罪責の神々 リンカーン弁護士
- リーガル・サスペンス (52)
- 法廷ミステリ (212)
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点8.00pt |
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
リンカーン弁護士シリーズも5作目を数えるようになった。前作『証言拒否』では民事訴訟を扱い、最後は地方検事長選に出馬するとの決意表明をして物語は閉じられた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
リンカーン弁護士シリーズの第5作。法廷シーンの面白さは従来通りで、さらに謎解きミステリーの面白さがプラスされた傑作エンターテイメント作品である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いかにもアメリカのリーガルミステリ。 | ||||
| ||||
|
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
刑事裁判における被告人の弁護をするハラーにとって、被告人が実際に犯罪を犯しているかどうかは全く関心がなく、却って知ることで動きずらくなってしまう。 ハラーの仕事は陪審員の心に疑念の種を植えつけること。 陪審員が合理的な疑いを抱けばハラーの勝ちだ。 そんなハラーが飲酒運転の罪で起訴された被告人を無罪放免で解放されたとたん、再び飲酒運転による死亡事故を起こし、その被害者が娘ヘイリーの友人であったことから、娘との関係が悪化し、娘と会うこともできなくなってしまう。 本書はこのようなハラーの家庭状態をバックグランドにしていることから、物語の根底には、娘の信頼を取り戻すことができるのか、といった物語としても読めます。 ハラーは思う。 「この世界が白と黒で色分けされているものではないとヘイリーがいずれは気づくだろうと信じねばならなかった。この世界は灰色であり、その灰色の領域に自分の父親が住んでいるのだということを」 さて、リンカーン弁護士シリーズにおいていつも思うのは、チームプレイがいかに大切かということ。 シスコという優秀な調査員の力なくては、間違いなくハラーがここまでの成功を得ることはなかったでしょう。 運転手アールの機転によりかたくなな人から話を聞き出すことに成功したり、刑事弁護にあこがれるアソシエイト弁護士ジェニファーは、ハラーが誇らしく思えるほど判事の前でうまく主張できるほど成長している。 チームで集まりブレインストーミングをするなど、今回はチームプレイ場面がいつになく強調されています。 タイトルの「罪責の神々」とは、弁護人が陪審員につけているあだ名のこと。 だれが有罪でだれがそうでないかを決める。 そんな罪責の神々たる陪審を誰もが心の中に持っている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『ミッキー・ハラ―』シリーズ5作目、関連作『ハリー・ボッシュ』シリーズ他含めて通算26作目。 本作は登場人物が多く混乱して大変だった。加えて同一人物なのに姓と名、別名が出たりして。 上巻後半でようやく焦点が絞られてきた。 下巻の後半は怒涛の展開、見事、だからコナリー作品はやめられない。 リーガルサスペンスは理屈臭くてじれったいところがあるが、ラストの巻き返しが痛快だ。 特に本作は最高潮で、シリーズを通しても圧巻だった。 ボッシュ・シリーズのような警察物語と別物のおもしろさがある。 訳者もあとがきで懸念を述べているが『ミッキー・ハラ―』シリーズは本作で終結のようなエンディングだった。今後はわからないが、とりあえずこの後のボッシュ・シリーズでハラ―は登場しているようなので、そこで楽しみたい。 本文ではハラ―の娘との断絶に触れている箇所が少なく詳細がよくわからなかったが、前作と本作の訳者あとがきで理解できた。原文の問題なのか翻訳で省いたのか不明だが。 訳者の古沢氏はなかなか癖が強い。気になるところの一つ目は「けっこう」という言葉。偉そうで日本社会の通常の会話ではまず受け入れられない高飛車で癇に障る言い回しだ。 二つ目は「ほら」。上巻252ページだけで3か所もあるほど。この言葉がなくても会話は成立すると思われるが。 本氏はコナリー作品専属で、確かに優秀だしファンもいるようだが…。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
マイクル・コナリーの『罪責の神々』下巻を読み終えた。 弁護士経験のないコナリーが、ここまで刑事事件案件を専門的に描写することに驚きながら読み進んだ。 なにか弁護士経験などなくともこんな小説を書けるんだぞ!と、世に問うているよな作品に仕上がっている。 コナリーは、ロサンゼルス・タイムズ犯罪担当の記者経験もあり、若いころにはレイモンド・チァンドラーの小説を読み、啓発されて小説家になろうと決心したそうである。 とにかくこの『罪責の神々』を、リーガル・サスペンス好きが読めば、その際立った才能の深淵さに触れることができること間違いない。 デティールも疎かにしていないことは、著者自身が弁護士経験がないから、多くの司法の専門家にアドバイスを受けたことが、巻末の「謝辞」に挙げた人たちの多さに伺うことができる。 ハリー・ボッシュ" シリーズも読んでいないものが多く、ミッキー・ハラー" シリーズもこれからできるだけ読んでみようと思いながらマイクル・コナリーの労作『罪責の神々』下巻を読み終えた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
先日久しぶりに読んだジョン・グリシャム『危険な弁護士』の主人公セバスチャン・ラッドは、マイクル・コナリーが生み出した”リンカーン弁護士”を、ミステリファンなら即座に思い浮かべるだろう、と、『危険な弁護士』の解説で若林踏氏が述べていた。 が、評者は、マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・ シリーズは何作か読んことはあるが、ミッキー・ハラー・シリーズを読んだ記憶がないのでシリーズ5作目の本書『罪責の神々 リンカーン弁護士』を読むことにした。 本書の上巻を読み始め最初に思ったのは、「グリシャムさんコナリーさんをパクったな!」ということでした。 確かに『危険な弁護士』のセバスチャンには、本書『罪責の神々』のミッキーなど問題にならないくらいの過激な状況を設定して描いていたが、リーガルサスペンスとしての出来の良さで評価させてもらうと本書『罪責の神々』のマイクル・コナリーにどうしても軍配を挙げることになるだろう。 二番煎じは、やはりあくまで二番煎じであるから、先に読んだグリシャムの『危険な弁護士』は、それなりに面白かったのだがなんだかレビューを書き直したくなつてしまった。 本書のタイトルである「罪責の神」(The Gods of Guilt)というのは、今は、老人ホームにいる元刑事弁護士の81歳になるリーガル・シーゲルが昔を思い出しながらミッキーへ語った言葉である。 このリーガル老人は、かってミッキーの父親と刑事弁護士として辣腕を振るっていたパートナーだったのである。 ミッキーの父親が早世したのち、このリーガル・シーゲルが父親代わりになってミッキーを育て、同じ刑事弁護士へと導き、いまなおよき相談相手であり、チームの一員でもある。 「きみの父親は、陪審員のことをいつも”罪責の神々”と呼んでいた。覚えているかね?」(P40) と、語ったことで本書のタイトルが判明した。 本書『罪責の神々』上巻で久しぶりに玄人好みのリーガルサスペンスを楽しく読み終えました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
しまった!だいぶ前に文庫本で読んでいたぜ!間違えてKindle版でも購入しちまった!CDもそうだが小説でもやっちまった!耄碌したか!最近のBoshものよりこっちの方が面白いし…。仕方ない、旅行に行ったときに読み直しでもするか。チャンチャン。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 15件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|