火星年代記
- SF (392)
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レイ・ブラッドベリ(1920~2012年)は、米イリノイ州生まれ、高校卒業後に新聞の販売をしていたときに書いた作品(共作)でプロ作家となったが、1950年の『火星年代記』で名声を得、1953年に代表作『華氏451度』を発表した。作品にはファンタジックな雰囲気の短編集が多く、幻想作家として不動の地位を築いた。 『火星年代記』は、米国のSF関連雑誌「ウィアード・テイルズ」等に発表された短編群に、書き下ろし作品を加えた、26の独立した短編を連ねて一つの長編とした作品である。年代記の題名の通り、1950年出版のものは、個々の短編に1999年1月から2026年10月までの年月が付され、その順の構成になっていたが、1997年に発表された改訂版では、前書きを新たに書き下ろし、いくつかの短編を入れ替えた上で、全ての短編を31年遅らせて2030年1月から2057年10月の年月が付されている。 大まかなストーリーは以下である。 火星には既に火星人が文明を築いており、地球から派遣された当初の調査隊は全滅させられてしまうが、第4次調査隊が到着したときには、火星人は地球人が持ち込んだ感染症で絶滅していた。その後、地球人は続々と移住していくが、彼らは過去の火星人の文明には全く関心を示さず、地球・アメリカと同じ街を作り、同じ生活を送った。一方、地球では核戦争が勃発し、それを火星から眺めていた人々は、大半が地球に戻り、ほんの一部が火星に残ったが、地球は滅亡し、火星に残った人々も消滅する。そうした中で、僅か二つの家族だけが地球を脱出することに成功し、誰もいなくなった火星で、新たな火星人としての一歩を踏み出す。 私は最近まで、いわゆるSF(&ファンタジー)はほとんど読まなかったが(ディストピア小説でもある『華氏451度』は随分前に読んだ)、最近、有名な作品はひと通り触れておこうと思い立ち、『星を継ぐもの』、『渚にて』、『火星の人』、『あなたの人生の物語』等を読み、本書もその流れで手に取った。 それらを次々に読んでみてわかるのは(今さらだが)、一口にSFと言っても様々な作風があることだが、本書は、科学的根拠を重視するハードSFとは一線を画す、メッセージ性が強い寓話的な作品である。 ストーリー全体を、地球を旧世界(ヨーロッパのような)に、火星を新世界(アメリカのような)に置き換えて読めば、人類(主として西洋人)の歴史と現状を強烈に風刺しており、更に、我々の未来に強い警鐘を鳴らしていることは明らかなのだ。 本書が書かれたのは第二次世界大戦直後で、それから既に70年以上が過ぎている。しかし、今読んでも古さは感じられないのだが、それは、裏を返せば、70年を経てなお人間も社会も文明も大きくは変わっておらず、本書のメッセージが引き続き有効だということなのだ。我々は滅亡・消滅を免れることができるのか(或いは、我々が「新たな火星人」になることができるのか)、今一度考えるきっかけにしたい作品と思う。 (2024年6月了) | ||||
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中学3年生以来ですが、けっこう細部を記憶していました。 思春期に読んだ本は刷り込まれているようです。 それにしても、小笠原豊樹さんの訳文の素晴らしさ。 ブラッドベリの文章は詩だというけれど、 小笠原さんの訳文はもはや音楽です。 中村融さんには申し訳ないけれど、 足元にも及びません。 | ||||
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新版で再読。旧版では年代が1999~2026年だったのが、31年スライドして2030~2057年になっている。むかし読んだ時に感じた、SFなのに懐かしい感覚、既知感と未知感の綯い交ぜがよみがえる。 新版の前書きで、ブラッドベリは一種の「種明かし」もしている。12歳の時から、週1作のショートストーリーのノルマを自分に課していたというのは有名な話(see SFマガジン1965年5月号インタビュー)。しかし、これだとなかなか長編には至らない。24歳の時に、シャーウッド・アンダーソンの掌篇集『ワインズバーグ、オハイオ』に出会い、これだと思ったという。オハイオを火星に変えて、掌篇たちを年代順に並べる。すると、アメリカ中西部のエピソードの集合が火星の植民・開拓・消滅のクロニクルになる! さあ、あとは持ち前のイマジネーションと詩的感性の発揮のしどころ。 でも、火星人とはいったいだれのことなのか。それが読者の宿題として残される。 | ||||
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旧訳で読みたかった | ||||
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人類は救われたかもしれないけど火星は救われなかった。 あいつらが火星人であるものか。 あの地球人どもはは百万年ピクニックの後今度こそ火星をめちゃくちゃにしてしまうだろう。 | ||||
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