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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全714件 661~680 34/36ページ
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| キャシーが子供時代をすごしたへールシャムという全寮制施設は私たちの知っているいわゆる寮とは少し異なる。読みすすめるうちにその奇妙さはへールシャムの子供たちがある一つの目的(それはある意味実に利己的な)のもとに育てられていることによるのだと気づく。限定された生活の中で、彼らは大いに青春を満喫する。カズオ・イシグロはその様を実に抑制の効いた筆致で描き出す。自分の運命を大仰に嘆いたり、悲しみにふけったりすることは不思議なことにほとんどない。彼らは実に素直に運命を受け止めている。諦観の念??それは私たちにはわからない。想像することはできるが、その残酷な運命を前にした彼らの気持ちを理解することは不可能だ。だからこそP88のある場面では形にならない彼ら全ての心の叫びがこめられているようで、涙が止め処もなく流れてしまった。私はこれほどまでに悲しいシーンに、今まで出会ったことはない。 | ||||
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| 涙は出ません・・が・・心の奥深くで泣けます。 近未来の悲劇ともとれるし、現在すでに闇で行われている事ともいえます。 私はこの話を「実験動物が言葉を話せたらきっと・・」とも受け止めました。 作者には不本意でしょうけど・・。 「日の名残り」と同じく、淡々とした語り口調が悲しみを誘います。 | ||||
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| Ishiguroの小説を初めて読んだ。流れるようなリズムを持った 不思議な英文に身を任せているうちに、最後には、胸を締め付け られるような悲しみの描写の中にいた。通常は、SFの手法に よくあるように、「ありえたかもしれない世界」は、外部からの 視点で描かれることが多いと思う。それを一人称の回想で描きだす 手法は、きわめて独自性が高く、リアリティを感じさせる完成度 に達していた。この物語の描く、生まれ持った特殊性と、その悲劇に、 映画「ブレードランナー」を思い出すひともいるだろう。最初の 1冊なので、この作者のことはよく知らないが、古典となりうる 風格をこの一冊に感じた。 | ||||
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| 残酷な運命に翻弄された若者たちの一生から描き出されるものは、広い普遍性をもっている。 大人になる過程の瑣末なできごといちいちに共感しつつ読み進めると、うすうす気づきはじめていた運命に直面する。 多くの人はアメリカには行けるにしても、映画スターにはなれない。 ある程度決められた運命のなかで生をまっとうするのは共通である。 介護人や提供者という役目を担う登場人物たち。 わたしたちはみな、いろんな意味で介護人であったり提供者であったりするのではないだろうか。 | ||||
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| この作品を紹介するのには恐らく予備知識無しの状態が一番楽しめると思います。なにしろ分からない事が段々と、しかもゆっくりと時間をかけて理解してゆく事を楽しむ小説だからです。 私の場合は必ず裏表紙の内容説明や帯の推薦を読んでから買うかを決めるのですが、この作品にはそれすら無い方が良かったです! もちろん世界観も登場人物もそして物語も、どれも満足のいく水準ですけど、じわじわと理解してゆく事の快楽をぜひ体験してみてはいかがでしょうか。きっとヘ−ルシャムに私たちの幼少時代の何かをあなたも垣間見ます、ずっと忘れていたけどまだ思い出せる何かを。 そして最後は涙の流れない悲しみがあなたを待ってます。 | ||||
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| 驚く程、登場人物の感情の抑揚が押さえられ、淡々と描かれている。 物語は「わたし」の目を通して語られるが、読者は途中で、背景の現実に気付く。 感の良い方なら、かなり早い段階で、気付いてしまうだろうと思う。 「わたし」やトミーは、既に、読者が気付いている現実を追う。 そして、徐々に驚くべき事の断片をつかんでゆくが、意外な事に、登場人物の感情は、ほとんど揺れない。 ある意味きわめて従順だ、とも言える。 私なら、トミーと手に手を取り合って、どこか遠くへ逃げてしまいたいところだ。 そういう事を防ぐのが、この教育の目的の一つなのか? むろん物語はフィクションであるが、技術的には不可能ではない。 倫理的には許されないが、金と権力を持っている、よこしまな人間が、こんな事を行わないとも限らない。 特に、世界的レベルでは、行われている可能性もあるのではないか、と、要らぬ危惧を抱く。 介護者としての「わたし」はどんな心境だっただろう? 最終ページは、特にやりきれない。 | ||||
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| 世界というのは、5%の「死をも惜しまずに理想のためにまい進する人」と、10%のアメリカンドリーム体現者と、そして85%の「現実を、いや運命を享受する人」に分かれるのではないだろうか。 人間は最初から非常に不平等で不公平に生まれつく。死は誰にも訪れるが、そこにいたるまでの人生の大部分は自分がいまいる環境によってでしか選択することはしない。 作中の「彼ら(キャシーたち)」は生まれながら運命が決まっている。それに対して彼らはあくまでも従順にそれを享受し、変化、変貌の期待を薄くもちながらも、不可能であっても打開しようとはしない。介護者として、そしてその後は提供者として自分が歩む道を決して逸脱しようとはしない。 当初、読みながら「なぜ逃げ出さない?」と私は何度も思った。 ただ・・状況はちがっても、われわれだって生まれた環境から脱するのは簡単なことではない。たいていの人は望みながらも、ちょっとの変化を起こすことで自らを納得させる。 人間とは、普通の人々とはそういうものなのだ。 現実にはありえないSF的要素がありながら、彼らの悲劇的生き様に「運命の許容と受容」について中年になった自分とオーバーラップさせずにはいられなかった。 読んだのは昨年だが、今でも折を見て読み返してしまう名作だと思う。 | ||||
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| 読み終わるのが勿体無いような、何時までも浸っていたくなるような、抑圧の効いた、最初から最後までまったく世界観がぶれない文体に脱帽です。この作品を読んでみて、昨今の日本の小説家の表現があまりにも直接的で強いかに気づかされました。淡々と、抑えた表現の中に誠実に書き綴られていく人間関係の厄介さ、成長していくことの辛さ、そして、抗えない運命の残酷さ。小説の王道をいくテーマと、現代(もしくは近未来)が抱えるテーマが見事に共存した傑作です。久しぶりに小説らしい小説に出会えました。そして、柴田元幸氏氏の解説がまた、短いながらも大変素晴らしいです。 | ||||
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| 丁寧に作り込まれた作品ですので(3ページ目あたりでSFネタがわかってしまうのは別として、というかそれが作品の価値を貶めるわけではないので見逃すこととして)最後まで読み切ることはできますが、既にこの手の世界観は萩尾望都によって描かれてしまっているように思えた私にはあまり魅力がありませんでした。 | ||||
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| よくある小中学校学園物として、物語は始まる。誠実に、丹念に、物語はつむがれる。だが、「提供」という不可思議な(しかしある予感を持たせる)概念が、次第に物語りに影を落とす。やがて、「ポシプル」という言葉が、予感めいた影に実態を与える。そして、とうとう「クローン」という、身もふたもない設定が明らかになる。 でも、物語は急がない。ヘールシャムの提供者ジュニアたちが、自然に認識していく速度にあわせて、描写されていく。作者の素晴らしい計算。心憎いまでの抑制。イシグロの並々ならぬ力量を感じる。 ルースは、よくいる女王様タイプのコンパ主役。いじめられっ子だったトミーも、生々しいキャラクター。だから、この物語の世界は、もうすでに主題を語っている。彼らは、腎臓や肝臓や心臓や網膜の単なる集合体ではない。数ページ読んだだけで、それは明らかだ。 理屈ではない。この世界に理屈を言っても仕方ない。この世界はそこに存在する。私達は、今や苦役を終えて「提供者」となっていくキャシーに、ただ涙を流すだけだ。 土屋政雄氏の邦訳はすばらしい。そもそも日本語で書かれたのではないかと思うような自然な語り口に仕上がっている。 | ||||
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| 1990年代末の英国。「介護人」を務める31歳のキャシーは、ヘールシャムで過ごした青春時代を思い返す。特に仲がよかったルースとトミーの二人の友。彼女たち3人をはじめとする子供たちは「提供者」として生きるよう定められていた…。 「わたしを離さないで」の描写にはけれんみは一切なく、主人公たちは抗うこともなく自らの過酷な運命を静かに受け入れているかに見えます。SF的な設定をもつこの小説を遺伝子工学など医療技術が進んだ現代社会への警鐘と捉えようとする読者もいるかもしれませんが、ならばこそキャシーたちの意外なほどの無抵抗ぶりには得心がいかない思いが募るのではないでしょうか。 キャシーたちのような「短命族」(と私はあえて呼びますが)と、彼らの犠牲のもとに生きる「長命族」(これもイシグロの言葉ではありません)とが対比された物語の中で私が強く感じるのは、命の優劣はその長短にはない、という至極当然のことです。 その長短にかかわらず、命はいつかついえるものです。いかに短くとも充実した命を全うすることができるのであれば、その命はいたずらに長い人生より価値がある。だからこそイシグロは抑制した文章で、キャシーやトミーたちに平凡な人生経験---ほろ苦い三角関係や激しく豊かなセックス---を与え、終わりの日に向けて彼らなりに濃密な人生を歩ませようとする、そう私には思えるのです。 鬱々とした老年の日々を送っているかにみえる「長命族」よりも、彼らのために生きることをアプリオリに決められた「短命族」のキャシーたちにこそ、輝く日々がある。その哀しいまでに美しい人生の果てが、文字通り最後の1ページに込められていて、この場面は幾度読み返しても倦むことがありません。 SF的設定はあくまで書割にすぎません。この小説の眼目は、私たちが人生を深めようと日々どこまで努力しているか、それを問いただすことにあるのです。 | ||||
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| 小説の中盤で明かされる秘密自体は、そんなにショッキングなものではありません。他の人も言ってますが、粗筋や書評を見て「そうかも」と予想していたネタでした(20年以上前にコバルト文庫で読んだ新井素子さんの小説でも、同じネタを扱っていたのを思い出しました)。 だから、そういうSF的味わいは2次的なものです。(ただ、この世界はカセットテープとかウォークマンとかとても古臭いものに満ちていて、下手すると80年代の英国では、と思わされます)。感じるべきは主人公キャシーの少女らしい瑞々しい感性や、得られたかもしれない大切なものをほんの少しの選択ミスから失ってしまうこと、それはもう取り戻せないと思い知ること、そんな喪失感、はかなさでしょう。非常に繊細な文章で描かれていて、傑作だと思います。 ただ、実際的な話としては不思議に思います。主人公達は普通に会話し、車の運転をし、そして、外観も街で一般人に埋没できるもののようです。なのに、何故、自分達の運命に抗おうとしないのでしょう。教育のせいだけとは思えない。 主人公の視点から語られるのでわからないのですが、やはり彼・彼女は知能その他で実は異なっていたのでしょうか。ヘールシャムで力が入れられていたのは詩・美術などの芸術分野です。わたしはエイブル・アートという言葉を思い出しました。この本の翻訳はとても美しい日本語ですが、もしかしたら、使われている熟語などは、英語だと、もっと平易な言葉なのではないでしょうか。 | ||||
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| SF的な形式をとりながら、人間のエゴイズムについて掘りさげた小説だなあと、私は思いました。『日の名残り』にも共通する、知り合いの思い出話を聞くような文章で、すんなり読み進んでいけますが、数ページでその異常さに気づき、それは章がひとつ進むごとに増していきます。「人間」でありながら人間ではないキャシーHたちと一緒に、彼らを生み出した「人間」の善良さに期待していくと・・。人間の善良さとはいったい何なのか。実は私たちも形を変えた「提供者」ではないのか。読み終わったあとも、読者にいろいろ考えさせる力を持った作品です。実は私も読み終わった夜、心がざわざわして、よく眠れませんでした。カズオ・イシグロの作品のなかでも、最も読みやすく、また、翻訳の土屋政雄さんの日本語が、私はとても好きでした。 | ||||
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| 「日の名残り」と同じ作家が書いたとは思えない作品でした。押さえられた、抑制の効いた文体で、完璧なストーリー構成でした。個人的には、ブッカー賞を受賞した「日の名残り」より、こちらの作品の方が良かったと思います。 人格を認めらず、物体としてしか扱われないクローンたちが、その事実を再認識した時、何を考えたのでしょうか。キャスとトミーの別れのシーンは、淡々と書かれているがために、一層胸にくるものがあります。 科学技術が進歩し臓器移植の技術は進んでも、その提供者がいなければ何にもなりません。毎日の新聞でも、その不足ぶりや、トラブルが盛んに報じられます。それを考えると、この物語は、フィクションとばかりは言えない空恐ろしさを持って、迫ってきます。 マダムは言います。「科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女がいた。・・・心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱き締めて、離さないで、離さないでと懇願している。」 この言葉が、この小説のすべてを語っているように思います。 | ||||
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| この本を読んだ夜、一睡もできなかった。トミーが最後にキャッシーに手をふった光景に脳みそが振り回されて心が痛くて腫れ上がってしまった感じだ。人としての尊厳を(だけは)与えられず最後は物を与える「物体」として葬られていく過酷な運命をすみやかに受け入れるために仕組まれた(?)ヘールシャムでの教育。いじめられっこだったトミーを救ったありのままでいいと教えたルーシー先生の言葉。そのトミーが自分の無残な最期を最愛の人に見せたくないためにとった態度、プライドと思いやりは人としてこそのものだし、崇高ささえ感じられる。彼らのような存在は決して作り出してはならない。科学の進歩が生み出す酷さ・・少しでも現実になる可能性があるのなら、それを打ち砕く警鐘となる一作になってほしい、ならなければいけないと思う。思わずのめりこんでしまった秀作である。 | ||||
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| 読み進めるうち、クローンがどうとか、倫理がどうだとかは あまり重要じゃない気がし始めた。 この小説ではそういった一見異彩を放つ要素は 実は単なる付録に過ぎないんじゃないかと。 それよりむしろ、主人公の人生経験を 一人称の語りで構築していく作業そのものが この作品の目的のように感じています。 だから読後、生命倫理について深く考えようという気にはほとんどならなかった。 その一方でこの作品に強く魅せられた点は、 まるで彼女の吐息が耳元にかかるような気配まで感じながら、 あるいは彼女が踏み入れた沼地の湿り気を足元に感じながら、 キャシー・Hという人間の存在感の確かな余韻に包まれたことに他ありません。 | ||||
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| 架空な20世紀後半のイギリスを舞台にした物語です。 「介護人」という仕事を10年も続けた女性の独白という形で物語は進みます。 舞台は幼少女期を過ごした「ヘールシャム」という施設を中心に展開していきます。若い男女がおりなす青春物語の一方、その上に不気味な影を落とす「ヘールシャム」という存在。 「ヘールシャム」が、そして彼女らの存在を生んだ闇、それが少しずつ見えてきます。 「使命」を受け入れながら、わずかな希望の「うわさ」にさえ、期待を見つけようとする「生」への思い。 「生命の倫理」なんていう言葉がチンケな言葉にしか思えなくなるような闇を背負いながら、他人の「生」への「使命」と受け入れなければならない存在のもろさ。 どんな犠牲を払ってでも生き延びたいはずの「命」とはを、一方的な使命を背負わされて誕生した「存在」というパラレルワールドから見つめる、とても未体験な小説でした。 | ||||
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| 「日の名残り」を読まれたことのある方は、ほぼ同じテイストをイメージしていただいて間違いないと思います。 ある限定された特殊な社会で暮らす主人公が、幼年期、思春期、青年期に渡るエピソードを、繊細な描写と美しい文章で語ってゆく物語です。「日の名残り」では大英帝国の執事、今回は女性と主人公は違いますが、あたかも作者に主人公が憑依したかのような、リアルに語りきる作者の力量には、同じように舌を巻かされました。 ストーリーの後半でサプライズがあるところも同じです。似たような設定の話は世に多いようですが、カズオ・イシグロの場合、主人公たちは能動的に自らの住む世界を変えようとはしません。そうした類の活劇ドラマに展開させず、あくまで限定された特殊な社会の中で、静かな日常のドラマを繋いで行くことによって、独自の大きな物語世界を作り上げています。その意味では、この特殊な設定はカズオ・イシグロ的世界を構築するためのまさに「設定」に過ぎず、作品のテーマではないとさえ思えました。 カズオ・イシグロの作り上げるこの緻密な箱庭のような世界は、一見特殊なようでいて、逆にわれわれ一般人の平凡な人生のメタファーなのかもしれません。平凡で限定されているからこそ、いとおしい。執事や「提供者」の人生を借りて、それを作者は繰り返し表現している気がするのです。 繊細で、叙情にあふれる丁寧な文体。あまりに謙虚な語り口に、「日の名残り」の執事口調を思わせる、一種のあざとさを感じるところもありますが、それを補って余りある清冽な描写が胸を打ちます。特に最後のシーンは美しく、この一ページのためにこの長い物語が語られたのだ、と思えるほどでした。 | ||||
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全く予備知識なくタイトルから恋愛小説の一種と思い読み始めたが、全く予想外のシチュエーションにとまどった。そして読み終わったあともこの小説のテーマは何だったのだろうと消化しきれない思いが残っている。 主人公のキャシーの職業は一種のセラピストかなと思われるシーンから物語は始まる。その後舞台は、キャシーが幼年時代から生活したヘイルシャムという名の養育施設に移り、一見普通の施設に見えるヘイルシャムにおけるキャシー、親友のルース、トミーの日常生活が描かれるが、キャシーが感じていた違和感の原因を探るうちに、施設の真の意味が次第に明らかになってくる。 一種のミステリー仕立てでもあるので、余り詳しくは書けないが、主人公達が薄々感じている施設の意味と、自分達の存在意義を発見する過程や、その中で描かれる友情と愛情と亀裂が実に見事に描かれており、テーマは重いが最後まで飽きるところは全くない。 でも読み終わるとやはりテーマの重さがずっしりと圧し掛かる感じがする一方で、社会的正義を訴えたいという目的で描かれたとも思えないため、消化しきれない思いが残っており、作者に作品の意図を是非一度聞いてみたいと思った。 小説としては非常によくできていて最後まで一気に読ませるので、手に取って損のない作品だと思います。英語の勉強も兼ねて原書で読みましたが、文章は平易で難しい単語も少ないので、英文に挑戦したい人にもお勧めです。 | ||||
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| イシグロさんがこのような世界を描き出してくれるとは思いもよりませんでした。不思議な設定は過去にもなかったわけではありませんが、この形は彼にとって新たな挑戦であることに間違いはありません。しかし、中身はやっぱりイシグロそのもの。嬉しくなってしまいました。静謐で少し余計に丁寧な語り口。そのヒトとして持つべきささやかながら頑なこだわりが、全編を通じてバックミュージックのように流れ続けています。ファンにはたまらない1編になっているのは間違いありません。ヒトとしての生を受けることの出来なかった一人の女の子が(SF的な未来社会の設定です)、素直に「人」としての人生を、静かに、そして逞しく生きて行こうとします。イシグロの語りから紡ぎ出される彼女の人生に、その言い知れぬ切なさに、私の心も激しく揺さぶられてしまいました。翻訳版が出たようで、NHKの「週刊ブックレビュー」で紹介されるみたいです(それで、ふと思い出すようにこのレビューを書いているわけですが)。でも、イシグロの作品って、日本語で読んで意味あるんですかね(翻訳者さん、すみません)。彼の誰のものでもない、私達の宝物のような「英文」は、この作品の中でも健在です。 | ||||
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