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夏への扉
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【この小説が収録されている参考書籍】
夏への扉の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全493件 41~60 3/25ページ
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素晴らしい。すごく面白いです。シンプルで読みやすい本でありながら、深みがあります。物語は氷の上を滑るように進んでいきます。 | ||||
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SFとして、人間ドラマとして面白い。 読後感も良い。 この作品の主人公は猫を相棒と思うくらい愛しているが、猫の寿命は今のところ人間ほど長くない。 そこをどうするんだろうと思いながら読み進めていた。 ラストは猫好きの人、いや相棒としての動物と付き合い、死別した経験のある人ほど「そうしたいよな」と思える結末となっている。ハインラインの作品は癖が強いものが多いと思うが(それが味でもある)、本作はもっとも万人向けになっていると思う。 | ||||
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若い頃に読み、面白かったので電子版が有ったから再び読みました。これはSFですが、その何というか、一人の男の人生を描いた作品です。幸せを掴む話。その物語の構成は心憎いまでです。SFファンでなくても読んで欲しい。 | ||||
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ともだちのおすすめSFで読んでみた。 シンプルにこれはねこのSFだ。主人公とねこの掛け合い、そして主人公がねこのピートを大事に思う気持ち。自分がペットを飼っていなくても感情移入してしまう。 なのにSF。宇宙工学的理論ガチガチではなく、カラフルでファッショナブルな印象さえ与えるSFなのだ。とにかく主人公の心理描写がいい。こういうマニアックな人、いるよな。いるいる。 SF要素としては、保険を掛けて冷凍保存で未来に生きる、近未来の姿。でもこの物語の「未来」は西暦にて既に到来しているのだけど、追いついてなかったな。素敵な未来だった(という過去形)。 あらすじは書かないけど、ねこの話だと思って読むといいかもしれない。ずっとピートが気になってたまらない。 ちょっと感じるのは、これは男性の光源氏願望が若干入っているのかなということ。まあ、これも読んでみてのお楽しみかな。 ハッピーエンドが好きな人に向いている。読後感は結構好き。 | ||||
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初めてオーディオブックを利用しました。 オーデイオブックの企画自体はなかなか面白いものと思います。 そして私の感じる問題点はおそらく全てのオーディオブックに共通するものかもしれません。 その問題点とは、そもそも一人の男性が朗読していることの問題点です。 朗読者は声色を変えたり、口調を強弱をつけたりとそれなりに努力をしており、それは成功しているものの限界でもあります。 例えば女性のセリフを声色を変えて男性が話すのはまるでオカマが話しているよう。説明の中で美人と言われてもそうは感じられないのです。 これはもし、自分が小説を読んでいたら、頭の中で勝手にキャラの声を誰かの声優か役者をあてて読んでいたりするんじゃないかと思うんです。映画を見てからノベライズを読んだらそうなったりすると思います。またセリフも小説なら違和感なくても、朗読になってセリフを話した途端、違和感の大きいものが多数あります。 BGMもありません。 私は長年ラジオドラマが好きで多くのラジオドラマを聞いてきました。ラジオドラマは効果音、BGM、数人の役者が声色を変えて演技をするものの、女性は女性が声をあてるのが普通です。 これらには足元に及ばないのは朗読ですから仕方ないものの、もしも最低でも女性は女性の声、BGM,効果音(たとえば砂漠の中を車で走るシーンとか、ドアを開ける音とか)を丁寧に演出して作ることができたたら、もっとマシな作品になったと思います。 「夏への扉」事体は名作で、他の高レビューの方の意見であらかた間違ってないと思います。 たぶんオーディブックを聞いて、多くの人は最後まで聞かずつまんないといってやめてしまうんじゃ?と不安になります。 | ||||
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ロバートAハインラインは天才です。推せる作家ですね。昔は定番でしたが、今では時間経過に埋もれがちなので薦める価値があります。読み易くて楽しめる小説のお手本の様な作品がラインナップされています。 | ||||
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SFってやっぱ良いですね。久しぶりに宇宙壮大なドラマSFじゃ無いの読みました。なんかSFって深刻な話のを読んでしまう傾向にあったのですが、コレはすごくワクワクしながら読めました。地球滅亡や宇宙の危機など無いそんなSFもまたSFだなぁと…。 | ||||
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高校生のころはよくSFを読んだものだが、久しぶりにSFをまた読んでみたくなった。まだ読んだことのない名作はたくさんある。その中で気になっていた一つが、ネコが出てくるハインラインの「夏への扉」であった。この早川文庫[新版]表紙の「まめふく」さんによる絵は表紙買いしそうなほど素敵ではないか。 ハインラインは米国の1907年生まれで、日本では太宰治が同じ年の生まれだという。古い世代のイメージの強い太宰治と同じ年代の作家が、こんな未来的な小説を書いていたとは不思議な感じがする。本書は1957年の作であり、もう60年以上経っているので描写に古さも感じるが、そこに出てくる科学技術は2021年の現在でも実現されていないものもある。それが、本書の主要なテーマである冷凍睡眠とタイムトラベル(時間旅行)である。また、現在進行形で研究中の技術も出てくる。主人公の専門であるロボット技術もそうだ。「ほんものの肉でなければなどと贅沢をいうのではだめだが、そんなことをいうやつにかぎって、ハンバーグ・ステーキが、タンクで作られた肉か、天然ものの肉か、区別できはしないのだ」という2000年についての記述など、まさに現在最先端の代替肉の技術開発を予測できている。このように、SF小説における未来予測は当たることもあるけれど、当たらないことも多いというものだろう(もっと未来には実現することもあるだろうが)。 それよりも、普遍的な人間関係の物語が描かれているのであるが、想像上の未来的な状況設定の中で物語の限界が大きく広がっているところが、本書の魅力だと思う。それまでの30年間で、2回の大戦争、コミュニズムの没落、世界的経済恐慌、すべての動力源の原子力への転換などを経て、時代は1970年。恋人ベルと友人マイルズに裏切られて、主人公のダンは、飼いネコ・ピートとともに夏への扉を探すために、30年間の冷凍睡眠に入る。冷凍睡眠から戻ったダンは、何かに追い立てられるように、とにかく前へ前へと突き進む。ベルにも再会するが、「久しく前から、ぼくは、復讐という行為が、大人気ないものだという結論に達していた」と言うように、もうどうでもよくなっていた。あとになって、ベルという人間は、周囲を次々に不幸にしていく、犯罪者的なパーソナリティの持ち主であることもわかってくる。そして、最後の1/4くらいから、大きく展開する。起承転結の転である。何が起きたのかはここには書かないが、ダンよ、よくがんばったと言いたくなるような結末をむかえるのである。 繰り返すが、人間の物語+SF的シチュエーションの、ダブルでおもしろい小説である。もちろんネコも出てくるが、どちらかというと脇役かな。 | ||||
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新たな話 | ||||
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不朽の名作。 古典的SFであり、この表紙が実にしっくりくる。 前から読んでみたいと思っていたが海外作品の翻訳がどうも苦手で、また他の人気のある古典的SFでがっかりしたことが多かったので二の足を踏んでいたがついに読んでみた。 素晴らしかった。 何より最初の導入が見事。 これはSF作品ではあるのだが、SF的要素に重点がおかれているのではなくあくまで物語のためにSF的要素を入れた感じだ。 何かを諦めている人、人生に停滞を感じている人に読んでほしい一冊。 | ||||
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タイムリープものの原点(のはず)。 読みやすくて、読後の爽快感も最高ですね。 毎夏、パラパラとついつい手にとってしまう作品です。 | ||||
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文庫はまだ手元にあるけど、電子版で欲しかったのでkIndle購入。 古典SFの名作は、やはり面白い。今の感覚で読むと、タブレットみたいなものがあったり、いろいろ思うところはあると思うが、逆にこの作品が1956年に書かれたものだと思ったら、ハインラインは未来が見えてたのか?と思うところも多々ある。 あと新訳版も読んだが、やはり福島訳の方が面白い。1963年に翻訳されたものなので、まだ日本で知られていないことなどもあったと思うし、欠陥扱いは如何かと。(参考にはさせて頂きます) あと、初めて読むなら、この作品が65年前に書かれたものだということ忘れないで欲しい。 まだ人類が月に降り立つかなり前なのだから、その発想力に驚かされるはず。 | ||||
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新訳が出たのを本屋で知り、元から好きだったので購入したが、福島訳に慣れ親しんだ自分には、違和感と読みづらさがあり、数ページで読むのを断念した。 福島訳には、抜けや間違えがあるようですが、でも躍動感が違う。 他の方々のレビューや福島訳のレビューを読んで、ああ、ライトノベルみたいだから読めなかったのかと気づいた。ラノベに慣れた層はこちらでもいいかもしれないが、ラノベ文法が苦手な自分には合わなかったのかと思った。初めて読むならいいのかもしれない。 でも、やはり福島訳が好きなのと電子版が欲しかったので、新装版をkIndle購入。 これから初めて読むなら、この原作が1956年に書かれたものだということを念頭に置いて読んで欲しい。 65年前に書かれたもの、人類が月に降り立つ前に書かれた作品だと思うと、その凄さが分かると思う。 | ||||
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30年以上前に購入した文庫本の代わりに日常使いするために購入 | ||||
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福島正実訳は原文でももっとも重要な箇所をごっそり削除しています。小尾芙佐氏の新訳版は読んでいません。思い切りネタバレになります。最後のほうですが とすれば――昔ながらの"曲折する時間の流れ"とか、"多元宇宙"とかいう観念は、ついに正しかったのであろうか!とすれば――ぼくは、現在、次元の異なった宇宙のひとつに飛び込んでしまったのだろうか?リッキーがいても、ピートがいても、この世界は、以前の世界ではない別の世界なのだろうか?そしてどこか(あるいはいつか)に、ピートが、永遠に見捨てられて置き去られて、野良猫になってしまった世界が――そしてリッキーがついに祖母と一緒になれず、ベルの悪魔の爪にいまだにかけられつづけている世界があるのだろうか? いや、きっとそうではあるまい。おそらくぼくは、新聞を読みながら眠ってしまって、ぼくの名前を見落としたまま、翌日その新聞を屑籠の中にほうりこんでしまったのだ。ぼくは朝ぼんやりすることが多い。とくに、頭の中に、新しい発明のことでもあると、なんでも忘れてしまうことがあるのだから。 A) だが――そうだ、もしぼくがそれを見つけていたとしたらどうだったろう?そこへ行き、ぼく自身に会って、そして――気がくるってしまったろうか?いや、そうじゃない。もしぼくがそれを見つけていたら、ぼくはその後したようなことをしなかっただろうから。したがって、ぼくがあの時の自分の名をそこに見ることは、本来あり得ないことだったのだ。ぼくがそれを読まなかったからこそ、それが新聞に掲載されることになったのだ。 C) 時間旅行をしたのは、なにもぼく一人とはかぎらない。フォートは時間旅行以外に説明のつけようのないさまざまのケースをいくつも挙げている。アンブローズ・ビアースまた然り。さらにぼくは、かのトウィッチェル博士が、おそらく彼の認めた以上の回数、あのスイッチを押したにちがいないという気がしてならない。(kindle 4399/4705) A) But what would I have done if I had seen it? Gone there, met myself—and gone stark mad? No, for if I had seen it, I wouldn’t have done the things I did afterward—“afterward” for me—which led up to it. Therefore it could never have happened that way. The control is a negative feedback type, with a built-in “fail safe,” because the very existence of that line of print depended on my not seeing it; the apparent possibility that I might have seen it is one of the excluded “not possibles” of the basic circuit design. B) “There’s a divinity that shapes our ends, rough-hew them how we will.” Free will and predestination in one sentence and both true. There is only one real world, with one past and one future. “As it was in the beginning, is now and ever shall be, amen.” Just one…but big enough and complicated enough to include free will and time travel and everything else in its linkages and feedbacks and guard circuits. You’re allowed to do anything inside the rules…but you come back to your own door. C) I’m not the only person who has time-traveled. Fort listed too many cases not explainable otherwise and so did Ambrose Bierce. And there were those two ladies in the gardens of the Trianon. I have a hunch, too, that old Doc Twitchell closed that switch oftener than he admitted…to say nothing of others who may have learned how in the past or future. But I doubt if much ever comes of it. In my case only three people know and two don’t believe me. You can’t do much if you do time-travel. As Fort said, you railroad only when it comes time to railroad. 削除されたのは、Aからは > The control is a negative feedback type, with a built-in “fail safe,” と > of the basic circuit design Bはごっそり全部、Cからは > And there were those two ladies in the gardens of the Trianon. と > to say nothing of others 以降です。Aから削除されたのは「世界の仕組み」です。circuitは全部で24回出てくる重要単語です。Cの後半を削ったのでDoc Twitchell closed that switch oftener than he admittedの意味がわからなくなりました(博士が白状した以外にも人をタイムマシンに乗せたということ)。 > In my case only three people know and two don’t believe me. 「リッキィはタイムトラベルを信じた」が、サットン夫妻は信じなかったということです。ここも大事なんですが…。「トリアノンの幽霊」は二人の女性がタイムスリップしてマリー・アントワネットなどを見かけたとされる有名なオカルト事件です。twoをサットン夫妻ではなくladiesと誤解させるための「ひっかけ」のようです。困ったのはBで、直訳すると 「我々の終わりを形作り、我々が望むように粗削りする神意がある。」自由意志と運命予定説はひとつの宣告にあり、いずれも真実だ。あるのはただひとつのリアルな世界であり、ひとつの過去とひとつの未来しかない。「それははじめにあって、今であるように、永遠にあるだろう。アーメン(誠にかくあれかし)。」ただ一つの――しかし十分に大きく十分に複雑で、そのつながりとフィードバックと保護回路に、自由意志や時間旅行やその他すべてを含みうる。きみはルールの範囲でなんでもできる――しかしきみはきみ自身の扉に戻って来る。 こんな感じで、最後にちゃんと「扉」が使われています。 > As it was in the beginning, は新約聖書の「ヨハネによる福音書」 > 1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. であり、wordとworldのダジャレは定番です。 「われ、ダニエルは、ここになんじフレデリカを妻としてめとる……死がわれらを別つその日まで……」(4342/4705) He gave us eyes, two hands, a brain; anything we do with them can’t be a paradox. He doesn’t need busybodies to “enforce” His laws; they enforce themselves. There are no miracles and the word “anachronism” is a semantic blank. 造物主は、われわれに目を、二本の腕を、そして頭脳を与え給もうた。その目と、手と、頭脳とでわれわれのやることに、"パラドックス"などあり得ない。造物主は、その法則を施行するのに、お節介な人間など必要としないのだ。法則は、自らそれ自体を施行する。この世には奇跡などないのだし、"時代錯誤"ということは、語義学的には、なんの意味も持っていないのである。(4439/4705) busybodiesはeyesもhandsもbrainも使わない人、つまりintellectuals=mass manです。They enforce themselvesは「busybodiesは自らを服従させる」です。thereは「この世」ではなくbusybodiesで、the word "anachronism"は結婚の誓いの言葉のことです。Free will and predestination in one sentenceをsemanticで受けています。busybodiesなのはセックスしかしないということです。 AとBは作者の生い立ちに照らすとキリスト教プロテスタント派の教義「確証の教理」の「良心の確証」と「聖霊の確証」だと思われます。 ローマ人への手紙 8:15, 16には、2重の「信仰の確証」が述べられている。 ・第一の証しは「良心の確証」と言われるもので、「私たちの霊とともに」が、それを示唆している。ここに良心の証しとは、聖書の示す救いの条件を果たしたか、また、救いの前後で明らかな変化が認められるのか、などを理性的に、冷静に判断する時に、納得される類の証左である。 ・それに対して、もう一つの信仰の確証は、聖霊によって信じる者の内心にもたらされる直接的な証しであって「聖霊の確証」と言われるものである。(ウィキペディア「確証の教理」) もっともこの二つの区別はキリスト教にかぎらず普遍的に見られるものですが。自由意志と決定論はテッド・チャンとも共通するテーマです。Bのonly one real worldが"多元宇宙"を受け、不幸なリッキィや野良猫のピートがいる世界は存在しないことが示されるのですが、Bがまるごとなくなったため、福島訳には受けるものがなくなりました。英文小説には地の文にyouがでてくることがあり、普通は訳されないか適当に処理されるのですが、Bはあきらかに読み手への語りかけになっています。またBの > You’re allowed to do anything inside the rules…but you come back to your own door. をCで > You can’t do much if you do time-travel. As Fort said, you railroad only when it comes time to railroad. と言い換えています。タイムトラベルは万能ではないということで、これがないと「なんでもあり」になってしまいます。また神様を技術者にたとえているので"fail safe"であることは本質です。 最後は主人公はリッキィに21歳(自分の意志だけでものごとを決められる年齢)になったらコールドスリープするよう伝えます。なんの保証もない未来に行くコールドスリープは、リッキィにとっても主人公にとっても賭けでしたが、主人公はリッキィと結婚してからdivinityだと気づくという、ロマンチックなお話です。 この小説は自由意志、偶然や賭けをテーマにしており、チャンスに賭けることをよしとしています。古典的な神話のフォーマットをなぞっていますが、最後に偶然が「科学的な推論」で必然にひっくり返るのがおもしろみです。また「夏への扉The Door into Summer」はyour own doorですが、「sum-mer総取りする人」とのダジャレで、賭けに勝った人が総取りするということです。主人公はリッキィ、猫、仕事、名声、富とあらゆるものを手に入れました。テーマを知らないと題名の意味もわかりません。たまたまBが欠落したのではなく前後からも削っているところを見ると、福島氏は宗教的な話を嫌ったのか意図的に削除したようです。なにが「SFの鬼」ですか。デタラメじゃないですか。 | ||||
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映画化そして上映を機に、60年振りに新訳本が出版されていたのを発見しました。 SF・ファンタジー・理化学・恋愛・・・盛りだくさんの内容で、読後の爽快感が素晴らしく、何十年にも渡って度々読み返した1冊でした。新訳本書はどのように変化しているのでしょうか?楽しみでなりません。 | ||||
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ストーリーはベタだなと思うが面白い。 というより当時は斬新なアイデアだったものが、素晴らしさゆえに他の作品に引用され続けた結果、 現代のわたしたちには「よくある」と思えてしまうのだろう。 ただ、全体的に女性の描き方が現代ではとても……。 ヒステリックな浮気女は醜い老婆になって悲惨、 賢く優しい弁護士の妻はこちらの会話なんかまるで理解出来ない白痴だけど優しくて美人、 真実の愛を教えてくれるのは親子ほど歳の離れた幼女(未来の姿)だけ! ……ものすごく「女性」嫌いの作者だったのか…? 当時の感覚ではそれが普通だったのか…? 女はとにかく綺麗でおバカで従順なのが最高!という価値観がまんべんなく散りばめられてます。 これが2021年に邦画としてアレンジされるって、どういう感じなんだろう? | ||||
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名作の魅力をあなどっていた。 深く反省している。 この作品は、いつか読みたいと思いながらも、なかなか読み始められなかった。 いかに不屈の名作と言われようとも、半世紀以上も時を経た作品が読みやすいわけがなかろう。そう思いこんで、ためらっていたのだ。 映画化を機に読み始めたところ、もう途中では止められない! ぐいぐいと惹きつけられて、半日で読み終えてしまった。 主人公の機転、現代でも通用するエンタメ性、現実に起こりうるのではと思わせる描写……。 全てが相まっての名作だが、なにより翻訳の素晴らしさを実感した。 いまこの2021年に拝読しても、古さを感じさせない。 登場する彼ら・彼女らの姿を映像としてイメージさせ、主人公に共感してはらはらし…。 翻訳前の作品の素晴らしさはもちろんだが、この没入感は翻訳された文章の読みやすさあってこそだと思う。 なお作中で登場するアイテムは、姿は違えどロボット掃除機やAI、ペッパー君に連なる具体的なアイデアだった。 未来を切り取ってみせた、その先見性にも、ひたすら脱帽するほかない。 | ||||
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歴代のSF小説の中でNO1と言う人が大勢いる程の定番の名作です。小説についていた帯、爆笑問題がどうのこうの、のせいで、久々に読み返そうと思っていたのに読む気を削がれ、未だ再読はしていませんが(苦笑)、猫とSFが好きな方に特にお勧めの逸品です。 | ||||
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もうすぐ映画が公開されるので読んでおきました。 映画は面白いかどうかわからないけど、小説は傑作。やっぱりSFは良いなあと思わされる。 | ||||
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