プロローグ
- SF (392)
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エピローグが面白かったので流れで読んだのだけれど。。 著者初の私小説にして、SFと文学の可能性に挑んだ意欲作、らしい。 んー、、そもそも、これがSFなのかどうかすら個人的には分からなかった。まぁ、現代文学が苦手なせいだからなのか、何を書きたいのか書いているのか、正直よく分からず、エピローグと方向性は同じなのかな、違うような同じような。。 手に取るなら、他の作品の方がいいかなぁ。。 | ||||
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エピローグに比べると読み易いが、とにかく情報量の多い文章なので読了に3日掛かった。もちろん仕事もしているから、1日中読んでたわけではないが。日本語で書かれた小説を極小部分まで解体し、「小説」を主人公の私小説として再構築すると言う超絶趣向。筒井康隆の実験小説を想起したが、途中で思わずニヤリとしてしまうような作家と編集者の関係のこぼれ話などが入り、これも筒井風である。ただ面白いのは確かだが、やや俗に堕した感もあり評価を下げるつもりだった。しかし、終盤まで読み進めてどんどん高密度に拡散する壮大なラストに圧倒され、やはり満点評価する事にした。なお、あるレビュワーが1評価してるのを見たのも影響がある。そのレビューは円城さんの芥川賞受賞に嫉妬しているかのような論調で、1を付けるようなアンチが存在してるのは、逆にこの作品の評価を高めていると私は判断したのである。最低限のリスペクトを払うなら、1評価なんか出来るものではないと私は思う。 | ||||
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「何のための、余分な回転軸だと思うのかね。重なり合ったお話を、それぞれ好きな角度で重ねて眺めればそれでいいんだ」(320ページより) いやはや難しい小説だ。そもそも小説なのか、それさえわからない。 物語を創ろうとする「なにか」――それは作者かもしれないし、円城塔かもしれないし、プログラムかもしれないし、作中登場人物かもしれない――はさまざま工程を経て、創作に挑む。 言語をインプットしたり古今和歌集をダウンロードしたり「河南」をつくってみたり文節を区切ってみたりワードで試みたりテキストドキュメント「01-01.txt」「01-02.txt」と作ってみたり。これらとっちらかった「物語へのアプローチ」はところどころに隙間を残し……「誰か」が関与できる隙間を残し、そして文章はこれら自己のアプリケーションに「検閲」されながら、絶えず自己参照を繰り返し、自己を見つめ、各々が自分について語ろうとしている。その点からすれば間違いなく「私小説」だと思う。 この「プロローグ」を読み進めるということは、物語の材料とその取扱説明書、更には膨大な注釈を渡されるということに近い。呆然とする人がいてもおかしくないし、楽しめない人がいてもおかしくない。 個人的に読んだ中で興味深いエピソードは三つ。 「入力と出力(114ページ)」と「中間言語について(157ページ)」「星川の感覚(311ページ)」のくだりである。 前者二つはこの小説を能動的に楽しもうとする上で、かなり重要なことが書いてあると思う。遠い未来にでも「中間言語」の考えを採用したサウンドノベル・ゲームが出来てくれれば、すごい嬉しい。最後の感覚はまさしく「してやられた!」といったヤツだ。この手応えは破滅願望のあるPCがコンピュータ・ウィルスに感染した時の感情に似ているかもしれない。 本来文字ではなく図形か数式で表現すべきものを何の因果か文字で現したらこんな風になってしまった……言い換えると、出尽くしたはずの小説のジャンルに新たなものが加えられようとしているのだろう。読み手にも相応の努力、ないし適性が求められてもむべなるかな、とそのように捉えた方がよいと思う。 | ||||
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SF好きな人たちが円城塔円城塔と叫ぶから間違えて芥賞をもらってしまった作家の小説、としか言いようがない。 まあ理系の小島信夫という感じで、実際にあったことを鏤めつつ言葉とコンピューターの関係についてやくたいもないことが書いてある。うんざりすると「うんざりしたでしょう」とか言う。まあそういうものだ。奇妙な前衛の夢を人々は未だ見ているのだなあ・・・。 | ||||
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本作は「『物語』を主人公とした<私小説>」という稀有な作品である。この『物語』を<小説自動生成プログラム>で置き換えても良いし、(「エピローグ」中にも登場する)<イザナミ・システム>が生成した<エージェント>で置き換えても良い。作者の興味(目的)は、「果たして人間と機械(AI)との間に"差"は存在するのか」という点に絞られている。 作者のこの執筆姿勢は、金子邦彦氏(作者は金子先生の研究室に在籍していた)「カオスの紡ぐ夢の中で」中で、<円城塔>という名前の<小説自動生成プログラム>が登場した事を知っていると良く理解出来ると思う。実際、作者は前々作「シャッフル航法」の中でそれを実践した(金子先生曰く、「複雑系の研究に一番適している題材は小説だ」)。即ち、紛らわしいのだが、本物の作家になった作者は、研究室時代の<円城塔>にひたすら近づこうとしているのだ(勿論、上述の目的を自身で確かめるためである)。本作中に、「小説を書くためには、書籍を読む事が必要」という言辞が出て来る。それ故に、「シャッフル航法」よりも洗練された小説を"自動生成"するためには、まず既存の書籍及び日本語の特性を分析する事が必要という訳で、その方法論を徹底的に(スクリプト言語を含む)プログラミング言語理論で追及しているのだと思う(作者は実際にRuby等を用いて分析プログラムを作成している)。また、<私小説>だけあって、現代の世相に関する作者の様々な生の呟きを楽しく味わえるし、全編が<創世記>風になっている点も興味深い。なお、本作は月1回のペ-スである文芸雑誌に1年間掲載された由で、この間、作者は本作、「シャッフル航法」及び「エピローグ」を同時執筆していたという事になる。実際、この間に執筆した短編「φ」を「シャッフル航法」に入れたという記述がある。そして、本作と「エピローグ」を繋ぐ鍵は、上述の<イザナミ・システム>とクラビト(椋人)である。 私はソフトウェア開発を生業としていたので、さほどの抵抗感は無かったが、そうでない方にとっては流石に敷居が高過ぎる感は否めない。それでも、現代にあって、読者を"選ぶ"稀有な理系作家である作者を私は愛好しており、今後もその本領を発揮した作品の発表を期待したい。 | ||||
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