(短編集)
ウは宇宙船のウ
- SF (392)
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物語の終わり近く、主人公というか語り手の青年ジョニーに向かって、年長の男性マックダンが言うセリフ。 他の多くの本では、このセリフは、 “どんな対象でも、あまりにも愛しすぎてはいけない”という意味に翻訳されています。 ですが、この本の、大西尹明先生の訳では、 「この世の中では、なにを、いくら愛しても、愛しすぎることはない」となっています。 意味が大きく違う。 どっちが「正解」なんだろう?どうしても知りたくなったので、私は原文を確認しました。 (英語原文は、Kindle等で確認することができます。) この原文を、私のつたない英語力で直訳すると、たぶん「あなたはできない、愛することは、どんなものでも、あまりにも過ぎるほどには、この世界では」となると思うのですが…この文章を、どう受け取ればいいものか? 原文そのものが、あいまいで余白が大きい、読む人の心を試すような文章に見えて、 「そうなると、これはもう、翻訳する人自身の『人生観』の問題になるんじゃないか?」と思えてきます。 大西先生の翻訳を、特にこの「霧笛」については「間違った翻訳」と否定する意見があることも知りました。一方、肯定も否定もしない立場を取る人もいるようです。では、私は、どう考えるのか。 私は、 「正解はない。でも、逆に、どんな答えも間違ってはいない」と思うことにしました。 大西先生の翻訳については、さらに「言葉が難しい」「言い回しが古めかしい」という評判もあります。それは否定できない、と私も思う。でも、それでも、私は大西先生の翻訳が好きです。それはたとえば、 「CGの恐竜の動きの素晴らしさにいくら圧倒されても、それでも、古い昔のストップモーションアニメの恐竜の、あのぎこちない動きが、どうしても好きなんだ」というのと似ていると思います。 きっと、こんなふうに思うのは私ひとりじゃないから、この本は時を越えて再版され続け、いま私が新版を手にしているんだと思います。 | ||||
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関取花さんに勧められて読みました。SF好きな人にはたまらないお話でした。 | ||||
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きょうから寝るまえの読書は、なににしよう。本棚に残していたウィリアム・テン短篇集がとてもつまらないものだったので、どうしてだろうと思っている。かつておもしろいものだったと思っていたものがつまらないと思うようなものになってしまったのか、たまたま間違って本棚に残していたのか。表紙がレトロで、かわいらしいので本棚に残していた、レイ・ブラッドベリの短篇集『ウは宇宙船のウ』を読もう。読んだのが、むかしすぎて、目次を見ても、さっぱり思い出せず。記憶力の低下がはなはだしい。 1作目は、「「ウ」は宇宙船の略号さ」宇宙船に乗員として乗るのが夢の15歳の少年が主人公。成績が飛びぬけてよいので、アカデミーに入ることが決まった。しかし、アカデミーに入ることができても全員が宇宙船乗りになれるわけではない。厳しい競争が待っている。 2作目は、「初期の終わり」息子が宇宙船で宇宙ステーションに向かうところを、庭の芝刈りをしながら地上から眺めている夫婦。 3作目は、「霧笛」恐竜が灯台のところによってきて、霧笛に似た声で呼応する。 4作目は、「宇宙船」宇宙船に乗るお金を貯めていたスラップ工場の社長がいたが、ひとりしか行けないお金だった。宇宙船の実物大の模型のスクラップを買う。それに子どもたち5人を乗せて、宇宙旅行に出かけるふりをする。子どもたちは喜んでいた。妻は夫に「あなたは世界一の夫だわ」と言った。 5作目は、「宇宙船乗務員」父親が宇宙飛行士で、地球に戻っては宇宙に行きを繰り返していた。それを嫌がっていた母親と、乗組員になりたいと思っていた息子がいた。息子は父親に乗組員になるなと言われる。父親はこれでさいごの宇宙飛行だと言って出かけるが、宇宙船は事故に遭って父親は亡くなる。 6作目は、「太陽の黄金のりんご」太陽エネルギーを利用しようとするのだが、失敗した。 7作目は、「雷のとどろくような声」タイムトラベルもの。バタフライ・エフェクトを扱ったもの。西暦2055年から6000年むかしにさかのぼってタイムトラベルした。一行のひとりが一羽の蝶を踏み殺したおかげで、未来が変わってしまったというもの。 8作目は、「長雨」金星は降りやまぬ雨。雨のなかを3人が人工太陽ドームを探して彷徨う。ひとりは気が狂って仲間に撃たれて死ぬ。仲間を撃った者も途中であきらめる。動かずに留まる。3人目の男だけがあきらめずに人口太陽ドームに辿り着くことができる。 9作目は、「亡命した人々」ポオやアンブローズ・ピアスやディケンズなどの文学者たちが出てくる作品で、宇宙船が火星に到着すると、文学者たちの作品とともに作者たちも姿を消す。シェイクスピアのマクベスに出てくる魔女たちの呪いの言葉とともに。 10作目は、「この地には虎数匹おれり」ある惑星に着陸した宇宙船があった。その惑星のとりことなった乗員がいたが、船長は惑星を出る決意をする。 11作目は、「いちご色の窓」火星にきた一家の物語。夫は火星にいつづけたいと思っている。妻は地球に帰りたいと思っている。夫は地球から思い出の品物を取り寄せて、妻を説得しようとする。 12作目は、「竜」鎧をまとった騎士がふたりいた。竜退治に出たところが、ひとりは竜に引き裂かれた。竜の正体は蒸気機関車だった。 13作目は、「おくりもの」クリスマスの夜に火星に行く夫婦とひとり息子。クリスマス・ツリーのかわりに、光り輝く光を見せてやるという話。 14作目は、「霧と炎」放射能のせいで、一生が8日間しかない人類の話。その惑星では昼と夜の寒暖差がひじょうに大きく、太陽が昇っているときには焼き焦げ、夜になると凍えてしまうのだった。主人公は、苦労して宇宙船のところまで行き、仲間を助けに戻る。宇宙船のなかでは寿命が飛躍的に伸びる。 15作目は、「タイム・マシン」大佐のところに行って、昔話を聞く。老大佐がタイム・マシンってこと。 さいごの16作目は、「駆けまわる夏の足音」テニスシューズをはいた少年に荷物を運んでもらう話。SFではなかった。 | ||||
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ネイチャー・カンパニー様より購入させて頂きました。 2020/07/29に注文。翌30日に発送。本日2020/08/01に着荷いたしました。 また郵送用の梱包方法も良かったと思います。 ただ、最終頁の右上隅に鉛筆による小さな書き込み(古本屋さんが書く値段)があったのが気になりました。 それも古本の味と好意的に受け止めます。 作品の内容を今更語るのもナンセンスですので割愛させて頂きます。 良い買い物をさせて頂きました | ||||
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とても読みやすく、夢と希望にあふれる宝石のような短編集である。レイ・ブラッドベリの入門書として、最適であろう。ここでは、十八番の社会風刺や怪奇幻想の世界はありませんが、あふれるばかりの夢と希望に満ちている、手応え充分な一冊である。 | ||||
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