バッドラック・ムーン
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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コナリーの3作目のノンシリーズである本書はこれまでのコナリー作品とは色々と異なっているのが特徴だ。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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マイクル・コナリーの作品はボッシュシリーズをはじめとして、翻訳刊行されているものはすべて読んでいる ものと思って来た。この20年ほど前に刊行された作品は、私のコナリー作品の中で読み落としなのだが、 こんな面白い作品を読んでこなかった自分の深くを猛省している。コナリー作品にはハズレがないと いつも言ってきたが、この「バッドラック・ムーン」はハズレじゃないどころか、とんでもなく面白いのだ。 刑務所から仮釈放中の凄腕の女泥棒キャシーは久しぶりの仕事で、カジノで大勝ちした男から金を 盗むことを依頼される。だが、その依頼にはいろいろと罠が仕掛けられており、これも凄腕の始末屋 カーチに命を狙われることになる。というのが粗筋だが、まさに手に汗握る展開で、しかもコンゲーム的な インテリジェンス溢れる味付けもたまらない。とにかく、今風の些か大仰な言い方なら、面白すぎて 死にそう!というぐらいの傑作とだけ言わせてもらう。 | ||||
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他の方のレヴューがあまり良くなかったので面白くないのかなと思っていましたが、実際に読んでみるとボッシュシリーズよりテンポがよく読みごたえがありました。読みだしたら止まらなくなるのはボッシュシリーズ他と同じです。今まで役20年間読んでなかったのですが、今回手に取り読むことが出来て本当に良かったです。 | ||||
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下巻を読み始めて主人公のキャシーが鬱屈した精神状態から自分を解放したいがために再びラスベガスで同じような手口の窃盗をすることにリベンジするのには深い理由があったのが明らかになった。 ネタバレになるがすべてはこの深い理由に端を発してこの事件は始まったのである。 コナリーのシリーズもの以外でもこのような面白いストーリーを思いつく才能に今更ながら感心しきりで読み進んだ。 読者に息を継がせない緊迫感を与えるコナリーならではのストーリーテリングの上手さは相変わらずである。 少しネタバレになってしまうが、ジョディーを救出するためにルームサービスワゴン車にキャシーが隠れることなど不可能のように思えたことが唯一難点である。 が、とにかく夜更かししてもページを繰る手を休ませることなく『バットラック・ムーン』下巻を読み終えた。 巻末の解説で木村仁良氏が興味深いことに触れていたので評者も確認してみようと思った。 <その1> チャンドラーの『大いなる眠り』第一章にコナリーの考えた楽屋落ちに気づかれるはずだ。 <その2> 本書に登場するある人物のその後が気になる方は、『夜より暗き闇』の第十章(の最期の部分)をお読みいただきたい。 <その3> ボッシュ・シリーズを読んでいる方は、見覚えのある人物に再開することになる。 私立探偵カーチに警察の情報を売るメトロ警察のアイヴァースン刑事や本書で言及される犯罪組織の顔役ジョーイ・マークスは、ボッシュ・シリーズの『トランク・ミュージック』に登場している。 評者にとって読了本のことなど記憶の彼方へ飛んでいるから、解説の木村仁良氏のように読んでいる本を二度楽しむことができないのが悔しいと思いながら解説を読んでしまいました。(なかなかユニークな解説ですよ!) まだまだ未訳の本が各シリーズにあるようだから翻訳出版されるのが待ち遠しいと思いながら『バッドラック・ムーン』下巻を楽しみながら読み終えました。 <追記> 本書ともっとも関係が深い(その2)だけを『夜より暗き闇』上巻第十章の最期の部分から下の・・・・・内に転載します。 ・・・・・ マッケイレブは電話を畳み、車のロックを外した。屋根越しに保釈事務所を見やると、建物の入り口の上のファサードに青い文字が書かれた大きな白い横断幕がかかっていた。 お帰り、テルマ! もどってきたのを歓迎されているテルマというのは受刑者なのだろうか、従業員なのだのうか、と思いながら、マッケイレブは車に乗り込んだ。(『夜より暗き闇』p140より) ・・・・・・ 訳者の読み方の違いでテルマが本書に登場する仮釈放監察官のセルマ・キブルであることが判る。 コナリーの粋な計らいでセルマが無事仕事に復帰したことを『夜より暗き闇』の紙上を使って読者に伝えているのです。 | ||||
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マイクル・コナリーのノン・シリーズ一作目と三作目は最近読んだから二作目の『バッドラック・ムーン』(2000年)を読むことにした。 コナリー作品ではこの作品だけ訳者が古沢嘉通氏ではなく木村二郎氏である。 このノン・シリーズでは、作者のコナリーはまったく他のシリーズとは異なる物語を創作しているから、また違った魅力を読者に与えてくれている。 木村二郎氏の訳もまた本作の異質さに色を添えているようで読みやすい。 なんせ、この物語には法律を守るような人物は上巻を読み終えたところまで仮釈放監察官のセルマ・キブル以外ひとりも登場しない。 主人公の女性キャシー・ブラックは窃盗犯であるし、もうひとり登場するカジノホテルの雇われ探偵ジャック・カーチも並みの悪ではない。 キャシー・ブラックは、ラスベガスで恋人マックス・フリーリングとタッグを組んで窃盗を働き何かのトラブルに遭遇してマックスが事故死して失敗で終えた。 キャシーは逮捕され5年の刑期をお勤めしたのち仮釈放された。 そんな身でありながら鬱屈した精神状態から自分を解放したいがために再びラスベガスで同じような手口の窃盗をすることにリベンジする。 これ以上レビューを書くとネタバレになるからやめておきますが、カジノ・ホテルのセキュリティガードを如何にして破ってゆくかなど微に入り細にいたるまで描写するためにコナリーがネタ探しに拘ることに感嘆しながらこの物語を読みすすんだ。 上巻を読み終えたところではあるが、ハリー・ボッシュ・シリーズやミッキー・ハラー・ シリーズなどとは趣を変えた本作も楽しめる作品であると思いながら読み終えたのです。 | ||||
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コナリーの3作目のノンシリーズである本書はこれまでのコナリー作品とは色々と異なっているのが特徴だ。まず主人公がなんと女性である。元窃盗犯で仮釈放の保護観察の身であるキャシー・ブラックが主人公だ。 そして今までは刑事ボッシュを筆頭に、新聞記者のジャック・マカヴォイ、元FBI捜査官のテリー・マッケイレブが主人公を務めたシリーズ物、ノンシリーズ物も含めて犯人を追う捜査小説だったが、今回の主人公キャシー・ブラックは女泥棒。つまりクライム・ノヴェルであることだ。 そして書き方や物語の進め方も以前の作品とは異なっている。このキャシーが女泥棒と判るのは案外物語が進んでからだ。それまでは彼女は一体何者で、どんな過去があったのかがなかなか語られず、仮釈放の身でハリウッドのポルシェのディーラーに勤める、人の目を惹く美人であることが解っているだけである。前情報と知識がないまま物語は進む。そしてその中で断片的ながらキャシーの過去が浮かび上がってくるという、ちょっと変わった書き方をしているのが特徴だ。 今までのじっくり読ませる文体と違い、どこか軽やかな印象でクイクイと物語が進み、やもすれば物語の動向を十分に理解しないままにキャシーが物語のメインであるギャンブラーの持ち金掠奪計画まで一気に進んでいってしまうほどだ。 訳者が今までの古沢嘉通氏と異なり木村二郎氏であるのも一因かもしれないが。 そのせいだろうか、どうも物語が浅いように感じられる。 故殺罪で刑務所に入った過去のある元泥棒の女性が、仮釈放でポルシェのディーラーに勤め、普通の生活を送っていたところにある事情から大金が必要になり、再び根城にしていたラス・ヴェガスで高額ギャンブラーをターゲットにしたハイローラー強盗を計画するが、その男はマフィアの金の運び屋で、その大金を持って帰ったことからトラブルに巻き込まれる。 敵はホテルが雇った私立探偵だが、人格障害者である彼は凄腕の殺し屋でもあり、彼女を追う先々で次々と関係者を殺害していく。そしてその毒牙は彼女の大切な存在にも伸び、意を決した彼女はそれを救うために対決に臨む。そこはかつて自分の恋人が死んだホテルの部屋だった。 とまあ、実に映像向けのストーリーであり、起伏に富みながらもどこか深みを感じさせない。 コナリー作品の特徴と云えばハードボイルドを彷彿とさせる緊張感と暗さを伴った重厚な文体に、事件に関わらざるを得ない宿命のような物を感じさせる主人公がどこまでも謎を追いかけていく、泥臭さを匂わせる文体で物語を勧めながら、いきなり頭をドカンと殴られるような驚きのサプライズが仕込まれているという読書の醍醐味を感じさせる味わいなのだが、本書はなかなか主人公キャシーの氏素性と過去が明かされぬまま、物語が進み、訪れるべき終幕に向けて一気呵成に突き進む、疾走感がある文体で逆にそれが特徴である深みや味わいを逸している。 ただコナリー作品独特のテイストもないわけではない。占星術における十二宮のどこにも月が入らない時間帯は不吉なことが起きるヴォイド・ムーンというモチーフを用いて上手くいくはずの犯行を絶望的なトラブルに主人公たちを巻き込む。 また女泥棒のキャシーの造形も印象的ではある。 恐らくは男たちの目を惹く容姿をしている女性で、ヴェガスでブラックジャックのディーラーをしていたが、そこで出逢った強盗マックス・フリーリングと恋に落ち、そして彼の仕事を手伝ううちに一流の強盗の技術を身に着ける。出所後に大金が必要になり、仕事を紹介してもらうと、生活リズムを変え、必要な道具を揃え、万全の準備で臨む。仕事もやるべきことを心得て躊躇がなく、不測の事態についてもあらゆる手段を熟知している。例えば隠しカメラでなかなか金庫のナンバーが見えなければ、もう一度金庫を開けざるを得ない状況を作るために、小火を引き起こして、ホテルの従業員に成りすまして避難を促し、金庫を開けざるを得ない状況を作り出すなど。これら一連の手口が詳らかに語られることでキャシーの凄腕ぶりが印象付けられていく。 更に仲介屋のレオ・レンフロのキャラクターもなかなか興味深い。迷信好きで古今東西の色んなまじないやジンクスを信じ、実践している。中国の風水、易経に占星術。ヴォイド・ムーンについて教えたのもこの男だ。 ジャック・カーチはキャシーの恋人マックスを罠に嵌め、死に至らせた私立探偵。そのことがきっかけで彼はホテルの当時警備課長で今は支配人となっているヴィンセント・グリマルディによって専属の探偵となり、色々な後始末を命じられ、どうにかこの状況から脱したいと願っている。 しかしこのようなキャラクターにありがちなうだつの上がらない男ではなく、躊躇いなく引き鉄を弾いて人を殺すことも厭わない。勿論証拠を残さないように細心の注意を払った上で。 しかも車を見られた場合はナンバープレートを付け替え、追われないようにする。そして敵が手強いほど燃える男で常に人の優位に立って弄ぶことに喜びを覚える、人格障害者だ。このしつこいまでに残虐な探偵もまた敵としては実に申し分ない。 これほどお膳立てがされながらもどこかB級アクション映画を観ているような感覚はなぜだろうか? やはりそれはコナリー作品の持ち味である、サプライズに欠けるところにあるだろう。 上述したように今回はキャシーが服役するようになった過去、そして仮釈放して真っ当な仕事に就きながらもいきなり大金が必要になる動機などが明確にされないながら物語が進み、次第にそれらが徐々に明かされていくというスタイルを取っている。 従って五里霧中で読み進めながら次第にキャシーの動機という霧が晴れ、全体像が明らかになっていくという謎が解かれていく面白みはあるのだが、正直インパクトはさほど強くなく、驚きよりも納得のレベルに落ち着いている。 一方でラス・ヴェガスという享楽の都に縛られた人々の話でもある。 キャシーは幼い頃からここに住み、そしてブラックジャックのディーラーとなって泥棒のマックスと知り合い、高額ギャンブラー相手の泥棒になった。 ジャック・カーチもまた父親がアメージング・カーチと呼ばれた、フランク・シナトラやサミー・デイヴィス・Jrとも何度も共演したことのある名のある手品師で、自身も子供の頃に父親のアシスタントとしてステージに立っていた男。 しかし彼の父親は酔っ払ったマフィアによって両手の指を粉々に折られ、再起不能のマジシャンにされる。また6年前のマックス死亡の事件で、《クレオパトラ》の専属の探偵となり、逆に当時警備課長で支配人に乗りあがったヴィンセント・グリマルディにいいように扱われる身となる。 ラス・ヴェガスで育ち、そしてラス・ヴェガスをこの上なく憎んだ男なのだ。 全てが6年前のあの日へと収斂する。因縁の過去が彼ら彼女らを引き寄せていく。 コナリー作品はこのように限定された人物たちが過去の因縁によって再び引き寄せられるプロットが好みのようだ。あれほど広大なラス・ヴェガスでもう一度会いまみえる過去の因縁たち。それはどうやっても切っても切れない鎖のような絆で結ばれた運命の人々のように描かれる。 その宿命的な繋がりを断ち切ってこそ、過去に縛られた人たちに未来は訪れるのだというメッセージが込められているようにも思える。 その因縁に抗えない人たちはそのまま飲み込まれ、そこで死に絶える。犯罪に手を染めた者たちにとって因縁の鎖は容赦なくその身を縛り、そしてあの世へと誘う。そんな冷徹さが垣間見える。 最後まで読むとこれはキャシーの母性の強さを示した物語だったことが解る。キャシーの諦めない心の強さは母になった女の強さだ。 そして愛して止まない娘に自分が本当の母親であることを告げられない辛さ、ふと過ぎる、このまま連れていってしまいたいという愛おしさに苛まれるキャシーの心情が実に痛々しい。 凄腕の女泥棒がマフィアの大金強奪という厄介ごとに巻き込まれる物語が最後には娘への愛一心で困難に乗り切る強い母親の物語へと実にエモーショナルな展開を見せるコナリーのストーリー展開の妙に唸らされた。 やはりコナリーはコナリーだった。 だからこそ邦題の軽薄さが目に付く。『バッドラック・ムーン』は本書のモチーフとなっている悪運に見舞われるヴォイド・ムーンを示しているが、本書ではそのままの名前で使われている。 つまり原題と同様に『ヴォイド・ムーン』でよかったのではないだろうか?なぜならVoidという単語には他に虚ろなとか中身のないとかいう、空虚さ、虚しさが込められているからだ。 少しの幸せのために少しばかりの大金を願った女、いや母親。窮地に陥り、大金をせしめるしか生きる方法がなかった男。 大金のために人を殺しまわり、そして最後の最後で駆け引きに負けた男。 全てを掌握し、罠を仕掛けたとほくそ笑みながら飼い犬に咬まれ、死んだ男。 全てが虚しい享楽の夜の塵となった。誰もが望んだものを得られぬままに幕が引かれた。しかし唯一虚しい戦いに生き残ったキャシー・ブラックは孤独の道を行く。 彼女が目指すのは砂漠。 しかし砂漠が海になるところだ。かつての恋人と幸せな時を過ごした場所へ。 キャシー・ブラック。彼女もまた壮大なボッシュ・サーガの一片であればいつかまたどこかで逢うことになるだろう。それまでこの哀しき女泥棒のことを覚えておこう。 | ||||
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