帽子収集狂事件
- ギデオン・フェル博士 (23)
- シルクハット (2)
- 安楽椅子探偵 (187)
- 帽子 (2)
- 黄金期 (10)
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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緻密ではあった。 | ||||
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フェル博士シリーズ第2作目で私にとって初めてのカー長編。私はこの作品でカーが好きになった。というよりも「カーってこういう作家なんだ」と理解した作品である。 | ||||
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乱歩はこの作品のどこをどう評価して作者のベストに推しているのだろうか。 | ||||
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誰でも犯行可能な状態で誰が犯人でしょう?と言う作品。 | ||||
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未読の方はご注意ください
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ジョン・ディクスン・カー(1906-1977)没後47年、初めて読みました。 原著刊行は1933(昭和8)年、刊本、1956(昭31)年に発行された宇野利泰訳で読みました。 以後、東京創元社だけでもさらに2回も新訳がでているのですが(素晴らしい)刊行から91年後、宇野訳が出てから68年後に読んだ事になります。 新訳の方がすばらしい、と多くのレビュアー様がおっしゃっているので、旧刊本の「今から見れば遺漏もあるのであろう」訳で見た感想で見て頂きたいのですが(さすがに歴代訳を読み比べるほどの根気がないので)この本は「ロンドンの霧の中で、鬼面人を嚇す、大時代な仮面で鎧われた怪奇ゴシック小説が半分、ミステリが半分ずつ」の印象でした。 カー自体(カーター・ディクスンを含め)初めてなので、すでにしてミステリの古典を読む上に、その上執筆当初から「おどろおどろしく古色蒼然の怪奇趣味」の上にさらに90年の歳月が積み重なってしまったので、電子書籍と音楽配信が常態になっている2020年代、ある意味ではコナン・ドイルのシャーロックホームズよりも「古び」て見えるのは仕方ない。 また、そうした、半分怪奇小説として読むことはカー本人にとっても望むところなのではないかしら?(本人憤然として否定したらすみませんが) 謎解きは「ええっ、それってありですか?」と思わざるを得なかったのは桐野夏生やP・D・ジェイムズといった半世紀以上未来の同ジャンルの継承者をさきに読んだあとだから仕方がない所もある。 また「現代の妖怪小説」でもある京極夏彦と一脈通じるかも知れないが、現実をどう見るか、夢と幻をむしろ意図的にまぶして楽しむことにしようではないか(京極夏彦はもっと現代的に現実と非現実の境界を彷徨逍遥している趣はあるが)という、意図的に骨董ものの装いとして楽しんだ。 それは以後の日本のミステリ史とも関係があり、江戸川乱歩、横溝正史(1902-1981。なんとカーより4歳年上)を通じて、むしろ日本では通奏低音として松本清張以前は楽しくおどろおどろしき怪人二十面相、そして清張以後も因習と怨念うずまく金田一耕助の角川映画で人口に膾炙した(ということは日本人も湖から出た足のようにネタ、ギャグとして楽しみつつ、結局はそれを望み、受け入れたということにほかならない)因習ものの楽しさかも知れない。 と言う訳で、カー以後の日本社会でたっぷりと乱歩・正史・京極と日本的にアレンジされた非現実路線の薫陶を受けたあとで、さかのぼってその英米における祖先を読む感じで、なるほどこれがかの怪奇趣味猟奇嗜好のお師匠さまでありますか、という風に読みました (色々と間違っている所もあるだろうけれど、あたらずと雖も遠からずの理解だとは思いますが如何か) …小説としては色々と瑕疵もあると思うし、トリックは無理があるのでは?とも思ったし(けちょんけちょんである)第一、ギデオン・フィル博士はいまいち鼻持ちならない人物に見えて、考古学とはいえ非現実の境界的領域で筆者の厭世的基調を満足させるこれまた20世紀末、アーロン・エルキンズのギデオン・オリヴァー教授(その名もギデオンを引用しておられるあたり、カーの遺伝子というべきではないか)の方がエキセントリックでも、またパーソナリティでも好みだった。 1933年(昭和8)では独立峰の風格でも、以後、あとにつづく崇拝者と弟子たちによって標高の面では乗り越えられてしまった所は否めない、とはいえその山脈を隆起させた草創者としての栄誉は揺るがない、でも申し訳ないけれど筆者は小説としてもミステリとしても怪奇ものとしても今一つ、というちょっと失敬な感想でした。 しかし2024(令和6)時点では三世代が経過したのですから、いまだにこれが「怪奇趣味ミステリのパイオニアにして最高峰」であるよりか、それはなんぼかマシでしょう。 憧れられ、その衣鉢を継ぐ継承者たちに恵まれ、そして乗り越えられたのだから、むしろそれは幸福ではあるまいか…とこれまたカー本人の意思を無視して勝手なことをほざく筆者。 あ、いや、もちろん創造者としての敬意を払いつつ、ですが…(失敬きわまる感想ですいません) | ||||
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この作品は、1933年の作品なのだが、ある意味、『奇想』の原点とも言えるのではないか、と感じている。つまり、フツーでは無いことを題材とし、それを最終的には論理的に帰結させてしまうというものだ。島田荘司の作品などがそれに当たると思うのだが、島田荘司もジョン・ディクスン・カーのこういった作品に、強い影響を受けているのが解る。 カーは歴史にとても強いのが、この作品でも解る。ジョン・ディクスン・カー名義の『三つの棺』でも、実際の歴史を取り込もうとしているのが成功している。なんと言っても、ルイ16世が処刑された時代のフランスとイギリスを歴史そのままに下敷きにして、この本を構築していた。このジョン・ディクスン・カーの『帽子収集狂事件』の舞台は、ロンドン塔だ。つまり、ロンドン塔を密室にしてしまっているのだ。 H・M卿こと、ヘンリ・メリヴェール卿にそっくりなフェル博士がこの謎に挑む。あなりの面白さに、かえって読むのがもったいなくなり、ゆっくりゆっくり愉しんでいる。 すでに100年経とうとしているのにこの素晴らしさ。感動です。 | ||||
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もうほとんどロンドン党敷地内の内部での状況説明が横溢なのだが、とにかく分かりにくいことか。戦前ミステリ黄金期の見取り図や地図って、たぶんオリジナルからの転載なんだろうけど、出来の悪いものが多すぎる。訳も残念なのが多いし・・・。本格ものの探偵が鼻持ちならないのはいつものことだが、「帽子収集狂」はいきなり最後に真犯人が名乗り出て饒舌にセルフ謎解き。探偵フェル博士は、「初めから分かっておったのじゃ」的したり顔。トホホです。帽子にからむ謎など面白い部分もあったが、全体的にカーは、ミステリとして一級のものでも、小説としては奇形的にバランスが悪い。あまつさえ帽子収集狂はミステリとしても凡庸。 | ||||
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フェル博士初登場となった「魔女の隠れ家」から時系列的に続きだということで、こちらの作品を読んでみました。何十年前の再読なのですが、内容はすっかり忘れていて初読同然でした。 めずらしく、密室殺人ではなかったのですね。この作品も登場人物それぞれの事情や人生ドラマが多様に交差した内容です。カーの魅力というのは、怪奇趣味、オカルト、密室などの不可能犯罪、そしてそれらに相反してユニークな探偵役が演じるドタバタ劇のファース趣味が混じりあって渾然一体となったものだと思います。ただ初読の時は、なんせ中学生くらいだったと思うので無理もないのですが、そのファースのユーモアが少しもわかっていなかったような気がします。こんなに笑える話だったのか?と改めてびっくりしています。特に最後の方、フェル博士が警察関係者の振りをして参考人に尋問している時、おもちゃのネズミがポケットから飛び出して机の上を走り回るシーンでは声をあげて笑ってしまいました。 怪奇幻想、恐怖、ホラー系が好きだったので、英国の古城や古い貴族館を舞台に、心霊学や幽霊、自動人形、魔女、祟り、伝説などがテーマのカー作品は、ミステリの中でも一番好みでした。この作品も舞台は霧深いロンドン塔で、昔は監獄でもあり数々の処刑が行われ、今でも幽霊が出ると言われている所です。帽子を集めてはおかしな所へ置いていくふざけた犯罪者と、むごたらしい殺人のコンビネーションがユニークで、いかにもカーらしい趣向です。カーの代表作のひとつと言えると思います。 | ||||
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