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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全714件 621~640 32/36ページ
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| この本の前に日本のかなり有名なベストセラー作家のものを読んでました。が、<わたしを離さないで>を読み始めたトタン(トタンですよ)あまりの違いにグラグラしてしまった。圧倒的な創造、構成、描写。 ヘールシャムそして施設を取り巻く風景が<よみがえった>感を抱いてしまった。 SFちっくな設定はまったく気にならないどころか何故か当たり前のように頭にはいってくるから不思議だ。 読み始めてから閉じることができず終盤を前に致し方なく倒れるように寝てしまい翌日通勤の電車で読み終えた。落涙しそうになったが懸命にこらえた。胸の中央に集まってくる感情、感動。 素晴らしい翻訳をされた翻訳者に感謝。 久しぶりに文学の喜びを享受した。 | ||||
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| 通常小説とはフィクションとは言うものの、その一つ一つの部分はリアルに基づいて構成される。 登場人物の職業(ステータス)もその一つだ。たとえば作家やフリーター、学生など現実に存在する職種、かつ作者自らの経験や 取材に基づいているため、そこにはかなりのリアリティがあり、読者は場面を思い浮かべ、登場人物に感情移入しやすくなる。 しかしこのフィクションはそのような類の読者の共感を拒んでいる。 というのも、「介護人」という職業は現実には存在しないからだ。 では「介護人」とは何か? この物語は言ってみれば簡単だ。 臓器提供のために作られたクローン人間が、自分たちなりに己の運命を考え、 それを受け入れながら我々と変わらない青春を謳歌していた。という話。 そして介護人とは、どうやら自分より先に提供者になった者の世話をするという仕事のようだ。 もちろん存在しない介護人経験者に取材するわけにもいかず、このような完全なるフィクションが 一人の人間の頭の中で生まれたということは、まさに奇跡としか言いようがないだろう。 いきなり「クローン人間」など出てきて、しかも出版社も早川書房だから一体どこのSFだ? と驚かれたかもしれないが、英国きっての作家だけあってテーマは非常に「文学的」になっている。 この小説のキーワードは「運命」と「奉仕」だと思う。 どうせ抗っても抗いきれずどうしようもない運命なのだから、受け入れた上で他人のために生きようじゃないか、 という現代の都会人に欠けたものをこのようなカタチで提示しているようでもある。 そういう意味で、共感しにくいはずの登場人物のはずがごく自然に共感でき、繰り広げられるリアリティに圧倒される。 カズオ・イシグロ独特の静かで抑制の効いた文体でどこかミステリアスな雰囲気をかもしながら、 物語は現代から過去の出来事を想起し、自然に現代に戻りまた昔を思い出すという、これも作者が得意とする構成により進んでいく。 文庫版には訳者あとがきも付いており、いかに丁寧に訳し上げられたかが分かる。 こころの表面的な共感や感動ではなくて、たましいの奥深いところを掴まれて震わされる傑作です。 | ||||
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| 奇抜な単語はほとんど使われておらず、誰もが知っている語彙の組み合わせで、これほど特殊な、しかも心を打つ世界が作り出されていることにびっくりします。 よく理解できない状態から読み始めることになると思います。謎が気になって終盤までほぼ一気に読み進み、最後は私自身、この小説の世界をすべて受け入れる気持ちになりました。基本的には、切ない内容です。人を泣かせようとするような大げさな表現は一つも使われていないのに、最後は涙が止まりませんでした。 読書からこういった感情や、生きることに対するある種の思いを得られたことは、素晴らしかったと思います。多分この本を手放すことはなく、ずっと手元に置く一冊になりそうです。 | ||||
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| カズオイシグロの作品は独特の雰囲気を備えていてどの作品にもそれが貫かれているのが固定ファンを“離さない”理由のひとつだと思う。今回も裏切られることはなかった。崩壊寸前にまで追い込まれるアイデンティと知らないうちに持っている差別意識やエゴ。また新作を待ち続ける長い日々が!! | ||||
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| この本を読んだのはもう数年前。 でも、未だに消えることのない、心の中に漂う悲しみや切なさや絶望。 つい最近、もう一度読み返してみる。 誰しも生まれる自由はない。 親を、環境を選んで生まれることは、出来ない。 この作品における極端に特殊なシチュエーションはメタファーに過ぎないと思う。 恐らく私たちすべてに言えること。 生まれ持った宿命を許容するとは、どういうことなのか・・・。 不幸な、あるいは自分が望まない「環境」を努力で変えていける人も確かにいるだろう。 しかし、多くの人は生まれた環境、両親、家業や立場(長男だとか一人っ子だとか片親だとか孤児だとか)の中でもがき苦しみながらも、許容して生きているのではないだろうか。 この作品を読み終えて私の中に、「許容とは何なのか?」 という疑問がずっと停滞したままだ。 もしかしてその答えは、一生かけて見つけていくようなものなのかも知れない。 そのテーマを得ただけでも、私にとってこの作品は、カズオ・イシグロという作家は、マイベスト、だと思う。 他の、「日の名残り」、「私たちが孤児だった頃」、「浮き世の画家」なども、 基本的にこの作家が投げかけているテーマは同じ、だと思うので、そちらもお勧めしたい。 日本が産んだ、世界で読まれている偉大な作家だと思う。 | ||||
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| 『タイム』誌の「オールタイムベスト100」(1923-2005年発表の作品が対象)に選ばれ、柴田元幸氏によれば彼の「最高傑作」ということなのだが、私としてはどうしてもうまく小説の中に入り込めなかった。翻訳の大家の判断を前にして言うのは気が引けるが、とても正直に言うと、駄作ではないが、決していい作品でも成功した作品でもないと思う。 物語は1990年台のイギリスを舞台に、臓器提供のために生み出されたクローン人間(彼らは「提供者」と呼ばれ、提供者になる前は彼らの世話をする「介護者」を経験する)によって展開される。主人公で語り手のキャシーと、ルーシー、トミーは世間から隔離された施設ヘールシャムで育てられ、やがて介護者として外の世界に巣立っていく。キャシーは介護者として優秀で、ルーシーの介護者をし、彼女が臓器提供で世を去る(「使命を終える」)と、トミーの介護者となる。この段階で、二人は愛し合っていたことを確認し(その愛はルーシーがトミーの相手だったためそれまで実現していなかった)、提供を猶予される期間を申請しようと責任者と思しき「マダム」を訪ねるのだが、すべては根も葉もない噂であり、提供者は決められたとおりに「使命を終える」以外にないことをヘールシャムの責任者エミリ先生から伝えられる。トミーもやがて使命を終え、キャシーも介護者生活を終え、提供者となる。――とても大雑把に要約するとこんな物語である。 小説の第1部と第2部はヘールシャムとそこをでて介護者となるまでのコテージ時代に当てらているが、生理的に不愉快だったのが、その語りの文体と、生徒の一挙手一投足や噂をめぐる学園ドラマ調の物語展開である。「ルースががっかりして帰途に着くことなど誰も望んでいません。あの瞬間、これで安全だと誰もが思いました。そして、すべてがあそこで終わっていれば、確かにわたしたちは安全だったのです」とか、「このときは目をつぶりました。先輩たちに混じっている場で忘れた振りをするのは、百歩譲って、よしとしましょう。でも、わたしたち二人だけのとき、しかも真面目な話し合いの最中にやられたのでは、さすがに我慢できませんでした」といった文体とレトリックと内容。これは一体何なのか? イシグロ自身の文体と、訳者の文体(訳文自体はとても読みやすいのだが)の共同責任といったところだろうが、安手のおとぎ話を読まされているようで寒気がしてきた。 本書の内容は、遺伝子工学と臓器移植の問題を背景にしている。政府はクローン人間の製造とその臓器提供を法制化しており、すべては合法、キャシーたちは「提供者」としての運命を甘受して死んでいくしかない。気になるのは、この小説では、臓器移植やクローン人間の倫理的な問題が扱われているようで、じつはまったく扱われていないということである。すべては所与としてあり、描かれているのは、それを甘受する何人かの人間の姿だけだ。「抵抗」や「反乱」の可能性はない。そして、避けがたく過酷な運命を前にした人間の姿ほど人を容易に感動させるものはない。その意味で、本書はきわめて安易であるともに、本質的な問題はすべて避けられてしまっている。 たとえば、生殖機能を持たないクローン人間を安定して作る技術があれば、今日話題になっているような再生医療が可能になっている可能性はかなり考えられる。またこれほど大々的な臓器移植が行われているからには免疫の操作に関する飛躍的な技術革新があるはずだが、そうした免疫技術は当然癌治療に新しい道を開くはずで、その場合、倫理的に言ってもきわめて問題のある本書のような政策が行われるのか、きわめて疑問といわざるえない。結局、本書はできの悪いSFといった趣きがあり、「本当らしさ」の設定が正確に行われていないのである。 言いかえるなら、本書における臓器移植やクローン人間は結局「意匠」にすぎない。戦争のような避けがたい運命における人間の運命といったものでも、同じ物語を語ることができてしまうだろう(彼らはいわば出征する兵士である)。そうした個別的な経験の質のようなものを捉え損ねているところが、本書の最大の欠点であり、それは、本書が臓器移植がクローン人間の問題についてきちんと突っ込んで描いていないことに起因しているように思われる。しかし、優れた小説とは、何物にも変えがたい(と思わせる)リアリティを読者に伝えられなければならないもののはずである。 | ||||
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| カズオ・イシグロの小説は何より文章が平易でありながら美しく、ナレーターが時系列で記憶をたどるというパターンを取るものが多いので、読みやすい原書から入りたい日本の読者にはとても適していると思う。 Never Let Me Goの場合、クローンで生まれた子供たちの孤児院という設定から、これは純文学なのかSFなのかという戸惑いのようなものが常につきまとう。その上、クローンだったのだという情報さえ、半分以上を過ぎたところ(この版では166ページ、)でようやく出てくる。カズオ・イシグロが比較的長い休みの後にクローンの子供を題材にして何か書いているらしいという噂は早くからあったが、その背景情報を知らなければ(一体何が起こっているのか)という不安感のようなものを抱きながら読み進まなければならない。 「Never Let Me Go」というタイトルは架空のジャズシンガーの歌の題名から来る。長い間子供を欲していた女性がようやく自分の赤ん坊を手にし「私を離さないで」と歌う。(コンテキストから言うと「私を離れないで」だがletが入るところに視線のひねりがある。) 望んでいた赤ん坊が生まれたと思ったら今度はそれを失う恐れを抱くことになるという、この歌詞の中の女性の悲哀と、生まれた時からすでに臓器ドーナである、つまり、犠牲者であるHailshamの生徒、Kathy、Ruth 、Tommyの悲哀があまり結びつかないことに多少違和感があった。 全編、胸の痛くなるような哀愁と忠誠(イシグロのよく取るテーマである)の痛みがある。失ったものを取り戻せる場所である筈のNorfolkで、ナレーターのKathyが静かに涙を流す最後のシーンが特に美しい。 | ||||
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| 非常に抑制された静かな語りですね。語り手キャシーの豊かで温かい感性が、幼い頃のヘールシャムでの生活から、その後の日々を生き生きと語っています。人と人との交流がとてもリアルで、穏やかです。その日常の中に、ちらりちらりと謎めいたものが示されますが、決してあざとすぎることもなく、自然にひきこまれていきました。 このキャシーの豊かな感性そのものも、作品の中核に繋がるものなのだなと気づかされました。作中での「感性豊かな絵画作品」と同様のポジションなのではないでしょうか。 非常に特殊な設定の物語ですが、ここに描かれている「抑圧するもの」「利用されるもの」「差別的感情」「死生観」などなどは、普遍性を持っていると思います。 | ||||
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| 単行本が出版された時から、気になっていたのですが、本の重さとたぶん内容も重いのではないかと考えて、手が出ませんでした。今回、文庫になったので、いつか読むつもりで購入しました。実際、読み始めは頭の中に、様々な疑問と「もしかしたら?」という恐ろしい予測が渦巻いて一章ずつ辛抱して読み進めるのがやっとでした。第一部の後半、「やはりそういうことだったのか」ということが分かってからは、次の展開が知りたくてどんどん読みすすんでいきました。 第三部に入ってから読了までは、読むことを止められず、悲しいとか感動したとかそういった感情の動きが一切なかったにも関わらず、自分の眼から涙があふれて頬をつたっていくという初めての経験をしました。読み終わった後、もう一度、苦労して読んでいた第一部を読むと、そこには結末を知ったからこそわかる精緻な表現があり、作者の構成力に感嘆しました。 柴田元幸さんの解説に「作家が想像力のなかにとことん沈潜したその徹底ぶりによって、これまでのどの作品をも超えた鬼気迫る凄味と、逆説的な普遍性をこの小説は獲得している」とありますが、そのとおりだと思います。「この世に生を受けることの意味」と「おそらく罪悪感から生じるであろう中途半端な正義、あるいは理想主義の、残酷」を深く深く考えさせられた作品でした。 | ||||
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| 異常な運命を辿る主人公とその仲間の生徒たちの日常と思い出が落ち着いた調子で綴られている物語。 無人の風景に想像を膨らませたり、グループの中での自分の居場所を確立するための攻防がとてもリアルで、微妙な均衡の探り合いが日常を構成していることが身にしみた。 自分より恵まれているにしても、過酷な暮らしをしているにしても、わたしたちは自分たちとその仲間以外を、本当に、自分や仲間と同じ人間だと絶えず実感しながら生きていると言えるだろうか。 理解できない奇妙な生き物、あるいは神聖な存在、哀れむべき対象として、それにふさわしいとき以外は、いないこととして生きていないだろうか。 自分の幸せに浸るために、自分の目的を信じて全うするために、ときには自分で自分を慰めるために。 高層マンションのペントハウスにすむ人も、今日の宿に困る人にも日常はあって、特にその子ども時代は、他の人には異常であっても、その人のルーツとしてよりどころとして存在し続ける。 そして、人間が誰かとそのよりどころの感触を分かち合うとき、私たちは相手を同じ人間として深く意識できる…。 この小説を読むことは、主人公たちとこの感触を分かち合うことだ。 もし仮に自分たちがこの小説の世界に存在していたとしたら、自分たちはおそらく彼らを人間だと意識しない相手である。 しかし、この小説を読んで、彼らを人間だと思わないでいることなんてできないだろう。 人間を人間として見ること。この小説を読んで、それが「命の価値」とか「生きる意味」なんて陳腐な言葉よりもずっと、私たちが意識すべきことだと思った。 誰かが死んで泣ける物語がいい物語だと思っている人には、ぜひ一読をお勧めする。 | ||||
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| この物語の特異な輪郭が見えて来たとき、 つき合う価値があるかなという不安がアタマをよぎった。 作者の勝手な空想につき合わされ、 ぐるぐる引き回されて、最後は元の場所、というような。 活字好きな僕は別にそれでもよかった、本が読めれば。 でも読んだあと何も残らない というような読書体験はできれば避けたい。 果たしてそれは杞憂だった。 特異な設定の主人公と共に遠くまで旅をした。 その主人公の切実さに共感した。 自分自身の切実さに通じていると錯覚(?)すらさせられた 不安を燃料にした車に揺られ、うとうとと夢を見ながらずいぶん遠くまで来た。 多分ノーフォークあたりまで・・・。 今、本を閉じ、車は僕を乗せずに行ってしまった。 でも、今も、同じ車に乗っているような感覚が拭えない。 少し遠くまで来すぎたみたいだ。 一人の帰り道は長くて寂しいものになりそうだ。 | ||||
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| 現実と異なった背景・道具を用意し、読者が作品と現実を重ね合わせるなかで、現実の中の普段気づかずにすごしていたり忘れようとしているものに直面させてくれます。背景・道具立ては「SF小説」的ですが、内容は現実的です。 主人公の置かれている境遇は一見特に悲惨ではあるけれども、では、今まさにわれわれの置かれている境遇とどう違う? 子供のときの幸せや漠然と感じた恐怖、大人への不信感やあこがれ、はなんだったのか? 自分のなれるもの、できることが限られているとわかったときに、どう対峙すべきか? 読んだあとにいろいろと考えさせられました。 ただ、主人公の視線で語られてはいても、主人公の生き方に感動させられはするものの、著者の考えている事は主人公のたどった道を全面的に肯定しているのだろうか、とも思います。 | ||||
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| 読み進むにつれて、ふいに伝わってくる暗く嫌な予感。描かれる若者たちの真の姿が分かった時に襲ってくる、ガーンと鈍器で殴られたかのような衝撃。読み終わってしばらくしても、死体でも見てしまったような、嫌悪を伴う不思議な感覚が離れませんでした。 何となく予感していたけれど、よくもこんな場所に連れてきて、こんなものを見せてくれたな、と著者を呪いたくなったぐらいです。笑) 小説の特殊なプロットから言うと、なるほど様式には、SF、ミステリーの要素はありますが、その特殊なプロット=世の中を眺める窓枠、が覗かせてくれるのは、「わたし」や「あなた」も含めた、ごくごく普通の人間の生命そのものの意味ともいうべき、根源的、普遍的な主題です。なので、この小説をSFに限らず何かのジャンルに分類して語ることは、余りふさわしくないかもしれません。(もし、そのせいで読むチャンスを逃す人がいるならば。) 「日の名残り」も彼の傑作には違いありませんが、自分にとってはこの作品の方が衝撃であり、大切な作品になりました。\800円になって、しかも軽くなったのなら、お買い求めにならない理由はありません。 | ||||
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| まず、この小説が何について書かれているかとか、どんな展開かとか、どんなトーンの物語だとか、 とにかく、なにも言いたくない、読み終わってそう思える小説だ。 なぜなら、私自身が先の展開が気になって仕方がなくて、 そのため一晩を挟んで足かけ二日で一気に読んでしまったのだから。 この作家の本を読むのは初めてで、本当のところ原書で読みたかったのだけど、 原書で読むのは時間がかかるので、読みやすくて字の大きい訳本のハードカバーにした。 だから、どんな文体なのかしらないのだけれど、これだけははっきり言える。 あっと息をのむようなスリリングな話の展開では決してないし、そんなイベントもおこらない。 でも、確かにぞっとするものを内包したなにか大きなミラーボールのようなものが、 同一中心をもつ一回り大きな和紙かなんかでできた球体に覆われていて、 ちろりちろりと洩れ出てくる光にいざなわれての一気読み、という読書体験でした。 読後にもあれこれ読者に想像の余地を残して置いてくれる本という印象。 | ||||
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| そもそも「提供」とは? 誰が、一体何を、どのようにして「提供」するのか? ロスト・コーナーとは? 忘れられた土地? 寮の4階にある遺失物保管所って一体? イギリス・ノ−フォークには何があるのか? "教わっているようで、教わっていないこと”とは何? 「ポシブル」って? 冒頭から、謎がなぞを生み、読者を変な世界に引き込むイシグロの領域。 「ヘールシャム」には一体、何があったのか? 単行本、この文庫本共通のカバーになっている"カセット・テープ”の秘密とは? 種明かしはしたくてもできない、寧ろしないほうが絶対にいい、予備知識なく読んだほうが圧倒的に面白い。 (実話をもとにしたのかどうか、イギリスってこんな国だったのかということ・・・・・) | ||||
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| 読みながらぞわぞわと恐怖感を感じました。 キャシーが過去を懐古する形で物語が進みます。 「介護人っていったいなんなの?」という疑問は キャシーの言葉から少しずつ想像できます。 想像すればするほど、「怖い」です。 不勉強なので実際に知りませんでしたし、 前提条件からして私には理解できない世界です。 そういう特殊な環境下でも、ごく普通に生活し、考え、育ったキャシーたち。 読み進むにつれ、切なくて悲しくなります。 何よりも、その「運命」を受け入れている彼らが怖いと思いました。 そんなの絶対におかしい、と思う私がいました。 迷信でも根拠が無くても、信じたくなるキャシーの気持ちが痛かった。 物語の終わりを知ってから読むとまた違うんでしょうか。 試してみたいと思っています。 | ||||
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| 過酷な運命から逃げようとせず、受け入れながら生きる主人公たちの生き方が、 なぜか不自然には感じられません。 自分では動かしようのない、既成の制度や、階級のなかでとらわれて生きている私たち自身、 本当の意味で自由な存在ではないからかもしれません。 とはいえ、最後に全てを受け入れるように見えるキャシーの生き方が、 決して受動的な消極的なものではないところにこの小説のすごさがあります。 あきらめるのではなく、限りある生を、動かしがたい条件の下であっても、 彼らが丁寧に愛しみながら自己を賭けて生きるさまが描かれているからでしょうか。 そこにこの静謐で穏やかな小説のもつ、凄みのようなものがあるように思えます。 最後の場面は、何度読み返しても、苦しいほどの感動を覚えます。 希望がなければ生きられないと思いがちですが、あらゆる希望を奪われたとしても、 ひょっとしたら幸福な記憶だけでも人は自分を支えつづけることができるのではないか、と考えさせられました。 | ||||
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| 設定が特殊ですが、この本に表現されているものはなぜか普遍的なものとして感じられました。 少年時代の思い出は大人になってその輝きが脆いものの上にあったと知ったときでも、それゆえにさらに輝かしく思えるものです。 思春期に夢中になっていたものや、悩んでいた人間関係を思い出し。何でこんなものに?とくすぐったくなる感じ。 現実を知っていたはずなのに、理解していなかったと気づく瞬間。 たとえば戦争や災害、病に直面したときの人間のある種のあっけらかんとした強さ。 彼らは我々の人生のある側面の象徴なのかもしれません。 死、生、倫理、こうしたテーマを宗教的色彩なく描くことは、死後に何も残らないことを知っている現代の我々にとっての生の価値を描くことなのでしょう。 | ||||
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| とても特異な道具立てで書かれている作品です。その特異さがある種の警告と受け止められるかもしれません。しかし、根底にあるのは生きることの切なさに対する作者の暖かい理解であると思います。きめ細かい愛情に満ちた良書。 | ||||
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| お話の語り手は、キャシー・H。 31歳で、11年以上を「介護人」として勤めたという。 読者に語りかけるように彼女が示す言葉は、 穏やかで知性的、あたたかみがある。 彼女は静かに、閉鎖的で守られた場所で過ごした幼いころから そこを出て介護人として過ごした日々を語り続ける。 親友たちとのエピソードは、彼女の成長のお話でもあり 友情や愛情、独善、嫉妬など親近感のあるいきいきした内容ですが、 すこしずつ彼女の住む世界と、私たちのいる世界が異なること、 そこにはらんだ不穏の影に気づかされます。 終始一貫して静かなトーンで進められるお話ですが 圧倒的な支配感がありました。 謎、人物たちのかかわり、文章の書き方、構成。 すべてにひきつけられました。 | ||||
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