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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 481~500 25/36ページ
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星印のみ星印のみ星印のみ星印のみ星印のみ星印のみ星印のみ星印のみ | ||||
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ジャンルの歴史に残るであろう一作。 古典的な題材を、とても丁寧なよみ味のある作品に仕上げた。 Kindleで購入したが、ふと読み返したくなる。 ある意味、電子書籍と相性がいい作品かもしれない。 そんな名作。 | ||||
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『私を離さないで(Never Let Me Go)』という題名の意味は、この物語世界の奥に、何層にもなって積み重なっている。 その言葉の最も直接的な意味は、第六章でキャシー自身が明らかにしている。 これは少女時代のキャシーが大好きだった曲の題名で、本来は恋人との別れを悲しむ歌のようだが、これを彼女は「死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに産めないと言われていた女性が、あるとき奇蹟的に授かった赤ちゃんを抱き締め、なぜか別離の不安にさいなまれて、『ベイビー、私を離さないで』と歌っている」と解釈していた。そしてその想像上の情景に強く惹きつけられて、この曲を秘かに繰り返し聴いていたのである。 ここで、この題名の翻訳が少し問題になってくる。母親が自分の赤ん坊との別離を怖れるあまり、「私を離さないで」と、(本来は自分が保護すべき)赤ん坊に向かって哀願をするというのは、やや不自然である。この不自然さの由来は、"Never Let Me Go"とは本来は「私を行かせないで」という意味なのに、「離さないで」と訳したところにある。私が「行く」にしても相手が「離す」にしても、結果は同じ別離であるし、『私を行かせないで』では、本の題名としてはいかにもぎこちないから、この翻訳自体は無理もないと言える。しかし、この言葉の意味を考える際には、やはり「私を行かせないで」という原義に従っておく必要がある。 そうすると、母親が自分の赤ん坊を抱いて「私を行かせないで」とその懇願を向ける先は、このいたいけない赤ん坊ではなくて、なぜかそのような悲しい別離を強いようとしている何らかの「事情」に対して向けられているのだと、明らかになる。 それではなぜ、キャシーはこの歌を何度も聴かずにおれないのか。 それは表面的には、自分が「提供者」として生まれ、子供を産めない身体だということがわかっているので、知らず知らずのうちにこの母親に感情移入をするようになったからだろう。 しかしもう少し考えると、実はキャシーがより深く同一化しているのは、母親ではなくて赤ん坊の方であることがわかる。「提供者」であるキャシーは、物心ついた時から母親の顔も知らず、孤独な運命のもとに生まれてきた。なぜ自分の母親は、自分を置いて「行ってしまった」のか。その時母親はどんな表情で、何を思っていたのか。母親は、一度でも私を抱き締めてくれたのか。 そのような、自分の誕生にまつわる永遠の謎を、この歌は一つの「誕生の神話」として満たしてくれる。はるか昔に私にも優しい母親がいて、私との別れを悲しんで私を抱き締め、歌ってくれたのではないか、と。 このようにして、『私を離さないで』という題名の最も直接的な意味は、キャシーたちがその出生から運命的に抱えている孤独と、架空の母親を恋い慕う気持ちにある。 物語中で、ヘールシャムの子供たちが自分の「親」を話題にするところは皆無であり、それは自分たちに「親」など存在しないということを、いつしか知らされていたからだろう。しかしいくら情報として知っていても、どの子供も内奥には埋めようのない深い孤独感を抱えていたはずであるが、ヘールシャムにおいてそれが直接的に表現されることはない。コテージに移ってから、「ポシブル探し」という形に姿を変えて、一度実行に移されただけである。 このようなところからも、ヘールシャムの子供たちがいかに自分の感情を厳しく抑制するように育てられてきたかということが、うかがい知れる。 その後のキャシーには、言葉には出さずとも、その心の中にはおそらく「私を行かせないで(Never Let Me Go)」という思いを強く抱えながらそこから立ち去ったであろう場面が、少なくとも二つある。 一つの場面は、コテージでの生活の最後の頃に、トミー、ルースとの間での行き違いが続き、キャシーがついにコテージを出る決心をして、「介護人」となる道に踏み出すところだ。 モラトリアムは、遅かれ早かれ終わる定めにあった。しかし3人にとって不幸な形で終わらざるをえなかったのは、まだ若い3人はそれぞれの前に迫る運命の重圧を受けとめるのに精一杯で、お互い相手のことまで考える余裕がなかったからである。 もう一つの場面は最終章で、トミーの最後の提供を目前に、二人の間には感情の行き違いが増え、トミーから介護人の変更希望を告げられた後のことだ。「ルースならわかってくれたろう」とトミーに言われた時、キャシーは「聞いたとたん、わたしは背を向けて、立ち去りました」。 クローンとして生まれた者同士が、ある時期までは「介護人」として「提供者」のケアをし、その後に役割を代えて「提供者」となっていくという、この物語で採用されているシステムは、とてもよく考えられている。そこでは、他の「一般人」とは異なった運命を共有する者だからこそわかりあえる一体感が、一種の「自助グループ」のように、ピア・カウンセリングのように、作用するだろう。 もちろん背後には、「一般人」がわざわざそのような存在に対してケアを提供する必要などないという差別や、あるいは実際に「一般人」が関わってしまうとそこに感情移入が起こってしまい、このようなクローンによる臓器提供システムそのものへの懐疑が生まれかねないということで、引き離しの必要性もあるのだろうが。 しかし、物語の最終盤では、このような同じ運命を生きる者同士の当事者性にも、一方が死を前にした時に、亀裂が入ってくる。作者には、あくまでトミーの最期までキャシーを介護人でいさせるという選択肢もあっただろうが、結局キャシーはトミーから離れて「行かされて」しまった。「人間は、生まれるのも一人、死ぬのも一人」という、埋めようのない孤独感が、よりきわだつラストとも言える。 全篇を通じて印象深いのは、ヘールシャムの子供たちが自分の運命を黙って受け入れ、それに伴う様々な意見や感情を表出することは一種のタブーとして、厳しく抑制していることである。しかも、規律正しく道徳的なヘールシャムの雰囲気にもかかわらず、宗教的なモチーフは慎重に排除されている。「人間ではない」存在である彼らは、神の救済からも見放されているということだろうか。 物語が閉じた後、キャシーは「提供者」となり、間もなく「使命」を終えることになる。もしも最後に、「私を行かせないで」という言葉をそこに配置すれば、これは物語中では表明されなかった、クローンによる臓器提供システムそのものへの抗議ということになるが、作者の意図はどうだったのだろうか。 | ||||
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素晴らしい作品でした。 作者の日本人らしさなのでしょうか、 独特の抑制された静かで淡々とした語り口・・ それらが織りあわされていって、ラストには慟哭の事実が・・ 残酷な世界を描いているのに、イメージは透明感ある白 そして限りなく哀しくて、深く考えさせられる。 | ||||
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ヒトは自分の尊厳とプライドによって、 自分のアイデンティティーを持ち、 それを大事に、生きてるような気がします。 わたしたちを救う命と、わたしたち自身の命、 その違いってなんだろう・・・ そもそもこの本を手にとったのは、 福岡伸一ハカセの著書「生命と記憶のパラドクス」の、 「小説の力」で紹介されていたからです。 まったくそれまで知らなかったのですが、 著者のイシグロ氏が、日本生まれ英国育ち。 英語で小説を書くということ。 ネタバレになってしまうのですが、 臓器提供を運命づけられたクローン人間の、 SFでも、ミステリーでもない小説。 ということで手にしました。 SFもミステリーもいろいろ読んできましたが、 その両方のトーンを持っていながら、深層心理を、 淡々と、事細かに描いていくのです。 福岡ハカセの言葉がすべていい得ています。 「言葉の解像度と想像力の射程距離」 まさに、これしかいい表しようないのです。 そしてこの本は、2010年に映画化されたとのこと。 是非そちらで「画像の解像度とイメージの射程距離」を、 味わってみたいと思います。 | ||||
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最後まで一気に読み終えました。 とにかく引き込まれます。感情が大きく揺さぶられると同時に、倫理的問題について深く考えさせられます。 通勤通学途中に読むにはちょっと分厚いし、内容的に向いてないかもしれません。 寝る前にゆっくり落ち着いて読みました。 忘れられない一冊になりそうです。 | ||||
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なんだか無力感に包まれるような、でも面白かったです。 主人公の女の子の気持ち、わかるなあ。 | ||||
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不思議な雰囲気のする物語。主人公のキャッシーは優秀な介護人。使命が終わりかけている「提供者」の介護をしながら、子ども時代を過ごした謎の施設ヘールシャムでの生活を振り返る。同世代の少年少女が保護官の監督の下に生活するヘールシャム。不安・恐れ・好奇心・冒険・反抗・からかい・いじめ等々。子どもたちが集団の中で当然経験するであろうごく有りふれた日常を淡々と描く。 しかし、何かが違う。抑制された文体の中に少しずつ醸し出されていく、微妙な違和感。「提供」とは、「回復」とはそして彼らは何のためにここにいるのか。少しずつ明らかになる彼らの「使命」とは。静かに、感情を極力廃し淡々した描写が続く。決して変えることのできない未来(それが「未来」という言葉に値するかは別だが)に向かって静かに生きる彼らの深い悲しみを効果的に演出する。 「生きる」「生きている」「生命」の意味、価値を改めて考えさせられる。 折しも、京都大山中教授のIPS細胞研究に世の話題は集中しているが、IPSで病気治療の為に臓器を作るのは倫理的に許されるとしたら、片腕や片足は良いのか、更に、ヒトを丸ごと一人作るのは許されるのだろうか。 これ以上はネタバレになるので止める。 | ||||
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Kindle版の評価です。 つまらなかった。 最初の頁でテーマがうすうす想像できた。 「アイランド」のほうがおすすめ。 | ||||
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(本レビューはネタバレ含みます。ご注意ください) あっという間に読み終えました。 主人公キャシーの独白という形で、異常なことをも淡々と語られるのが怖くて、目が離せません。 でも「面白い!ドキドキハラハラ」という感じじゃなく、ジワジワと引き寄せられ、時折顔をしかめつつ静かに集中して読み耽ってしまう感じです。 終盤は今まで読んだどんな本でも経験したことのない種類の戦慄にぞぞぞっとしました。 恐ろしい運命を知りつつ助けてはくれない保護官達、癇癪持ちだけど真っ直ぐな心を持つトミー、虚栄心や嫉妬心の強いルース、自分の利益を考え猜疑心に駆られているクリシーとロドニー、などのそれぞれの人物の言動や心理を表現するキャシーの語り口が、どこか冷めていて非情緒的で、読んでいて混乱する気持ちでした。 キャシーそうじゃないでしょう、もっと運命に抵抗してもいいでしょう、一体どうしてそんなにその世界の調和を崩すことを恐れるの? と思いながら読んでいました。 しかし、読んでしばらく経ってみると、もしかしたら私も、キャシーのようにただ運命のままに生きている人間の一人なのではないか、とも思うようにもなりました。 私達は多かれ少なかれ、ぞっとするような運命も諦めつつ受け入れ、わずかな希望にすがるように時折夢想したりしながら、ただ淡々と生きているだけの存在なのかもしれない。。。 そして、この作品で描かれる奇妙で恐ろしい世界で、落とし物が全て集められるロストコーナーがどのような意味を持つのかについても、色々と考えさせられました。生きていく上で色々なものを失っていく人々の、遺失物保管所であるロストコーナー。 ロストコーナーであるノーフォークで、失くしたカセットテープを見つけたキャシーが、大喜びするかと思ったら、何かの間違いであって欲しいと思うくらい、全然喜べないという描写がとても印象的でした。探し物を追い求めていた時間はあんなに明るくて楽しそうだったのに、見つかった途端に空虚な思いになる。 またラストシーンでは、トミーを失ったキャシーが、同じくノーフォークで、海岸線に打ち上げられたごみのように、子供の頃から失い続けてきたすべてがここにあると感じ取り、涙します。でも、打ちひしがれることなく、車にエンジンをかけ、出発していく。このラストシーンも、とても深い余韻を残しました。 奇妙で、印象深くて、せつない気持ちになるこのロストコーナーにまつわる二つのシーンが、この作品中特に際立って素晴らしい部分ではないかと思っています。 特に文学に親しんでいなくてもグイグイ読ませ、「この話、なんかすごい」と思わせる力があるところがまたすごい。 変えることのできない運命、生きるうえで避けられない喪失、もがけどももがけども、それらを受け入れざるを得ないとやがて知ってしまった人間の哀しさ。 そういったものを、斬新なメタファーで物語にした、解釈しきれないとにかくなんかすごい作品、という印象を持ちました。 | ||||
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文学作品を読んだなあ、という感じ。 私の頭では全てを理解したとは言い切れないけど、それでも凄いものを読んだという実感が残る。 分からないながらも圧倒されるというか。 すごく分量も多いけど、飽きることなく読めた。 ということは凄い作品なんだと思う。 この作者の他の作品も読んでみたい。 | ||||
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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』☆4つ。 介護人を努めるキャシー・Hが、自分を取り巻く"人間"たちの様子を過去から現在まで淡々と語っていく。それはもう淡々と。 本作は三部で構成されている。第一部の七章、いくつかの伏線が明らかになる。序盤、退屈だと思った読者の方も、どうかここまでは読んでみてください。 ここから先は、ぐいぐい引き込まれました。お試しあれ。 私たちの人生の縮図としてキャシーたちの人生があるのでしょう。生き延びる事が至上であるかのような現代の考え方に、作者は疑問を抱いたのかも知れませんね。 時には抗いながらも、運命に寄り添い生きていたキャシーたちは幸せだったのでしょうか。 儚く悲しげに見えるのは、私たちの視点で見ているからなのでしょうか。視点が変わればどう感じるのでしょうか。 色々と考えさせられる、複雑な読後感を味わえる作品でした。 | ||||
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DVDを見てから、原作を購入して読みました。臓器提供者として生まれ、死んでいく中で、普通に人と関わり、恋をして葛藤する姿が印象的でした。必死で生きようとする3人の男女に引き込まれました。制約の多い運命に悲嘆する直接的な表現はありませんでしたが、具体的に描かれない部分を想像して読んでいく楽しみと、人間の残酷さを痛感する悲しみと複雑な読後感です。過去に起こりえたような政策なのか、格差社会が進んだ先の近未来の人間の姿なのか、考えさせられました。 | ||||
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これまでSFやミステリーなどでお世話になっていたハヤカワさんから出ていたので書店でなんとなく買ってみた本書。 あとがきなんかを読むとどうやら文学という奴らしいですね…。 今まで文学と名のつくような文章とは教科書以外では接点が無かった僕ですが、とてもすらすらと頭に入ってきて、自分の中の”文学”という言葉の持つ敷居の高さをまったく感じませんでした。 独特な世界観だからこその心情の変化なども丁寧に書かれているせいか、想像しやすく、感情移入しやすかったです。 初めて本格的に出会った文学作品がこれでよかった。そう思える本でした。 | ||||
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常に先が読める物語。少しずつ真相を明らかにしていくのだが、馬鹿でもない限り先が読めてしまうので、その焦らそうとする展開に鬱陶しさを感じるだろう。ほとんどが真相に関わらない日常を描いているから、その部分でも退屈極まりない。好きな音楽にテープをなくしただの町に買い物にいっただの刺激もひねりもない話が大半を占める。飽き飽きしたところに出てくるのがはるか昔から予想していた”真相”。呆れた。また全編にわたり「セックス」が無意味に出てくる。とにかく頻繁に。中身のないセックス小説である。 | ||||
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映画を先に鑑賞してから原作を読書。 映画を観て抱いた印象は、仏教的な無常観・諦観でした。また、モルモット、実験動物、人間に食されるために生まれて育てられる多くの家畜、植物のこと、「いのちの食べかた」という映画を思い浮かべました。 映画を観て「打ちのめされた」私は、原作を読み始めて意外と淡白な語り口に驚いたのです。映画は、全編重苦しいペール・ブルーの色彩を持つ陰鬱な印象でしたが、小説の語り口は割と淡々としていて、あまり陰鬱さを感じられません。 へールシャムの様子が、映画よりも描写が細やかで長い歳月を追って綴られ、悲壮感が少ない分、読みやすい小説でした。 映画を観ている時に大きな疑問を抱いたへールシャム出身の子供たちが成長してからの、男女の性的関係〜妊娠・出産問題は、原作を読んで明らかになりすっきりとした部分です。 また、本の表紙になった1本のカセットテープ、タイトルになった「わたしを離さないで」の歌が持つ、重要なテーマが映画では抜け落ちています。 キャシーが歌を聞いて踊る時の心情と、マダムがその姿を見て抱いた心情の温度差が、作品の大きなテーマの一つだと思いますが、映画ではその部分が省略されている点が異なっていました。 命の尊厳、臓器移植問題、生きている存在価値と使命を深く考えさせられた小説です。 アメリカで映画が批判された点は、へールシャム出身の主人公達が自ら運命を変えようとしない、切り開こうとなぜ努力しないのか〜という部分だということを知りました。 しかし、全てリストバンドで登録されて監視・管理されている以上、逃亡不可能であること、たとえ逃亡したとしても、通報されることは必至で、就業もできず、住む家も食べる物さえなく、彼らをかくまってくれる人が皆無なら、まず生きていけないと思います。 クライマックスにかけて、定められた避けようがない過酷な運命と使命を受け止め、残された時間の中で「愛」だけが最後に残された唯一の望みであることを信じて愛し合う姿は、崇高に感じられました。 取り扱ったテーマ自体は素晴らしく、どの世代の方にも読後深く考えさせられるものがある小説だと思います。 映画を先に観た為、小説への期待が大きかったのですが、文体等のイメージが想像と異なり、テーマ自体は★5ですが、総合で★は3・5〜4の間くらいです。 | ||||
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極めて繊細に書かれた青春ドラマという生地を、ひどく細いSFの糸で縫いあげた物語。 外から眺める我々には、どのような衣服が出来上がるのか、この衣服をまとっているテーマが何なのか、うすうす分っているし、いざとなれば確かめることもできる。さらには違う状況についてあれこれ考えをめぐらすこともできるはずなのに、彼女から離れられない。いっしょに縫い目を追っていかざるをえない。 つまり単純によい小説ということです。 | ||||
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カズオ・イシグロの最高傑作だと思う。 すべての人に手にとって欲しい本。 なぜなら、人はみなある意味“ドナー”なのだから。 | ||||
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情報がこれほど氾濫している昨今、たとえ裏表紙のあらすじに残酷な真実が表記されていなくても、僕ら読者はおおよその梗概を知り得るだろう。僕もそうだった。そしてそれを承知の上、長い長いヘールシャムの日々を主人公たちと共に過ごした。それはイギリス文学にしばしば登場する孤児院、または寄宿舎の生活を彷彿させつつも、何か懐かしい日本的な、のぺっりとしたモルタル壁の校舎を僕は思い描いた。確執、嫉妬、裏切り、そして思い浮かべただけで落涙してしまいそうな友情。子どものころ、これだけは決して忘れてはならない、いつまでも大切にとっておくべきだと思ったさまざまな情感。たとえ備忘録を取ったとしても、読み返しても決して再現できない、きわめて個人的なエピソード。作者はそれらをまるで追体験するように描写する。僕はたしかにこの夏を、ヘールシャムでコテージで、ノーフォークで、そしてキングスフィールドで過ごした。そして保護官やマダムが時折見せる不可解な仕草に、ようやく予備知識(残酷な真実)を思い出す。この作者はほんとに魔法使いのような作家だと思う。残酷な真実を決して作為的に隠蔽していないしトリックのようなものもない。そして僕らを包み込んだそれら体験の末に、現実を突きつけるのである。ここで僕らは、この作品を開く前に得た予備知識は単なる認識でしかなかったこと、そして同じ日々を過ごした友人たちの前に立ちはだかる現実の酷さを思い知るのである。静かな、ややもすると倦むような描写は、実はここへ導くための非常に巧妙な伏線だったのかな?とすれば大変な小説だな。 | ||||
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落ち着いた語り口で、ある特殊な運命を強いられた若者たちを描いた話 強烈な感動はなかったが、しみじみとした余韻が残った。 登場人物の描写が素晴らしい。 決して完璧ではなく、欠点もあるし、もろい所もある。 だからこそ感情移入してしまうし、だからこそ運命の残酷さも感じてしまうことになる。 なぜヘールシャムでは絵を描く行為が重要視されているのかなど、ミステリー要素もあり、最後までぐいぐい読ませる所も素晴らしい。 小説はあまり読まないのだけれど、上品な雰囲気の漂う良い小説だった もし最近の小説で、良い小説を探しているなら、これを勧める | ||||
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