■スポンサードリンク
赤後家の殺人
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
赤後家の殺人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリーは他のレビューアさんたちが詳細に書いてくださっているので省きますが、氷雨が降り霧深い陰鬱なロンドンで、旧家で不可解な殺人事件が起きるという、カーらしさが横溢する作品です。 個人的に一番興味深かったのは、第9章の「後家部屋の由来」です。そこで1人きりになって2時間過ごせば必ず死んでしまうという後家部屋。現に先祖の何人かが原因不明の死を遂げているのですが、どうしてそこが後家部屋と呼ばれるようになったのかをブリクサム家の次男であるガイが語る部分です。 ブリクサム家のご先祖チャールズが留学していた時代、パリではフランス革命の嵐が吹き荒れていました。そんな中で彼が恋に落ちたのは、なんと絞首刑を担当していたサクソン家の令嬢マリイ・オルタンスでした。彼らは結婚し、なんとかしてフランスを脱出、英国に移って双子の子供たちに恵まれます。ただ、その後夫婦は不仲になってしまいます。 ある日、サクソン家の長老であった曾祖母マルトが亡くなり、遺言によって彼女の家具一式が英国へ送られてきました。現在の後家部屋は、その家具が納められた部屋なのです。この間のストーリーがいかにもカーらしいというか、古い時代の香気とロマン、そして不気味さに満ちていて魅力的です。 その後の謎解きは、決定的だと思われたマスターズ警部の推理が間違っていたり、H・Mの推測もはずれていたり、ある人物が”実は自分はこういうものを見てしまった”とか”黙っていたけれど、こうだった”と告白するたびに二転三転。このあたりは結構混乱するというか、えっ、また違うの?なんだよ~と思ってしまいました。多少ご都合主義なところは否めず、すっきりとしません。 犯人は最後30ページになるまで明かされません。犯人の可能性がある人物は限られているのに、それは意外な人物でした。 ヒロインの年齢が21歳、31歳と記述が間違っているのは皆さんがおっしゃっている通りですね。それにしてもカー作品を読んでいるとカーの女性の好みがわかってしまいます。長い髪のいかにも女らしいぱあっとあでやかな”運命の女”的美女という感じです。 密室不可能犯罪と怪奇趣味に満ちたいかにもカーらしい作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
弓弦城を再読してないのですが、冒頭から判断すると続編的な感じ。発端にはゾクゾクさせられますが新アラビア夜話(スティーブンソン)を先に読んでたほうが良いかも。(本編とは関係なし。雰囲気作りですね) いつもの通り人物描写が下手なのでごたつく序盤、なかなかスリリングな中盤を経て、全員集合、謎解きが始まるよ!という流れ。(最後は大勢で押しあいへし合いという変な場面) 小ネタはまあまあ、でも大ネタが残念。警察の見落としを期待してはいけません。それにあのトリック(p387)はないでしょう。しれっとやっちゃうのがJDC/CDらしいのですが… フランス革命ネタは作者の趣味全開ですがいささか退屈。興味深かったのはロイヤル スカーレット事件(p312)これ書かれざる事件なのかなぁ。 以下トリヴィア、原文は参照出来てません。 p124 タラッタラッ、大きな悪狼が…(H.M.の鼻歌): 「三匹の子豚」(ディズニー1933)のWho's Afraid of the Big Bad Wolfかな? p172 ラ マルセイエーズ: 歌詞は結構血なまぐさいです。 p306 海の妖女たちはどんな歌を歌ったか…: Sir Thomas Browne, "Urn-Burial"(壷葬論)ですね。モルグ街のエピグラフで有名。 p344 ルール ブリタニア(支配せよ、大英帝国)Rule, Britannia: イギリス国歌、スチュアート党が愛好、と宇野先生が注釈しています。詞James Thomson、曲Thomas Arne(1740) 名言が一つ: イリュージョンは真理よりよっぽど貴重ではるかに美しい(p366) JDC/CDのモットーですね… | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あとから考えると少し地味だけど、読んでる途中はドキドキ。 本格派と怪奇の組み合わせが好きなので、カー以上のはなかなないです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ジョン・ディクスン・カーが、カーター・ディクスン名義で発表したもの。 結論からいうと、ずっこけた。 終盤近くまで愉しんでいたが、ラストの謎解きは肩すかし。 赤後家の間での殺人は、必然性が低いし、動機も納得し難い。 余談で、美人キャラの年齢表記がおかしい。21と31では大違いだろう。 せっかくのホラー色満載の御膳立てだったが、走者一掃のスリーベースヒットと思い きや、内野安打で、どうにか1点入ってディクスンのサヨナラ勝ち。まあ、いいけど。 (殺人で無駄な描写があるのも解せない) それから、どうも訳文がギクシャクしていて、スッキリしない。 ディクスンマニアなら、敢えて必読。 一般の推理小説ファンは読まなくてもいいや。 御免ね、ディクスン卿、じゃなかった、HM卿・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ギロチン刑執行吏を祖先に持つブリクサム家。 百五十年間に四人を殺した後家部屋ですが、 それは「三つの棺」の密室講義にも分類されている つまらない項目の手だ。 ベンダーの後家部屋での死をめぐり、 マスターズ警部の大ボケ推理、吹矢と筒の消失、 部屋の窓外についたガイの指紋、黒い絹糸などが 誤誘導となり手がかりとなり物的証拠となり、 様相が混沌を呈します。 しかし、あえなく躓いたり、自己申告があったり、 物語の中途で解決したりで、さまざまな夾雑物が 除去され、結局、事件の核心だけが残る。 ガイ殴殺も同様で、ラヴェルとカーステアズの取っ組合い、 イザベル叔母の偽証などが周辺に付加されます。 しかし、他愛もない事実が判明したり、反証があがったりで、 事件は、単純化されてゆきます。 様々な材料が揃っているカオス状態の場合、煩瑣な ロジックを、このように単純化された場合、 一種の閃きを要することとなる。 HMは、ある手がかりから単純明快なトリックを 看破するが・・・。 ガイと真犯人の私利私欲の二本柱をプロットとし、 大いなるオカルト趣味で包み込んだいかにも カーらしい作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「赤後家」(Red Widow)とは聞き覚えのない言葉だし、「ギロチン」の俗称だと言われてもどうもピンとこないので、ちょっと大きめの英語の辞書を幾つか引いてみたが出てこない。それもそのはず、19世紀頃のフランス語のスラングでギロチンのことを veuve(英語のwidow)と称したということらしい。だから、ほとんどの英米人にとっても「The Red Widow Murders」なるタイトルは中身を読むまで意味不明の言葉なのであって、ゆえに『赤後家の殺人』という邦題も意味不明といって非難するには当たらない。 ルイ14世から直々に任命されて以来、歴代首切り役人を務めてきたロンギュヴァル家の娘と結婚したチャールズ・ブリクサムの悲劇が、この小説の恐怖の源泉になっているが、フランス革命の血塗られた歴史を背景に、このブリクサムの物語や「赤後家の部屋」の来歴を記すカーの筆致はなかなか見事だ。「プレーグ・コート(黒死荘)の殺人」でのロンドン・ペストの描写もそうだったが、こういった歴史的な事実と怪奇趣味を交錯させた記述におけるカーの才能は特筆すべきものがある。 第一の殺人の密室トリックのポイントは、15分ごとに外からの呼びかけに答えた被害者の「声」の謎と、毒殺方法の謎である。「声」のトリックの方はあまりに不自然だが、毒殺のトリックは当時としてはかなり斬新だとは思う。が、これを可能にするある要素が最後まで隠してあるので、読者が推定するのはまず不可能であって、ややアンフェアだ。駄作とは言わないが、ミステリとしてはちょっとまとまりに欠ける、残念な一作。 とはいえ、黒死荘→白い僧院→そしてこの赤後家と色モノ3連荘のあと、次の「三つの棺」でカーの密室嗜好はピークをむかえることになる。この時期のカーは、本当にマジで密室の構成法について様々な角度から検討・研究に勤しんでいたのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書を読んで変だと思うところが多々ありました。その部分について原書と比較し、その一部について感じたことを書いてみます。こんなことを書くと、「重箱のすみをつついて」とか、「文句があるならはじめから原書を読め」などと言われそうですが、誰が読んでも変だとわかる翻訳が手直しもされず半世紀以上も放置されているのを残念に思いこんな文章を書いてみました。将来の読者のためにも、出版社には(ハヤカワさんでもいいですから)ぜひ新訳を出していただくよう強く希望します。その際、読者が原書を参照したくなるような訳はどうかご勘弁を…… (1) A「あの人だって二十一になったじゃないか」p38 B「なにを騒ぐんだ、ジュディス。おまえだっていつまでも子供じゃない。二十一になるんじゃないか」p147 C「私はまだ五十ですし、彼女はたしか、三十一と聞きましたよ」p234 これらはいずれも同じ女性の年齢に関する記述です。Aの原文は、She’s over twenty-one, anyhow. です。〈試訳〉「いずれにしろ、(成人年齢の)二十一はすぎているのだろう」これを「二十一になった」と訳したのが頭にあったせいでしょうか、Bもそれに合わせてthirty-oneを強引に二十一と訳しています。Cでは、そんなことはおかまいなしに、いきなり十も歳をとって三十一となっています。原文ではBもCもthirty-oneです。これでは本書を読んだ人は、Cが誤植か何かで、この人物の年齢は二十一だと思うのではないでしょうか。どうでもいいと言えばどうでもいいことですが、せめてこのくらいは本にする前に出版社の人が確認してほしいものです。 (2) 「ぼくは屋敷にはいりましたよ」p256 そのあと同じページで「二階の、あかりのついた窓は、ブラインドが下りているが、人影が前後に動いているんです」と続きます。 屋敷にはいってしまって、どうして窓にうつる人影が見えるでしょう? この原文はI ducked back again.です。〈試訳〉「さっきまでいた場所(向かい側の軒下)に戻りました」そのあとさらに同じページで「とにかくぼくは邸内にはいった」と言っています。ここで屋敷にはいったのです。 (3) 「イザベルさんのほうはもう寝てしまったんではないかな」p279 このせりふの少し前、p251でH・Mが「いまは(昼の)十二時をすぎたところ」と言っています。また、このイザベルさんという人はp258で、睡眠薬で寝込んでいたという記述もあります。そんな人が昼間から寝てしまうものだろうか、と思ったら案の定、原文を読むとBut I don’t think Isabel’s awake yet. となっています。これはここで訳すまでもないでしょう。昼の十二時を夜中の十二時とかん違いし、またそれを作者がかん違いしたとかん違いたのでしょうか? (4) 「Xが死んでしまって、事件もすんでしまったはずですのに、なぜみなさんは、いつまでもこうして、わたくしどものところへおいでになりますんですか?」p316 (Xのところには人名がはいりますが、未読のかたのために伏せました) この前のページで「お見せしたいものがありますの」と言っておきながら、このページではまるで何をしに来たのかと言わんばかり。本当にこんなことを言うと思います? また、「事件がすんでしまった」という発言も意味がわかりません。確かに本のページは残り少ないですが、新たに殺人がおきたばかりだというのに、どうして当事者が、事件がすんだと言いきれるのでしょうか? 原文は以下のとおり。 “But there’s one thing I’ve got to know: why did you insist on his coming here, when there was no need after X’s death? 〈試訳〉「教えていただきたいことがひとつあります。どうして彼(ペラム博士)をここに来させたのですか? Xが亡くなってしまったのですから必要ありませんでしたでしょうに」発言者はペラム博士のことを言っていたのでした。また、上記の発言を受けて、H・Mが「事件がおわった?」とききかえしています。それに対応する原文は “Wasn’t there?” です。「おわった」ではありませんよね? (5) さて、(4)を試訳のように訳すと、前の別のところとつじつまが合わなくなります。 「Xの検死に立ちあってもらうために、(ペラム博士に)きょう四時にここへ来てもらう約束なんです」p289 ペラム博士について、かたやXの検死の立ちあいを依頼し、かたやXが亡くなったので来る必要はないと言っています。そもそもここを読んだとき、民間人が民間の医者に、殺人事件の検死の立ちあいを依頼することなどあるのだろうかと思ったのですが…… “I had asked him to call here at four o’clock this afternoon, to have a look at X.” “had asked”ですから、ペラム博士に依頼したのはXが死ぬ前と解釈すべきで、また、かねてからXに精神異常の疑いがあったこととペラム博士が精神科医であることを考えれば、あとの”have a look at”は検死に立ちあうではなく診察するという意味でしょう。そう考えれば、Xが亡くなったので来る必要はないという、(4)の試訳とも矛盾しません。 つっこみどころはまだまだあるのですが、長くなるのでこのへんでやめます。ここに挙げたのは訳書を読んで変だと感じたものですので、原文と訳を逐一比較すればまだおかしな訳があるのかもしれません。最後に、たまたま見つけたほほえましい例をひとつ挙げて終わりにします。 暗号書類が山と積みあげられている。p218 「暗号書類」は、「ひもで縛られた書類」です。原文はCorded papersです。Coded papersではありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミステリー好きな方にはたまらない密室殺人ですよ~。もう何回か読み直しています。面白いと思いますよ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これもよくできているということで購入。色のついた作品はどれもすばらしい。これも思いがけない密室でびっくりしました。さすがです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
数年前に一度読んだが、ストーリー・トリックとも全く忘れていたため再読。 今回も毒殺のトリックには本当に感心させられた。ただし、手がかりが少なく(提示されても「そうだっけ?」と思った)、また犯人を示す証拠にも乏しい。あと動機も?と感じた。 意外性のあるトリックが楽しめれば十分、と思える人にはよいと思うがカー初心者にはお勧めできない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カーの作品は時折竜頭蛇尾だと評価されることがしばしばあるが、本作はその類型ではないだろうか。おどろおどろしい奇妙な言 伝えと、過去にあった惨劇のエピソードを描きながら、ページを繰るごとに後家部屋は怪奇的な印象を強くしていく。 遂にはあらゆる可能性が途絶え、かのH・M卿さえも気づかないトリックとは! と期待させておきながら、肝心の殺害する手段を 推理するための材料は終わりの方で少し出しただけで(しかも凄く微妙な描写だ。あれじゃ血の量について不自然かどうかなんてわかりっ こない)さもフェアな本格推理小説だと大見得切って明かしたトリックのなんと陳腐なことか。馬鹿げている。どうして、H・M卿? あなたが気づかないはずはないでしょうに、あんなトリックとも言いたくない下らないペテンに。今時の推理小説なら真っ先に潰す可能 性の一つではないか。しかも、黒死荘の時も思ったけれど、この時代の警察医はどれだけ無能なのだ。 これは断じて本格推理小説では無い。後家部屋の由来の話は面白かったけれど、真相を推理しようとするのは不可能だ。 あまりにも当たり前(読者が当然行っていると予測している)の捜査を警察とH・M卿が怠ってしまっているのだから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
3版カバー付求む!! ★評価は、5。 3版は2種あり注意必要! 取り急ぎ・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1935年に書かれた本書は密室殺人を扱っており、かの江戸川乱歩も絶賛した。 確かにおもしろく読み進むことができたが、解決を知ってしまうと「なあんだ」の感なきにしもあらず。よく言われるように、この人のミステリは竜頭蛇尾。謎づくりが巧い反面、種明かしがあっけなくて尻すぼみという気がする。 「外傷がまったくないのに、どうやって殺されたのか」というメイントリックや、「死亡推定時刻では1時間前に死んでいるのに、なぜ部屋からはずっと声が聞こえていたのか」という不可能状況や、「被害者の持っていた手帳はなぜ消えたのか」という不可解などは、すべて相関関係があるわけではなく、「たまたまいろいろ重なって犯人的にラッキー」みたいなことに過ぎない。ラストでそれを知らされると、妙な徒労感がどっと押し寄せてくる。 “不可能は分割せよ”とはいうが、あまり分割しすぎるとピンボケになってしまう…というか、やはり竜頭蛇尾の弊を免れないだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ひとりで二時間以上いると、必ず毒死するという〈後家の部屋〉。 部屋の謎を解くべく、邸の主人は、トランプを使ったくじ引きを行い、 それで選ばれた人間が〈後家の部屋〉で二時間過ごすことになる。 くじで選ばれ、部屋に入った男は、十五分おきの外からの呼びかけにきちんと 返答していたのだが、扉を開けてみると、とうの昔に毒死していたことが判明し……。 密室内において、経口摂取しても無害な――血管に注入する必要がある――毒 を用いた殺人、しかも、死んでいたはずの被害者が返答をする――という魅惑的 な不可能状況が提示される本作。 実にカーらしい、サービス精神溢れる状況設定には惹きこまれますが、 真相を知って振り返ってみると、ちらほら瑕疵が目についてしまいます。 メインの毒殺トリック自体は、心理的死角を突いた切れ味鋭いものです。 ただ、警察の科学捜査の不備を前提にしているのは如何なものでしょう。 ましてや、“死者の返答”という現象の真相は、まったく必然性がなく、 自己目的化したトリックと批判されても仕方のないものとなっています。 以上のように、本作をパーツごとに見ていくと、無理や欠陥に気づくのですが、 読んでいる際には、少しも気にならず、物語世界に没入させられてしまう所が、 カーのカーたる所以かもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
うっかりすると 重厚な歴史に心惑わされ、 トリックや犯人まで見えなくなってしまいます。 それぐらい、華麗な文章で 読者をだましてくれます。 しかしながら彼の作品は総じて暗く、 皮肉がたっぷりなので なかなかとっつきにくいものがあります。 おまけに無駄な描写も時折見られるので。 しかし、読むのに苦労する分 最後に明かされる意外な真実 いわゆる人間のエゴともいうべきものには 驚かされるものがあるでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
推理作家カーの魅力といえば不可能興味と怪奇趣味だろうが,本書では特に後者のセンスが光る。 夜霧立ち込める街外れで一風変わった自殺クラブに案内された男,なんと人間を殺す部屋なるものがありその真偽を確かめようと言うのだ。。 そして実際に出る被害者,だが関係者全員には相互で確認できる完璧なアリバイがあり,問題の部屋に仕掛けらしいものはない。。この謎に 名探偵のH・Mが挑む! この一作はトリックのアイディアもさることながら,そもそもが事件の発端となる部屋にまつわる伝説が魅力的だ。フランスで代々,死刑執行の 事務を司る一族と,フランス革命の描写がクロスフェードする場面では,感覚が麻痺し寒気を誘発させられる。 やはり《この手》の雰囲気作りや,フォルム追求においてカーの右に出るものは...いない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
原題は、 THE RED WIDOW MURDERS −−直訳すると、赤後家の殺人。 「赤後家」とは、作品の舞台となる マントリング邸にある「ギロチンの間」のこと。 この部屋では、初代当主を含め、 4人の人間が謎の死を遂げており、 2時間以上1人でいると死ぬと恐れられているのです。 この部屋は長らく封印されていましたが、 屋敷が買収され、取り壊されることとなったことから、 封印が解かれることになりました。 屋敷には、マントリング家の関係者が集められ、 そこには、ヘンリ・メリヴェル卿の姿も。 やがてカードで選ばれた一人が 「赤後家」に2時間籠もることになったのですが、 果たしてその人物は、2時間後に死体で発見されます。 その状況は、密室状態で、すべての関係者には アリバイがあるという不可能犯罪となってしまい、 ヘンリ・メリヴェル卿は、 犯行を阻止できなかったことに苦しみながらも、 推理を積み重ねていくのですが・・・。 死因は毒殺なのですが、 どうやって殺害したのか、 そのトリックがなかなか面白い作品です。 死体の傍らには、カードと羊皮紙が添えられており、 その謎も興味をそそる要素になっています。 また、「赤後家」誕生秘話というべきものが、 フランス革命の史実と織り交ぜて描かれており、 歴史小説+怪奇小説の味わいも楽しむことができますし、 推理という点では、名脇役のマスターズ警部が 密室トリック解明の推理(もちろん真相ではないのですが) を披露するところも、一つの読みどころといえましょう。 殊に推理の過程でとても面白いと思ったのは、 なぜ「赤後家」が犯行現場に選ばれたのか、 という説明がされていることでした。 なかなかユニークな視点ではないかと思います。 本書は、カーター・ディクスン名義の第4作で、 脂の乗った時期の充実した一作といえるのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「赤後家の殺人」は、かねてより、カーター・ディクスン(=ジョン・ディクスン・カー)のヘンリー・メリヴェール卿(H・M)ものの代表作の一つとして挙げられることの多い作品です。 その部屋に1人で2時間いると必ず死ぬという「後家の部屋」。70年程の間に4人が犠牲になり、最後の犠牲者が出て以来封印されていましたが、どうしてもその謎を解明したい屋敷の現在の当主が封印を解き、当主に集められた人たちの中から1人がその部屋に入ったところ、やはり2時間後に死体で発見されます。部屋は完全な密室、さらに関係者には皆アリバイがあります。果たして、誰にどうやって殺されたのか・・・。 カーの作品と言えば、密室を始めとする「不可能犯罪」、それと「怪奇趣味」が醍醐味と言われていますが、この作品も両者が融合し、カー独特の雰囲気を醸し出しています。(なお、私がもう一つの醍醐味と考える「ロマンス」は、本作では弱く、その点は少し残念でした。)私は、これまでにカー作品を結構読んでいて、そのせいか、何となく犯人の目星はついたのですが、トリックについては、ミスディレクションにまんまと引っかかってしまい、種明かしされるまで全く気付きませんでした。 とは言いながら、本作がH・Mもののベストかと問われると、そこは「白い僧院の殺人」(=「修道院殺人事件」)や「プレーグ・コートの殺人」の方を挙げたくなりますが、それでも本作は、やはりH・Mものの代表作の一つと言えるでしょう。少なくともカーファンなら看過できない作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書は、一人きりで2時間以上いると必ず死ぬと言い伝えられている部屋で起きた密室殺人の謎をH・M卿が解き明かす、カーター・ディクスン第4作。 緻密で複雑な構成は『プレーグ・コートの殺人』以上で、かつHM卿の推理は論理的に筋が通っている点、見事である。ただ、構成が複雑な上に作者の悪筆が加わり、一読しただけでは非常にわかりにくいのが難点で、『プレーグ・コート〜』や前作『白い僧院の殺人』のように単純な仕掛けであっと驚かされることは期待できない。 江戸川乱歩は本書を「カー作品中一流のもの」と評していると巻末の解説に記されているが、乱歩の評価は必ずしもミステリーファン一般の評価と一致するとは限らない。 本書の第一の殺人はいわゆるカムフラージュの殺人で、クリスティーの『三幕の殺人』や『書斎の死体』のレビューにも記したことだが、直接利害関係のない人物を計画的に殺害するという点がイマイチしっくり来ないため、その点で私は本書をマイナス評価している。 なお本書は、宿泊客が翌朝死亡するという事件が過去相次ぎ、幽霊の仕業であるとのうわさが広まっていたため、それが迷信であると証明しようとこの部屋に泊り込んだ者がやはり翌朝死亡していたという、イーデン・フィルポッツの『灰色の部屋』を下敷きにしているのではないかと私は推測している。 それと、本書には作者の(カーター・ディクスン名義の)第1作にして犯罪学者ジョン・ゴーントが探偵役を務めた『弓弦城殺人事件』に登場した人物が再登場しており、HM卿とジョン・ゴーントとをつなぐ作品という点で興味深いものがある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カー得意のオカルティズム趣味が横溢した作品。その部屋で眠れば必ず毒死するという"死の部屋"でまた犠牲者が、という設定。無論、密室状態である。その家は、フランス革命時の首切り役を努めた呪われた一家。まさしくカー好みでムードは満点である。 犠牲者はその家に伝わると言われる財宝が目当てで、わざわざ"死の部屋"に赴く訳である。この辺でトリックは読めてしまう(というか他に考えられない)のだが、カー・マニアはその後も雰囲気を楽しめるかもしれない。私が本書を読んだ時、創元からはカーの作品は5冊程度しか出ていなかった。その意味でも代表作扱いされているのだと思うが、カー・マニア以外にはちょっとキツイ作品かもしれない。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!