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ハーモニー
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ハーモニーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全253件 1~20 1/13ページ
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日本が誇るSF長編です。 | ||||
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すごい小説を読んだな、というのが率直な感想。「人間と何か」を考えさせる、重いテーマを扱いながら、エンタテイメントとしても極上。同著者の「虐殺器官」も面白かったが、個人的にはそれ以上に衝撃的だった。日本を代表するSFのひとつだろう。 ホワイト社会を突き詰めたような、息苦しいほどに調和した社会で突然発生した集団自殺をめぐり、その謎と背景を解明していく。ディストピアSFであろうが、SFミステリの要素もあり、物語に引き込まれる。現代はホワイト社会化が進んでいるが、これを予言するような作品だと感じた。 | ||||
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虐殺器官を含むネタバレ有の評なので、未読の方は注意。 表題の通り世界観としては虐殺器官の後年を描いた作品。 テーマや内容としても虐殺器官で語られていた内容を更に推し進め、 突き詰めた内容になっている為、先に虐殺器官を読んでいた方が判りやすい。 虐殺器官のラストに於いて、あっちの主人公が引き起こした現象が世界を荒廃かつ一変させ、 また人類に生得的に備わった危険な性質が世界中に暴露されてしまった。 その事実への怖れは他者の生き方からメンタルの有り様、考え方まで極端に監視し管理する。 虐殺器官で危惧されていた管理社会への懐疑や嫌悪、それをより突き詰めた代物になっている。 しかもそれはもう社会に根付いて、切除不可能なレベルで浸透しているという世界観。 この本では善意や思いやりで押しつぶすみたいな書き方をしているが、 個人的には此処は少しずれてると思う。そういう人もゼロじゃないけど多数派ではたぶんない。 正しさの名の元に、他者に物申す行為そのものが脳への報酬足りえるので、其処に善意はいらない。 正義マンや不倫炎上など、またはホワイト社会などと形容される流れがそれに相当する。 書かれた時期から、タバコに対する社会の扱いに対してが、 たぶん本書を書く切っ掛けの一つかもなと思ったりもする。 まあ何にせよ、正しい事以外は許容せず排斥し、自由が失われていく社会の果てとして、 心身ともに健康であらねばならない社会が到来し、その究極は思い悩む自我そのものが不要。 我思うゆえに我あり、の我の喪失こそが行きつく先だよなあというのが本書のラスト。 何処までが本当の自分だ? という前作の葛藤は少し古いなとか思っていたが、 やはりここら辺まで判った上で書いてたんだなと本書を読んで納得した。 人間より優れたAIが人間の仕事を根こそぎ奪う時代に於いて、人間はどうすればいいの? という問いに対して、ある人曰く、面白く間違う事が人間の仕事だと言っていた。 人間らしさとは究極間違う部分にこそあり、本書のタイトルのハーモニーに準じて言うなら、ノイズこそ人である。でもそれは正しくないのでこのままだと取り除かれて、無くなっていくんじゃないの? 正しくないものや間違いへの意識を少し変えた方がいいんじゃないの? みたいな作者の皮肉というか呟きが本書なのかなと。 | ||||
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病気を克服し人々が管理された優しい世界。 ディストピアとして描かれているけど個人的には素晴らしい世界に思えた。 結末は歓迎できない驚きのものだった。 著者が若くして亡くなってしまっているのは本当に残念。 | ||||
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現代社会は残酷である。「虐殺」は集団内の結束を高める。虐殺は人命を奪うだけでなく生存者から未来を奪う。今なお残虐行為は無くならない。遠い未来のある日、認知能力の限界を超えた残虐性を体験した誰かが、この物語の主人公と同じ決断をするのかもしれない。この物語の主人公は全人類から意識を取り去ることを選択した。残虐性を無くすことを諦めて、残虐性を感じる心を無くすのである。意識とは何かという問題を別にすれば、史上稀に見る悲しい結末である。こうならないことを祈る。 | ||||
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SFです。世界観が独特。 姉御と書いてレディー?笑 評価が高いので購入しましたが、きっと好きな人は好きなのでしょう。初めて最後まで読みきれなかった。 | ||||
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システムの着眼点は虐殺器官共々すごいと思う。 しかしシステムに穴がありすぎて、ツッコミどころ満載。 前半はそれでも楽しめたけど、後半がひどい。ジョージ・オーウェルのかの有名な作品をものすごく薄くしたような印象。 | ||||
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読んでて面白かった。何か考えさせられた一冊だった。 | ||||
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オススメされて読みました。なんとなく気怠い感じの文調で、壮大なのにリラックスして読めました。オススメしてきた友人は「いい百合だよ、、、」としみじみ言っていました。ここで晒しときます。 | ||||
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過去に映画を観たことがあるが原作を読んだことがなかった。 本屋で購入しようとしたら表紙イラストが変わっていたのでAmazonで注文したが、本屋で見たイラストと同じだった。 かなりショックなので購入時の本の画像を変えてほしい。 表紙にこだわらない人なら良いが、私はこれなら買わなければ良かった。 | ||||
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「虐殺器官」よりもディテールや組み立てがしっかりし、読み物として完成していて著者の天才性が楽しめる。 ただ、予測不能な社会情勢の劇的な変化や、AIの進化による読み切れない部分がチラホラ見受けられるのは否めない。が、差しい引いても、見事なストーリーに依って ☆満点は充分に満たしている。 もし、現代社会をベースに著者が執筆するとしたらどんな作品を書かれただろうか?と、最近何故か頻繁に夢想してしまう。。 | ||||
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たびたび挟まれるコードのような記述。 螺旋監察官という名称の職業など、なーんかかっこつけてるなぁ。という印象。 さらに作中の世界背景、登場人物の過去から現在の立ち位置、振る舞いなど終始 説明に近い記述ばかりで最初は正直あまり楽しんで読めていませんでした。 しかし物語が動き始めた途端、加速度的に面白く。 前半、丁寧すぎて退屈にすら思わせた人物描写が 全世界同時集団自殺の後に主人公が取る行動。首謀者の動機などに説得力を持たせています。 SFっぽさを出したかったのかな?などと勝手に思っていた 作中に散見されたコードのような記述も意味あるものとして生きてくる手法はお見事でした。 おすすめSF作品として挙げられていたので、はじめて著者の作品を拝読しましたが 確かにおすすめです。 | ||||
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1/3くらいプロローグ | ||||
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初めてこの本を読んだ時、虐殺器官ほど面白くはないな、と思った。多分高校生くらいの頃だったと思う。 10年以上経ち、改めて読み直すと作者の内面をそのまま抜き出したような言葉に頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。 エンタメとしてはやはり虐殺器官の方がずっと面白いとは思うのだけれど、この本に並んでいる言葉は前作よりももっとずっと純度の高い。 今までの人生でそれなりに本を読んできたつもりではあるけれど、これほどまでにシンプルに「作者の気持ち」が書かれた本を読んだ覚えがない。 その言葉は純粋過ぎてある意味で暴力的なほどだ。あまり性能が良くないと自負している私の頭でも、伊藤計劃という一個人の見ていた世界、魂の表面が見えるのだから相当に暴力的に思える。 個人的には高校生くらいの多感な時期か、会社勤めを始めていくらか経って心が錆びつき始めたくらいの人に読んでほしい。 読んで、ぜひ自分の世界を「伊藤計劃」という世界に侵食されてみて欲しい。 唯一この本、というよりこの作者の欠点はもう決して伊藤計劃が書く新しい作品を読むことが出来ないということだろう。 | ||||
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虐殺器官を読了後に本書を読みました。非常に面白かったのでレビューします。 ①文体についての感想。 <recollection:protocol> まず、形式が面白い。 本文は、etml(html言語に近い創作された記号)によって、感情などのメタデータを日本語に与える形式で記述されている。それが、読者に与える影響と小説全体を成立させるための「動機」を、計算した上で用いられている点に妙味がある。 つまり、それらは、単なる修辞学的な意味で使用されているのではなく、多重な意味を込められた一つのprotocolとして機能している点に注目されたい。 また、一般的な意味での文体については、明晰さとレトリックが上手く中和しており、リーダブルであるため、読者を選ばないように調整されているように感じる。 英語訳でも出版されているようなので、頑張って読んでみようかと考えている。日本語との相違を知りたくなる。それぐらい、興味深い。 </recollection> ➁予め知っておくとより楽しめそうな知識について列挙。 ※都度、wikiで調べるのもありだが、予め仕込んでおくと間断なく読める。 <list:refference> <ref:伊藤計劃氏著の「虐殺器官」。文章の所々に「虐殺器官」のスパイスを感じる。> <ref:古典的なsf小説についての知識。1984年、すばらしき新世界など。> <ref:有名なアート作品についての知識。chim↑pom、マーク・ロスコなどの現代アートが多い印象。> <ref:生物学の基本的な知識。進化論や細胞生物学など。また、脳科学や認知科学なども多少しっていると 楽しめそう。> <ref:ポスト構造主義などの現代思想。フーコーなど思想の概要を知っているだけでも良いと思う。> </list> ➂読後感。 ※以下、多少のネタバレあり。 <consideration> 虐殺器官でも感じたが、伊藤計劃氏の基本思想は、「物質としての生物の進化」を究極に突き詰めた先にあるように思われる。本書の巻末で読めるレビューにも記載されているが(どうやらこのレビューは電子版では読めないらしい。ミァハのように紙で読もう。)、これら二冊の小説は、論理的に科学的に帰結されることを突き詰めた先端部分で書かれているようで、しかもそれは「それ以上でもそれ以下でもない」事実として受け止めるような冷静な意識の元で書かれているように思えます。 例えば、それぞれの小説のテーマである、言語や意識は、生物進化の帰結として、たまたま生じた形質と認識されている点が共通している。自然淘汰によってもたらされた人間の形質に、現代テクノロジーによって環境改変された地球を与えるとどうなるかという思考実験としての物語。 物語は、ある種の悲劇性をもって受け止められがちだが(普通に読めばディストピア小説にカテゴライズされるだろう小説)、本当は何らの意味性も与えられていないただの「記録」としても読めるように設計されている。実験の結果の記述なのだから当然だが、少しメタ的に想像しないとその見方はできないかもしれない。etmlを使用して、感情をむりやり惹起することが意図されていたりする設定などがその手掛かりになろう。 また、本書においては特に生政治としてのディストピア要素が強く意識されているように思える。 我々は法律がなくても他人にマスクを強要したように、健康でいることを強要する。しかもそのやり方が、どこまでも科学的、物質的であるところが余計にディストピア感を増幅させる。ご存じのように、現代社会は、既にお互いのメタデータをネットを介して調べることに慣れている。人事部が人材をSNSでフィルタリングすることが当たり前だし、友達の位置情報を共有することで安心するコミュニティも存在する。 小説との違いは、プライバシーの定義や常時アクセス可能かどうかなどの様式の相違にすぎない。 こういった要素が現代の我々にデジャヴを惹起させるが故に、他人事とは思えない物語として受け止められやすいのではないかと愚考する。 いずれにせよ、ただの物語として消費させまいという意志が働いており、その思惑が上手く読者に作用しているからこそ、「ハーモニー」は名作として認知されているのだろうと思う。現代社会の論理的帰結としての物語だからこそ、現代人のこころを揺さぶらずにはいられない。 </consideration> | ||||
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かつて、人類には、 怒りが必要だった。 かつて、人類には、 喜びが必要だった。 かつて、人類には、 哀しみが必要だった。 かつて、人類には、 楽しみが必要だった。 かつて、かつて、かつて。 それは過ぎ去った環境と時代に向けられる弔いの言葉。 | ||||
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各々の命が社会のリソースとして丁重に扱われる未来 病気も怪我も克服した超医療社会は人々にとってまさにユートピアとも言えるが、、、 息苦しいほどに優しさに包まれた社会描写を見て、「自分」とはなにか改めて考えさせられる内容でした。 読み終わった後は心がゴッソリと削ぎ落とされたような何とも言えない感覚になりました。 決して不快感ではなく、スッキリとした虚無感という表現が近いかと思います。 ユートピアの臨界点を垣間見れた名作です | ||||
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人類が大打撃を受けた「大災禍」。統治機構「生府」は、福利厚生を強力に推し進め、病死が存在しないユートピアを構築する。 ある日、六千人を超える同時多発自死事件。なぞの解明に挑むエリート監察官が見たものは。人間とは?を問いかける名作である。「デストピア」小説と言えるだろう。 体の恒常性を保つ体内埋め込みデバイスWatchMeなど、近未来にありそうなガジェットが良い。主人公が少女の頃、餓死を試みて失敗した過去を持ち、今でも過度の優しさ社会に倦んで小さな違反行為を繰り返しているという設定が効いている。 もう著者の作品が読めないのが残念。 | ||||
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空気を読む、みんなとあわせる、健康ヒステリー的な、現代の社会の傾向を大きく進めた社会と、そのときの個人状況をシュミレートしている。まさにSFな話。 前作にあるような、どこか遠くの暴力、理不尽、不幸と、守られた社会(日本)の対比も描かれている。 脳科学的なところ(選択の葛藤が意識、双曲線割引の無い意識・機械)は、すこし物足りない気がしたが。メッセージ、イメージは伝わったような気がした。 伊藤さんの最後の作品であることが残念でならない。 | ||||
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【結末のネタバレあり】 巻末インタビューで著者が「敗北宣言」と述べているように、結論部分については、正直物足りなさが残るラストとなった。 個人的に一番気になったのが、ミァハという人物が、本当にこのような結論にいたるのだろうかという疑問である。 ストーリーではミァハは、生まれつき「意識」を持たない民族だったと明かされる。 そのため、全人類がミァハの民族のようになるだけと考えれば納得はできるのであろう。 しかし本当にそうと言えるのだろうか。 父のヌァザは、「社会と完璧なハーモニーを描くように価値体系が設定されている」と述べている。 つまり多様性の失われた、ひとつに価値観が統一された上での、意識の喪失ということになる。 このようなプログラムをミァハは肯定するのだろうか? 例えば、ミァハの一族がこの都市に住むか?と問われたとする。 はたして、全ての一族がここに住むことを選択するだろうか。 中には合理的な思考を経て、住まないという選択をする者が出る可能性も否めないはずだ。 人々から「迷い」を取り除いても、正解はひとつではないのだから。 他の例で考えると、無我の境地に達し、悟りを開いた僧侶たちが、この世界に訪れたとして、仏界(浄土)に辿り着いたと感じるのだろうか。 その場合も、ただロボットのようにプログラミングされた人々が暮らす都市を見て、憐れみとともに静かに通り過ぎるだけではないかと私は思う。 意識を失うということは、生き続ける意味も失うともいえるはずだ。 本来であれば(価値体系の設計がなければ)、食事を摂る意志を無くしそのまま餓死するものが現れる可能性だってあるのだ。 (WatcMeに感知されるだけだろうが) そのような観点から、この結末はミァハがたどり着くべき結論ではなかったような気がしてならない。 インターポールのヴァシロフは死の間際にこう言う「こいつが痛みってヤツなんだな。WatcMeとメディケアめ、人間の体にこんな感覚があるなんて、よく隠しおおせたもんだ。腹の立つ話だとは思えんかね。」 このような発想を持つ集団が、このような結末を望むのだろうか。 恐らく、もし著者に時間があれば、もっと時間をかけて結論を探すことができたのであろう。 しかし残念ながら著者に時間は残されていなかった。 著者による「敗北宣言」という言葉を聞くと、どうしても他の結末というものを考えてみたくなってしまう。 大変身勝手なこととは思いながらも、僭越ながら異なる結末というものを私なりに考えてみた。 以下が私個人としての結論案である。 ---------------------------------------------------------- ミァハは、自ら書いたプログラムにある細工を施していた。 プログラムが歌い出した瞬間、全ての人類に選択肢が示される。 社会とひとつになれば、全ての苦しみや恐怖から解放されます。 あなたは、あなたという意識を捨て、生命主義社会とひとつになって、生き続けていくことを承認しますか? Yes/No 生府の老人たちや、螺旋監察官たちは、想定していなかった事態に一瞬戸惑いはしたが、迷いなくYesを選択した。 (ウーヴェのようなものたちを除いて) 今回の事態に怖れを抱いていた者を中心に、医療社会に生きる多くの人類も、同様の選択をした。 そして、Noを選択した人類には、ミァハからのメッセージが示された。 「さあ生きて自由にハーモニーを奏でよう」 その後の社会では、紛争もまだ続いている、自殺だってその存在を消してはいない。 しかし、『空気』と呼ばれていたものは、もうそこには存在しない。 この社会では、お酒を飲んでいる者を見ても、誰も見向きもしない。 もちろん、司法は存在している。 殺人を犯せば罪に問われるように、飲酒が違法な地域や年齢では罪を償わされることになる。 しかし、空気という形で人々から自由を奪うことは、できなくなってしまった。 偏狭な生命主義者も、それを他者に押し付けるために必要な「意識」を失ってしまったのだから。 | ||||
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