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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 581~600 30/36ページ
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小説を読み進めて、一体誰がこの世界を思いつくだろうか…?と驚かされた。 物語は劇的な状況に中に進むが、最初、読者は 主人公の子どもたちがどんな状況におかれているのか、 よくわからないまま読まなくてはいけない。 イギリスの片田舎にある寄宿学校に生活する生徒たちの生活ぶり、日常の小さなこたごた、 さまざまな性格の監督者たち…そしてその日常の中に、小さな謎が、目を凝らして見ると 数多くちりばめられている。 その小さな謎が明らかにされていくのは、物語が半分ほどに近づいてから。 読者は、子どもたちの本当の存在意義に、驚愕することだろう。 それでも物語は進んでく… 物語の異質性そのものにも驚くが、 同時に、些細な日常の出来事、表面的には何でもないやりとりに、 主人公たちの関係や心の趣が微妙に変化していくのだが、その心の 繊細な動きの描写が、筆者は絶妙にうまいのだ。素晴らしいくらいに。 そして何よりも素晴らしいのは、筆者が、子どもの側から物語を 書いていること。きっとほかの人だったら、子どもを見る人の側から書くと思う。 子どもの側から書くことに、よりオリジナリティを感じた。 | ||||
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読みはじめの印象はなにやら大友克洋『アキラ』のラボの子供たちのような.特殊な施設であることは何となくわかるのですが孤児院?の様ではないし、ミステリアスな施設に集められ育てられている子供たちの物語り。孤児院ではないことはすぐにわかります。彼らについては乳幼児期、まして肉親について全く語られないし語らないのです。これはいったいどういうこと?子供たちの中で、成人したキャシーが一人語り始めます。ミステリアスなんだけど、ミステリーではない、SF的ではあるんですがSFではない。「使命」とは?「提供」とは?「介護人」とは? 短く特殊な人生を刈り取られていく子供たちの透明感あふれる切ない青春と、やがて彼らに明かされるその事実。 かれらは人なのか、一体何者なのか。 読後のカタルシスには大切な人を失った悲しみと不思議な透明感と景色がいつまでも心に残ります。 | ||||
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作者の狙いかどうかわからないが、読者は主人公と一緒に彼女の抱えている闇と違和感とを、同じように抱えながら読み続けることになる。彼女の自分の中の闇の部分をあぶりだすようなこの回想という作業によって、読者は信じたくない、でもそうかもしれないと予感していた「恐ろしい事実」を知ることになるのです。非常に抑圧されて重苦しい作品です。 | ||||
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青春小説ですね。光景がまざまざと感じられるように映像的な書き方なので 美しいイギリス寄宿学校の雰囲気を楽しめると思います。 SFや社会派小説と思って読むと冗長で読み切れないと思います。 基本的にライトな感じで、サクサクと読み進められますが、 主人公キャシーが心のままに思いだして語るという形式のためか、 時間が前後する場合が多いのが、少し分かりにくく感じました。 作者のインタビューがwebで見られたので読んでみたのですが、 なるほどと思う感じでした。人は意外と運命を選べませんし、 どんな環境でも、良くも悪くも人間的に生きているということでしょうか。 | ||||
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私は初めてカズオ・イシグロの作品に触れました。翻訳ではありますがやさしい言葉づかいと一人称での語りは、読者を前にして静かに過去を初めて語る人のもつ真摯さを感じさせて新鮮です。私には全編を流れる白い背景と無機質な情景が印象になって残りました。その中に登場する人たちの姿形が現実味を帯びるのは卓抜な表現力のなせる技でしょうか。イシグロにとって読者は彼自身なのかもしれません。 臓器移植のために生まれ育てられる子供の心身の成長を学校という世界と学校(施設)を出てからの生活の流れの中で描かれています。そのエピソードは友人間の嫉妬だったり憧れだったり強い性の欲求だったりするのですがその背景には臓器提供者という定められた運命を密かに感じているという漠とした足かせが横たわっています。著者は最後まで臓器という用語を使いません。提供者とだけ それが読者の私には涙がでるほどやさしく感じられました。提供するものとその介護にあたるものとの間の埋まらぬ溝も最終章の重要なテーマです。この作品はおそらく「私は私」というはっきりした気持ちを強くもつ人よりも「私はだれだろう。私はどこからきてどこへ向かうのだろう」と自問自答する読者に多くの共感を得ることができると思います。 | ||||
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読みだしころは、Kathyの淡々とした語り口と、Hailshamでの出来事に、どんな物語性があるのかよくつかめず、なかなか入りこめませんでした。 短い通勤時間に読んでいたんですが、興味が持てなくなり、会社に置きっぱなしにしたくらい(笑) けど、しばらくしてちょっと長い待ち時間のトモに読みだしたら、一気に中盤まで話が進み、そこからはドラマに引き込まれ、気づいたら予想が全くできない展開に辿り、最後はとってもショックでした。 予備知識がなかったので、この本ってラブストーリー?スリラー?なんて思いながら読んでいましたが、まさかSFでもあったとは。。。 個人的には、ちょこちょこ通勤時間などに読むより、わーーっと一気に読んだほうが、もやもやせず、一気に楽しめるタイプの本だと思います。 読み終わると、Hailshamでの章における、何かよくわからないなー、と思っていた箇所こそストーリーの重みを感じ、また、Kathyのどこか醒めた、第三者的な表現が切なくなってしまい、読み返してしまいました。 | ||||
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私は何の予備知識も無く本書を手に取ったので、初めのうちは英国の孤児院を舞台にした話かと思っていたが、 読み進めるうちに段々と普通でないことに気付き、やがて子供達の驚くべき運命と様々な謎が明らかにされていく。 どこまでネタばれして良いのか悩んでしまうので、本書の素晴らしさを伝えるのは非常に難しい。 本書のテーマについては、大野和基氏のホームページの中のイシグロ氏へのインタビューにおいてかなり詳しく述べられている。 そこでも、本書はネタばれもからんでしまうので書評を書くのが難しいだろう、という様な事が著者自身によって述べられている。 その一方で、イシグロ氏は、「この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは重要ではない」とも語っている。 私は本書を続けて2回読んでしまったのだが、2回目の方がより深い感動を味わう事ができたので、確かに著者の言うとおりかもしれない。(一冊の本を続けて2度読むなんて事は今までなかった!) 本書の題名にもなっている「わたしを離さないで」という曲に合わせて少女時代の主人公が踊り、マダムが涙をうかべて見ている場面は非常に心を揺さぶられる。また、その時主人公とマダムがそれぞれどう思っていたのか、読者によって様々に解釈されるであろうという意味でも非常に奥の深い場面だと思う。 ちなみに「わたしを離さないで」という曲もジュディ・ブリッジウォーターという歌手も私は知らなかったのだが、ネットで調べてみたところ、ちょっとした驚きがあった事を一応付け加えておく。 | ||||
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本の帯に柴田元幸氏が現時点で最高傑作と書かれていたのを見て、期待して読んだが、自分はそうは感じなかった。正直言って、「日の名残り」を超えてないし、「わたしたちが孤児だったころ」の方がよい作品に思えます。 ヤングアダルトに読ませたい成人図書、アレックス賞も受賞したと帯に書かれているのですが、なんかずれているように思えます。 所詮ありえないクローンの若者達に感情移入して、自分達がいかに自由で恵まれているとは思い込めない。 作品に主役のキャシーがルースという、わがままで自分勝手な女性といつまでも友人関係を続けているのも疑問です。散々振り回されているのに、どうしてもっと早い段階で距離を置かない?それには相当の理由があってもよさそうだと思ったのだが・・・。 マダムや展示館やその他の保護官の度重なる不可解な出来事が興味をそそられるが、 その割にはオチが平凡すぎた。 それと、彼らの生い立ちについてが疑問を残したまま。 もし途中に「親」を捜しに行くエピソードがなかったら、気にならなかったけど、 彼らはどうやって選ばれてクローンになったのか、ここは結構重要ではないかな? | ||||
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端的に言えば、クローン人間候補を介護するストーリーだが、本来なら中心として描いてほしいクローンに関するところをほとんど描いていない。代わり描いているのは、実に瑣末でどうでもいいこと極まりない日常だ。これをだらだらと牛のよだれのように描いている。例えばクローン候補のガキが、周りのガキ共からイジメられているシーンがあるが、これについて将来このガキを介護することになるガキが、ネチネチと自分の心理を述懐する。このネチネチとした心理分析はストーリー全体を通して展開されることになる・・・。ネチネチと回りくどい事極まりないその表現にはつくづくうんざりさせられた。このガキもませてくると、いついつにセックスしましたなどと述懐することになるが・・・そのシーンにおいてもこのネチネチ心理描写が展開される。これが展開される度に、何度おいおい早く事の核心に迫れよと強く思わされたことか・・・。 この本は決してSFでは無く、介護日記だ。かといって介護対象者がクローン人間だから、真っ当な人間を相手にこれから介護や福祉の方向へ進もうと思っておられる方々には何の参考にもならない。この本を介護の参考にしようと考えて読もうとする人はいないとは思うが、しかしこの本の内容からいって、そのような読み方以外にどのような読み方があるのだろうか。 | ||||
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Kazuo Ishiguro はスタイルやテーマを一作ごとに変化させ、一か所に自分のスタイルを決めこんでしまうことがないが、じんわりと心に響くことは共通である。この作品はMary ShelleyのFrankensteinの流れを継ぐクローン人間の話である。心を持ったクローン人間たちが、自分たちの知らないところで進んでいる科学の流れに押し流されながら、抵抗もできずに運命に従って行く過程が描かれている。生産されてから、臓器提供で完結する一生のなかでの生活が、寄宿舎での生活、友情、自分の出所や将来への疑問、運命を知っていながらも残る生への渇望そして従順などとして、描かれている。人間の延命のための必要悪として、どうしようもない悲しみを背負ったクローン達の生活が抑えられた表現,常に静かな雰囲気の中で進むので、それだけ恐怖がじわっと感じられると共に、人間はどこまで科学を推し進めることが許されるのかとも考えさせられてしまう作品である。ほんの一部の人間たちがクローンの状況に心を痛め、改善努力をしているのがでてくることは慰めであるが、彼らとても科学の発達の勢いに,なすすべをなくしていく。クローンがもう現実のことであるから、単なるSFであったFrankenstein よりも恐怖が募るとともに、現代の我られに、問題提起をしている作品である。 | ||||
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本は読んだら大抵処分してしまう(欲しくなったらまた買えばいい)性分ですが、 初版で購入して以来、この本は手放せない魅力があります。 「リアリティが」とか「倫理感」とかいうコメントもありますが、 私たち通常人のメタファーと読む方が自然で意味を感じると思います。 著者自身のインタビューでも 「人の一生は私たちが思っているよりずっと短く、 限られた短い時間の中で愛や友情について学ばなければならない。 いつ終わるかも知れない時間の中でいかに経験するか。 このテーマは、私の小説の根幹に一貫して流れています。」 と答えていますし。 もし、10年後に、1年後に、もしくは明日人生がおしまいになるとしたら、 私は何を考え、何をするんだろう? 私にとって、これ以上のリアリティを感じセる小説は無いくらいです。 絶対おすすめ。☆5つ。 | ||||
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寄宿舎のような閉ざされた空間で子供たちが成長して行く過程を、介護人という人物の追想で語られるストーリーです。 普通の子供たちのような学校生活が語られる中で、所々に挿入される不思議な出来事がやがて来る不幸な未来を暗示する伏線として張り巡らされています。 そして成人した彼らを待ちうける悪夢のような悲しい運命が実に淡々と描かれていました。 似たようなストーリーを他で読んだことがあるので、途中から何となく結末は予想できましたが、それでも最後まで緊張感を持って読み続けることができました。 個人的に印象に残ったのは幼少期、小学校低学年時代の主人公たちの日常です。 こうした話は、通常「大人の想像する」子供時代というフィルターを通して描かれることがほとんどなのですが、本書ではとても生々しく子供の目線で描かれてました。 そのせいか、読んでいて私自身の遠い子供時代の忘れ去ったはずの出来事がいくつも思い出されてちょっと気味が悪いくらいでした。 そう、すっかり忘れていました、子供は狭い世界の中とはいえ、大人と同じくらい色々なことを考えている生き物だということを。 訳も優れているという点もあるのかもしれませんが、不思議な雰囲気や味がありおもしろい小説だと思います。 | ||||
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31歳の「介護人」キャシー・Hが「ヘールシャム」を回顧する形で展開する異質な小説。 「何」を語ろうとしているのか分からないまま、ヘールシャムでの生活や友人との交流が語られていき、この世界の中の現実に気がついた途端、心が凍り付く。 キャシー・Hの視点で、最後の最後まで「何か」をギリギリまで抑えた描き方にもかかわらず、その描いた物は強烈。 行間を読むというのではなく、小説後を読みたくなる希有な作品でした。 ……ネタバレでは書きたくないので、是非ご一読を。 | ||||
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カセットテープの表紙に魅かれて、単行本を選びました。 裏表紙の巻き終わったカセットテープは悲しくて耐え難く、 しかしにくい演出だと思いました。 トミーとキャシーと共に、マダムをたずねた際、同じ屋敷にいたエミリ先生の 「私達の保護下にある間は、あなた方を素晴らしい環境で育てること ―何もできなくても、それだけはしてきたつもりですよ。」 という言葉がまず、私の奥深いところをくすぐりました。 そして物語の終焉、キャシーと共に、 子どもの頃から失い続けてきたすべてのものの打ち上げられる場所、 ノーフォークを再び訪れた後、 私の中では様々な思いが湧き上がってきました。 読み手の個人史があぶりだされる一冊なのかもしれません。 読後、もう一度、第一部に戻ると、 物語の伏線に気づき、改めて作者の構成力に感嘆します。 疎ましいと感じていたトミーの癇癪が、実は“人間”性を端的に表現しており、 さらにいとおしくなります。 多感な10代の子ども達にも薦めたい。 読後に彼らが何を発するのか心に留めておきたい。 | ||||
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ただ、ただ、驚きです。 このような小説に巡り合ったことこそ僥倖と呼ぶべきだと思いました。 作者はカタカナの名前で書かれていますが、この作品は英語で書かれています。 その原文を訳した形となっています。 その訳者の方の才能でもあるのでしょうが、独特の文体になっていて、強くひかれました フィクションでありながらとてもそう思えない不思議な作品でした。 | ||||
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一見すると恋愛小説のようなタイトルだが、恋愛小説というわけではない。 社会派の問題提起作というわけでもないし、若者たちの切ない青春ストーリーでもない。 あるひとつの社会的な事象をテーマとしているけれど、かならずしもそのテーマに縛られない、もっとずっと広がりをもった作品だと思う。 物語は初めから終わりまで、一貫して主人公キャシーの生真面目な語り口で進んでいく。 進むというより、明かされていくといった方がいいかもしれない。 ひとつひとつの場面は、その手触りが感じられるほど細やかに描かれている。 最後には主人公キャシーの柔らかく、少しくぐもったような声が本当に耳元で聞こえるような気さえする。 主人公たちが育ったヘールシャムの記憶や、最後の場面で登場する湿地の風景が いつのまにか自分の中にもあることに気がついて、読み終わった後には、心が波立つような感覚を覚えた。 これは何もパラレルワールドの話ではなくて、現実に起こっていることなのかもしれない。 何かを犠牲にすることで、何かを成り立たせていく、そうした世界のあり方についていえば事実なのかもしれない。 人を愛すること、望む生き方を夢見ること、教育を受けること、自分が他者に人として認められること、 自分が他者を人として受け入れること、そんな当たり前のことができない状況にいる人たち。 私はマダムのようにそれを「かわいそう」と言って、泣くしかないのだろうか。 手を尽くしたけれど・・・・と。 この本には答えは書かれていない。 だからこそ、私は考えずにいられなかった。 キャシーやルーシー、トミーに対する共感が、そうさせたのだと思う。 他人と自分とは違う。けれど、自分以外の人にも、自分と同じように人生があって その価値を誰かが決めてしまうことなどできない。 キャシーやルーシーの人生も、自分のと全く同じ重さを持っている。 社会的なシステムや戦争や災害で、キャシーたちのように人生が奪われてしまう人もいる。 それは自分に及ばなければ、文字通り他人事だけど、そこに自分と全く同じような人生があったということに気がつけば、痛みを感じる。 私はそういう場面で、たとえばテレビで苦しむ人を見たとき、今まで見ないふりをしてきた。 知らなくても、私自身は生きていけることだから。自分がこうして平和に生きていられるのは、 どこかで誰かが苦しんでいるからだと、うすうす気づいていたのかもしれない。 劇的な展開もないし、誇張された表現もない。 けれどどちらかといえば冷静すぎるほど、 淡々とした話の中で、私の心は確実にとらえられていった。 キャシーやトミーの強さは心を打つ。 エンターテイメント性はないけれど、ぜひひとつひとつの場面を想像しながら、じっくりと読んでほしい作品。 | ||||
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カズオ・イシグロの小説は、「日の名残」とこれしか読んだことはありません。どちらも主人公の独白スタイルで、かつ非常に感情の抑制のきいた表現が独自の世界を作り上げています。このお話は、他のレビューにもあるように、パラレルワールドというか、ちょっとSF的なのですが、むしろどこにでもある青春期の心理劇なのかなという感じもあり、どちらにしても、キャシーとルースとトミーの微妙な関係がもどかしいような懐かしいような。でも、読み進むうちに、3人ともが、いや登場人物の多くが、生まれついての「使命」に支配され、成長するにつれ「使命」が日々の生活に決定的な影を落としていくことがわかります。しかし、私が一番印象的に感じた、というか絶望的に感じたのは、「使命」に翻弄されているはずの彼らの節度を保った生き方と、外の世界(=私たちにとっての日常の世界なんですが)の人々の果てしなく膨れ上がってしまった欲望とが、あまりに対照的であることです。読み終えて、まずは登場人物に感情移入して涙してしまいましたが、その後で、どちらが人生の本当の意味を知っているんだろう、と思い、考え込んでしまいました。作者がどこまで考えて書いたかわかりませんが、読めば読むほど深い世界が広がる小説です。 | ||||
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「何とも説明のできない本」。この作品について、そんなふうに紹介しているラジオ番組を聞き、興味を持って読み始めた。 で、読了後の結論としては「設定やあらすじは簡単に説明できるが、内容についてきちんと話をするのは難しい」というもの。 全体の雰囲気は、SFのようでもあり、あるいはミステリーの風合いもある。 内容について、ある人は臓器移植がテーマだと思うかもしれないし、別の人は誰もが抱えているエゴについて描いたものだと感じるかもしれない。 そして読み終わったあと、「だから、何?」と思う人もいるだろうし、哀しみの涙にくれる人もたくさんいる。 そういう意味では、いったい何がよかったのかといわれると非常に説明しにくい本ではあるのだが、それでも自分は、この本を誰かにすすめたい。 すべての人間は、いずれ死を迎える。 それがわかっているのに、なぜ、平静を保って生きていけるのだろう。 すべては無にかえることを知っているのに、なぜ、がんばらなくてはいけないのだろう。 この作品は、読んだ後もずっと頭の片隅に残り、自分にそんな問いかけをし続ける。 | ||||
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重い読後感だった。 私はもう40歳代だけど、あと10年後、20年後に読んだら何を思うだろう。 前半部分は語られない「謎」。淡々と語られる学園(?)生活だけど、妙なずれ、違和感がある。 果たしてこの子ども達は何者で、ヘールシャムとは一体何なのか。 これはまさに、人生の初期に私が体験したことそのものだった。 大人に守られ、コントロールされて始まった歩み。何が起きているかわからないままに 草木がすくすく伸びるように、身体も心も勝手に成長していく。 自分は何者か。何を目指してここにいるのか。 やみくもに毎日、目の前の友達、学校、勉強、親と格闘しているうちに ある日ふと高みに登って、自分の周りを見渡す瞬間が訪れる。 本書では中盤にそのことが運命、”使命”として、「保護官」から明かされる。 後半では、その宿命づけられた事実とどう向き合って生きていくか、 結論は読者それぞれに任せて、淡々と登場人物の視点で日々の暮らしが描写される。 読みながら私自身も自分の人生を再度生き直していた様な、鮮烈な読書体験だった。 読後、自分の来し方を更に上空から俯瞰しているような感覚に陥った。 たとえば、エミリー先生とルーシー先生の対立などは、日常教育育児の現場で 議論されることそのものではないか。 そして、避けられない事実を知ったときに私達は現実とどう対峙するか。 キャシーも、トミーも、ルースも、必死に足掻いた。 さて、折り合うか。戦うか。乗り越えるのか。ただただ流れに任せるか。 おそらく、どの在り方も肯定されてしかるべき、という著者の視線を感じた。 たぶん、その現実は本書のような事象ではないにしろ誰しも多かれ少なかれ持っている筈のもの。 私は本書を読んで、少し死が怖くなくなった気がする。この三人のように、静かにしていればいいのだ。 本書の優れている点は、このような人生の描写と、「謎」の中心である社会問題が 二重になって折り重なり奏でられるところだろう。 私は、本書のメインテーマはあくまで前者であり、これを鮮明に打ち出すために この「謎」を背景に用いたのではないかと思う。 使い古されたテーマでは、既にステレオタイプな感想しか抱きにくくなってしまうから。 今読んでも素晴らしい本だけれど、10年前に読んでいたらどれだけ衝撃を受けていただろうか。 まあ、当時はまだ出版されていない訳だけれど… | ||||
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非凡な運命にあるヘールシャムの子達の人生を緩やかな語り口で主人公が回想しながら語っていく。彼らを待ち受ける運命は序盤でじわじわと明らかにされ、読者もうすうす感じていた予想と重なる。この作品は彼らの運命の是非を問うものではなく、それを静かに受け入れて生きていく主人公達の普通と変わらない牧歌的な青春期の生活を描写し、彼らの感情を丁寧緻密に描き出す。話全体が緩やかで自らの運命に抗う事無く進んで全うしてゆく彼らと同様、一本の川のように静かに流れじわりと心に波紋を与える作品。 | ||||
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