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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全707件 541~560 28/36ページ
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正直に言うと、私のような小娘には評価が難しい作品だと思いました。まさか、物語がずっと回想形式で進んでいくとは……。“です、ます”調が少し鼻についたも事実です。原文だと印象が変わるのでしょうけど、そこは海外小説の難点だと思います。ですが、各国で評価されるのも分かるような気がします。ノーフォークに旅したときの、微妙でいて絶妙な距離感の二人が印象に強く残りました。 | ||||
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訳者のあとがきに、"ごく控えめに言ってもものすごく変わった小説"とありますが、実際そうでした。謎自体は途中で明かされるのでそんなに謎ときでもないし、心理に共感しようとするには主人公が状況に対して淡々としすぎているし。救いのあまり無いラストに向かって粛々とストーリーが進む有様は、途中でかなり疲れを感じ、読後感も落ち込む感じでした。描写はきれいなんですが... 訳者あとがきによると、作品によって作風を変えるトライをする作者らしいので、他の作品も読んでみたいな、と思いました。秋から冬の夜、しんとした寂しさを感じたい気分のときにいいかと思います。 | ||||
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鼻の奥がつーんとして、涙が自然と溢れてきて、特に後半はよく泣いた。すばらしい小説だった。 物語の内容について触れれば触れるほどネタバレしてしまうので、やめておくとして(とはいえネタバレしてても感動できるよい小説だと思うけど) それ以外に触れてみようと思います。 ずっと文章が同じテンポなんですよね、とても抑制されてて、緻密に描かれていて、物語がいかに展開しようとも、 文章のテンポは乱れない。じっと抑制しているんです。どういうと、いいのかな、あるドラマがあるとする。大事なシーンは登場人物のアップにしがちだけども、 これはずっとひいているというか、そのように抑制され、ある意味さめているのです。だから、いいんです。ぼくたちに入り込む余地をくれるというか、その冷めているけど、 幻想的なイギリスの曇った空の下の草原のような、そんな雰囲気がずっとある。あと、そのSF的設定にふみこんでいきそうだけど、踏み込まない。あくまでも3人の美しい思い出の中で留まっている。あえて、抑える、あえて、留まる。その作者の自制心がすごいなと思いました。 と、よく考えてみると、主人公が「自制の人」なんですよね、だから、文体もプロットも「自制」されていたのかな、なんて思ったりもします。 | ||||
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イギリスのとある場所での「学校」で共に育ったキャシー、ルース、トミーという3人について、私(キャシー)が語る物語。 3人を含むこの「学校」の生徒は普通の人間ではない(つまりクローン人間)。彼らは臓器移植のための臓器を提供するために「作られた」。この「学校」の生徒は毎年何らかの創作活動を行い、その中で優れた作品は「マダム」と呼ばれる女性校長(?)が買い取ってどこかへ持って行かれる。(作品の行方については、すべての秘密と共に最後に明かされる。) やがて3人は「学校」を卒業し、Cottageと呼ばれる寮でこれまでの卒業生(veterans)と共同生活を送りながら、donationをする。キャシーはdonorにはならずに彼らの世話をするcarerとなるわけだが、donor達は臓器を提供することでやがてcompleteして(死んで)しまう。 この「学校」がどのようなものか、また、彼らが何者かという秘密については生徒達には明かされていない。その秘密をキャシーとトミーはつきとめる(ルースはすでにcompleteしていた)。そして、トミーは四度目のdonationの後にcompleteする。 すでに「学校」は閉鎖され、誰もその存在を知ることもない。「学校」も彼らの存在もすべては闇の中に消え去ってしまう。 キャシーはかつて「学校」があった場所を訪れ、トミーの幻影を見る。そして彼女は何の感慨もなくそこを去っていく。 「わたしを離さないで(Never let me go)」というのは、文中では、キャシーの好きな歌の題名として出てくる。彼女はこの歌を子どもが産めない女性が赤ん坊のことを思って歌ったものと考えていた。(本当は恋の歌ではないかと思うのだが。)キャシーは自分がクローン(クローンは生殖ができない)であることを知っていたのかいないのか定かではないが、この歌に強く惹かれる。 クローン人間、臓器移植というとてもセンシティブなことがらをテーマにしたこの物語は、淡々と話を展開させるイシグロのスタイルもあってか、異常な世界が日常のように流れていく。最初から最後まで淡々と流れ、まるで彼らの生命がそうであるように何ら特別な感慨もなく物語も終わる(complete)。何とも形容しがたい読後感だけが残る。 | ||||
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カズオイシグロは初めてです。帯のキーラナイトレイと背表紙の「提供者」の不思議な響きに惹かれて購入しました。 作者が描きたかったのはいったい?青春期の少年少女の心情なのか?残酷な真実なのか?残酷な真実は必要なのか? 最初の頃から違和感を感じますが、静かな展開であり、真実に立ち向かう結末に向かうとは(最初から)思えませんでした。 いくつものメッセージを感じますが、どれを強く訴えたいわけではない。静かで悲しい物語でした。 | ||||
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◆小説◆【筋】臓器を提供(DORNATION)する宿命を負うクローン人間の幼少から生を全うする迄を描出。【構成】全3部23章。主人公キャシーH(介護人:CARER)の回想形式。1部はHAILSHAM寄宿学校での幼年から16歳迄(英国の義務教育期間に相当)。2部はCOTTAGEと呼ぶ農場屋敷での共同生活。提供者(DORNARS)として出る準備。3部は約10年後の臓器提供と終焉【主な登場者】キャシーH,ルース♀,トミー♂(ヘイルシャム同級生3人),謎のマダム,エミリとルーシー2人の先生(文中GUARDIANS:保護官),コテージの先輩クローン、クリシー♀とロドニー♂(恋人同士)【特異性】小説が「読者の生、存在の話」に変容していく。感情移入でなく、読み進むうち「自己の幼年からの足跡や現在」が本編と交錯する。気づくと、自分や関わる人々こそある種クローンに外ならない事実に直面、「必ず消えて失くなること」に戦慄し、NEVER LET ME GOと叫びたくなる。【表現】英国INDIPENDENTスクールがベースのヘイルシャムでの生徒の会話、視線、細かい仕草や女子の性格描写が非常に巧み。英国らしい景観、場面ごとの空間、質感、色彩の捉え方が心にくい。土屋政雄の翻訳が絶妙【伏線、展開】6章の音楽テープ、Norfolkというある地域、15章(CROMERは実在の街)、終章、エピローグ。果たして「救い」はあるのか?【感想】近親者を亡くしこの本を選びました。「わたしを離さないで」という声がずっとこだましています。声の主は私かもしれません。◆映画◆小説の特性上、映画化は困難。単に表面的なクローンの悲劇に終始。唖然。伏線のテープや出来事も酷い脚色。ラストに首題説明のテロップが流れた。英国風景、空気や美しい子役の映像、音楽はまあまあ。星ひとつ。読む前に観るべからず! | ||||
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たまたまNHKの特集を見て、自分の中でのいくつかの発見がリンクし合っていて、これは今の自分には読むしかないと思わされる部分があった。 映画化されるというのは知っていたが、作家のことを何も知らなかった。こんな作家がイギリスにいたのか〜と今更ながら大きな発見をした感じ。 文章がとにかく鮮明な記憶を辿っているようで、事細かな描写が自分の幼い時代の過去の記憶の残り方そのまんまというか、匂いが同じ感じがして奇妙な感じさえした。 「発達、前進ということが大人になることと思われがちだが、大人になるというのは過去と折り合いをつけられることだ。」インタビューで聞いたこの「過去の記憶に折り合いをつける」という一言にはっとした。つけられないで悩み苦しみ、思い出したくないことほど鮮明に思い出してしまう、暗い記憶から何年経っても抜け出せずにいる自分に助け舟を出してもらったように思えた。 人と人との係わり合いも、わずかな一瞬の空気ではっきりとしたものを感じ取れることがある。説明の仕様もないし証拠も無いけど確かな感覚。こういうものをうまくきれいに文章で表現できる力はすごいなぁと羨ましくもなった。読むべくして出会えた本のように感じた。 | ||||
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私は村上春樹は響かない カズオ・イシグロは響く 表紙の絵、 最初見たときは何これ? カセットテープ ・・・読んだ後は象徴的でした | ||||
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■「使命」を背負わされた「提供者」と呼ばれる若者たち。 最初は、「なぜ逃げないのだろうか?」と、不自然に思いました。 しかし、読み進めていくうちに、これは、ささやかな思い込みの希望にすがり、 経済のために与えられた「使命」をこなし、これまでの習慣や体験や記憶にすがる 自分自身の姿だと思えるようになりました。 ■人には寿命があり、自分では決められません。 尺は違いますが、これは、私も含む、私たち個人個人の物語ではないのか? 以前通った学校や、勤めた会社を「ヘールシャム」に置き換えたり、 「保護者」を、自分の親、会社、上司、先生に置き換えたら、 私たちの日々の葛藤や、記憶をめぐる多幸感、愁傷感は、 「提供者」や、語り手である「介護人」の心の動きに重なるのではないでしょうか? ■この小説を読みきるために、瀬戸内の島を選びました。 その島の名前は「豊島(てしま)」と言います。 瀬戸内アートと産業廃棄物で有名になった島ですが、少子化に伴って廃校になった 小学校の前のがらんとした広場の、錆びて朽ち果てた遊具の前で、読み終えました。 「ヘールシャム」という場所は、瀬戸内の離島にもあるでしょうし、 私たちの心の、記憶のある場所に、息づいているものだと思いました。 ■私たちが、本当に凍りつくのは、この小説の設定にあるのではなく、 この物語は、限られた生を、ささやかな希望と疑念の中に、 他人、自分自身に翻弄されながらも生きていこうとする自分自身の物語だと気づいた時だと思います。 かわいそうな若者たちの寓話ではなく、私たち自身の死に際に再現されるであろう自分自身の物語。 そう考えると、この小説には、悲しみだけではなく、切ない希望も感じられます。 ■では、わたしたちは、なぜ逃げないのか? わたしたちは、何から逃げるというのか? わたしたちは、逃げて、どうなりたいのか? なるべきなのか? そもそも、逃げる必要はあるのか? そもそも逃げることは可能なのか? このような問いを、選択肢を、死に際ではない今、著者に作品を通していただけたことに感謝します。 ■ルースとトミーの運命、キャシーの思い、この物語自身の記憶を無駄にしないために、 彼らの記憶を、自分の中に、受け入れていきたいと思います。 もっと深く、日々の物事を感じながら、これからの人生を過ごせるような気がしています。 この作品と、その出会いに、作者に、感謝します。 | ||||
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何気ない会話、丁寧な過去そして現在の日常の描写。一見するとただのモノローグ小説のよう。が、それこそがこの小説の凄さだ。 主人公そして友人たちの置かれた状況と環境はこの世界にありえない。凄まじい悲劇だ。 それなのに、それを何気ない日常に組み込み、ぼんやりとした感傷のように仕上げてしまうカズオ・イシグロの凄さを感じる。 凄まじい悲劇の真っ只中にありながら、淡々と役割をこなし、その役割から逃げようとしない彼ら。その淡々さこそが、彼らの「普通ではない」事の証明なのか。 また、細かな感情描写。こんなに「僅かな会話がもたらす友人間の空気の変化」を全編で追い続ける小説も非常に珍しいと思う。 久しぶりに、フィクションの可能性をひしひしと感じた作品であった。 読み終わって見ると、本の装丁すらも選び抜かれたものだと感じ、隙の無い作品だと思った。 | ||||
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長崎で幼少期を過ごした筆者。メタファーになり得るほどのIDENTEITYには小説内には過不足はあるようだが、静観は出来ないイライラ感虚無感絶望感希望的観測自己満足感を痛切に投入されてしまった瞬間、あまりスペイサイドよりは島云々のアイランド系のモルトで感慨したい欲情にかられました。 | ||||
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カズオ イシグロの作品は以前から気になっていましたが中々手をつける機会がなく先日NHKの特集で読む決心をしました。ストーリーはそれゆえに何んとなく把握済みでした。文章の読みやすさもあり一気に読み終えました。主人公のゆっくりとした間を置いたような語り口で彼女たちの取り巻く環境が特殊でありながら全くそれを感じさせず、3人の登場人物に起きるちょっとした事件や、やりとりに自分を投影させながら読んでいきました。何気なく語られるエピソードや感情が特別なようで特別はなく、しかもそれは彼女たちにとってとても大切なものであるということが自分の生活においてもいろんなものを見過ごして本当は大切なものであることを適当にしているんではないかと感じさせられました。ただストーリーを追って読んで行くだけでも面白い作品ではありますが、空気感が素晴らしく、最後のシーンは小説の中で吹く風を自分自身も感じることができました。言葉の力をつくづく思い知らされた作品です。 | ||||
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映画を観にいく前の予習として購入。コシマキは出演者が印刷されたものでした。 映画のほうは、原作のエピソードを大幅に端折ってあるので、映像だけを記憶に残し、ゆっくり読み返すとよろしいかと。 | ||||
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自分の感受性では、最後まで本書を理解することができなかった。 他のレビューにあるようなリアリティについては気にならず、文章の良さもあってすんなり入り込むことができた。内容が退屈だということもなく、400ページ以上にわたってぎっしりと文字がつまっているが、割と短時間で読めた。 しかし、本書をどのように受け止め、どう表現していいのかがわからない。 確かに読了後、何かが心の中に残っている。しかし僕の感受性、表現力、語彙では、これが何かを表現できないばかりか、自分自身でもよくわからない。何だか、モヤモヤしている。 本書は極力ネタばれはない方がいいと思うので気をつけたいが、 しかし、以下、ちょっとだけネタばれになるかもしれない。 本書の中心となる3人は、運命を受け止め、抗うことなく生きているように見える。あるとき、ひとつの希望が見えた。その時の彼女らの反応はどうか。著者のまさに抑制のきいた文章のごとく、彼女達は自分達を抑制しながら行動する。 その心の動きは理解できる。どうしようもならないと運命を受け止めているとき、人はそのように行動するのかもしれない。でも、本心は、望んでいるのは、きっと違うのだろう。 次のセリフが、頭に残っている。 「よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必至でしがみついているんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される・・・」 そこで、本書のタイトルを思い浮かべる。そう、あのカセットテープの。Never Let Me Go・・・わたしを離さないで。わたしを行かせないで。そんなことをしないで。 そして、彼女たちの出来事と、想いとを想像するのだけれど、その想像が最後まで辿り着けない。 まだ、僕には本書を理解することができない。 何か重要そうなことだと思うのだけれど。 | ||||
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これは「失われてゆくものの物語」。 この物語が描く「失われるもの」とは何か。 本当に様々な解釈で読む事ができるのです。 私たちが人生で触れるものは、観念的事柄であれ、具体的事物であれ、 全て、ひとつ残らず、失われてゆきます。 それだからこそ美しい、と思う人もいるでしょう。 愛おしさ、あるいはやりきれないほどの切なさを感じる人も、 失われるものそのものによっては、不安や恐怖を抱く人も…。 それがそのまま、この本の読後感となります。 それはつまり、読み手によって、また、人生の折々で読み返す度にも、 まるで違う物語となり得る、素晴しい小説。 緻密な筆致、隙のない構成も見事です。 まるでその世界を手に触れることができるような、緻密な描写。 誰しもが子供だった頃、ティーンエイジャーだった頃、 経験したような事ばかりではないでしょうか? 抑制のきいた文体で語られてゆく、想い出のエピソードの数々は 本当に些末な出来事がほとんどです。(しかし物語にとっては重要な…) それと対照的に、この物語世界に終始して横たわる、非常にヘビーな「現実」。 そのコントラストが、 キャシー達をより「私たち側」のリアルな存在として感じさせ、 その世界の異様さを、あくまで叙情的に受け入れる事に成功させている、ような。 何にしろ、私にとっては非常に思い入れの深い一冊であり、 この先、一生にわたり幾度も読み返してゆくだろうことを予感させるのです。 この本を幾度失おうとも、その度に、取り戻すのです。なんちゃって。 (実際、一度なくして買い直しました) | ||||
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KAZUO ISHIGUROの名前を知ったのは数年前のことだが、数冊の本を出していて、それぞれの本がせいぜい200〜300ページくらいの厚さしかないと言うことにちょっと感心しただけだった。今回この本を手に取ったのは映画化されたのがきっかけだったが、彼の作品の短さだけでなく寡作であることにも驚かされた。デビュー作の「A PALE VIEW OF HILLS」が出版されたのが1982年で、最新作で七作目の短編集「NOCTURNES」が2009年に出されているから、およそ4年に1作と言うところだろうか。4年と言えば、STEPHEN KING氏だったら数百ページの長編を毎年出すことができるだろうし、村上春樹でももっと短い間隔で作品を発表できるだろう。それなのにISHIGUROはその道を辿らなかった。 この本を読み始めて感じたのが、恐ろしく愛想の無い小説だと言うことだった。なかなか心の中に染み通ってこない。英語も、単語はそれほど難しいものは使われていないのだが、構文は平易でないし、近づきがたいものがある。しかし読み進むうちに漸く分かった。わざとこんな書き方をしているのだ。一つ一つの作品が短いと言うことは、各作品が決して雑に仕上げられたと言うことではないのはすぐに理解できる。それどころか彼の場合、一つ一つの文章に掛ける時間が恐らく長いのだろう。ありきたりの言い方だが、彫琢の限りを尽くして創造したと言って良いかもしれない。 主人公であり語り手でもあるKATHYが、友だちと幼少年期過ごしたHAILSHAMと言う学園は最初のうちはなんでもない雰囲気で、物語の展開も単なる学園小説だと勘違いしてしまうほどだ。ところがある雨の日、Miss LUCYと言う女性が生徒たちに語った言葉でやっとこの小説の重さが理解できた。ある目的で作り上げられた生命と言うのは、何かしら家畜や農作物を想像させてしまう。こう言ったテーマの小説は、他の作家も書けるかもしれない。星新一だったらきっと、さらっとショート・ショートを仕上げててしまうだろう。筒井康隆だったら、批判されそうな小説を書き上げてしまうかもしれない。もちろん二人とも奥底に持っている考えは深いことは言うまでもないだろうが……。 この小説は長編小説だが、ペーパーバックで300ページくらいの手ごろな小説だ。長編に慣れている読者だったら、面白いかどうか分からないうちに読み終えることができるだろう。ぜひMiss LUCYが生徒に向かって発言するところまで読み進んでほしい。そうすれば、この小説の重みが理解できるのではないだろうか。 | ||||
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若い女性が語る形式で物語りはすすみ、最初のページで施設育ちの介護士の話かと思ったが、すぐに提供者、保護官などの言葉が出てくるのでこれは違うのだと思うようになった。一部、二部、三部とだいたい時間に合わせて物語はすすむし、日本語にも違和感はなくとても読みやすい。性格表現もすばらしく、語り手の友人トミーとルースには読み進むうちに実在の人物のように思えるようになるから不思議である。登場人物がいかにも語り手のように行動しそうに思うようになる。語り手の疑問も、最後には登場人物により語られる。が、読者には正直、疑問な点もあるだろう。だから、星5と言いたいが、読者の疑問、たとえば作品の科学的背景や社会的背景が少し現実離れしている気がするので、星4。余談だが、解説者が遺伝子工学云々されるが、逆に関係ないとした方がいいと思う。つまり、チェスの駒の動きの規則に疑問を挟んでもしょうがない、ナイトは何でこんな動きなの?、これに答えろと言われても。ところで、あのジュール・ベルヌも大砲で月旅行に行き、宇宙空間で窓を開けて物を捨てて閉める物語をまことしやかに書いて、読者、つまり小学生は信じた。いまはなぜできないかわかるが、このことが進歩とは思えないし、ベルヌはいまだに好きだ。カズオ・イシグロのファンも同じと思う。 | ||||
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幼い頃から手厚く「保護」され、 親のエゴの被害も受けず、純粋培養される提供者たち。 彼らは自分たちの使命を、幼い頃からたたき込まれる。 提供に相応しい身体を作るために若年同士の「セックス」も奨励される。 自分自身の「完了」に対する恐怖は、ない。 一定の年齢になると「提供」が始まり 介護人としての道も選べる。 芸術作品の創造により、提供を猶予されるかもしれないという希望が打ち砕かれても、 一瞬の絶望の後、穏やかにそれを受け入れる。 戦慄のストーリー?それは違う。 私たちは、むしろへールシャムの生徒たちに羨望を覚えるだろう。 彼らの,意義ある短い人生の何と輝いていることか。 目標もなく,寿命が終わるまで漂い続ける「普通の人生」のなんと残酷なことか。 私は断言する。 ヘールシャムの彼らは、この上なく「幸福」なのだと。 この世の誰もが決してたどり着けない 「生の意義」を達成して逝けるのだから。 読後感は、萩尾望都氏の「トーマの心臓」を読んだときに似ている。 出来れば萩尾氏に漫画化してほしいけれど、映画にもなっているし無理な話か。 | ||||
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読了した後、”切ない”という感情が胸にあふれてくるような小説。 最近”泣ける”というキャッチコピーが大流行りだが、泣くという単純で直接的で幼稚な感情に うったえる安易な小説に辟易している人にこそおすすめ。 切ないという感情は泣けるよりもずっとはかなくて、もっと優しくて、より深く心にしみいるものだと思う。 こんな小説はめったに出会えるものではない。 いくつかのレビューを読むと、この小説の特異な世界設定や、物語における謎にとらわれている人が多いようだが、 この小説は決してSFでもミステリーでもなく、純粋な青春小説である。 SF的な要素やミステリー的な要素があったとしても、それは子どもから大人になるという青春時代にだれもが感じる切なさを 表現するために必要な設定にすぎない。 フィクションとしての設定を最大限に活用することにより、現実よりもリアルな感情を読者の心に 生み出すことに成功しているこの小説こそ、まさに本当の小説というものだろう。 | ||||
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飛ばし読みしたけど、ラストらへんで心がプルプルふるえました。けど涙は出ない。ふしぎな読後感でした。 個人的に、トミーが「キャス、おれは介護人を替えようと思う」と言い出したところがシビレました。これぞデリカシーじゃないかと。 あと、トミーが「(フランクな)ルーシー先生が正しいと思う。(厳格な)エミリ先生じゃない」というとこは、非常に悩ましかった。そんな単純じゃないだろうというか。 ちなみに映画版は超駄作でした。製作費50億円で、興行収入が2億円というのが超納得。観客の女の子たちからはすすり泣きがきこえてきましたが、泣いてる意味がわかりませんでした。これは、僕の心がこわれてるせいかもしれません。というか途中で居眠りしたせいかもしれません。 主人公たちが生体移植用のクローンという設定は、すべてが経済原理で格付けされてしまう民衆のメタファーになっているようで、魂の自由の問題をあつかっているのかもな〜。 | ||||
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