏む者たちがいる。 踏み絵を踏んだものは「転んだ」もの。つまり棄教したのだ。 殉教した人たちは強かったが、それでは踏み絵を踏んでしまった弱い者たちはどうか? キリシタン迫害史の中で、殉教できずに転んだ(棄教した)人々。 彼らは単に教えを棄てたというのではなくて、ほんとうに自分が愛したものを棄てる事への苦悩の中に生きていかなければならない。 弱きものの代表者として裏切り者のユダのような存在のキチジロウの言葉を引いてみよう 「わしはパードレを売り申した。 踏み絵にも足をかけ申した。 この世にはなあ、弱か者と強か者のござります。 強か者はどげん責め苦にもめげず、パライソに参れましょうが、 俺(おい)のように生れつき弱か者は踏絵ば踏めよと役人の責め苦を受ければ、、、」 果たしてこのキチジロウを軽蔑できるだろうか? 私がこの時代に生きていたら、きっと私もキチジロウと同じであろう。 愛するものや家族のため、誰かのために踏み絵をきっと踏むだろう。 そして今も、踏んでいる。 それは私が弱い人間だからであり、生きていくためには踏絵を踏む人間であるからだ。 いつの世も、弱い者の声はとりあげられない。沈黙のままである。 最後の部分で主人公ロドリゴに「踏むがいい」と声をかける『沈黙』のイエス。 「踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。 今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。 だがその足の痛さだけでもう充分だ。 私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。 そのために私はいるのだから。 強い者も弱い者もいないのだ。 強い者よりも弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」 主人公ロドリゴに「踏むがいい」と声をかける『沈黙』のイエスの心。 愛し、赦し、共に苦しんでくれるイエスに胸がつまる。 キリスト教迫害のわが国の歴史を背景に、殉教できずに転んだ(棄教した)人々。 いい変えるなら、いつの世にもいる弱きものの声なき声を掬いとろうとしたのが本書のテーマなのではないだろうか。 どんな苦難の中でも 「私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」 と共に苦しんでくれる人生の同伴者たるイエスの愛と赦しの語りかけがこだまするのである。 | ||||
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昔、職場の同僚から「日本文学屈指の名作」として薦められたが、当時キリスト教には殆ど関心が無く、読まないままになっていたが、 今年スコセッシ版の映画を鑑賞し、その内容に深く感動したので、原作小説も読む気になった。 で、読んでみると映画が原作に非常に忠実な作りになっている事に驚き、ページをめくるたびに、映像が脳内に甦って来て二度目の感動。 この作品に関しては、文字だけからではイメージが湧きにくい箇所が多いかと思われるので、「映画→小説」の鑑賞順序がお薦めです。 ただ、原作で惜しいのはエンディング、映画での感動的な演出が原作では無味乾燥な古文書スタイルで、数ページだけだが読み通すのに苦労。 ただ原作を先に読んで評価していた方々には、あのスコセッシ監督のエンディング脚色は評価が分かれる所かもしれない。 | ||||
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映画も公開と言う事で久々に読みたくなり購入。 遠藤周作はやはり良い‼︎ ネタバルするので内容は書きませんよ、是非読んでみて下さい。 | ||||
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本編は★★★★★。 しかしながら、最後の切支丹屋敷役人日記が古文のため全く読めません。 現代語訳を付けて欲しかった。 | ||||
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映画の予告編を見てこの小説を知り、映画を見る前に読んでみました。なんとなく途中で終わってしまったような印象がありますが、この物語が映画の中でどのように表現されているか見るのが楽しみです。 | ||||
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初めて神様とは何か考えさせられた作品です。自分が思っていた神様とは、なんてぼんやりしたものだったのか... そんな風に感じました。深い河など続けて夢中になって読んだことを思い出しました。必ず一度は読んでほしい一冊です。 | ||||
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遠藤周作さん。なぜかキリスト教関係の本を出されてる方というイメージしかなかったのですが、今回映画化をきっかけにプロフィールを目にすることがあり、ご自身がキリスト教徒であるという事を知り、それならばと思い読んでみました。とても面白かった。教科書の中の数行でしか知らなかった鎖国下の日本での布教で、宣教師達が苦しむ貧しい日本人達にほんの少しでも心の安らぎをもたらすため、死をも覚悟し海を渡って来ていた事を考えたことがなかったが、この本を読み胸が熱くなった。結果我慢できず映画も観に行ったが、映像を観ながら引き込まれる反面、踏み絵の場面などコントの様に感じてしまった。日本人であり無神論者の私は所詮信心について心から共感する事が今のところできないらしい。 | ||||
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遠藤周作氏が大きなテーマを読者に問いかけるような一冊。読了しても答えはなくむしろ泥沼に沈んでくかのように考えてしまう。 | ||||
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映画を観る前に読み終える予定です。読んで見たい一冊でした。早く届きました。ありがとうございます。 | ||||
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これまで読まずにきたが、スコセッシ監督による映画化のことを聞いて、読んでみた。心から、読んでみて良かったと思う。 キリシタンが禁止された江戸時代に長崎地方に来た宣教師の苦悩の物語で、キリシタンたちが弾圧・拷問されるシーンも多い。 にもかかわらず、読んだ後に、清々しい気持ちに満たされる。それは最後に主人公が、誰を恨むこともなく全てを受け入れるからなのか。 イエスがユダに言った言葉に関してずっと疑問に思っていた主人公が、物語の最後のほうで、その言葉の意図に気づく場面は、感動的だ。そしてその感動は、キリスト教徒だけが感じられるものではない。この主人公の苦悩とは比べものにならないほど小さいものでも、人は誰でも多かれ少なかれ、大きな力によって、自分の信念を表向きは曲げざるをえなかったり、夢を諦めざるをえなかったりしている。しかしそれでも、それによって初めて見える景色もある。初めて深い理解に達することもある。そんな希望を、この本は知らせてくれる。 | ||||
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本作は1966年に発表され、谷崎潤一郎賞を受賞した、遠藤周作(1923 - 1996)の代表作です。 ずいぶん前に読んだのですが、マーティン・スコセッシ監督の映画が公開されるのを期に再読しました。 江戸時代のキリシタン弾圧下における長崎で、ポルトガル人司祭ロドリゴが迫害されながらも、信仰とはどうあるべきか探し求めていく物語です。主人公ロドリゴ、彼の師フェレイラ、彼がマカオで会う巡察師ヴァリニャーノ、キリシタンを迫害する井上筑後守をはじめとして、登場人物たちは実在の人物がモデルにされています。 遠藤周作が長く苦しい闘病生活の後、長崎に旅したさい、一枚の踏絵についた黒ずんだ指の痕を眼にし、信仰をつらぬけなかった人々に思いをはせたことが、本作執筆のきっかけだといいます。それゆえ遠藤は本作で、ロドリゴと裏切者キチジローの二人が苦闘し苦悶する姿を、救済者キリストと背教者ユダの関係に重ねることで、信仰とは何か、背教とは何か、救済とは何か、を追求しました。 また本作の語りの形式は四つ。順番に、「まえがき」(疑似ノンフィクション的な記述)、「セバスチャン・ロドリゴの書簡」(一人称による叙述)、三人称による叙述、「切支丹屋敷役人日記」(疑似歴史資料的な記述)とあり、趣向がこらされています。 真ん中の二つはともにロドリゴの視点で語られますが、主観視点と客観視点とに区別されています。出来事が起きて間がない段階での緊迫感を伝えるのに効果的で、読み手が語り手の内面に没入しやすい書簡体形式では、ロドリゴに感情移入しながらサスペンスルフルな展開を読むことができます。一方で、少し離れたところから冷静に人物を描写する三人称では、心理的な距離をとってロドリゴの内面的な変化を読むことができます。 最初の疑似ノンフィクション的な記述、最後の疑似歴史資料的な記述。この二つの俯瞰的な視点は、物語のリアリティを強調するうえ、前者はヨーロッパ側の視点、後者は日本側の視点と両方の立場が設定されています。とくに後者は『査祆余録』という実在の資料にもとづいており、読者がこの物語の歴史性を実感して読み終わることができる仕掛けになっています。しかも、そこで示唆される内容にはわずかな救いがありつつも、それを「資料」という客観的かつ淡白な体裁で描くことで、湿っぽさを徹底的に排除しています。 以上のように語りの形式を使い分け、読者と登場人物の「距離」を巧みにコントロールする術には舌を巻かざるをえません。 今回再読して感じたのは、本作が様々な読み解きが可能な作品ではないかということ。迫害されるキリスト教側から見れば、異なる宗教に対する不寛容さ。迫害する日本側から見れば、西欧が非西欧に「布教」するという西欧側の驕り。両者ともに共通するのは、異質な文化や民族どうしが衝突したときのひずみだということです。そう考えると、特定の宗教を信奉する人々への差別、あるいは、「自由」「平等」「民主主義」という美名に隠された西欧文明による非西欧文明への干渉、といった現代の世界情勢にも通じるメッセージを読み取ることもできると思いました。 | ||||
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その時アジア諸国では... キリスト教が広まった地域では続々と植民地化されていた 日本に秀吉がいなかったらと思うとゾッとする 宣教師が海をわたらなければ世界はいくらか平和だったろうとつくづく考えさせられる そして八百万の神がどれだけ素晴らしい考えなのか改めて再認識させられた そういう点では星5つなのか | ||||
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歴史的事実の要素もありながら小説の魅力が完成された本当の名作と感じました。題名は「沈黙」なので、黙して語らぬ神という概念で書かれているのか、という疑念を持って読んだのですが、良い形で裏切られて、やはり「語る神」が描かれているとはっきり確信しました。生きてはたらくイエス・キリストがはっきり浮かび上がる、信仰的にも読み解ける作品だと思います。 | ||||
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江戸時代、鎖国中の日本では隠れキリシタンが密かにキリスト教の信仰を続けていたが、そうした人々にとって現世はあまりにも過酷であった。本書は、九州に密入国したポルトガル人司祭の立場から日本社会におけるキリスト教徒の葛藤、神とは、本当の信仰とは何かを描いた歴史小説である。著者の遠藤周作は日本におけるキリスト教に関する作品を多く残した小説家である。 本書の主題は先にも述べたとおり日本社会におけるキリスト教徒の葛藤、許し、神の存在、本当の信仰心とは何かということである。隠れキリシタンが密かに集合し本来のキリスト教の方法とは違った独自の本法で礼拝をおこなっている様子や、役人によるキリシタンへの卑劣で残酷な拷問の様子、結局は日本では土着の信仰により本来のキリスト教が根付かないという宣教師のあきらめの様子を描写することで日本社会におけるキリスト教徒の葛藤を示していると考えられる。また、キチジローという心の弱く裏切りを繰り返す人物を登場させることで、「許し」への葛藤をあらわしている。さらに、ポルトガル司祭ロドリゴの心情を丁寧に描写することで神への思いや、自らの信仰心に忠実に生き、他者のために背教者になることを選ぶ心理など、神、本当の信仰とは何かという点についても深く触れていると考えられる。そしてロドリゴは神との自分の心の中での対話により、ただひたすらに沈黙していたとおもわれた神の深い愛を感じた。 本書における重要な点は以下の二点であると考えられる。第一にイエスとユダを思わせるような、キチジローという人物を登場させた点である。弱い心のために何度も裏切りを繰り返しては許しをこうキチジロ―を登場させたことで、当時の日本社会においてキリシタンでいることの苦悩や、「許し」というテーマを際立たせたといえる。第二に、ロドリゴの心情を丁寧に描写したことである。キリスト教宣教師であることに誇りを持っていたロドリゴが最終的に棄教するに至るまでの彼の心境の変化をあらわすことによって神という存在とは、本当の信仰とは何かという主題が見えてくると考える。 最終的に何か結論が出るわけでなく始終苦しく救いのない話ではあるが、本書は当時の日本社会とその中で生きるキリスト教徒の葛藤を知り、信仰とは何かと考えることの出来る必読の書だといえるだろう。 | ||||
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ヨーロッパの貴族出身などの裕福な宣教師が、なぜ、日本を目指したのか? 豊臣秀吉が、キリシタン弾圧した理由、 宣教師たちが、棄教した理由、 主イエス・キリストは、沈黙されていたのではないのです、 そして今、我が国は、日本国憲法20条 宗教の自由の権利を得ているのです。 | ||||
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苦しいです。読んでいてとても苦しいです。 島原は私の生まれた町。島原の乱に始まり切支丹の弾圧に続く町。パライソはあるのか、無いのか。一筋の光を求めて祈り続けるだけ。そこに救いはあるのかなあ‥ 市川森一さんの「幻日」の後に読むとより歴史が分かりやすいと思います。 | ||||
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遠藤周作氏の本もエッセイも昔から好きでしたが、「沈黙」だけは読むのを避けていました。 拷問シーンが怖かったからです。 しかし、やはり、読むことにしました。 ロドリゴは棄教していません。むしろ、神を掴みました。フェレイラだって本当に棄教したかは本人にしか分かりません。 痛めつけられていうものを救うのは司祭らしい行為でした。 キリシタンとして彼もガルペも立派でした。 踏み絵をしたからこそ、棄教していないとも言えます。 モキチの殉教シーンは哀れでしたね。 「パライソの寺へ参ろうや…」歌声の悲しさで胸がいっぱいになりました。 なんと哀れな最期だったでしょうか、その辺りの文章はさすが、の一言です。 著者は以前、ご自分の事を「キチジローは私だ」とおっしゃっていたように思います。 キチジローを誰が責められるでしょう。信仰心はあれども、拷問を恐れ、踏み絵をし、家族を亡くし、帰る場所もなく、 そして、心の中では棄教しきれていない。 キチジローがなぜ踏み絵をしながらも、ロドリゴを売りながらも棄教しきれなかったか。 そこに信仰の意味を見ることも出来るような気もします。 ある意味、彼はイエスに捕まったのかもしれません。「深い河」の大津のように。 信仰の深さ、強さを感じます。 間違いなく、イエスはキチジロウを許した、と思うのです。 「俺ぁ、弱か、殉教さえできぬ」、いい加減なキチジロウですがこの言葉は真実に思えます。 まだまだ書きたいことはあるのですが、ちょっと考えがまとまりません、 物語がとても深いからだと思います。 キチジロウの事を今回、書きました。 次に書くことがあればロドリゴを書きたいです。 | ||||
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私の中では最高の部類に入る本。 映画公開を前にキンドル版を購入して読み直しました。 読み終わるとしばらく放心状態です。 | ||||
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いい年をして小説を読んで感動に震えました。ノーベル賞候補にもなったようですが、普遍的な価値があるのでふさわしいと思います。 | ||||
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約30年前の高校受験の模擬試験・国語に本作が使用されていました。問題をときながら「こんな本があるんだ、読んでみたい!」と思いテスト終了後本屋に駆け込んで購入夢中で読みました。 まだ中学生でしたから私にはある登場人物の行動が理解できず「なんでこんなことするの?裏切ってまた付き添ってまた裏切ってまた付き添って…。なにしたいのこの人?さっさと離れてしまえばいいのに!」と思ったのですがそれが人の業だと初めて知りました。 明るい話ではないし宗教色の強い作品ですが当時中学生だった私にもなんとなく理解できたし読み返せば読み返すほど理解の深まる作品です。 「オススメの本はある?」と聞かれれば真っ先に挙げる本で、数年に一度必ず読み返します。 暗い話なのになんとなく読み返したくなりその度に新たな理解をし登場人物たちと一緒に苦悩する本作、人生で初めて出会った『名作』です。 | ||||
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