(短編集)
The Indifference Engine
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現在進行形な 未来 が垣間見える | ||||
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The indefference engine の主人公エンツァは子供の頃に激しい内戦の中で親きょうだいを殺されて、それから少年兵になった。憎しみを抱く彼にとって殺戮は正義だ。しかし国連軍がやってきて、内戦を終わらせるため子供たちにある治療を行う。子供は与えられた環境の中でしか生きられない。厳しかろうが残酷だろうが受け入れるほかはないし、大人が良しとする治療や教育も拒否できない。しかし彼は直感的に、自分にとって何が正しいかは知っている。大人は僕らに戦いを教えた、そして平和になることを望んで僕らを作り変えようとした。僕はいったいどうすればいい?そして全てを受け入れた後で、彼はひとつの決心をする。 見てきたような切実さで、もしや自分の経験じゃあるまいかと疑うくらいのレベルだ、もちろんそんなはずはないけれども。もうこの短編を読んだだけで、なんと惜しい人を失ったかと残念でならない。 | ||||
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■「The Indifference Engine」 ■生まれた時から、家族の殺戮に立ち会い、復讐のエンジンで、「敵」と定義されるモノを、排除(殺人)したいと思う少年兵。彼らは、排除のための道具であるAK銃が、いつも手元にないことにイライラしている。彼らが、運よく生き残れば、彼らは「少年兵」とは呼ばれなくなり、「戦士」となる。「少年兵」で人生を終えたのは、運が悪いか、「敵」と向かい合った時に、躊躇なく、反射的に、引き金を引くことをためらった者たちである。結果、「戦士」には、殺戮をためらわない者たちが残りやすい。彼らが、次世代の「少年兵」の手本になる。家族ではなく、「戦士」に育てられる社会の連鎖。IS(イスラム国)という疑似家族が、世代をまたぐと、集団に何が起きるのか? これは、もはや、計画=予言ではなく、現実であり、現実に追い越された計画=予言である。 ■この本が秀逸なのは、ルワンダにおける現実のジェノサイドの記憶、フツ族とツチ族の対立をモデルにした表現である。主人公である語り手の少年は、紛争終結後に、アメリカの停戦組織から、他民族を憎悪する洗脳状態を解除するための外科的?な心理的プログラムを受け、「誰が敵であるか、見分けがつかなくなった。だから、誰を殺していいのか。誰に襲われるのかが、わからなくなって危険だ。」と、まことしやかに言わせる。しかし、本来、現実として、そもそも、フツ族とツチ族同様、あるいは、ホロコーストのユダヤ人同様、「身かけ」で、民族を判別するのは困難だ。つまり、この主人公には、「事実」と「価値判断」を分ける基準が喪失しているのだ。生まれながらにして、宗教的、政治的な教化環境の中で、特定の「価値判断」を圧しつけられ、身近な家族を殺されて怒りや復讐心を煽られた「人間」が、ありのままの「事実」に照らして、共生の「価値判断」を喪失したまま、漂流している。そのような主人公が、たんたんと描かれているのだ。 ■この漂流世代こそ、大量の難民を生んだ「20世紀」の、「21世紀」に引き継ぐ「負の遺産」である。しかも、その「遺産」こそは、まぎれもない「かけがえのない人間」であるべき存在=個人のはずなのだ。彼らを、どう「個人」に戻すのか? しかし、彼らが、すでに「個人」であることも、たんたんと表現されている。彼らの知性やエモーションは、われわれ、現代日本に暮らしている読者に、理解できないものではない。簡単に人を敵と認知したら、迷いなく殺せる行動原理以外は。この殺人の違和感さえ、戦場においては、われわれ現代日本人における特異な論理/価値判断からくる特異な「事実」の味方であり、貧困や紛争地帯にいる大多数の人類の現実は、むしろ主人公のそれに近いのではないか。そんな「危うさ」すら、作者は、少年のエモーショナルな筆致で突きつけてくる。 ■この世界は、どのようなパーツでできているのか? そんなことを考えているうちに、パズルが台紙ごと地に落ち、台紙が消え、バラバラになったパーツのみが、散々に残った。そんな21世紀の貧困や紛争地帯の事実を、現代日本の世界観に染まった「意味の重力」から自由になり、世界の「事実」をフィクションという形で写し取ることのできた著者の偉業に感謝する。この恐怖と希望に満ちたバトンを受け取った読者である一人一人が、「人間」として、一人の「個人」として、特定の「社会人」として、どこを、どのように走るのか。それを考えさせる、恐るべき「短編」である。 ■これらのパーツの線上に、一断「面」としての長編「虐殺器官」が描かれている。まさに、すでにこの世を去った著者挺身の一冊である。この少年を、人工衛星の目線で空爆しても、世界の悲劇の連鎖は終わらないことは、もはや自明である。平和を。共生を。 | ||||
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本作は夭折の作家、伊藤計劃(1974 - 2009)の短編集で、以下の作品を収録。 「女王陛下の所有物(On Her Majesty’ s Secret Property)」 「The Indifference Engine」 「Heavenscape」 「フォックスの葬送」 「セカイ、蛮族、ぼく。」 「A.T.D : Automatic Death episode 0 : No Distance, But Interface.」(作画;新間大悟) 「From the Nothing with Love.」 「解説」(円城塔との共作) 「屍者の帝国」(未完の遺稿) 本書所収の短編やコミックには、“意識” や “言葉”、“歴史” についての考察、“第三世界”における惨劇など、『虐殺器官』、『ハーモニー』、『屍者の帝国』(円城塔との共著)といった伊藤計画の長編小説に通じるモチーフが散りばめられています。とくに「The Indifference Engine」「Heavenscape」「フォックスの葬送」の世界観は『虐殺器官』と直接的なつながりを感じることできるでしょう。もちろん、いずれの作品も優れているので、それらの長編を読んでいなくても充分おもしろい。 「女王陛下の所有物」と「From the Nothing with Love.」の2編は「007」シリーズのパスティーシュ。なにより「ロシアから愛をこめて」をもじった「From the Nothing with Love.」は本書中もっとも完成度が高い。作中では、原作小説やその映画シリーズにおいてジェームズ・ボンドが様々な時代に、そして(配役を変えて)様々な容姿で活躍してきた歴史が、伊藤独自の批評的な視点から再解釈されています。そこに『ハーモニー』にも通じる、作者お得意の “意識” の問題がからめて描かれます。 長編小説を読んでから本書に入ろうとする方にも、本書を長編小説を読むきっかけにしようとする方にも、伊藤計劃のエッセンスがつまった良作であることは間違いないので、おすすめです。 ※kindle版には、評論家・翻訳家の岡和田晃の解説は収録されていません。 | ||||
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本は基本読んだらそれまでだけどこれは何度も読み返しちゃうな。 | ||||
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