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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 381~400 20/36ページ
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もっと医学的な事や登場人物の内面を深く書いてあるのかと期待してました。 性的描写が多く、思春期の子どもに読ませられないと思い、残念でした。 | ||||
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純粋な文学作品としては良かったと思います。 限りある人生を比喩した作品であり、「芥川龍之介:トロッコ」の構成に似ています。 今様には、下記の事柄が気になりました。 1)IPS細胞による再生医療が可能になりつつありますので、A.C.クラーク氏のごとく、近未来版をお願いしたいです。 2)原書での確認は行っていませんが、最後の部分の「読心術」は「読唇術」の間違いではないかと思います。 3)全体に直訳的です。 日本の標準的な日常表現(フレイズ?)に置き換えてもよかったのでは? 以上です。 | ||||
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内容にはがっかり。 映画『ガタカ』『アイランド』のような、「脱出」がない。 TVドラマ『ウロボロス この愛こそ正義』のような「逸脱」もない。 設定が、上記三作品ととても似ている。 主人公3人は、逃げ出しもせず、暴れもせず、黙って他人に決められた 運命を受け入れるのみ。 「それでいいのかよ!」「ふざけんなよ!」と言いたい。 かっこ悪くても逃げ延びて、どこかの店で皿洗うとか、泥棒一味に入れてもらうとか そういう展開ないの? ドラマがない。 人生と戦えよ。 浅田次郎さんの『天切り松・闇語り』シリーズの方が、ずっといいです。 | ||||
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『日の名残り』で英国文学の最高のブッカー賞(1989年)を受賞したカズオ・イシグロが2005年に発表した第六作目の長編で、世界的なベストセラー。2006年に邦訳出版、2008年に文庫化。 2010年に英国で映画化され、2014年には日本で舞台化、2016年1月からTBSテレビでTVドラマ化される。 本作品は、ヘールシャムで子供時代を送った主人公・キャシーらの出生に隠された秘密が、iPS細胞の発見などの生命科学の目覚ましい進歩により空想の世界の話ではなくなり、かつその倫理問題が大きくクローズアップされるテーマであるために、イシグロ氏がそこに込めたメッセージは何なのかを、読中も読後も深く考えさせられるものであった。 しかし、読後しばらくして目にしたイシグロ氏のインタビューによれば、本作品は、普通の人間が辿る運命をメタファーを使って象徴的に表現したものなのだという。ヘールシャムの閉ざされた世界は、外界で起きていることの多くが理解できないという子供時代のメタファーであり、主人公たちが逃げることなく短い運命を受け入れていく展開は、実際に多くの人間が自分に与えられた運命を受け入れているという、イシグロ氏の感じている世界観のメタファーなのである。そして、そうした世界の中でも、愛は死の恐怖を相殺できるほど強力な力になることを、合わせて描いているのだ。イシグロ氏は、この最大の仕掛けを思いついたのは、本作品を書く試みを始めて暫く経ってからだったとも語っている。 確かに、『日の名残り』の主人公である執事のスティーブンスも、与えられた運命を実直に生きた、イシグロ氏の世界観の中の典型的な人物であった。 隠されたモチーフと、イシグロ氏の持ち味である抑揚を抑えた淡々とした文章が相俟って、全篇を重たい雰囲気が覆っており、好みの分かれる作品かもしれない。 (2013年4月了) | ||||
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あらすじで分かることですが、切ない小説です。 なので、そういう系統が苦手な方にはオススメしない…という訳ではなく、万人に進めたい小説です。 とにかく描写が緻密なんです。 キャラクターや人間関係は元より、主人公が育った施設のルールや日常の風景… フィクションであることを忘れそうになる程、物語の中に入り込ませてくれます。 また、最序盤から一般的な使い方では無さそうな「提供」という言葉が出てきて、 その意味を説明されずに話が進みます。 それを知りたくてページを繰っていくと、どんどん謎が増えていき、そこでも引きこませる構造になっています。 | ||||
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テレビでもやるみたいですが、たのしみです。 21世紀の文学としてこれからもいろいろな形で表現されて欲しい内容です。 演劇、映画、そして日本の連続ドラマ、人間て何だろう、、こうした疑問をさらに深め裏作品です。 | ||||
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人間が真空から生まれ育ち、無のままに生死するのでないとするならば、わたしたちにはなにが残されるのか。 この物語の主人公、キャシー、トミー、ルースに限って言えば、三人には抱きとめて離れない子供時代の大切な思い出、「記憶」があった。幼い頃にともに過ごした寄宿学校での時間、大人たちに注意深く保護され守られた安全な世界のなかで交わした、友情、愛情、赦し。時間を経て大人となってそれらを思い返すとき、思い返されるとき、記憶は過去の正確な情報としてではなく、決して存在しない理想的な記憶、ノスタルジアとして立ち顕われる。 著者はある対談番組で、記憶とは「死に対する部分的な勝利、死に対する慰め」だと語っていた。大人たちに保護された安全な世界の外では、例えば否定することのできない自らの死も、例えばかけがえのない「あなた」の死も隠し難い。保護された世界に描いた虹色の夢も水泡に帰す。そんな世界をこれまでもこれからもたった一人で歩まなければならないとき、時間を経過した記憶が、ふと、子供時代の理想的な世界を映写してくれ、世界の手触りをやさしくしてくれる。イシグロは語る。「大人へと成長する過程で子供たちはある種の失望感を覚えるのではないでしょうか。世界がやさしい場所だという記憶がまだ残っているのですから。ノスタルジアは決して存在しない理想的な記憶なのです」と。 死に抱かれた困難な世界を生きるなかでも、記憶を離さないで、理想の世界を。そこには、友情も愛情も赦しも、確かに、ある。ともすれば、物語全体が悲しいようなそんな感じも受けてしまうストーリーには、人生には、ささやかな、本当にささやかな慰めが残されている。 | ||||
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TVでドラマ化されると聞いて、ある休日の午後、一気に読みました。 本を閉じ、とても感想を書ける気がしなかったので、暗くなっていましたが散歩に出かけました。 そしてたどり着いた答えがこれ。本作に描かれるのは、 「逃れられない運命の中でどう生きるか」 誰もが思春期に、自分の運命が他の人とは違っていることに気が付く。思春期の心の動きが繊細に描かれます。運命は自分の力でどうにでもできるという考えもあるでしょう。 しかし、本作で語られる運命は、どんなに努力をしても逃れられないものです。 人間として生きる運命、必ず死を迎える運命は決して変えられません。私たちは、その所与の条件の中で生きるしかありません。主人公たちは、私たちとは少し違う運命の中で懸命に生きます。逃げればよいではないかと思うかもしれませんが、それは私たちが人間とは違う生き方をすることを望むのと同じように、見果てぬ夢なのです。例えば、自分がライオンであれば、ライオンとして生きるしかありません。そう理解したとき、以下の言葉が心に沁みます。 (p.415)古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。(中略)心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱き締めて、離さないで、離さないでと懇願している。 自分とは違う逃れられない運命を背負って生きる人がいる。その人たちに寄り添うやさしさを失ってはなりません。 しかし、運命を逃れられないという点で、ここに描かれた主人公たちと私たちに違いはありません。 ドラマが始まるまでに読むことを薦めます。 | ||||
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ネタバレ注意 世界的には高い評価を受けている本作。 物語の根幹を成すSF設定の粗さについては、特段の不満はない。 ただ、わたしにはどうしても、ある違和感が絶えず付きまとい、登場人物らの行動に納得できなかった。 なぜこの作品世界における提供者は、臓器提供の義務から逃げ出さないのか? 主人公たちが育った施設の提供者たちは教育を受けているから、逃亡するだけの知恵はあり、 また厳密な監視体制もなく、逃亡は困難でない(ように描写されている)。 作者はどこかのインタビューで『逃亡』はあえて物語に盛り込まなかったと言っていたが、 それなら物語中で、提供者らが逃亡できない制約や、 主人公らが逃亡という選択を思いつかないようにする環境設定、 主人公らが逃亡という選択肢に気づくが、何らかの事情で逃亡を諦めるに至る描写を入れるべきであろう。 良質な悲劇とは、登場人物らが、舞台から降りられない状況で初めて、良質の悲劇たりえる。 提供者という言葉が臓器提供者を示していることに早々に気づいた後、 いつその悲劇的運命から主人公が逃れない or 逃れられない理由が語られるのか心待ちにしていたが、何もなかった。 主人公らが淡々と過酷な運命を受け入れる描写が、 『抑制の利いた文章』と評されているようだが、 わたしには、作者の舞台設定や描写の甘さによって、 主人公らに人間性が欠落してしまっていることの、極めて好意的な解釈であるように感じられる。 | ||||
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(失礼を承知でいうならば、)彼が「なんとなく読んでいて心地よい作家」から、「特別視すべきすばらしい作家」へ変わった作品 日常の下に、和やかさ•幸福感に覆われた、残酷さがある。そして人は普段、それを忘れなければ生きていけない。; そのことが、穏やかなで、しかし同時に張りつめた雰囲気のなかで語られる。 例えば、原発があるから日頃安定して電気を使え、他国の労働があるから多様な食べ物が買え、誰かの親切があるから自分が生きている、でも それら一つ一つに痛みを感じていたら、とても毎日を生きていけない。だから今は目をそらしている。 そんな、ドキドキする雰囲気が、作品全体を貫き、主人公達の境遇が徐々に明かされる過程で胸が締め付けられる様な差し迫った思いがする。 SFでありながらも、臨場感あふれ、普遍的なテーマを扱い、文章の切れをもった、逸品です。 | ||||
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ネタバレになります 病人にパーツをあげる為だけに 生きている子供たち 健康な臓器を与えて、 病人からの臓器を移植される 死ぬまで繰り返される ここが分からない、不健康な臓器を 移植されたら、他の健康な臓器も不健康に なると思うのだが この手術が可能になる 免疫を抑える薬が凄い | ||||
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読み始めは、あまりにも視界が細かく、読み飽きるところもあります。 だんだんと、この目線で表現していく意味というか、語り口が、作者の足場であろうと受け入れて、 じっくり 付き合いました。 生殖医療に興味があって、取り寄せました。 多くの人は、医学の進歩の恩恵を受け、甘受し、進歩のはざ間で、悩むひとには気づかない。 神の領域などという言葉の入る隙間がなく、時代の流れの、感覚変容に気づかない世界の恐怖を、感じました。 | ||||
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この作品を読み進んでいるうちに以前読んだことのある二つの作品を連想させられました。一つは神林 長平の一連のSF作品、とくに「完璧な涙」です。もう一つは夏目 漱石の「こころ」です。なぜ提供者は逃亡したり、告発したりしないのか不思議に思います。想像するに完全に洗脳されているか、社会的に監視をうけ(体にチップなど埋め込まれていたり)物理的に不可能なのか、そのあたりの社会の背景がほとんど書かれていません。 唯一、提供者たちは社会から人間としての情緒や感受性に欠けた似非人間だと認識されているというくだり(会話)があるだけです。そしてそのことがこの作品がSF小説にならず、ブッカー賞にノミネートされたり、他の数ある賞を受賞し、かつ英米でベストセラーを記録した要因のひとつになっていると思います。わたし(主人公)の記憶や感情の移り変わりで終始させていることによって、つまりわたしを常にとおして物語が進んでいるところが高い評価を受けたのだと思います。「こころ」を連想したのはそのせいだと感じます。 本を読む前に以前、たまたまつけたテレビでなんの予備知識もなく(カズオ イシグロのことも知らなかった)観る気もさほどないのに映画を先に観てしまったのがくやまれます。そのときは映画の題名も気に掛けず、荒唐無稽な映画だななどと思いながらみていたのです。 小説を読んでいる途中に、あれっ、これって前に偶然観てしまった映画じゃないか と気がついたのでした。 無意識の変形逆自己ネタバレという大技やってしまいました。 みなさんも映画化された小説にはお気を付けください。あの映画さえみてなければもっと深い何かがつかめていたはずです。 | ||||
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読了は映画鑑賞後になってしまった。 映画では描ききれない細かい感情の機微をキャス、ルース、トミーにそれぞれ偏りのない役割を与え、縁の糸が切れそうになりながらもか細く続き、運命は止められなくても最後には和解する。 その大いなる救い。 映画ではひたすらおとなしい印象のトミーがここではサッカーも上手く丈夫で、キャスにきちんと別れを告げる。 その残像は底抜けに明るくそんなところが却って涙を誘われる。 この小説も映画も素晴らしい作品だった。 | ||||
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小さいときから小説が好きで日々必ず読んできましたが、この本を読み終わって以来、どの小説も物足りなくなり、しばらく読めなくなってしまいました。 小説好きには一度は読んでほしい…と思う、すごい本です。 | ||||
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引き込まれるように読み切って、再読、再々読し、しばし打ちのめされました。 映画化された作品は見ておりませんが、この世界観を目で見えるものにしたいという映画制作者の気持ちはわかる気がします。 もし可能であれば、萩尾望都先生の手で漫画化していただけたらどんなにいいかと。 萩尾望都先生の作風にぴったりきて、また素晴らしい世界がさらに広がるのではないかと思います。 静かで謎めいた学校、寮生活。 子供達の関係や不思議な習慣、先生とのやりとり、先生達のふるまい、そこを出た後の世界とのやりとり。 萩尾望都先生にこの願いが届いたらぜひとも描いていただきたい、と思いました。 | ||||
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「目的を知らされないまま誕生し、生き、そして必ず死が訪れる」 本小説の世界は現実にはあり得ない。 にも関わらず、登場人物達が他人毎とは思えないのは、 筆者の丁寧な描写に依るものだけでなく、 私たちの生も似たような初期設定を持っているからか? 過酷な運命に翻弄される彼らに感情移入しつつ、 自分ではコントロールできない「最期」を常に意識さざるを得ない読書体験は、 自らの人生を俯瞰し、フレームの外から見る視点をもたらしてくれた。 しかし、内容が辛すぎるのには変わりない。 映画を見る勇気は私には...無い。 | ||||
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イワオイシグロの作品で、映画化された作品は数々あるが、原作を読んで、映画を楽しむというキャッチコピーは、古いが!!この本を読まれる方は、映画も鑑賞されたし。 | ||||
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ほとんど全編、主人公の回想シーンで構成されていて、大変退屈でした。 衝撃的な内容との触れ込みですが、私は、そう衝撃的とも思わなかった。 一言で言うと、つまらない、ということです。 | ||||
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小説の冒頭で読者の前に、登場人物の逃れられない運命がほのめかされていて、小説を読み進めながら、ひょっとしたら登場人物はその運命から逃れらるのではないだろうかと期待するが、結局、逃れることができず、予想通りの結末で終わるとき、読者は憐みと同情、そして、自分がその小説の登場人物ではなかったという安心感から、カタルシスを感じる。典型的なギリシア悲劇の構成である。 しかしながら、作者の技術力が高いので、ステレオタイプに陥らず、瑞々しい感動を与えてくれた。逃れられない運命と自己規定の痛みが、女性主人公の一人称回想形式で、静かに語られている。男性作家が女性の回想形式で書くのは困難だと思うが、違和感なく最後まで読めた。これ一つとっても作者の技量がわかる。 | ||||
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