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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全714件 681~700 35/36ページ
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| 優秀な介護人キャシーによる回想形式で、静かに静かに物語が進んでいきます。 初めはヘールシャムがごく一般的な学校かと思っていましたが、それが施設―毎週健康診断がある、生徒たちが特殊な「使命」を全うするために生きているなど、特殊な施設であることが徐々にわかってきます。 誰かを救うために生まれてきた人たち。自分の職業や生き方を選ぶこともできず、ただ自らの運命を受け入れて生きている彼らの人生は痛ましくもあり、哀しくもあり、たくましくもあります。 クローン問題、臓器移植問題など世間でいろいろ取り沙汰されていますが、実際にこういうことが起きるかもしれないと思うと、改めて生命倫理について考えさせられました。 唯一気になったのは、トミーのしゃべり方が全然若者らしくなかったことです。施設時代はもちろん、大人になってからも、ほぼ自分と同年齢の彼のしゃべり方がどうもおじさんっぽくて、そこだけ浮いているような感じがしました。これだけ科学が進んだ時代の話ですから、できればもう少し現代の青年らしく訳していただきたかったです。 | ||||
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| この小説は,女性の一人語りでつづられています。 子供時代のいかにもイギリス的な共同生活。(そういえば,子供の頃大好きだったおちゃめなふたごシリーズであこがれていたなぁ,こんな寮生活。) その後のコテージでの日々。(背伸びしたい年頃だよねと自分を振り返りながら思う。) 登場人物たちの成長が丁寧に丁寧に著されます。思い切り,はまり込んで読んだために,読後2日たっても,Never let me go の歌声とキャシーの姿が残ってしまってしょうがありません。ねたばれになるので,詳細は書きませんが,設定自体は国内外で新しいものではありません。でもこのような静謐さでそのテーマをあつかえたということに,驚きました。 どうしても原文が気になるので,アマゾンさん,Never let me go一丁。 | ||||
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| 最初から最後までとても静かな作品で、盛り上がるわけでもなく淡々と語り口調で終わっていくが、それが何でかとても心地よく、暗い話であるにもかかわらず読後に気分が滅入ることがなかった。あるとても悲劇的な使命をもった人間達の話だが、悲劇的な部分があまり強調されず、それが運命なのだと受け入れる部分に焦点があっていたからだろうか。翻訳の仕方も上手く、すんなりと本の世界に入っていくことができた。 | ||||
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| 親友ルースという「魅力的であるけれど嫌らしい女」を描きだしてゆく適度な距離感に、読みながら少々驚いた。親友トミーに向ける視線にも似たものを感じたけれど、作者が男だったことを忘れるくらいに自然で、語り手キャシーに寄りそうように読んでゆけた。 正直、なぜ彼ら彼女らは逃げないのか、運命をすんなり受け入れてしまうのか、また世間一般にまじわって暮らしているはずなのに、なぜ終盤になるまで「そのこと」を知りえなかったのか、自分で調べることができたのではないかと、さまざまな疑問をうっすら感じるのだけれども、おそらく作者は、そんなこと描くつもりがなかったのだろう。 作者の現時点での代表作であろう「日の名残り」でも感じたけれど、この作者には、みずからへの運命への受容性に、その特徴があると思う。ある運命を受けいれ、そこに繊細な感受性をもって柔らかな世界をひろげてみせる。 主人公たちは、ヘールシャムの幸せな幼年期の記憶をまとっている。過酷な運命にさらされることになっても、またヘールシャムの「驚くべき真実」とやらがわかっても、なお、幸せな記憶は、主人公たちからは消えない。幼年期特有のいじめもあり苦悩苦痛もあり、ヘールシャムは楽園ではなかったけれど、そこでの憶い出が、主人公たちを支えている。 読了後、「それでも、キャシーたちは幸せだったかもしれない」と感じた。 | ||||
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| ある特殊な役割を持った人々の成長と愛情の物語。ある意味では、家畜のような存在の人々。教育もうけ、知性もあり、芸術性もあり、愛情もあり。自分の運命をやがてしっていく。それなのに、しずかに、淡々と受け入れる様が物悲しい。延期する手段もあるが、でも、それは、延期にしか過ぎず、中止ではない。静かに、悲しい話なのであるが、淀む事なく話はすすんでいく。愛する人を亡くした後の、主人公の女性の最後の静謐な”境地”を読んで、私も泣いた。 同じような設定を、マイケルクライトンの”クロモゾーム6”で読んだが、あまりに読後感が違う。いつか、本当に、こんな時代もくるのだろうか? | ||||
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| いかにも現代的な設定だと感じた。クローン技術などが急速に発展してきた、現代社会への警句とうけとるこもできると思う。でも僕はその設定自体はこの話の主題ではないと思う。人は誰でも自分の意思とは無関係にいろいろことが限定されてしまっている。例えば、才能、容姿、財産などだ。物語のなかでも主人公たちは、僕たちの想像をこえて、悲劇的に限定されてしまっている。でもその不条理のなかでも、彼らは生きていかなければならない。これは人間だれしもに当てはまることではないだろうか?これが僕がこの本から感じたことだ。いろんな読み方ができる、考えさせてくれる本だった。 | ||||
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| 友人がこの本の話をしてくれて、実際にストーリーを知ってしまったのですが、それでもなお、読んでみたくて買いました。つまり、ミステリの種明かしをされてもなお、どうしても読みたいと思ってしまったのです。 この作家の本は初めて読みましたが、翻訳も素晴らしいのでしょうか、睡眠時間を削っても最後まで読みたくて、泣きながら夜更かししてしまいました。主人公は31歳の女性で、昔の回想を淡々と述べていきます。でも、子供時代、思春期、青春時代、その描写のこまかいことといったら、男性が書いているなんて思えないくらい、繊細でした(失礼!)。この小説の世界を見事に構築したカズオ・イシグロに、私は敬服しました。素晴らしい想像力です。他の作品もぜひ読みたいと思いました。いままでにない、読後感でした。 | ||||
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| 主人公は現在「介護人」、親しい友人たちは「提供者(だった)」、みんなが育ったのは「ヘールシャム」という場所・・・ この社会のしくみを早く知りたい一方で、主人公たちの人間模様をじっくり味わいたくて、一気には読めなかった。 これは回想と、控えめだけれどどこか意固地な過去の憶測から、現在へと進むストーリー。 最初は全く伺いしれない主人公の境遇や不可解な世界のからくりが、徐々に明らかになってゆく。 私たちとは違う世界、違った教育、ズレた価値観、人生観・・・ でも彼女たちにも愛情、怒り、希望、不安、虚栄心・・・がある。 学園生活は充実していて、友情や思い出は確かなものだ。 抑制の効いた主人公からは語られない登場人物の想い、哀しみを想像すると、鳥肌が立つ。 淡々とした美しい文章、痛くてとても読み返せない。 | ||||
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| ディティールの表現うまさや、感情を丁寧につづった点はすばらしいと感じたが、テーマのわりに背景が薄いような気がした。 著者は日本人名だが感覚は外国人だなぁと、登場人物の感情の移行を読んでいて感じた。 | ||||
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| カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』をひそかに読む。翻訳された女性の語りで綴られるストーリー、作者が日本人であることはもうほとんど関係ないということを実感する。 短命に終わることが、予めわかっている主人公たちは、映画『ブレードランナー』のレプリカントに近いものがある。しかし、きちんとした教育を与えられると、ちゃんと自分の役目を理解する大人に育つということを書きたかったわけではないでしょう。 彼女らより長い人生が、一般的に与えられているとはいえ、限りある命という意味では、私たちの人生も変わりはない。ただ、彼女らは、自分たちの臓器を私たちに提供するよう運命づけられている。文字通りの「献身」である。 彼女らの最高の望みが、わずか3年の延命と恋人との自由な生活だけというのが、泣ける。鮮明な記憶は彼女たち「生徒」の特性であるが、生きた証は何度でも繰り返し思い出されることの中にあるのだろう。 架空の生命体(遺伝子的には人間だけど)の独自の世界観を表現して、静かで滑らかな、読み応えのある文学作品でした。「泣ける」かどうかは、その人によるでしょう。 Never Let Me Go の原題のわりに、「行って」しまうことがどうしようもないこととして刷り込まれている「生徒」たちの悲しさは、幼いときから敵を倒すことを使命と教え育てられる、かの国の子どもたちを思わせる。 | ||||
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| 読了後、呆然とすることしばし。 この物語には、暗く深遠な川を思わせる重厚なテーマが 根底に流れている。しかし、それらが読み進む上での 重石になることなく最後まで読ませるところは作者の 力量かと。 最近読んだ新刊の中で、間違いなくベストに数えられる作品。 ぜひ、読むべきです。 あと残念なことに、この作品のレビューをしている方の中で 明らかなネタバレをしているものがあります。それでも決して 作品自体をスポイルしてしまうほどのものではありませんが、 その事前情報があるのとないのでは、明らかに導入の印象に 影響してきます。厳に謹しむべきかと思われます。 | ||||
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| 90年代後半のイギリス。特別なドナーの介護を仕事とする31歳のキャシーは、人里離れた寄宿学校での生活を思い起こしていた。 キャシー、ラス、トミーは、幼少時代をHeilshame schoolで過ごしたクラスメイトだ。そこは、生徒たちがどれほど特別な存在なのかを事あるごとにそれとなく伝えてくる謎めいた大人たちがいて、奇妙な規律が存在する不思議な学校なのだ。時が経ち、成長したキャシーが、それまで音信不通だったラスの介護を率先したことをきっかけに、彼女の生活に再びラスとトミーが入り込む。物語は、キャシーが過去を思い起こし、自分たちが「特別」であることの意味を理解しながら、その賜物が3人として残された日々をどう作り上げていったのかを彼女のモノローグで描く。 Carer Donation Guardian Gallery Possible...。イシグロの手によって、何てことのない言葉が特別なものに変わります。それらの言葉ひとつひとつに「明かされるべき謎」の影が見えて、読むものを話に引き込むのです。巧みな話の進め方に時間を忘れて読みふけること請け合いの1冊です。 謎めいた幼少時代。無垢な者たちを囲む非情な現実。それが当たり前だと思いつつも、消えそうな希望の光を握り閉める心。淡々と過ぎていく時間...。哀しくも美しい物語が、穏やかに、そして流れるような文体で書かれています。 | ||||
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| キャシーとルースの感情の絡み合いや、微妙な女心の揺れが、あまりにも現実的であるため、 自分自身の過去の思い出や経験と重なり合い、不思議な既視感をもたらす。 しかし、徐々に特殊な存在であることが明らかにされるにつれて、 現実離れした世界(…でも、本当に有り得ない世界だろうか?)が不思議な浮遊感を創り出してゆく。 テープに合わせてダンスを踊るキャシーの腕の中にいるのが、 架空の恋人というよりも、赤ん坊として表現されたことにも驚きました。 男性の著者が、どうしてこんなに繊細に、鮮やかに女性の心の動きを表現し得るのでしょうか。 SF的な主題でありながら、もしかしたら彼らのような生命がすでにどこかに存在しているかもしれない…… そんな懸念を払拭できない私は、現実の境目を見失ったような感覚を味わいました。 | ||||
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| 私もレヴューの方と同じ「ブレードランナー」を思い出した。が、その手法は表と裏で、存在を否定された側から読者の同化を促し進行する。 ですから、明かされた最終章では、あまりに酷い。 ボストンに住む弟から著者を教えてもらい、初めて読んだ。原語を読んでみたくなるほど、訳語も素晴らしい。 | ||||
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| 前作「わたしたちが孤児だったころ」は少々物足りなかったが 本作は名作「日の名残り」に勝るとも劣らぬ傑作だと思う。 ではあるが、正直言って読後には背筋が寒くなるのを覚えた。 そして巷に溢れる数々の「ホラー小説」より、この作品のほうが 遥かに恐ろしいテーマを扱っているのではないかと思った。 「生命」に関する考え方が大きく揺れ動いている現在、 この物語の設定は荒唐無稽とは思えない。 「個人の尊厳」「人権」といった人類が長い歴史のなかで積み上げてきた倫理など 科学の暴走とそれを是とする人びとの前では何の価値もない、ということだろうか。 物語の終わり近く、キャシーとトミーが老いた指導教官をたずね、 善意と使命感に基づいて行動したはずの彼女から残酷な本音を聞かされる場面には、 イシグロの鋭い批判がこめられているように感じた。 「人間中心主義」の行き着く先、西洋の道徳感に潜む問題に対し、 鋭敏な感受性と批判力を備えたイシグロは、静かに異議を唱えているのかも知れない。 この優れた作家が同時代に存在することを幸せに思う。 また、原文の繊細な陰影を見事にとらえた翻訳にも敬意を表したい。 | ||||
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| ある背景を除けば、3人の成長を綴った甘酸っぱい青春小説です。 が、その背景は作中にも出てくる「知っているのに知っていない」という感覚を読者にも 体験できるように、語り手はさりげなく…そして何度も触れているにも関わらず、3人の 成長と感情を前面に書いているため、最初は朧げにそして漠然としか認識できません。 そして最後に向けてそれは重く暗く読者の心を鉛の弾となって貫くのではないでしょうか。 この構成は見事だと思います。 自分は鈍いのか、その重さを実感するまでにしばらく放心状態になり、もう一度物語りを 反芻し、登場人物達に思いを馳せると言い知れぬ不安に襲われました。 突拍子もない背景かも知れませんが、あり得なくもなさそうな描写に人知れず呟きました。 「わたしを離さないで」 | ||||
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| 家畜や奴隷に幸福はあるだろうか。思春期を含めて、青春や友人関係の喜びはあるだろうか。夢やアイデンティティを追い求める価値は? 障害や病気、人種や貧困などによるマイノリティが、少数の富裕層や中流階級の幸福のために犠牲にされる構図は、本書だけでなく現代社会に厳然と存在する。先に「新しい世界」を手に入れた人々が、「古い世界」で生きている人々を「無慈悲」で「残酷」な世界に追いやる。多くの人はそのことに気づかず一生を終える。不思議だ、変だと思っても実際には行動に移すことはない。 本書は学童期の「ヘールシャム」時代、モラトリアム期の「コテージ」時代、そして「一般社会」時代の3部に分かれており、主人公を含めて3人の運命が丹念に綴られている。彼らの決められた運命のごとく、全編閉塞感に満ち謎と不思議が覆っているが、主人公が真実に肉薄するとき、彼らの人生が一見悲しい中にも輝かしい光を帯びることになる。特にキャシーという感受性の強い魅力的な主人公の説得力ある語りによって、非現実的であるが、決してファンタジーとは言えないリアリティを、凄みを持って感じられる。 | ||||
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| 前々作『充たされざる者』前作『わたしたちが孤児だったころ』で顕著になったと思うんですが、『充たされざる者』では都市に招かれた指揮者、『わたしたちが孤児だったころ』では若い私立探偵が、それぞれの表現・活動を通して世界を救おうという気持ちを持ちながら世界に翻弄されまくって、無力感の果てに感情を揺さぶられるという仕掛けになっていました。 この『わたしを離さないで』では主人公たちにある運命を課すことで、初めから世界を変える力を奪っています。世界に対する皮肉な見方も削げ落ちてしまったところで、浮かび上がってくる感情のナイーブな純度、閉ざされた生のなかで見られる夢の切なさは、ほかの作家の作品ではあまり体験できないものではないでしょうか。変な連想かもしれませんが、小津さんの「東京物語」を思い出してしまいました。 読み続けていてふっと感情がこみ上げてくるところが小津さんの作品に通じるような。世界に対してあらかじめ無力であると規定されることで感情が純粋にあふれる(その点だけで言えばやや実験的冒険的だった前2作より無理や破綻がなくて完成度が高い)というのは、そこまで世界が悪くなってしまっているということなのかもしれません。そして無力であると規定された主人公たちが、いまを生きる私たちのメタファーだとすると、こみ上げる感情を味わった後に残るのは、すごく苦い気持ちでもあります。 | ||||
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| 何もはっきりとは書かれていない。 秘密が明かされて行くのも、小出しにされるというよりも、 読んでいる自分たちさえ最初から知っていて暗黙の了解の上に会話をしているような気になる。 公然の秘密を共有しているような感覚。 曖昧な状況とは裏腹に、子ども時代からの心模様は過剰に思えるほど詳細で執拗だ。 始めから役割が決まっているとしても、逆らえない運命だとしても、 それが降り掛かっている人物にだって「ふつうの」感情があることを示しているのだろうか。 地に足がついていないというか、足をつけるべき地面がないような感じがするのは、 登場人物たちの不確かな境遇ゆえだろうか。 話したところでどうにも抗えないと分かってはいるけれども、 もしかしたらという気持ちを捨て切れない、あの妙な期待感を覚える。 訥々とした語り口からは想像もできないほど先を急ぎたくなる物語で、 キャシーたちの「ふつうの」しあわせを願わずにはいられなくなった。 それが叶わないことだと知っても。 | ||||
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| こりゃあ、たいしたもんだ。うまくいえないが、そこはかとない感動があるな。ひょっとしてこれって俺たちのことかも知れんな。俺たちって、俺たちみんな、誰でもっていう意味だけど。特殊な設定にして問題点をわかりやすくしただけで。 俺は、「ブレード・ランナー」を思い出していたよ。 構成もみごとだし、論理もわかりやすい。たぶん訳もうまいんだと思う。 | ||||
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