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夜のピクニック
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夜のピクニックの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全561件 341~360 18/29ページ
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高校生活の最後の大イベントに今までの思いを込める、 あーなんか青春!って感じがしました。 周りの友人達もかなりいい感じです。 根底にあるものは現実で考えたらかなりシリアスですが それを重過ぎず軽すぎずちょうどいい感じで 彼らの内面を丁寧に描写していると思いました。 読み終わったあと軽くすがすがしい気持ちになれました。 青春ものがお好きな方はぜひ。 | ||||
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素敵な青春小説ですね。という感想です。 「夜のピクニック」というタイトルがあまりにロマンチックなので、 もっと恋愛風味の話だと勝手に期待していました。 主人公の貴子と西脇融のエピソードはちょっと重かったかなぁという気がします。 二人の関係が特殊なので、夜のピクニックという状況の特殊さとあいまって、ちょっと出来すぎというか、逆に関係が変わるほうが自然に思えてしまって。。。 極端に言えば、夜のピクニックでなくてもいつでも関係を変えるきっかけがありそうな気がしてしまいます。 もっと曖昧な二人の感情の関係が、「夜のピクニック」の魔法で変わる、みたいな方がベタだけど好きだなぁ。 貴子と西脇融のエピソードは、そのまま忍と美和子のサブメインの関係に移してもいいです。 いやぁーでもこんな夜通し歩く行事があったら、文句を言いながらも楽しい思い出になるんだろうなぁ。 私は絶対口では文句言いながら、内心いろんな事を物凄い期待しているタイプだなぁとか、いろいろ考えてしまいます。 修学旅行が代わりに無くなるのはやだけど。 | ||||
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恥ずかしい話、大学1年になって夜のピクニックくらいの分厚い小説を読んだ事はあまりなかった。 正直、読む前は話の内容や分厚さから「途中で飽きるんじゃないか?」と悲観的だった。だが、読んでいくうちに自分もこの学校の生徒みたいに思い始め、ページを捲る手が止まらず、2日とはいかないが、とても早く読むことが出来た。 運動会でも修学旅行でもなく、みんなでただ歩くだけの歩行際を2日かけて歩くだけの物語。だが、そこには運動会や修学旅行にはない友情や恋や青春の数々がある。 読み終わってまず感じた事は「もっと早く読みたかった。」という事。中学時代でも高校時代でもいい。高校時代、友達と呼べる友達はおらず、恋も一途で終わってしまい、青春なんて体験したくてもできなかった。 夜のピクニックを読んでそれを補おうとは思わない。だが、アニメみたいな光り輝く友情や恋や青春を憧れていた自分はこの話の人物達のように地味でも固く結ばれた友情や恋や青春というものがあるというのをもっと早く知りたかった。 | ||||
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高校生活最大のイベント、「歩行祭」。 80kmもの道のりを20時間ほどかけて歩き通す。 朝8時に出發し、朝8時頃ゴールする。 前半は團體歩行で後半は自由歩行。 後半は仲のよい友達同士で、これまでの想ひ出やこれからの進路などについて語りながら歩く。 それは、高校生活の貴重な想ひ出になることだらう。 甲田貴子と西脇融は、親友にも云へない祕密を持つてゐた。 二人はその祕密ゆゑに、お互ひ話をすることもなく、學校生活を過ごしてゐた。 さういふ二人を、周圍は、祕かにつきあつてゐるのではないかとか、相手のことを好きなくせに云ひ出せないのではないかなどと勘繰つてゐた。 しかし、二人の祕密はさういふ樂しいたぐひのものではなかつたのだ。 お互ひに相手の氣持ちがわからないまま過ごして來た二人だつたが、 周圍の勘違ひによるおせつかひの所爲もあり、後半はそれぞれの仲間が一緒になつて歩くことになつた。 貴子は、祕かに自分に課してゐた小さな賭けによつて、「歩行祭」といふ一種の極限状況の中、自分自身をみつめなおすことになる。 そして、永年のわだかまりが融け、「歩行祭」のゴールが見えて來た時、貴子は新しい何かの始まりを感じるのであつた。 ううむ、良いなあ。 もはや子供ではないが、と云つて大人にもなりきれない、そんな時期の惱みや戀愛や友情。 かういふものを書かせたら、恩田陸はピカイチだ。 「ネバーランド」以來、久々に恩田陸描くところの高校生を堪能した。 <以下、閑話休題> 私の母校の高校は、私が3年生の時に創立100周年を迎へた。 そのお蔭で樣々な記念行事があり、さういふ節目に在籍してゐられた偶然に感謝したものだつた。 その中のひとつが、「強歩大會」。 九十九里濱を20km歩くといふ行事だつた。 運動部の連中は、當然の如くスタートから走り出した。 山岳部の私は、走らずに歩くことで、どこまで順位をあげられるかにチャレンジした。 醒めてゐる連中は、「け、くだらねえ」と冷やかな態度。 海を見つめながら己の内面を見つめるのだといふ哲學者もゐた。 ゴールが視界のかなたに入つて來た時、後ろから走つて來たヤツらに拔かれた。 その中に、「け、くだらねえ」といつてゐたヤツの姿があつた。 なんだ、結局一生懸命になつてゐるぢやないか。 あいつには負けたくない、さう思つて、ついに私も走り出した。 しかし、歩く時に使ふ足の筋肉と、走る時に使ふ足の筋肉は正反對なのだつた。 私は向う脛の筋肉が吊つてしまひ、九十九里の砂にまみれた。 あとすこしでゴールだ。 後ろからどんどん拔かれつつも、吊つた足を引きずりながら、ゴールした。 3年生360人のうち51番だつた。 「くだらねえ」と云つてゐたヤツはバテバテになりながらも49位。 結局追付けなかつたが、不思議と悔しくなかつたことを思ひ出す。 高校時代。 あの3年間は、じつに不思議な時代だつたと思ふ。 30年たつても、まるできのふのことのやうに思へる。 隣で息子のヨメが「まあおぢいちやんたら、また高校時代の話をしてるわ」つて孫に言ふんだ。(121ページ) | ||||
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丸一昼夜かけて80キロを歩きとおす(一部は走らないと制限時間に間に合わない)という「歩行祭」。 本作は,甲田貴子が,同級生でありながら一度も話したことがない異母兄弟に声を掛けたいと願い,それが実現できるか,というだけで,格別何という事件も起きない。敢えて言えば,前年の歩行祭後アメリカに引越してしまった杏奈が貴子に宛てた手紙「たぶん,あたしも一緒に歩いてるよ。去年,おまじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して,無事ゴールできるようにN.Y.から祈っています」がどんな意味なのか,という程度であろう。 そんな何でもないイベントを,これほど魅力的に描き出しているのは,やっぱり恩田陸の筆力の技なのだろうと感心する。私は,本作を読んで,高校時代の学校際の夜を想い出して,なんとも懐かしい気持ちになった。 | ||||
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僕は、高校三年から約13年の月日が経ちます。 普通は修学旅行なんですが「歩行祭」という珍しい行事。 各クラスの友達と混ざり合う、最後の学校全体行事。 県内の高校ですが、日帰りの歩行祭がある学校はあります(いまは不明) 当時、やり残した事、恥じらい等で伝えられなかった事、答えられなかった事を思い出します。 登場するような人物や人間関係はありませんでした。 しかし、いま思えば、こういった人との付き合い、思いやり、深さなど出来たのかなと思います。 大人には、「こんな気持ちの時ってあったよねー」と感じていただきたい。 中高生には、遠慮や張合いで不燃焼な学生生活を送らないように読んでいただきたい。 | ||||
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夜という設定からかストーリーに目立った事件等は無いが、主人公の二人の思いの美しさに後からじわじわ感動の波が押し寄せてくる。 読んだあとおだやかな気持ちになれる小説である。 | ||||
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私は高校生ですが、この「夜のピクニック」の登場人物のような人は私の友達にはいません。 ちょっと綺麗過ぎると思います。 登場人物の会話を子供っぽくしたり、その中にある思考を大人っぽくしたり、都合がよすぎるな、という印象です。 完璧に大人の視点から描いた「青春小説」です。 たぶんこの本を読んだ高校生は皆同じように、違和感を感じているのではないでしょうか。 | ||||
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自分の青春時代の中でも高校時代は特別なものです。 中学生までは明らかに子供という意識でいたし、大学生は飲酒/喫煙も出来て就労した大人ではないけれど子供ではもうない時代でした。 子供の世界の最後に位置するのが高校時代であり、その為にその時代での出来事はキラキラ輝いた大切な記憶となるんだと思います。 この小説は、高校生の瑞々しい思考や悩みを見事に表現し、主人公達の大人の世界に入って行く区切りを描いた物です。 色々な仕掛けも楽しく、一晩の出来事を読み応えある内容に仕上がっていると思います。 お勧めの一品です。 | ||||
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まさに高校生にしかできない、若さにまかせた全員参加行事 『歩行祭』 ほぼ24時間歩き続けるんだから、体力の配分とか心の持ち方とか 出たとこ勝負。 精神的興奮と嫌気、体力的不安が行き来する中、いつもはできないことを考える。 好きな人への告白、秘密の暴露、話したことのない同級生との交流・・・。 それぞれの思惑が入り乱れる中、主人公がふみきったのは異母兄弟との接触だった。 高校生ならではの“ノリと勢い中心の言動”が、みずみずしい! かつてだれもが、こんな雰囲気の世界を通過したはず。 だからきっと、読者それぞれの学生時代のふとしたシーンを思い出させてくれるのだろう。 異母兄弟それぞれと残された母との関係。そして一方の家庭事情を想いながらゆれる気持ち。 「何かをしてあげる」友情ではなく、「在ることを受け入れる」友情をこの歳で知っている仲間たち。 学生の頃この本に出会っていたら、もっといろんなことを大切にできたんじゃなか・・・.。 読み終えたあと、そんな思いがこみ上げる一冊です。 | ||||
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人生って、後戻りはできないんだな、と当たり前のことを今更ながら思い出させられた作品でした。 とある高校で毎年行われる歩行祭。朝の8時から翌朝の8時まで、24時間かけて80キロを歩き通すというイベント。このイベントを通して、融と貴子の人生に大きな転機が訪れる。 いつも思うのだけど、恩田作品というのはちょっとホラーっぽいものやファンタジーもいいけれど、こういった日常の中の非日常、といったシチュエーションで描かれる作品がとてもおもしろい。これが、体育祭や文化祭、といったどこの高校にでもあるようなイベントではだめなのだ。『歩行祭』という珍しいイベントだからこそ、ただ歩き通すといった行為の中で交わされる会話が、普段とは違う空気の中で、それぞれの”本音”が語られておもしろくなる。余談だけれど、別の恩田作品『黒と茶の幻想』もそうで、これが温泉旅館だとか、有名な観光地ではだめなのだ。Y島という特殊な環境だからこそ、登場人物の会話が生きてくる。 融の親友、忍が夜中に歩きながら、彼に「説教していい?」と話しかける場面がある。小学校教諭志望の従兄弟が、昔からおすすめの本を持ってきてくれていた。でも自分はほとんど読んでいなかった。最近退屈しのぎに『ナルニア国ものがたり』を読んだ。その時自分は「しまった、タイミングを外した」と思った、と。どうして小学生の時に読んでおかなかったんだろうと後悔した、と。 彼がいいたかったことは、タイミングや順番が大事だってことだ。必要のないこと、関係のないことと決めつけているようなことでも、その時にしかできないこと、その時にやっておかなきゃいけないことがある。だから、今はノイズにしか聞こえない雑音でも、それが聞こえるのは今だけであって、後からテープを巻き戻して聞こうと思った時にはもう聞こえない。きっと、あの時聞いておけばよかったと後悔する時が来る。そんなふうに、融に説教をする。 ここの場面が一番印象的。後になれば、なんであんなつまらないことで悩んでたかな、と思うようなことでも、その”悩む”という行為自体が、大事なときもあるんだと思う。 あー。もっと青春しておけばよかったな。なあんて、読み終わった後に思った。 大人になったからこそわかることもあるけれど、この本を、リアルタイムで読んでいたらどうだったかな。子どもたちが大きくなったら、ぜひ読んでみてもらいたい。そして、感想が聞きたいな、と思った。 | ||||
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「もうこの時間は二度とないだろうな」とか、「今ここで言えなかったらもう言えないだろうな」とか、 そういう切なさが臨場感を持って伝わってくる気がした。 融と貴子が伝え合いたかった気持ちが、恋愛感情よりももっと根源的な「理解したい」「受け入れたい」想いだったところに共感を覚えるし(「うちに遊びに来ない?」)。 忍と美和子も魅力ある友人で、自然に感情移入できた。 大事件が起きてドキドキとかそういうのはないけど、終わってしまうのが惜しくなってくる小説だった。 | ||||
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読み始めてすぐに著者の「黒と茶の幻想」の展開と似ているなあと思い始め、 本を読むという熱が少し下がった。 ストーリーは入りやすいし、読み進めやすい。 「ナルニア国ものがたり」に対するくだりは心に残る。 ある一定の年齢の時に読まなかったことで、自分の大事な本にならなかった本。 あの時、あの歳で読んでいたら、 絶対に自分が一生何度も読み返すことになっただろうとわかった時には遅かった本。 そういう本は確かに存在する。 私にとっても「ナルニア国ものがたり」は時すでに遅し、だった。 | ||||
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恩田氏の作品は、やたらと登場人物が多い印象があります。 この作品で言えば、主人公の男女2人、サブキャラが数名。 普通ならゴチャゴチャしてしまう人間関係を、しかし恩田氏は「さりげなく」展開させていく。 それが才能なのだと思います。 新潮社の文庫は割と薄いイメージがあるのですが、この作品は極厚。 始めは「これ読みきれるのかな・・・」と、登場人物が完走(歩?)する前に、 自分が諦めそうになっていました。 「無理そう」から始まり、「まだここか?」、最終的に、「いやだな、もうすぐ終わってしまう」 読書は、歩くことに似ている、この作品を見てそう感じました。 無理かもしれないと思っていた読破が、達成できる。 しかも、読破することを、寂しく感じる。そんな作品です。 高校時代に似たような行事を経験された方は、共感できる部分も多いのではないでしょうか。 ぜひ読んでほしい作品です。 | ||||
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すごくおもしろかった。普段あまり本を読まないし、読みきることの少ない私が、2日間真剣に読み込んでしまった。その人になったかのようなの細かい心理描写、頭の中に風景があふれるような風景描写、読んでいくうちに自分も生徒の一人として、歩行祭に参加しているような気分になった。貴子と同じ高校3年生、考えていることも感じることも近くて、親近感が沸いた。大恋愛、大事件はないけれど、最後まで「どうなんねやろ〜!」とドキドキして、読み終わった時は心がスーっとして何か言葉じゃ表せないような満足感でいっぱいになった。誰でも楽しめるけど、同じ高校生にぜひ読んでほしい。私の人生の一冊になりました。 | ||||
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私は1日歩行(ここでは"鍛錬歩行祭"と呼んでます)は経験していませんが、自分も経験したことがあるかのような錯覚にとらわれました。 恋愛が中心でない青春小説というのはとても新鮮です。 会話が中心に進められていてまたこの会話も今風なので、若い人にも読み安いと思います。 青春を過ぎ去った人は青春時代にタイムスリップしたような感覚を味わえます。 | ||||
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夜の80キロ歩行は恐らく作者自身の実体験に違いない。このような一種の極限状況を設定しなければ、ここに書かれたような若者の赤裸々な心情の吐露、交換を描くことはできなかったろうと思う。 歩行が進むにつれて、湧き上がってくるいろいろな想いや心情の推移、親友やその他学友との思考の交換、真情のぶつけ合い、身体の疲労にともなって生じる心身の変化、周囲の自然、風景、明暗の移り変わりとそれに伴う感情の起伏など、全てに迫真力がある。 そして、主人公、西脇融と甲田貴子の置かれた困難な環境とそれに伴う心の動き、悩みと、それがこの歩行中に一応の解決を迎えるまでの心理的推移と心情が実によく描かれている。 そして二人を支える融の親友戸田忍と、貴子の親友遊佐美和子、榊杏奈の友情と彼らの優れた人間性にも心を打たれる。 誰もが若い時に一度はこのような経験をしてみたかったと思うだろう。友情と愛情と希望と激励に満ちた最高の学園小説の一つとして永遠に記念すべき作品だろうと思う。 | ||||
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一晩かけて歩き続けるだけ。 3年間を共に過ごした友達と。 ゴールを目指して、黙々と歩く、歩く、歩く。 合間に語る、考える、考える、語る。 ただそれだけの話にここまで胸を熱くさせられるとは思わなかった。 読み終わった後の高揚感はここ数年味わったことがないものだった。 主人公たちのゴールを目指す姿に胸が熱くなる。 読み終わってすぐに誰かにこの面白さを熱烈に語りたくなる。 そして、自分もひたすらに歩きたくなる。 読書の幸せをしみじみとかんじた一冊だった。 | ||||
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とある進学校の「歩行祭」なる行事を舞台に「貴子」と「融」の異母兄弟のドラマを軸に話が進む(というほどの展開はありませんが、良い意味で)、ほぼ高校生たちをのみ登場人物にした物語です。解説にもありますが、そんな行事を体験したことがないにもかかわらず、読み進めていくうちにまるでかつて自分も同様の行事に参加したことがあって、その経験を本書を読みながら思い返しているかのような錯覚に陥ってしまいます。まさに「最初から名作」とは言いえて妙だと思います。個人的に話や舞台が目まぐるしく変わる小説よりも、こういったしっかりした器にしっかりしたエピソードを注ぎ込むような物語のほうが好きなので、最後まで楽しく読めました。しかし、p260くらいの「祐一」の台詞を、思わず「貴子」を口説いているように勘ぐってしまう自分に気付いたのは、「思えば遠くに来たもんだ」という切ない感慨にふけさせられたひとコマでした。 | ||||
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映画を見て原作に興味を持ち、読んでみました。先に映画を見ているので、風景や情景などを想像しやすかったです。 特に大事件があるわけでもなく、ただひたすら歩いているだけの話ですなのですがなぜか面白かったです。特に、貴子、融、美和子、忍のそれぞれの会話の部分は印象に残っています。中でもやはり貴子と融の会話は一番印象強いです。「この歩行祭が終わったあと、二人の関係はどうなるのだろう?」と想像してしまいました。美和子、忍の貴子、融に向けていった言葉も印象的でした。あと、映画と同じく内堀亮子の所は面白かったです。 この作品は是非読んでみる作品だと思うし、映画も見てみるべき作品だと思います。映画しか見ていないという人には是非一読をお勧めします。また、本書を読んで気に入った人には是非映画も見て欲しいです。両方まだ、という人はどちらが先でもいいので是非見てみてください。活字は苦手な人は映画から入ることをお勧めします。 | ||||
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