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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 601~620 31/36ページ
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ラストはぐんぐん読めたが、読後感がすっきりしない。「生まれてきた場所」というのに対して、イギリスに住んでいるからこいういう発想になるのかな、と思った。 | ||||
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あえて抑揚を廃した文体は、かえって登場人物たちの過酷な運命を浮き彫りにしています。 登場人物たちは、生半可なメロドラマを演じているようですが、この苛烈な不条理をフレームにすると、とたんに物語に緊張感が走ります。 この小説は、臓器提供やクローン人間といった「大きな」問題に対して、仰々しく倫理的な問題提起を行うものではありません。むしろ、恋愛や自分の運命に対する関心といった「小さな」問題に焦点を当てることで、「大きな」問題を自分のものとして考える契機を与えるものです。ミリ秒単位の繊細な感情の揺らぎが、精緻な文体で描かれている―「大きな」対岸に渡るための想像力という架け橋としては、驚嘆すべきものだと思います。少なくとも、日本の現代作家で、ここまでの描写ができるものはいないのではないでしょうか。 そういう意味で、この本は一読の価値があると思います。 | ||||
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本書は主人公であるキャシー・Hの淡々とした独白形式で進行する。 前半は主に「ヘールシャム」という施設が舞台となる。 毎週のように行われる健康診断、交換会、販売会という行事から、明らかに通常の学校とは異質である。 また、冒頭から「提供者」「介護人」「保護官」など、本書のキーワードとなる単語が、何の説明も無しに用いられるが、読み進めるうちにそれらの意味は次第に明らかになる。 それも、主人公達が自分たちの残酷な運命を解き明かすという形をとる。 彼らは恋愛もセックスもするが、そこに輝かしい未来が無いことを悟っている。 そんな主人公達を象徴する、最も切なく印象的な台詞はトミーが放つ。 「必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される」 倫理とか正義とか、そんなものは抜きにして、トミーが言う強い流れに身を任せるしか無い主人公達の言葉に、じっと耳を澄まして読んではいかがだろうか。 最後に、この物語が虚構であると誰もが願いたいだろうが、虚構であるという保証は、どこにも無い。 少なくとも、私はそれを知らない。 | ||||
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高校時代、寮暮らしをしていた。この作品を読むと、そのころのことを思い出す。 平凡な始まりだが、読み進めるごとにどんどん話に引き込まれていく。 国籍を感じさせない不思議な空気感が好きだ。 ちなみに、この作品にかぎらず、カズオ・イシグロの作品は原文で読むことをお勧めする。 彼が描く世界や人物は、和訳で読むと何故か印象が全く変わってしまう。 | ||||
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高校時代、寮暮らしをしていた。この作品を読むと、そのころのことを思い出す。 平凡な始まりだが、読み進めるごとにどんどん話に引き込まれていく。 国籍を感じさせない不思議な空気感が好きだ。 ちなみに、この作品にかぎらず、カズオ・イシグロの作品は原文で読むことをお勧めする。 彼が描く世界や人物は、和訳で読むと何故か印象が全く変わってしまう。 | ||||
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衝撃的な作品ではある。主人公であるKathが、子供時代をすごした寄宿学校(?)のHailshamを回想する形で物語が進む。Hailshamがどんなところであるのか、彼女と友達の関係など、非常に緻密に描写されているんだけれど、「なんだか変」なことが、少しずつ少しずつわかってくる。この「不思議感」がなんとも言えない感じ。carereやdonorという言葉はしょっぱなから出てくるから、なんとなく背景が読めてくるんだけど、それが本当にいろいろなエピソードを通して、じわじわとなぞ解けてくる・・・という感じで、そのtold, but not toldという感じが、Hailshamのstudentsと同じ心理状態にされられているような既知感を覚えさせるような感じで・・・この辺り、著者の文章力なんだろうなぁと思わせられる。 物語は前半はゆっくりとした、むしろじれったい感じですすみ、後半に従ってペースがあがってきて、終盤では衝撃的な事実が待ち受けている。 暗い話で、テーマも重く、いつかこんなことがまかり通る世の中にならないともいえないってとこが、空恐ろしいかも・・・。 英語自体はそれほど難しくなく、美しいイギリス英語で、理解はし易かった。 | ||||
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世界設定が廃屋のクモの巣を払うみたいに、少しずつあきらかになっていく。腕にからんだり、なかなか払われなくてもどかしいが、先が気になる。その世界観に合わせるように、主人公は周囲の人間の気持ちを察知したり、自分の気持ちを検討したり、人間らしいまどろっこしさを持っていて、それが文章に詳細に表現されている。後半にあきらかになる事実と人間らしさがなんともいえない気持ちにさせる。 | ||||
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Heilshamという外界から閉ざされた学校で、他の生徒たちとともに注意深く育てられたKathy、Tommy、Ruth。 彼ら三人の、友情と愛情にまつわる物語です。 衝撃的で、奇妙で、静かで、繊細な物語です。 彼らは根本的な部分で我々とは違う感覚を持っているという設定ですが、作者の細やかな描写は、ちょっとしたしぐさや動作で彼らの心の動きを丁寧に伝えてくれます。 前半は主人公Kathyが回想する、穏やかな学校での日々。 どこにでもありそうな青春物語のようで、そこに含まれる普通でない雰囲気。 やがて彼らが学校を終え、社会に出る段になって、我々は彼らを待ち受ける衝撃的な事実を知らされます。 しかし語り手である主人公Kathyはじめ、彼らは他人が決めた運命に対し、非常に冷静です。 この点が、読んでいて常に不思議な感じです。 ネタばれになるのでこれ以上は書きませんが、読み終わって、命の価値について考えざるを得ない感じです。 カズオ・イシグロの他作品に比べ、英語は非常に読みやすいです。 しかし、平易な英語で、心の動きを丹念に描写する手法はすごいの一言に尽きます。 読める人はぜひ原書でどうぞ。 | ||||
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どんな本?何の話? 前知識なく挑んだら、びっくりした。 ヘールシャムの子供達と同じように、 物語を読み出した時から、薄々と気付いていた。 彼らがもつ「使命」のこと、なんとなく予感はしていた。 その予感を少しずつ認識していく、既視感。 いきなり事実をつきつけられるのではなく、 薄い色から少しずつ重ねていくように、 気がつけば1枚の現実ができあがっている感じ。 生まれた時から「使命」が決定している人たち。 どんなふうに、受け入れていったんだろう。 小さな頃から、その意味も理解できない頃から、 生活の至るところから染みこんでいった、 自分たちが生まれてきた理由。 来るべき「提供」の日を、待つだけの人生なのかな? でも、そんなふうには思えなかった。 運命に抵抗することはなくても、生きている証を探して、 もがいているように思えた。 残酷な運命を題材にしても、その静かで平坦な語り口が この物語の独特の雰囲気を印象づけていると思う。 凄味になっていると思う。 こうも人の心をかきみだすとは。 | ||||
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ネタバレ必須!読んでない人は読まないで! この小説内の「提供者」というのは、健常者に臓器を提供するためだけに生まれてきたクローン人間たちのことである。つまり、我々「本当」の人間のために臓器提供を目的として生まれてきたクローンの人々の物語。この小説が恐ろしいのは、設定はSF的内容であるにもかかわらず、今我々が生きる現実は、それ自体を凌駕しようとしていることである。カズオ・イシグロは、ディテイルを書き込まず、淡々とした文体を駆使し、読者の想像力にある程度任せることで、その恐怖を増幅させる。たとえば セックスしても子供を妊娠しないという「提供者」の設定のように所々に覗く、「提供者」の不可解さが怖い。「本当」の人間が「提供者」を操作しているんじゃないか?と…。 「提供者」たちの置かれる状況は、言ってみれば映画「ブレードランナー」のレプリカントたちと同じ状況なのだけど、こちらの「提供者」たちは、「反乱」を起こそうとはしない。むしろ、その境遇を受け入れている。にもかかわらず生きる証を探そうともがく「提供者」たちは、我々となにも変わらない心を持っている。ゆえに切ない。 中身はまったく違うけど、村上龍の「半島を出よ」と同じ、今、読まなければいけない小説。現在読むことによってその衝撃を味わうことが出来ると思う。土屋政雄氏の翻訳は、非常にこなれていて翻訳調の文体と言う感じがない。とにかく考えさせられる小説。この小説が突きつける問題は非常に重い。必読。 | ||||
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悲しいお話だった。 イギリスの施設ヘールシャムで育ったキャシーが主人公。 現在キャシーは31歳で「介護人」として働いている。 物語はヘールシャムでの日々と、同じ施設で育った仲間トミーとルースを中心に語られる。 特殊な世界なのだけど、その特殊さがこの本のポイントかというとそうではない。 特殊な世界を描きながら、心を動かされるのはキャシーたちが過酷な運命に抗うことなく、嘆くことなく、ただ淡々と受け入れていくその姿勢だ。 キャシーの静かで抑制の効いた語りは、決して感情的になることなく進められる。 ああっその特殊な世界がどんなふうに特殊なのか書きたい! 書きたいけどこれから読む人に申し訳ないから書かないっ。 強いられた運命をただあるがままに受け入れるしかない彼らの悲しさ。 運命は動かしがたいのだけれど、夢を見ずにはいられない、探さずにはいられない。 そこには喜びや怒り、悲しみがたしかにあって、静かに進められるお話の中で、淡々と語られるからこそ、それがとてもとても悲しいのだ。 号泣するようなタイプの本ではないけれど、とても悲しいお話。 でも、きれいに心に残るものがある。 読み終わってしばらくはボーっとして、お話が胸にしみ込んでくるのを感じていた。 とても悲しいお話、でもぜひぜひ一読を。 | ||||
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カズオ・イシグロ著の「私を離さないで」は、物語の根底に「生命」を取り巻く問題を据えている。ところが、後半に入るまで、そのテーマに気づかされずに読まされてしまう。 主人公が子ども(生徒)であり、子どもの視点で語られる思い出話のため、懐かしさや郷愁を感じているうちに、すっかり騙されてしまうのだろう。 主人公のキャシーは、「ヘールシャム」という場所にある施設にいる生徒。 友人たちのこと、先生のこと、施設でのルールなどなどを語っていく。 「何か特別なことが隠されている」ということは滲ませるが、「謎」は、なかなか明らかにされない。正直なところ、私自身は「少し前置きが長いな」とさえ感じてしまった。 しかし、ある章が始まると、意外なほどあっさりと「謎」が明らかにされる。 目の前に掛かっていたベールが上がり、登場人物たちの世界がはっきりするのだが、そこが結末ではない。登場人物たちも知らないもう1つの「謎」が、最後の最後まで隠されているからだ。 すべてが明らかにされたとき、読者は、改めて、「生命とは?」「生きることとは?」「運命とは?」など、重いテーマと向き合わなくてはならない。 読者自身が、人生の過程で少しは考えたことがあるかもしれない哲学的なテーマだ。 物語は終わっても、主人公のキャシーの「その後」を想像させ、読者に考えさせる。 その余韻の残し方は、かなり渋い。 | ||||
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淡々と、ただひたすらに淡々とエピソードが積み重ねられていく。実際、ただそれだけの構成といってもいい。にもかかわらず、これほどまでに読み手の感情を揺さぶる物語は、ちょっと他に思いつかない。ここまで書き手の抑制が感じられる文章も珍しい。だけど、たぶん本当に凄い文章って、こんなふうだとも思う。読み終わった時、しばらく言葉もなかった。それほどまでの静かな衝撃!!! 文句なしに星5つです!!! | ||||
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この本の前に日本のかなり有名なベストセラー作家のものを読んでました。が、<わたしを離さないで>を読み始めたトタン(トタンですよ)あまりの違いにグラグラしてしまった。圧倒的な創造、構成、描写。 ヘールシャムそして施設を取り巻く風景が<よみがえった>感を抱いてしまった。 SFちっくな設定はまったく気にならないどころか何故か当たり前のように頭にはいってくるから不思議だ。 読み始めてから閉じることができず終盤を前に致し方なく倒れるように寝てしまい翌日通勤の電車で読み終えた。落涙しそうになったが懸命にこらえた。胸の中央に集まってくる感情、感動。 素晴らしい翻訳をされた翻訳者に感謝。 久しぶりに文学の喜びを享受した。 | ||||
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通常小説とはフィクションとは言うものの、その一つ一つの部分はリアルに基づいて構成される。 登場人物の職業(ステータス)もその一つだ。たとえば作家やフリーター、学生など現実に存在する職種、かつ作者自らの経験や 取材に基づいているため、そこにはかなりのリアリティがあり、読者は場面を思い浮かべ、登場人物に感情移入しやすくなる。 しかしこのフィクションはそのような類の読者の共感を拒んでいる。 というのも、「介護人」という職業は現実には存在しないからだ。 では「介護人」とは何か? この物語は言ってみれば簡単だ。 臓器提供のために作られたクローン人間が、自分たちなりに己の運命を考え、 それを受け入れながら我々と変わらない青春を謳歌していた。という話。 そして介護人とは、どうやら自分より先に提供者になった者の世話をするという仕事のようだ。 もちろん存在しない介護人経験者に取材するわけにもいかず、このような完全なるフィクションが 一人の人間の頭の中で生まれたということは、まさに奇跡としか言いようがないだろう。 いきなり「クローン人間」など出てきて、しかも出版社も早川書房だから一体どこのSFだ? と驚かれたかもしれないが、英国きっての作家だけあってテーマは非常に「文学的」になっている。 この小説のキーワードは「運命」と「奉仕」だと思う。 どうせ抗っても抗いきれずどうしようもない運命なのだから、受け入れた上で他人のために生きようじゃないか、 という現代の都会人に欠けたものをこのようなカタチで提示しているようでもある。 そういう意味で、共感しにくいはずの登場人物のはずがごく自然に共感でき、繰り広げられるリアリティに圧倒される。 カズオ・イシグロ独特の静かで抑制の効いた文体でどこかミステリアスな雰囲気をかもしながら、 物語は現代から過去の出来事を想起し、自然に現代に戻りまた昔を思い出すという、これも作者が得意とする構成により進んでいく。 文庫版には訳者あとがきも付いており、いかに丁寧に訳し上げられたかが分かる。 こころの表面的な共感や感動ではなくて、たましいの奥深いところを掴まれて震わされる傑作です。 | ||||
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奇抜な単語はほとんど使われておらず、誰もが知っている語彙の組み合わせで、これほど特殊な、しかも心を打つ世界が作り出されていることにびっくりします。 よく理解できない状態から読み始めることになると思います。謎が気になって終盤までほぼ一気に読み進み、最後は私自身、この小説の世界をすべて受け入れる気持ちになりました。基本的には、切ない内容です。人を泣かせようとするような大げさな表現は一つも使われていないのに、最後は涙が止まりませんでした。 読書からこういった感情や、生きることに対するある種の思いを得られたことは、素晴らしかったと思います。多分この本を手放すことはなく、ずっと手元に置く一冊になりそうです。 | ||||
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カズオイシグロの作品は独特の雰囲気を備えていてどの作品にもそれが貫かれているのが固定ファンを“離さない”理由のひとつだと思う。今回も裏切られることはなかった。崩壊寸前にまで追い込まれるアイデンティと知らないうちに持っている差別意識やエゴ。また新作を待ち続ける長い日々が!! | ||||
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この本を読んだのはもう数年前。 でも、未だに消えることのない、心の中に漂う悲しみや切なさや絶望。 つい最近、もう一度読み返してみる。 誰しも生まれる自由はない。 親を、環境を選んで生まれることは、出来ない。 この作品における極端に特殊なシチュエーションはメタファーに過ぎないと思う。 恐らく私たちすべてに言えること。 生まれ持った宿命を許容するとは、どういうことなのか・・・。 不幸な、あるいは自分が望まない「環境」を努力で変えていける人も確かにいるだろう。 しかし、多くの人は生まれた環境、両親、家業や立場(長男だとか一人っ子だとか片親だとか孤児だとか)の中でもがき苦しみながらも、許容して生きているのではないだろうか。 この作品を読み終えて私の中に、「許容とは何なのか?」 という疑問がずっと停滞したままだ。 もしかしてその答えは、一生かけて見つけていくようなものなのかも知れない。 そのテーマを得ただけでも、私にとってこの作品は、カズオ・イシグロという作家は、マイベスト、だと思う。 他の、「日の名残り」、「私たちが孤児だった頃」、「浮き世の画家」なども、 基本的にこの作家が投げかけているテーマは同じ、だと思うので、そちらもお勧めしたい。 日本が産んだ、世界で読まれている偉大な作家だと思う。 | ||||
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『タイム』誌の「オールタイムベスト100」(1923-2005年発表の作品が対象)に選ばれ、柴田元幸氏によれば彼の「最高傑作」ということなのだが、私としてはどうしてもうまく小説の中に入り込めなかった。翻訳の大家の判断を前にして言うのは気が引けるが、とても正直に言うと、駄作ではないが、決していい作品でも成功した作品でもないと思う。 物語は1990年台のイギリスを舞台に、臓器提供のために生み出されたクローン人間(彼らは「提供者」と呼ばれ、提供者になる前は彼らの世話をする「介護者」を経験する)によって展開される。主人公で語り手のキャシーと、ルーシー、トミーは世間から隔離された施設ヘールシャムで育てられ、やがて介護者として外の世界に巣立っていく。キャシーは介護者として優秀で、ルーシーの介護者をし、彼女が臓器提供で世を去る(「使命を終える」)と、トミーの介護者となる。この段階で、二人は愛し合っていたことを確認し(その愛はルーシーがトミーの相手だったためそれまで実現していなかった)、提供を猶予される期間を申請しようと責任者と思しき「マダム」を訪ねるのだが、すべては根も葉もない噂であり、提供者は決められたとおりに「使命を終える」以外にないことをヘールシャムの責任者エミリ先生から伝えられる。トミーもやがて使命を終え、キャシーも介護者生活を終え、提供者となる。――とても大雑把に要約するとこんな物語である。 小説の第1部と第2部はヘールシャムとそこをでて介護者となるまでのコテージ時代に当てらているが、生理的に不愉快だったのが、その語りの文体と、生徒の一挙手一投足や噂をめぐる学園ドラマ調の物語展開である。「ルースががっかりして帰途に着くことなど誰も望んでいません。あの瞬間、これで安全だと誰もが思いました。そして、すべてがあそこで終わっていれば、確かにわたしたちは安全だったのです」とか、「このときは目をつぶりました。先輩たちに混じっている場で忘れた振りをするのは、百歩譲って、よしとしましょう。でも、わたしたち二人だけのとき、しかも真面目な話し合いの最中にやられたのでは、さすがに我慢できませんでした」といった文体とレトリックと内容。これは一体何なのか? イシグロ自身の文体と、訳者の文体(訳文自体はとても読みやすいのだが)の共同責任といったところだろうが、安手のおとぎ話を読まされているようで寒気がしてきた。 本書の内容は、遺伝子工学と臓器移植の問題を背景にしている。政府はクローン人間の製造とその臓器提供を法制化しており、すべては合法、キャシーたちは「提供者」としての運命を甘受して死んでいくしかない。気になるのは、この小説では、臓器移植やクローン人間の倫理的な問題が扱われているようで、じつはまったく扱われていないということである。すべては所与としてあり、描かれているのは、それを甘受する何人かの人間の姿だけだ。「抵抗」や「反乱」の可能性はない。そして、避けがたく過酷な運命を前にした人間の姿ほど人を容易に感動させるものはない。その意味で、本書はきわめて安易であるともに、本質的な問題はすべて避けられてしまっている。 たとえば、生殖機能を持たないクローン人間を安定して作る技術があれば、今日話題になっているような再生医療が可能になっている可能性はかなり考えられる。またこれほど大々的な臓器移植が行われているからには免疫の操作に関する飛躍的な技術革新があるはずだが、そうした免疫技術は当然癌治療に新しい道を開くはずで、その場合、倫理的に言ってもきわめて問題のある本書のような政策が行われるのか、きわめて疑問といわざるえない。結局、本書はできの悪いSFといった趣きがあり、「本当らしさ」の設定が正確に行われていないのである。 言いかえるなら、本書における臓器移植やクローン人間は結局「意匠」にすぎない。戦争のような避けがたい運命における人間の運命といったものでも、同じ物語を語ることができてしまうだろう(彼らはいわば出征する兵士である)。そうした個別的な経験の質のようなものを捉え損ねているところが、本書の最大の欠点であり、それは、本書が臓器移植がクローン人間の問題についてきちんと突っ込んで描いていないことに起因しているように思われる。しかし、優れた小説とは、何物にも変えがたい(と思わせる)リアリティを読者に伝えられなければならないもののはずである。 | ||||
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カズオ・イシグロの小説は何より文章が平易でありながら美しく、ナレーターが時系列で記憶をたどるというパターンを取るものが多いので、読みやすい原書から入りたい日本の読者にはとても適していると思う。 Never Let Me Goの場合、クローンで生まれた子供たちの孤児院という設定から、これは純文学なのかSFなのかという戸惑いのようなものが常につきまとう。その上、クローンだったのだという情報さえ、半分以上を過ぎたところ(この版では166ページ、)でようやく出てくる。カズオ・イシグロが比較的長い休みの後にクローンの子供を題材にして何か書いているらしいという噂は早くからあったが、その背景情報を知らなければ(一体何が起こっているのか)という不安感のようなものを抱きながら読み進まなければならない。 「Never Let Me Go」というタイトルは架空のジャズシンガーの歌の題名から来る。長い間子供を欲していた女性がようやく自分の赤ん坊を手にし「私を離さないで」と歌う。(コンテキストから言うと「私を離れないで」だがletが入るところに視線のひねりがある。) 望んでいた赤ん坊が生まれたと思ったら今度はそれを失う恐れを抱くことになるという、この歌詞の中の女性の悲哀と、生まれた時からすでに臓器ドーナである、つまり、犠牲者であるHailshamの生徒、Kathy、Ruth 、Tommyの悲哀があまり結びつかないことに多少違和感があった。 全編、胸の痛くなるような哀愁と忠誠(イシグロのよく取るテーマである)の痛みがある。失ったものを取り戻せる場所である筈のNorfolkで、ナレーターのKathyが静かに涙を流す最後のシーンが特に美しい。 | ||||
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