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ハーモニー
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ハーモニーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全253件 181~200 10/13ページ
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オリジナルは2008年12月リリース。電子書籍化は2012年4月25日リリース。2010年7月には英訳も刊行されている。英語版タイトルは、</harmony> 。 伊藤計劃の作家としての時間はその才能に比して余りにも少ない。そして作品も余りにも少ない。その中でこの『ハーモニー』の孤高の完成度は圧倒的だ。WEBディレクタの傍ら執筆を開始した伊藤計劃の作品は、WEBとゲームのDNAが組み込まれているかのようだ。少しでもプログラムを書かれる方なら、この作品の端々に登場するHTMLタグの変化形(それを伊藤は『etml』として最後のほうで説明している)で、実際には存在しない拡張系のタグを生成し、タグとタグの間を詩的なフレーズで挟みながら進行させていく手法は、まるで小説と詩とWEBページのアモルファスのような質感を読む者に感じさせる。実に斬新だ。 既に病の床にあって書かれた本作は『人というリソース』の集合体である社会に対しての『自分の身体』というものを常に意識して書かれている。それはSFのように見えてSFでは無く、近未来のようで現在の一部のような気すらしてくる。『WatchMe』をインストゥールされていようがいまいが、既にリソースとして時間的にも税的にも『生府(政府)』には認識され、織り込み済みになっている。本当はそう伊藤計劃は言いたいのではないか、と思えてくる。 この傑作を実写版映像で観てみたい。多くの伊藤計劃のファンはそう思っているのではないだろうか。あるいは伊藤計劃自身が熱狂的なファンであったゲームデザイナー小島秀夫の手でゲーム化して欲しい、多くの伊藤計劃のファンはそう思っているのではないだろうか。今は亡き伊藤計劃のために是非日本のクリエーターに手がけて欲しい。 | ||||
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文庫ももってましたが、どこでも持ち歩きたいくらい好きな小説なので、kindle版も購入しました。 他のレビューにこの本の内容のすばらしさは、たくさん書かれているので、内容については何もいうことはありません。 この小説の内容以外で特筆すべき点は、eHTMLというプログラミング言語のようなものを小説にちりばめたこと。 読み始めたころは、なんだろうこのプログラミング言語のようなものは?と思って読み進めてましたが、最後でその意味を知り、「やられた・・」。と思わず声に出してしまいました。 生きているということはなんなのかを、死の淵に立ちながら書いた著者の渾身の作品。 私の読書人生の中でも衝撃を与えてくれたすばらしい良書です。 | ||||
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「虐殺器官」が物凄く面白くて、作者の本を全部一気買いしました。 わくわくして読み始めたのですが、なぜか「ハーモニー」はいまいちハマらなかった。 理由が自分でもよくわかりません。 設定は濃密だし、文章は巧みなのに変わりはないのですが。 作品の中を流れる緊迫感みたいなものが比較的に少なかったからかもしれません。 この作家を読み始めるなら、「虐殺器官」からが良いと思います。 | ||||
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内容としては、虐殺器官の続編という位置づけだと思います。 世界観は士郎正宗の作品群の影響を色濃くうけているような気がしました。 中盤〜最後にかけて若干駆け足になってしまっていて、謎なままな部分や不明瞭な部分がいくつか存在します。 そこらへんは改稿によりいくらでも変わったのでしょうがご病気のこともあってうまくいかなかったのかな、と思います。 この作品を手放しで褒めることはできませんが、改稿次第では00年代のSF最高傑作にも成り得たかもしれないことが何より惜しまれます。 | ||||
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久しぶりにワクワクするSFを読みました。 人間のあくなき探究の末に行き着くところが、病気のない世界=個人の意識がない世界。 科学的であり、予言的でもある本書をきっかけに、超高齢化社会を考えられればよいなと思いました。 | ||||
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購入してびっくり。マークアップランゲージがそのまま見えてしまっていて、まともに読めません。Amazonさんに問い合わせたら「仕様」だそうですので、改定されるまでKindle版の購入は控えたほうが良いかもしれません。 紙の書籍を確認したところ、著者の演出でした。大変失礼いたしました。 読了後、再度評価したいと思います。 | ||||
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ミステリーやら哲学やらが絶妙に混ざっており、最後まで一気に読んでしまいました。 小難しい単語を大量にチョイスするところや、やや感情的な文体やらに幼い印象を受けましたが、それを差し引いても面白かったです。 今のわたし達が抱える様々な課題について見直すきっかけになります。 | ||||
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折しも、iPS細胞の山中教授がノーベル賞を受賞。 難病患者には大きな朗報だが、反面、人間自身を改造する可能性を秘めたテクノロジーでもある。 「ハーモニー」で描かれる世界は21世紀後半の設定だが、内容はきわめて現代的である。 「大災禍」後、すべての人間の健康状態が24時間モニタリングされる未来世界と、フクシマ 原発事故以降、生涯にわたって放射線被曝モニタリングを迫られる福島の子どもたちの間の 差は、ほとんどないように思える。 物語の後半は一転して、人間にとって「(自我)意識」や「感情」が本当に必要なのかと いったきわめて哲学的かつ根源的なテーマ展開になる。 もちろん抽象論ではなく、アクションシーンなども含めて急展開するので退屈することはない。 ある意味、「攻殻機動隊Ghost in the Shell」で、擬体たちの存在意義の最後の砦であった 「ゴースト」を全否定しようとするのであるから、ただならぬ内容だ。 中学生時代から数知れぬSF小説を呼んできたが、本書は2000年代の日本が生み出した世界に誇れる 衝撃的な作品である。 | ||||
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みなニコニコと腹を隠して、ありがとうやら素敵やらを頻発する狂った現代に最早まともな人間はいないと砂を噛むよな毎日に、リストカットを代替えにしてくれたような作品。虐殺器官もお勧めします。 | ||||
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人から勧められて読んだ本です。 普段SF物や戦争物などは読まないため、読み始めるまでに時間が かかってしまいましたが、一旦ページをめくり始めたら面白いことこの上なし!! この前に読んだ同じ作者の『虐殺器官』と併せて読むと 更に面白さが増します。(勿論単体でも十分楽しめます。) 話の内容は他の方が書かれていますので、詳しくは書きませんが、 普段自分の「意志」「意識」「感情」があることで どうしようもなく迷い悩む、そんな日々があることは悪くない、 そう思える内容でした。 「こうする方が結局はいいに違いないけれど、どうも自分の中ですっきりしない。」 「こうしたいけど、世間的にはどうなのか?」そういう様々な感情で葛藤しながら 毎日が過ぎることもありますね。 それが何の迷いもなく、「正しいからこうする。」「みんなのためだからこうする。」 なんてすっと処理できればどれだけいいか、と思うこともあります。 しかし、全ての人がそう行動する世界、自分の「意志」や「感情」に囚われない世界 だったらどうなるんだろう。 そういうことを考えさせてくれる内容でした。 『虐殺器官』も「自分の意志」について触れられた作品だったと思います。 作者の伊藤氏ご自身が病魔に襲われた中でこういったことに思考を巡らし考えられた作品だとしたら、 余りにも悲しいのですが、彼の作品はこれからもずっとずっと人々に一過性の楽しみだけでなく 深い印象を残していくと思います。 彼の作品をもっと読みたかったですね。 | ||||
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前半、特に年配の方には、違和感があるかもしれません。が、最後まで読んでいただくと、決して裏切られません。著者がぎりぎりのところで到達した思考のようなものに触れることができるような気がします。 SFなのですが、人間とは何か、宇宙とは、世界とは、生きていることとは、考えていることとは、自分とは、現在の社会のありようとは、、、と、考えさせられます。著者が、様々なことについて考えた中で、行き着いたアイデアの一つだと感じました。 人類の幸福追求の行き着く先、、、、素晴らしいハーモニーの奏でられた先にあるもの、、、、とは。 | ||||
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「虐殺器官」にそれなりのインパクトを受け、「30代で夭折した作家」の最後の完成作品ということで期待して読んでみた。読後――。確かに読ませるし、「虐殺器官」と対になったSFだということも分かる。しかし結局のところ、評者には、理屈を前面に押し出して書き上げた空回り気味のSFという印象が残り、他の多くのレビュアーが記しているような、モニュメンタルな大傑作だとはちょっと言いがたいような気がした。 この辺り、好みの問題というべきかも知れず、あるいは近未来SFの近年の潮流・動向を知らないがゆえの偏波な見方かも知れない。なので、評価は中庸の☆三つとしておきたい。作品としての完成度はそれなりに高く、次へ次へと読ませる展開力もある、とも思われるので。 | ||||
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<?Emotion-in-Text Markup Language:version=1.3:encodeing=EMO-590378?> <!DOCTYPE etml PUBLIC :-//WENC//DTD ETML 1.3 transitional//EN> <etml:lang=body> <review> <quote> かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。 </quote> 大災禍という悲劇が世界を襲い、人類はその混乱から新しいユートピアを目指した社会を作り上げる。しかし。。。 長編SF小説。HTMLやXMLならぬ、ETMLというタグに沿って書かれてある。著者は若くして世を去った伊藤計劃。その後、この作品は内外で数々の賞を受賞することになる。主要な登場人物は以下の3人。 <list:item> ・トァン ・ミァハ ・キアン </list> 悲劇的な物語である。 細かい舞台設定にはあまりなじめず、 特に前半は、正直、こんなもんかなと思って読んでいたが、 後半にいくほど引き込まれ、 やりきれない気持ちにさせられた。 扱っているテーマとストーリーには、 深く考えさせられるものがある。 面白い、というのもどこか違う気がする、個性的な作品である。 とても印象に残った。 </review> </etml> | ||||
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「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、築かれたのは高度な福祉厚生社会。 医療分子がフィジカル・メンタル両面での健康状態を常にモニター(監視)し、 健康と優しさ、倫理に包まれた“ユートピア” (※トマス・モアの著作に近い意味合いにおいて)。 そんな社会にて3人の少女が餓死という選択をすることから始まる物語。 早逝の鬼才伊藤計劃による最後の作品です。 動物の進化の延長としての「人間」と、社会的存在としての「人」 との矛盾点がこの作品のメインテーマ。 ただし、SF作品ならではの観点として、よくある個人の自由と公共性の対立に収まらず、 高度に発達したシステムに対する人の意思・意識といったものの必要性まで踏み込んでいます。 現在でも、投資ロボットが一定の運用成果を出していたり、経営に関する基礎データを元に 簡単な現状分析・戦略提案・実施シュミレーションはシステムが自動で行っています。 一方で、氷点下での体内機能維持のために糖尿病という形質を獲得したように、 人間は種の存続を目的として動物的要素を多分に有し、平和で理想的な「社会」に とって非合理的かつ不確定な存在です。 (※作者は前作「虐殺器官」においてこの動物的要素と紛争、テロ、虐殺 との関係性に言及しています。) 最近の実際の事件を見ても、人間が社会的観点から誤った判断、意思決定、行動を 繰り返すのは自明であり、そうした前提事項へのアンチテーゼとして切りこんだ作品 として本作は大変面白いと思いました。 | ||||
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単純な感想を述べると、まあまあ面白かった。が、この話の最も重要なSF的モチーフの一つである「意識のない人間」というものがどうも腑に落ちない。人々から「意識」が失われる、といって何事か問題のあるように思えない。作中でさえ、外面上は何も変わりのないことを述べているし。そして、ミァハが、強姦されている最中に意識が芽生えたが、それ以前は意識がなかった、と言うことも実際不可能だろう。「意識は脈絡のうちに示されるもの」というウィトゲンシュタイン的な見地を用いるまでもなく、この「意識」云々に関して訝しく思う人間もいるのではないだろうか。――と述べた後で、事実ここで言われていることがどのようなことなのか(リアルではないにしろ)感覚的に解し、面白みを見出すことのできる自分をも発見することができる。それは作中で散々述べられ、批難さえされるところの「共感」にほかならないのだろう。そもそも、「共感、思いやり」に嫌悪を抱くのであれば、他者の意識云々などまったく無きものとして無視してしまえるだろうに。他者に(霊的な、幻想的な意味合いでの)意識が存在している、ということをまず以て認めてしまっているところは、ミァハのカリスマ性を(ひいてはこの小説のロジックを)一段落としているように感じるが、それも含めて彼女の、文字通り願いであったと言ってしまうこともできる。完全に合理的な人間は選択の余地を失う。という考えはなるほど、と思えるし、ちょっと面白い。が、真実完全に合理的な人間であれば、生きることそのものに対する不合理を放っておくだろうか。という意味で、この小説は、作者の「願い」の域を出ない。といって糾弾されるいわれもないだろうが、それはこの小説がSFであり、エンターテインメントであるからか。 SF的描写は、例えば拡張現実だとか、サイバネティクス山羊だとかいうモチーフのほとんどがあまり詳述されていない。それは今でこそSFに慣れた大衆に納得できるほどの描写ではあろうが、過去にある程度説明責任を負わせている感がある。壮大な世界観ではあるが、登場人物が意外と少ない。そして、世界規模の大事件なのに、トァンの身の回りのみで事が進んでいるように感じる。それを予定調和的といって批判することもできる。まあ、そこまで気にはならなかったが。 | ||||
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本書のディスユートピアは、無菌室化された世界の残酷さと「素晴らしさ」が描かれている。 筆者は病床で本書をどのような気持ちで書いていたのだろうか?病気の根絶した世界。死の床にいる筆者にとってそれはあこがれでもあったのではないのだろうか?たとえそれが、いかに管理された未来であったとしても。 ここに書かれた社会を否定的に見るのは簡単だが、評者(評者も割と病弱である)も憧れを禁じえない。 死を背負っての筆者が書きえた本書のクオリティーの高さ。素晴らしい。 | ||||
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「誰も病気で死ぬことがない世界」 ある年齢になるとWatchMeというソフトウエアを体にインストールし、体内の恒常性を常時監視する。 それはメディケアシステムと繋がっており、異常に対して万全の予防を自動的に行う。 アルコールもジャンクフードもタバコもない世界。 太りすぎもやせ過ぎもない世界。 この社会が唯一是とするのは生命至上主義。 すなわち社会の成員全員が自分の/他人の健康を最大限に尊重すること。 テクノロジーによる高度医療社会は一見ユートピアにも思える。 一切の痛みのないからだが、すっかり「わたし」と切り離された世界で繰り返し問われる“人間は、なぜ人間なのか” 人間が動物である部分と社会的な存在であることの折り合いって難しい…。 上質なSFは哲学的なトーンになるものです。 もうしばらくはこの小説のいわんとしていることをじっくり考えたいと思います。 | ||||
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シンプルな白一色の装丁が、逆に期待を膨らませる「ハーモニー」文庫版。 近未来、体内に埋め込まれたナノマシンにより、大人たちは未然に病気を防げる世界。 理想的ともいえる超福祉・健康管理社会において、子供たちがとった反抗。 html記述のような文体で綴られる物語には、ライトノベル的な読みやすさと、本格的なSF的展開が同居しています。 この文体自体にも伏線が張られているところも見事です(これ以上は未読の方に悪いので伏せますが)。 ライトノベル的、という意味では、ヒロイン達のDQNネームの斜め上を行く名前もそうですが、実在するライトノベルをネタにしたようなセリフもあり、その部分もオマケ的に楽しめます。 所々にドキッとさせられるセリフ、そして現在進行形のIT技術の進化の果てを予測したような未来の社会。 読了後に「ハーモニー」というタイトルが、何を指しているかが分かったとき、ちょっと背筋が寒くなりました。 気軽に読みはじめ、深く考えることもできる1冊です。 | ||||
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わたしという一人称で語られる、人類という種が到達し得る一つの絶望的なユートピアの姿を描いた類稀なるSF小説です。ゼロ年代ベストとの評価は妥当だと思います。 詳細はネタバレになるので避けますが、時代とテクノロジーの流れとしては『虐殺器官』から繋がっていてより未来の話になっているものの、人間の社会とテクノロジーある種のロジカルな発展をしていった末の姿としての違和感はなく、それゆえに恐ろしくもあります。一人称が女性になったせいか、物語の雰囲気としては前作よりも物静かに感じますが、取り扱っているてテーマはより人間という動物の進化に対する深い仮説から成り立っています。 色んな作品へのオマージュに作者の遊びゴコロを感じつつも、作者が実生活で死を見据えた病と格闘する中で記したこの小説が、構成員がみな健康的に生きられる社会と自分の意識の死というものを救い得る物語をそれらに対して否定的な『わたし』の視点から書いているところに、作者自身の死に対する距離感をもった諦観や解放などの感情と、意識を失うことへの憧れと恐怖、を感じてしまいます。 さらに言うなれば、『わたし』の消失を『わたし』が記録することは、体験できる死が常に誰かの死でしかないように原理的には不可能なので、この『わたし』による記録という形式でこの小説を書いたことは、自分の死を描こうとしているような無謀なトライアルに筆者がのぞんでいるように思えてなりません。ひょっとしたら、その無謀な試みにこそ読者は感動させられるのかもしれません。 この絶望的なユートピアと消失する『わたし』を描くことで、少しでも彼の魂が救われたことを切に願ってやみません。 | ||||
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芥川龍之介は「人間性そのものを変えないとすれば、完全なるユウトピアの生まれる筈はない。人間性そのものを変えるとすれば、完全なるユウトピアと思ったものもたちまちまた不完全に感ぜられてしまう」と書いた.ならばさらに徹底的に人間性を変えて,「不完全に感じ」る能力すらなくしてしまえばどうか? 人為的に人の感情をなくすことが出来たらという想定に基づいて書かれたのが本作.人為的に人の感情を増幅させることが出来たらという想定に基づいて書かれた『虐殺器官』とちょうど表裏をなす. | ||||
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