■スポンサードリンク
ハーモニー
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
ハーモニーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全253件 81~100 5/13ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
螺旋監察官の霧慧トァンを視点として描かれる2060年の未来の世界。人々は核戦争を経て、各々の身体を外注に管理させ、極めて平和で健康的な生活を送ることのできる生府の管理する環境を手に入れた。トァンは、女子高生時代の御冷ミァハの自殺により、彼女の影を追うように生活をしている。そんな折り、もう一人の同級生であった零下堂 キアンの不可解な自殺によって物語は転機を迎える。 以下、ネタバレ。 医療に管理され、痛みも苦しみも失い、自らの身体が社会の重要な資源として扱われる未来の世界は、紛う事なきディストピアであると感じることができるかどうか、がこの作品を身近に感じるためのポイントだと思う。健康で何もかもが仮想現実にナビゲートされ、医療サーバから健康的な指針を明示される。そこにあるのは、個を失いつつある世界。 勿論、この物語は、肺癌で亡くなった作者の影を感じざるを得ないテーマとなっている。医療に翻弄される作者自身が、その先に救いを求めた。身体を管理され、薄らぐだろうと思われる自らの意識と、死に向かっていたという状況が、この作品を、この作品のラストシーンをより感慨深いものとしている。そう読まれることは作者自身が望んでいただろうか。 文庫版は、当初真っ白なカバーに文字が配置されただけのものであった。そこに書かれているのは、「人間は、なぜ人間なのか。」という一文。物語の中で、手話だけの島の話が語られ、チェチェンを舞台にし、戦場でのタブーを生きることとして感じるという描写がある。無機質なサイバネティクスに愛着を感じ、復讐という主観さえも、全てを飲み込むことが進化だと物語は、描く。 意識というのは、選択を行わなければならない場合にこそ、意識として存在するのであって、選択する必要性を奪われてしまった場合は、意識は消滅すると。笑うことや楽しむことは選択の結果ではなく単なる行動としてそこで行われているという。HTMLのタグに良く似た装飾が本文にされているが、そこでは、最後にタグが閉じられて終わっている。 それならば、この完成したようにも見える人類のディストピアは、文献としてもう一段階先の誰かが見ているという存在を描いていると考えられないだろうか。 それがおそらく解放であり、希望である。そこに、意識は――。 と、良い点が色々あるのだが、マイナス面もある。バグダットの外側にWatch meをインストールしていない人間が存在していたのだから、全ての人類が意識を失っているとは思えない。また、ミァハの存在やら、小道具やインターポールなど、登場してくる人物が薄いのと、後出し気味な設定消化のためのモノや人達。伊藤計劃自信が解説の引用分で、感情が苦手でロジックを表現したいと書いているのが、まさにこのような印象に繋がるのだろう。 レイプによる肉体を傷つけられる事で生じる「意識」と、人間の選択のためにある「意識」の比較が上手く行っていたかというと、そこは印象が薄かった。主人公以外のキャラクターは、配置されているという印象が拭えない。 また、無意味にヲタク的な名前と会話に、性的な部分が過剰にあることが、物語から少々逸脱しており残念。男の作家だからこそ気になってしまう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
50Pほど読んで諦めました。 伊藤計劃氏特有の難解な表現が多数出てきて、その度に「これはどういう意味なのだろう?」と思考が脱線します。 しかも鎮魂歌と書いてレクイエムみたいな厨二病的表現なので分かりづらいうえに疲れます。 私のように普段読書をしない、小説を読むのに慣れていない人は映画版を観たほうがいいと思います。 映画版のほうが難解な表現を上手いこと映像で表しているのでわかりやすいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『虐殺器官』『屍者の帝国』と比べるとだいぶ読みやすいし、話の展開が理解しやすい。世界観的には『虐殺器官』と同じ世界の、時系列的には後の話に位置づけられるのだろうか。ストーリー的には大したことはないが、ほかの作品同様、テーマとそれに対する深い洞察がおもしろい。ただし、後味は何とも悪い作品ではある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全ての人間が健康に生きていくこと、それだけが目的となった世界。平和な予定調和をただ繰り返すだけの毎日。 そんな世界に生きていたら、私だって(世界に感謝しつつも)「自分の命は自分だけのものだ!」と大声で叫びたく なると思う。 しかし彼女はその後で、感情の消え去った管理社会に戻ることを選ぶ。そんな、まるでゾンビの群れような社会 に何の意味があるのだろうと思いつつも、今の世界の分断と混乱を見ると確かに意味はあるのかもとも考える。 キャラクターに文章が振り回されている感じもしましたが、退屈せず読めた。 (ここからネタバレ) なぜラストはハーモニーシステムが続く社会で終わるのか判らなかった。 反主流派の自殺誘導テロから社会を守るためにハーモニーシステムの稼働を実行したのは判るのだが、その後、 犯人(反主流派)は特定され、その自殺コードを書けるミァハは死んでいるんでしょ?後は、生府社会が反主流派 を捕らえて危険を取り除いてから、ハーモニーシステムを止めればいいだけでは? それは以前にミァハで実験済みなんだし。。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ここ最近になって人気が出てきた伊藤計劃作品だが、かくゆう私も大衆につられて読んだには違いない。話としては虐殺器官の後の世界軸だ。虐殺器官とは対極の世界観があり、ユートピアを謳っているところが逆にエグくサイコパスを感じた。 結果的に良作だとは思うのだが、ただ一つだけ惜しいのがラストのくだりがあまり好きではない。トァンがミァハを殺す動機が"父親とキアンの復讐"というのには少し落胆してしまった。 トァンは高校生の頃に圧倒的カリスマ性を持つ御冷ミァハという少女に惹かれていた。インテリジェンスで危うい美しさを秘めていたミァハに対し、恋愛感情のような尊敬のような、あやふやな想いを確かに抱いていたはずだ。それなのにここまで来て掌を返したような殺す動機。ミァハに対するトァンの想いやトァンとミァハの関係が希薄に感じられてしまった。話の筋的にも、ここにきてキアンと父親のことを出すのか………という感じだ。 話の繋ぎの文章があまり巧みに感じられなかったが、とりあえず良い作品ということは間違いない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「人類は試されている。幸福を追求するのか,真実を追究するのか」という長老たちの言葉(DVDのセリフ)が全編を貫いています。 もし病やストレスから解放され長寿が保障されるなら,たとえ自らが社会の資源として国会に管理されることに,あえて異を唱える人は少ないかもしれません。身の引き裂かれるような痛みや悩みに苦しんだ経験のある人にすれば,こんな苦しみはないに越したことはありません。そのために自らの自由を手放したとしても,それを誰が責めることができるでしょうか。 しかし,この小説に登場する主人公の霧慧トゥアンやその父親の霧江ヌァザは,彼らが暮らす社会で実現された過剰に他者を慈しみあう諍いのない健康社会にさえ,息苦しさや不安を感じ,あえてその社会から抜け出そうとする感受性をもっています。 自ら危険に飛び込み,タバコやアルコールなどの不健康な嗜好品をたしなみながら,痛みや苦しみを自ら受け止めることに生きがいさえ感じているようです。どちらが幸せなのかを決めつける権利は,おそらく誰にもないでしょう。小説では,主人公を取り巻く情勢は,個人のそうした選択の自由さえ許しません。かつて死んだと思い,生き残ったことに負い目を抱いていた幼ななじみが,健康の究極の形ともいうべき意識のない世界(ハーモニー・プログラムが起動した社会)を急がせるべく,罪のない多くの人の命を奪っていきます。 主人公の行動原理には,どんな大義名分もありません。ただ身近で親しい人間の死について,痛みや苦しみを抱えた人間への共感から,その真実を見極めるために行動を起こしていきます。幸福は押し付けるものではないというテーマとしてのディストピア小説ともいえそうですが,人間の本質の一面について考えさせられる内容を含んでいる気がしました。 主人公の父親は研究者で,極端な健康社会を作るきっかけとなった「Watch Me」の開発にも携わり,やがて家族からも姿を消し,人間の意識すら消滅させ,葛藤や精神的不安をも取り除く「ハーモニー・プログラム」を開発します。しかしその起動方法をめぐって,対立する組織の「挟間」で,国際的な医療センターのあるメソポタミア地方に隠れ家を持つようになり, 主人公の娘と13年ぶりの再会を果たします。 「なぜ,この一帯をメソポタミアと言うか知っているかね」「メソポタミアとは,二つの河の挟間という意味だ」まるで「挟間」で生きることが本来の人間であるかのようにして,主人公霧慧トゥアンに問いかける父親の霧慧ヌァザの言葉が印象的です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ラノベ風に書かれた本格SFと言う感じで、意外と読者を選びそう。JK3人組の会話で始まる軽さや中二病みたいな登場人物の名前だけで読む気をなくす人もいるだろうし、逆にラノベ的に気軽に読もうと思ったら内容のハードさに耐えられないかも知れない。個人的にほぼ冒頭の場面で「涼宮ハルヒの憂鬱」と同じようなセリフがあって(パクったに違いない)ニヤリとしてしまったのだが、あのアニメの世界観とかやたら小難しそうな長門有希の設定とかを面白いと思える人なら大いに楽しめる作品だと思う。問題の場面は次の通り。 ミァハはそんな社会を憎悪していた。親は子を選べないかもしれないけど、それを言うなら幼子は何ひとつだって選べやしないわけで、せめてセカイひとつぐらいはどうにかならなかったのか、とミァハは口癖のように言っていた。だからそうやって親切に近づいてくる男子女子に対し、最初は丁重に断りを入れ、あまりにしつこいと最後は、「ただの人間には興味がないの」とあっさり言い放つ。まるで、宇宙人や超能力者でも持ってこなければ話にならん、と求婚者に理不尽を告げるかぐや姫のよう。 舞台は多発するテロや核兵器使用により汚染された地球に生き残った人類の暮らす、病気が一掃されたユートピア社会。ある年齢まで成長した人は皆医療監視装置を埋め込まれ、健康を害するような行動は予防の段階から忌避されるため、事故や老衰以外で死ぬ人はいない。さらに幼時から人は一人ひとりが大成な社会の中のリソースであると徹底的に教育され、お互い同士を優しく気に掛けてやるのが体に叩き込まれているため、諍いも争いも起きようのない文字通りの理想的社会。 が、そんな社会に息苦しさを感じた女子校生3人組が一緒に自殺を試みるのがストーリーの始まり。首謀者のミァハは目的を達成するが、主人公を含めた後の二人は生き残ってしまう。それから10年以上経った世界に未知の存在から恐怖の宣告が。これから定められた期間内に誰かを殺せ、さもないと自殺することになる、と。この宣告がただの脅しでない事を示すかのように、これを全世界にTVで伝えたニュースキャスターは突然ペンを眼球に突き立て脳内をかき乱して自殺してしまう。ここはエロゲ創世期の怪作「雫」で毒電波にやられた女子高生が自分の喉にハサミを突き立てて死ぬバッドエンドを想起した。 この辺りから物語は大きく動き、死んだはずのミァハと主人公がチェチェンの山奥で再会して衝撃的なエンディングを迎えるまで息も付かせぬ面白さ。変な先入観を持たず読んで欲しいもの。 この完璧医療ユートピア社会が行き着く果ての恐怖を描いた伊藤計劃が、自身余命いくばくもないガンとの闘病生活の病室で執筆していた、と言うのは嘘のような事実。完成後間もなく亡くなってしまうのだが、自分の病魔も治してくれるはずの未来社会がユートピアでなくより深い絶望に繋がるディストピアだと喝破した彼こそ本物のSF作家と言えるのではなかろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
■エヴァンゲリオンの「人類補完計画」は、個人の自我境界を破壊することで、魂の同化を、対立軸の無い理想世界と置いた。差別化/交配による環境適応ミッションが必要のない世界として、環境変化の適応のためのシステムとしての「寿命」すらないような世界感が、「シン/エヴァンゲリオン」では、展開されている。環境変化もない世界が前提だ。そもそも「変化する環境に適応する」ということが、常識ではなく、ヒトによって創作されたドグマのような、もの言いである。 ■確かに、ヒトが、どれだけ環境適応しても、宇宙レベルの物理的な崩壊に適応できるほど、タフでもなく、高速に進化を遂げることは、難しいだろうことは、誰にでもわかる。彗星が衝突する前に、彗星に核爆弾をしかけに行くほどのカウボーイが、ヒトの代表として、ぞくぞくとあらわれ、世界のヒトの税金を使って、宇宙ミッションに地球資源の多くを結集すれば、そのような奇跡の物語も、「変化する環境に適応する」という文脈を守りつつ、つづることができるかもしれない。 ■しかし、いかんせん、宇宙とヒトとでは、スケールが違いすぎる。ヒトにとって、宇宙と呼ばれる「何か」は、とてつもなく大きく、深い。「POWERS OF TEN」の途中途中にある空白地帯のように、宇宙とヒトは、交わることのできないほどスケールが違うようにみえる。だか、核分裂に成功したヒトのこと。高速/光速で、宇宙の果てに飛び出すことができるかもしれない。そんな意志が、必要なのか。必要ないのか。この「ハーモニー」という物語は、ヒトに問うている。 ■個人の意志/自我があるばかりに、ヒトは、お互いを傷つけ、信頼性の下に築かれたシステムを破壊することで、社会を破滅させる衝動/カタルシスを望んだりする。格差、ねたみ、恨み、不安、欲望、怠惰・・・・・。これらは、ヒトの重要な感情表現の一側面である。その反対側には、平等、自由、平和、博愛、エコロジー、美学、合理的な洗練がある。この二つの面は、同じものの表裏である。愛するものを守るために、何かを敵として規定し憎むのである。そのようなヒトの社会で、核兵器が散逸し、権力の集中が起きている社会。 ■「ハーモニー」の世界は、すべて、今ここの、ほんの少しだけ先の世界に揃っている。伊藤計劃が、われわれよりも、少しだけ早く死んだ。というだけだ。死の不安を感じながら、すでにこの世にいない伊藤計劃の紡いだ物語/今語りを楽しむ恍惚。これは「小説」ではない。という事実が、ここ数年で、ニュースのヘッドラインとして、次々とリスト化されるだろう。ノストラダムスの予言詩よりも、洗練された巧緻な言語として。私たちも、準備をはじめなければならない。「自らの意志」と、どう折り合いをつけながら、社会を、環境を、生きていくのか。と。 ■伊藤計劃。素晴らしい物語を、今、ここに、残してくれて、ありがとう。今、必要なのは、あなたのように世界に問いかけるカウボーイだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
フィリップ・K・ディック賞特別賞と知り、期待して読んでみましたが、 世界観とか、ストーリー展開とか、ミァハ、トァンの行動にリアリティーがいまいちで、まったくおもろくなくてびっくりした。 腑に落ちないところが沢山あるのですが、一部書くと、 意識のない人として生まれ8歳でレイプされまくり、日本でやさしさに包まれて育ったミァハが、世界を道連れに”意識のな人間”になることを望んだ理由と、トァンも”意識のな人間”になることを受け入れた理由が、納得できない、腑に落ちない。必然性がないのでは。単にwatchmeの世界以外に住む選択肢じゃダメだったのか? ミァハが殺されたのに世界が”意識のない人間”になったのはなぜ?必要性ある? 以上 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
他に言うことはありません。とにかく読んでください。話はそれからです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の本筋はSFミステリーだが、世界観がとにかく凄い。 すべての人間が健康管理され、寿命以外では死ななくなった世界。 そんな世界では、みんなが親切になり怒ることもなくなる。 自分の意思とは一体何なのか。 私も心理学の本を何冊も読んだけど、この作者も結構詳しい。 すでに起こり得る現実だと思う。 糖尿病は進化の過程で生まれた 糖尿病は寒冷期に人類が獲得した貴重な形質のひとつ。 糖分を含んだ水分は氷点がゼロ以下になる。 たとえ肝臓がいかれても、死亡するのは十数年経ってからだ。 それまでに子孫を残せれば遺伝的にはよい。糖尿病は進化の一部だ。 進化とはつぎはぎで、前向きな言葉ではない。 すべての生き物は膨大なその場しのぎの集合体である。 深い話だ。 私はメーカーで働いているが、続く製品には何か変な特徴がある。 どの製品にも設計ミスが出る。これを例に考えを見直そうと思った。 善悪の善とは 家族、幸せ、平和が続くこと。内容は何でもいい。 何かが続いていくようにする。その何かを信じることが善。 私も思い当たることがある。続ける自体が目的になってること。 続けることが善だから、善か悪の議論に意味は無い。 もしやめさせるなら、悪人になるべきなのかな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
劇場アニメにもなったこの作品は、著者の最高傑作だと思う。 SFに少しでも興味がある方にはぜひ読んでほしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
素晴らし過ぎる。まさにハーモニー。現実の世界もこうなるべきだと心から思う。 私も一刻も早く神の元へ行きたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
展開が遅く、いちいち気障で最後まで読めませんでした。円城塔が好きな方は気に入るかもしれません。個人的にはバラードやディックの方が断然おもしろいと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
訳あって眠れない夜を過ごしている上に精神的にも動揺していて何も手につかないのですが、なぜかこの小説の感想だけは書けそうなので、今書いています。 いくつか批判めいた事を書きますが、正直な感想でもあるのでご容赦を。 物語としても、人物の描写としても、あまり好きになれない小説なのですが、一番嫌なのは徹底して貫かれる唯物論的な思想です。 意識というのは進化の過程で生存に有利だから、生物の脳の物質的な機作の中から生まれてきた、というようなことが繰り返し書かれているのですが、こういう考えって、本当に正しくて科学的な主張なんでしょうか。哲学的な議論に深入りする気はありませんが、この考えを絶対的な真実として展開する物語って非常に安易で不毛だし、不快に感じます。 巻末のインタビューで、この作者はリベットの実験を取り上げて、もっと科学に注目しろよみたいなことを語っていますが、これも、物理主義的な考えが一番正しいと言いたいからのように見えます。リベットの実験について私はそんなに詳しく知らないのですが、別に物理主義を正しいとしなくても、意識の奥に潜在的な意識が存在すると考えるとか、ある程度他にも多様な柔軟な解釈が出来るように思うのですが、どうなんでしょうか。 このインタビュアーのほうも、脳の探求の先にクオリアが立ちはだかってつまらない話になるのなら何のためにそこまで突き詰めてきたんだ、なんて語っていますが、じゃあその先にあるのが物理主義でクオリアなんかありませんよなんて結論が、本当にこの世界と物事を知った事になるんでしょうか? 私は古いSFの読み手で、一番好きなSF作家はR・A・ラファティなのですが、こういう物質の理論を唯一至上の物として語る物語はどうしても好きになれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めて読んだ時は図書館で借りた。 その翌々日くらいに3.11が起きて、生々しい気持ちで読んだ忘れられない作品。 たまに無性に読みたくなるため、いつでも読めるようにkindleで購入。 伊藤計劃さん、もっと生きていてほしかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
伊藤計劃氏のデビュー作「虐殺器官」の中でアレックスは「地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに」と言っていました。リーランドの「天国もそこにあるのかい」という質問の答えは、地獄を知っているアレックスにも分からないままでした。 「ハーモニー」を読み終えた後、「虐殺器官」の地獄について語る場面を思い出しました。「虐殺器官」の中で天国がどこにあるのかは語られることなく終わってしまい、ストーリー全体から見れば天国の在り処に大した意味はないように思われます。 しかし、伊藤計劃氏は亡くなる前に答えを本の中に残してくれました。 地獄は頭の中にある。なら天国はどこにあるのか。 答えは本書にて語られています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミシェル・フーコーの世界観に骨肉を与えただけ、という印象をぬぐえず、どうしても他の方々のような高い評価をつけることができませんでした。申し訳ありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現在新版が出回っていますが、個人的にはこちらの方が世界観にあっていて好きなデザインです。 ラストを思うとこれだなあと思います。 実は「虐殺~」の前にこちらを読んでしまったのですが、時間軸的には「虐殺器官」→「ハーモニー」が正しいようです。 虐殺器官の世界観をご覧になったうえで、その未来がこの世界観だと知っておくとおかないとでは 受け取る側の意識がかなり変わりますので できれば順番どおりにご覧になるべきかと。 (私は個人的に失敗したなと思いましたし、できるなら一度記憶を失って読み直したかったくらいです。) トァン、ミァハ、友人のキアン、三人の少女と彼女たちの末路の話ですが、 普通の子に近いと言える人物はおそらくキアンのみで、 視点者であるトァン、ミァハはそれぞれがそれぞれの対極に立つ非常にとんがった子です。 この前提で話を見て行かないと、最後の方でおいて行かれます。 自分自身さえ公共物として扱われ、息をすることさえ苦しく感じるほどのディストピア。 事実を知ろうとするトァンとともに、劇中で物語を紐解き、最後にミァハにたどり着いた時、 読者は人の心というものが本当に必要なものだったのか、という物凄い問いを突きつけられます。 究極すぎる二択……これはきつい。 おそらくこの話の先に、究極のディストピアの先があったのだと思うのですが、 筆者がすでに逝去なさっていることもあり、先を読むことは永久にできなくなってしまいました。 そのことが本当に残念でなりません。 もしこの先があったとしたら…… 管理されていない世界の人達は少なくとも心を失わずにいるでしょうから、 彼らの中から事態を打開する人が現れて……とかなんでしょうか。 それとも何らかの原因により管理社会に穴が発生するなどして、また人類が別の形の進化を 模索する話になったのでしょうか。 凡人が考えても分からないんですけど、 この先にこそ本当は意味があったと思うので、そこを考えると難しい作品ですね。 文体の仕掛けもすごいと思います。 愛憎入り乱れた世界の終わり系SF。続編がないという点を念頭にどうぞ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いろいろなところで高く評価されている作品だし、作中でも言及のある フーコーの「生-権力」に隅々まで支配されつつある社会で、一人の少女が ひそかな叛逆を企てる・・、という設定はさすがと思わせるものがあったが、 夭逝した作者がこれを書いた時は既に闘病中だったためか、中盤以降の 展開がやや一本調子というか、描写などもあっさり書かれ過ぎているような 気がしたし、結末にもそこまでの衝撃や納得感がないのが残念だった。 ★★以下、物語の根幹に関わる記述があるので、未読の方は注意★★ 少女ミァハが「生-権力」に叛逆を企てる根本の理由は、彼女がチェチェンの 特殊な部族の出身だったからということになっているが、このような「超越的 審級」を持ち出すことは、この作品全体の説得力をかえって弱めていると思う。 むしろ、ある意味世界中でもっとも無菌的な空間と言える日本においてこそ、 とくに少女の間でそのような意識が尖鋭化するし、そのことに「チェチェン」の ような裏付けはとくに必要ない、という描き方にすべきではなかったか。 また、結末では人類全体の意識が消えることになっているが、正確に言えば、 作中に登場するトゥアレグ族やイラクの人民など、「生-権力」による監視体制 から洩れている人間が少数いるはずだから、彼らのその後が描かれないこと には、この作品は完結しないのではないかという疑問も感じた。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!