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終決者たち



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【この小説が収録されている参考書籍】
終決者たち(上) (講談社文庫)
終決者たち(下) (講談社文庫)

終決者たちの評価: 8.00/10点 レビュー 3件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.00pt

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No.1:
(10pt)

誰がための決着か

ボッシュシリーズ新章の開幕である。何度この言葉を書いたことだろうか。
刑事を辞し、私立探偵を営んでいたボッシュはロス市警が新設した復職制度を利用し、刑事に復帰する。配属先はロス市警未解決事件班。ドラマにもなっているいわゆる「コールド・ケース」と呼ばれる未解決事件を取り扱う部署で過去の事件に取り組むことになる―因みに当時既にCBSで放映されていたドラマ『コールドケース』について登場人物がその番組を担当しており、ボッシュに取材を申し出るのはコナリーなりのサーヴィスか。それともこの番組を観て着想を得たコナリーが読者から何かを云われる前に敢えてこの番組に触れたのだろうか―。

相棒は元部下のキズミン・ライダーで、班長は年下ながらボッシュに深い理解を示しながら、チームを掌握し、団結心を鼓舞するリーダーシップを持つエーベル・プラット。更に班内は署の精鋭ばかりが集まっている。
つまりボッシュはこれまでに比べて恵まれたチームで働くことが出来、そして捜査も自然チームワークが主体となる。一匹狼として独断捜査をしていたそれまでのボッシュとは異なっている。

しかし未解決事件を扱う班に配せられたというのは皮肉なことだ。なぜならこのボッシュシリーズは過去の闘いの物語だからだ。
彼は常に過去に向かい、そして新たな光を当てることに腐心している。失われた光をそこに見出そうと過去という闇の深淵を覗く。そしていつも闇からも自身が覗かれていることに気付き、取り込まれそうになるところを一歩手前で踏みとどまる。

自身が抱える闇と対峙し、そして事件そのものが放つ闇に向き合う。何年も前に埋められた骨が出てきても諦めずその過去に挑む。それがこのハリー・ボッシュという男の物語だ。

そしてボッシュはこの部署に配属されたことで自分が最初に手掛けた事件が未解決となっている両手首を犬用の革紐で縛られ、飼い犬と一緒に浴槽で殺されていた老女殺害事件も再捜査しようと考えている。

そしてこのシリーズの特徴の1つに確実にそれぞれの人物に時間が、歳月が訪れていること、そしてそれが各々の登場人物に深みを与えている。

ボッシュは勿論ながら、彼に関わった登場人物、例えば当初彼の相棒だったジェリー・エドガーはまだハリウッド署の強盗殺人課におり、後から来たキズミンに追い抜かされた形で、彼女との関係は上手くいっていない。

キズミンはハリウッド署からLA市警の強盗殺人課に、そして本部長室付を経た後、ボッシュの復帰を機に強盗殺人課の未解決事件班に異動となり、かつてのボスだったボッシュとまた組むようになる。

ボッシュの宿敵アーヴィン・アーヴィングは戦略的計画室という閑職に異動されたが、必ずボッシュがミスを犯すと信じ、虎視眈々とそのミスに付け込んで復活の機会を窺っている。

またボッシュの妻エレノアは娘マデリンを連れて香港に1年間の契約で行っているようだ。

また一方でノンシリーズの『バッドラック・ムーン』に登場したキャシー・ブラックの仮釈放監察官セルマ・キブルが、銃で撃たれる重傷から復帰した姿を見せる。そして当時はふくよかだったのが事件の後ではすっかり痩せてしまい、おまけにボーイフレンドまでいるようだ。
そしてそこでまたボッシュはキャシー・ブラックの姿を写真で見るのである。ボッシュがどこか運命的な物を感じている女性としてキャシーは今後も登場するのかもしれない。

そんな時の流れの中、刑事復帰後早々の事件の捜査において自分の捜査のテクニック、スキルが3年ものブランクで錆び付いたことを痛感する。
相手の事情聴取で踏み込み過ぎ、相手を揺さぶるためのテクニックを看過され、ガードを固くさせてしまったり、夜中に尾行をして相手の家の周辺にいる時に携帯電話を切るのを忘れて受信してしまったりと以前の自分なら信じられないポカミスに自己嫌悪に陥るのだ。

ボッシュは本書で1972年に警官になったとあるから、本書の中の時間が原書刊行時と同様であれば32、3年のキャリアだ。未解決事件班のボス、エーベル・プラットが50手前でボッシュより2,3歳下と書かれているので、つまり51、2歳ぐらいか。しかもパソコンも使えず、事件の調書はタイプライターで作成するアナログ刑事。前時代的な刑事になりつつある。

1988年の事件の調書を読んで当時の担当者であるガルシアとグリーンが当初家出と見なした初動捜査のミスに憤りを感じる反面、自身すら単純なミスを犯してしまう情けなさ。

そしてこのボッシュの衰えぶりは最近の自分と照らし合わせても痛感させられる。実にしょうもないミスが多くなり、そしてよく忘れてしまうのだ。私もずいぶん歳を取ったと思わされる昨今。ボッシュに共感する部分が多々あった。

もう1つ忘れてならないのはアメリカに根深い人種差別問題がテーマになっていることだ。
1988年の事件を掘り起こし、証拠の1つだった押収された凶器の銃の中に残されていた皮膚片をDNA検索を掛けたところ、ローランド・マッキーなる容疑者が浮上する。そして彼が身体に入れている刺青が白人至上主義者である特徴を十分に備えていることから、事件に新たな光が当てられる。

コナリーは黒人に暴行を加えた白人警官が無実となったことで勃発したロス暴動を扱った『エンジェル・フライト』以降、同じくロスを舞台に刑事として働くボッシュの活躍を通じて人種差別根強いロスを描いてきた。そしてそのネガティヴなイメージを払拭させようと躍起になっているロス市警を舞台に1988年というまだ差別の風潮が根強いロスを描くことで、コナリーは人種差別によって引き起こした事件を深堀している。
それは浄化という名の下で、不名誉をリセットしようとしているロス市警、いやロサンジェルスと巨大都市自体を風刺しているかのようだ。根本的に変わらないと悲劇はまた起きると痛烈に警告するかのように。

偶然と云うにはあまりにも多すぎる手掛かりが事件の本当の姿を目くらませ、そして未解決のまま17年もの歳月を眠らせることになったのだ。

未解決の殺人事件が当事者に及ぼす影響とはいかなものだろう。ボッシュとライダーが当時の関係者に事情聴取のために訪ねると、一様に彼ら彼女らはまだレベッカの事件のことを覚えており、開口一番に犯人が見つかったのかと尋ねる。つまりそれは皆の中で事件が終っていないことを示しているわけだが、それがまたそれぞれの人生の転機となっていることが見えてくる。

例えばレベッカの友人の1人ベイリー・コスターは教師となって母校に戻り、二度と同じような目に遭う生徒を出さないよう気をつけながら、事件解決の朗報を待っている。

自分の盗まれた銃が犯行に使われたサム・ワイスはそのことがずっと頭に残り、警察から電話が掛かってきただけで、すぐにその事件を連想する。

本書の原題“The Closers”とはクローザー、つまり野球で勝敗が掛かっている時に投入される、あのクローザーを意味している。
つまり未解決事件、即ち今なお終わっていない事件に決着を着ける刑事たち、彼らこそが終決者たちなのだ。

そのタイトルに相応しいこれまでのシリーズにおいてボッシュの枷となってきた者たちが粛清されていき、まさに一旦幕引きされるかのようだ。

しかし上に書いたようにいくら犯人が捕まろうがその事件の当事者たちには終わりはないのだ。
区切りはつくだろう。
しかし彼ら彼女らはその人の理不尽な死を抱えて生きていかなくてはならない。

罪を憎んで人を憎まずというが、本当に愛する者を奪われた人たちがそんな理屈では割り切れない感情を抱えて生きていけるわけがないと大声で訴えかけてくるが如く、結末は苦い。

ボッシュとライダーはその事実を知らされ、自分たちの成果に水を刺され、虚しさを覚える。未解決事件を解決することは関係者に復讐相手を特定するだけではないか、そんな虚しさを。

読んでいる最中は今回は純然たる警察小説として終わるかと思っていたが、流石はコナリー、そんな簡単に物語を終わらせない。

今までのシリーズ作は常に過去に対峙するボッシュシリーズの特徴を踏襲しており、ボッシュ自身の過去から今に至る因果が描かれていた。

ボッシュに関わった人物たちが過去に犯した罪や過ちが現代に影響を及ぼし、それがボッシュ自身にも関わってくる、もしくはボッシュの生い立ちに起因する様々な事柄が事件に思わぬ作用をもたらす、そこにこのシリーズの妙味と醍醐味があると思っていた。

しかし本書の読みどころは過去の事件に縛られた人たちの生き様だ。そしてそれ自体がそれまでのシリーズ同様の読み応えをもたらしている。

ボッシュ自身の過去に固執することなくボッシュが事件を通じて出遭う人たちを軸に濃厚な人間ドラマが繰り広げられることをコナリーは本書で証明したのだ。

但しシリーズを通じて一貫しているテーマがある。それは今なお根強い人種差別問題、警察の汚職と横暴、法の目をかいくぐる悪への制裁だ。
悪はすべからく罰せなければならない、そうしないとまた悪が野に放たれるだけだ。それこそがボッシュの信条であり、それはコナリー自身の信条なのだろう。だからこそ過去に埋もれて忘れ去られようとしている悪をも掘り返すのだ。

しかしこれだけの巻を重ねながら毎度私にため息をつかせ、物思いに浸らせてくれるコナリーの筆とストーリーの素晴らしさ。

物語の最後、容疑者の殺害に意気消沈するボッシュにライダーが次のように云う。

「あなたがなにをするつもりであろうと」(中略)「わたしはあなたについていくわ」

私もコナリーが何を書こうともずっと付いていこう。そう、決めた。


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