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アメリカ銃の謎
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【この小説が収録されている参考書籍】
アメリカ銃の謎の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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国名シリーズの一冊。たくさんの人の前で殺人が発生するというクイーン好きの状況設定もどんどんエスカレートして、ついにロデオ会場まで到達しています。最初の劇場から比べたら何倍になったのかなぁ・・・。 国名シリーズの中で最もストーリーと謎解きに無理があり、一番の駄作です。読むとガッカリします。出さないほうが良かったのでは・・・。 | ||||
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これぞアメリカンミステリーと言う感じで、演出がど派手。2万人の大観衆が全員容疑者で、事件発生後入り口を封鎖して、全員身体検査して携帯してる銃を調べる、と言うのは絶対物理的に無理だと思ったのは、私だけだろうか。 うるさい読者が読めば、メイントリックがアンフェアで、どこにもそんな設定なかっただろ、と言われるからだろうか、国名シリーズ中ではあまり評価が高くないらしい。だが、自力で推理を試みたりしない私のような怠惰な読者にとっては、銃の弾道や隠し場所についてのトリックが楽しめて、文句なしで面白かった。もちろんお約束の「読者への挑戦状」も登場し、エラリーの快刀乱麻を断つ名推理でカタルシスを覚えた事は、言うまでもない。 ど派手な演出と大小のトリックが楽しめる本格ミステリのエンタメ快作と評する。 | ||||
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トリックは詰まらない。犯罪の動機はもう一つ納得性がない。本質と関係ない語りは時間の無駄。読み終わって何も残らない。 | ||||
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衆人監視の中、ロデオのスターが殺され・・・というお話。 前作が国名シリーズの頂点と言われる作品だった為に、本作を創作するにあたって著者の二人は相当の意気込みで書かねばという気負いの元に創作したかと思いますが、見事今までの国名シリーズの質の高さはキープされている様に思いました。 今作も前作までと同様に精密機械なみに伏線やミスディレクションが張り巡らされており、かなりの精読を要しますが、解決に至って無理なく謎が解かれる過程にカタルシスを感じました。 相変わらず自信があるのか「読者への挑戦状」も挿入されていて、自信の程が伺いしれます。それと、今までは息の長い文章が続いて読み難く感じておりましたが、本書は割と短めに文章と文章を区切ってくれて読みやすくなっているのも好感を持てました。 後の方のシリーズではさすがに息切れしてマンネリになるらしいですが、この時点ではまだ明晰さや鋭敏さは維持されていて、やはり推理小説のグレードを上げた功績のある作品になっていると思いました。 それと、ドルリー・レーン四部作の方は新訳や新版でだして頂けないのでしょうか。鶴首しているのですが・・・。 これもまた必読の国名シリーズ。是非ご一読を。 | ||||
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国名シリーズの6作目だが、いまいちシリーズ中では知名度がない作品であるが、面白さという点ではシリーズのトップクラスだろう。 スタジアムでのロデオショー中に観衆監視の中ロデオスターが撃ち殺されるという派手な舞台設定が異色であり、消えた凶器の謎やいかに被害者を監視の中殺害できたのかというストレートな謎に焦点を絞っており、終盤のややアンフェアと非難されるどんでん返しも小説としては効果的に作用している。 読みやすさではギリシャ棺などの名作と言われる他の作品よりも上であろう。 | ||||
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国名シリーズの中ではイマイチ・・・ですかねぇ。。。 読んだ皆様のコメントの通りだと思います。気に入らない・・・と言う訳ではないので☆3にしておきました。2.5ってとこですかねぇ。。。 | ||||
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見逃していたヒントが、最後に見事にくっついて、謎が解かれていく。yの悲劇とレーン最後の事件の次におもしろいです。 | ||||
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すっきり読めない。エラリーと父警視の会話など、関係が不安定になってくる。言葉の使い方がよくない。日本の名作をよく読んでから翻訳に取り組んでほしい。 | ||||
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中高生の頃読んだ、エラリー・クイーンの国名シリーズ。 これが、新訳で発表順に刊行されるということで、この角川文庫版を読み進めてきた訳ですが、本作品は、読み損なっていた3作品(よく考えてみると、9作品のうちの3作品だから、3分の2しか読んでいなかったのか…)のうちの1作品で、全くの初読です。 ニューヨークに新設されたコロシアム。 エラリー・クイーンを含む、2万人の観衆を集めたロデオ・ショーの最中に、事件が起きた。 中心的な役を演じた騎手が、何者かに射殺されたのだ。 ところが、殺人に使われた拳銃は、コロシアムの中にあるはずなのに、いくら探しても見つからない。 2万人が目撃者であると同時に、容疑者でもあるという状況下、真犯人を絞り込むことはできるのか…。 ──と、いった具合に、「衆人環視の中での犯罪」と、「消えた凶器」というなかなか面白い設定であるにも関わらず、前作の「エジプト十字架」や前々作の「ギリシャ棺」の陰に隠れて、あまり高位にランキングされない地味な印象の本作品。 私が、若き頃読まなかったのは、そんなところに理由がありそうです。 しかし、読み終えてみると、大変に面白い作品であると感じました。 定番の読者への挑戦状もありますが、真犯人を指摘するのは、非常に困難なのではないかと思います。 ただ、本作品のランキングが高くないのは、ちょっと分かるような気がします。 エラリー・クイーンと言えば、「フェアプレー」が売り物。 ところが、読後に感じるのは、「何となく、アンフェアな感じ」。 でも、ご安心を。 この角川文庫の新訳シリーズは、巻末解説が充実していて、これまでの作品のレビューでも、その点を指摘してきました。 本作品でも、その充実さが功を奏し、「何となくアンフェア」な印象が、巻末解説で見事に払拭されます。 いかに、エラリー・クイーンが、フェアプレーに徹していたかが、随所に窺われることが分かり、納得の一冊となりました。 第7作以降も、期待ができそうです。 | ||||
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「国名シリーズ」を克明に読んできたクイーン愛読者にとっては、6作目にして始めて「エラリー、ずるをしたな、フェアじゃない!」って思うんじゃあないだろうか。あのクリスティの「アクロイド殺し!」のトリックのように。しかしその読者の思いは杞憂に終わる、決してアンフェアじゃない。深読みが足りなかっただけだ・・・・・ 原著オリジナルがリリースされたのが、あの大恐慌の影響が、経済的にもろに出てきたとされる1933年。しかし、このミステリの舞台となったニュー・ヨークでは、大恐慌?何、それって感じで、夜な夜なナイトクラブは大繁盛!失業率25%かもしれないけど、75%は雇用されていたっていうことだからか? オリジナル本には、登場人物表が載っていなかったらしいが、そのリスト自体が、このミステリのトリックにつながる・・・・・・とだけばらしておいて、あとは80年以上前に書かれた巧妙なトリックを再び堪能あれ。 | ||||
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フランシス・M・ネヴィンズjr.は本書について 「ほかのクイーンのどの作品にもおとらず〜おもしろい」 「結末は読者に対してこのうえなく公平」 と評する一方で 「なかくぼみがあって〜余分に中ほどの章を埋めている」 とも評しているぜぃ。 だったら・・・ なかくぼみを省いちまったら完璧ってこっちゃね? っちゅ〜わけで本格ミステリーマニアの?&!が 9ページから341ページまでの333ページをたった15行に要約してみせてやるぜぃ! 単なる粗筋じゃなくってこれだけで謎解きできるように要約してあるぜぃ! 333ページを16行に要約したんだから1行だって必要のない行はなくしてあるぜぃ! アメリカンガンミステリー・事件編 (リチャード・クイーン警視の覚え書き) 二丁拳銃の西部劇スター、バック・ホーンが愛馬に乗って競技場を走りだした。 ひげ面のあらくれカウボーイ集団四十人がそのあとを追った。 ホーンがコーナーにかかったところで四十人が一斉に銃をあげて空砲を鳴らした。 バン!と音がした直後、ホーンが落馬し、四万観衆の前で血を流して息絶えた。 ただちに場内を封鎖して会場内の全ての人物と全ての場所を探すが銃は出てこない。 詳しい調査の結果、銃は小型の二十五口径で、四十人の銃は四十五口径だった。 弾はホーンの体の左上四十度の角度から撃ち込まれていた。 ホーンの撃たれた場所の左上四十度の位置には特別招待席があり次の人物がいた。 一、トニー・マース・・・競技場の持ち主。ホーンに四万ドルを貸す。 二、キット・ホーン・・・バック・ホーンの娘。カウガールスター。 三、リチャード・クイーン&エラリー・クイーン・・・警視と探偵(自分と息子)。 以上の情報からエラリーは真相を推理し、ハリウッドにある確認の電話をした。 《読者への挑戦》 手がかりは全て与えられた。読者も唯一可能の犯人を指摘できるはずである。 いかが〜? | ||||
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国名シリーズの第六作。舞台は競技場。二万人の大観衆が熱狂するなか事件は起こります。衆人環視の設定はシリーズではお馴染みだが、 本書は少し質感が違います。 というのは、ローマ帽子然り、フランス白粉然り、オランダ靴然りと、あくまで衆人環視といってもそれは事後のことなのだ。つまり ミステリが持つ当たり前の条件として、死体が見つかったので捜査が始まる。よって向かうべき視点は当然のことながら過去になのだ。 そもそも、狭い空間における殺人劇に驚異の三次元的空間を与えたのはクイーンだったが、捜査法はあくまで正統で、残された手がかり からの取捨選択、その価値判断の大小を浮かび上がらせる遠近法。地道で緻密な知的作業。舞台の意外性の割には、推理には従来通りの 手法を貫き通している。でもある意味その矛盾に神秘性を感じる。実際そのプロット形式を空中分解すれすれ、ギリギリまで押し進めた のが前作のような気がする。 で、本書なのだ。何か振り切れている印象をもってしまう。悪く言えば開き直っている。いや良い意味で言っても開き直るセンスがあるん です。過去に過去に向かう殺人方程式をこえている。現在進行形で観客が見つめる中、そしてその《瞬間》、シンドローム化させている。 続いて流麗に時は流れる未来性。冒頭でエラリー自身が難解な比喩をもってして本事件を解説しているが、まさにそのとおりの感想を読者 も持つのではないだろうか。あまりに型通りで使い古された捜査法。無味乾燥に尽きる捜査法。そこからの脱却を唱えたところは斬新だ。 上述した前提となる遠近法。その概念に遠近法を使うとこうなる。謎解き空間は飛躍した。 ただ皮肉なのは、プロットに芸術性を与えたとしても、それを媒体として小説にすると滑稽に見えてしまうのが本格推理小説でもある。 言い換えればゲーム性だけが強くなる。本書も破綻はないが致命的に違和感を感じる。ただ、大胆な着想を構築してみせた存在意義は大きい。 | ||||
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国名シリーズの第六作。舞台は競技場。二万人の大観衆が熱狂するなか事件は起こります。衆人環視の設定はシリーズではお馴染みだが、 本書は少し質感が違います。 というのは、ローマ帽子然り、フランス白粉然り、オランダ靴然りと、あくまで衆人環視といってもそれは事後のことなのだ。つまり ミステリが持つ当たり前の条件として、死体が見つかったので捜査が始まる。よって向かうべき視点は当然のことながら過去になのだ。 そもそも、狭い空間における殺人劇に驚異の三次元的空間を与えたのはクイーンだったが、捜査法はあくまで正統で、残された手がかり からの取捨選択、その価値判断の大小を浮かび上がらせる遠近法。地道で緻密な知的作業。舞台の意外性の割には、推理には従来通りの 手法を貫き通している。でもある意味その矛盾に神秘性を感じる。実際そのプロット形式を空中分解すれすれ、ギリギリまで押し進めた のが前作のような気がする。 で、本書なのだ。何か振り切れている印象をもってしまう。悪く言えば開き直っている。いや良い意味で言っても開き直るセンスがあるん です。過去に過去に向かう殺人方程式をこえている。現在進行形で観客が見つめる中、そしてその《瞬間》、シンドローム化させている。 続いて流麗に時は流れる未来性。冒頭でエラリー自身が難解な比喩をもってして本事件を解説しているが、まさにそのとおりの感想を読者 も持つのではないだろうか。あまりに型通りで使い古された捜査法。無味乾燥に尽きる捜査法。そこからの脱却を唱えたところは斬新だ。 上述した前提となる遠近法。その概念に遠近法を使うとこうなる。謎解き空間は飛躍した。 ただ皮肉なのは、プロットに芸術性を与えたとしても、それを媒体として小説にすると滑稽に見えてしまうのが本格推理小説でもある。 言い換えればゲーム性だけが強くなる。本書も破綻はないが致命的に違和感を感じる。ただ、大胆な着想を構築してみせた存在意義は大きい。 | ||||
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ニューヨークのど真ん中のコロシアムでロデオの興行が行われている最中に、2万人の観客が見つめる中、馬上のロデオのスターが銃で撃たれて死亡、ただちにコロシアムは閉鎖されたが、凶器の25口径銃はどこからも発見されなかったという本書、前作「エジプト十字架」では従来の劇場や病院内など限られた関係者の中に犯人が存在するというパターンから脱したかのように思われたが、本書では従来パターンに戻っている。(ただし観客は2万人、カウボーイだけでも40人と人数は多いが、読み進むうちに容疑者は絞り込まれる) また、凶器の銃がどこへ消えたのかという謎の提示は、第1作目の「ローマ帽子の謎」のシルクハットがどこへ消えたのかと同じパターンで、新鮮味に欠ける。 では謎解きはというと、凶器の隠し場所はもちろん、いくら40人のカウボーイの中に紛れていたとはいえ、被害者を直接撃ったことが観客や近くにいたカウボーイの誰にも見咎められずに行えたなど、到底信じられるものではない。 本書は1933年の作品で、「Zの悲劇」「レーン最後の事件」「シャム双児」と同年の作。全体的に前年の「X」と「Y」「ギリシア館」「エジプト十字架」と比べて、これら前年の4作で作者の創作力は枯渇してしまったのではないかと思われる程の落差だが、中でも本書はひどすぎる。そんなに上手くいくの? というようなこじつけまがいの方法で、ディクスン・カーのできの悪い作品を読んでいるみたいだった。 | ||||
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ニューヨークのど真ん中のコロシアムでロデオの興行が行われている最中に、2万人の観客が見つめる中、馬上のロデオのスターが銃で撃たれて死亡、ただちにコロシアムは閉鎖されたが、凶器の25口径銃はどこからも発見されなかったという本書、前作「エジプト十字架」では従来の劇場や病院内など限られた関係者の中に犯人が存在するというパターンから脱したかのように思われたが、本書では従来パターンに戻っている。(ただし観客は2万人、カウボーイだけでも40人と人数は多いが、読み進むうちに容疑者は絞り込まれる) また、凶器の銃がどこへ消えたのかという謎の提示は、第1作目の「ローマ帽子の謎」のシルクハットがどこへ消えたのかと同じパターンで、新鮮味に欠ける。 では謎解きはというと、凶器の隠し場所はもちろん、いくら40人のカウボーイの中に紛れていたとはいえ、被害者を直接撃ったことが観客や近くにいたカウボーイの誰にも見咎められずに行えたなど、到底信じられるものではない。 本書は1933年の作品で、「Zの悲劇」「レーン最後の事件」「シャム双児」と同年の作。全体的に前年の「X」と「Y」「ギリシア館」「エジプト十字架」と比べて、これら前年の4作で作者の創作力は枯渇してしまったのではないかと思われる程の落差だが、中でも本書はひどすぎる。そんなに上手くいくの? というようなこじつけまがいの方法で、ディクスン・カーのできの悪い作品を読んでいるみたいだった。 | ||||
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秀作・傑作の並ぶ国名シリーズの中では、最も不満な出来ばえの作品がこれだろう。 根本的な仕掛けはクイーン自身が以前にも使ったパターンを思いきりひねったもので、意外性はあるのだが…映画ファンとしてはこれは絶対ありえない、と言わざるをえない。なにしろ、あのブルース・リーでさえ格闘シーンの中で一瞬だがこの手を使ったことがあるそうだが、それに観客が気づかないのはあくまでカメラ・アングルと編集のおかげなのだ。それに、重要な手がかりの一つがあまりに文章の中に埋もれてしまっているのも、『オランダ靴の謎』では手がかりを堂々と見せびらかせてくれたクイーンらしくなく、不満な点である。 | ||||
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秀作・傑作の並ぶ国名シリーズの中では、最も不満な出来ばえの作品がこれだろう。 根本的な仕掛けはクイーン自身が以前にも使ったパターンを思いきりひねったもので、意外性はあるのだが…映画ファンとしてはこれは絶対ありえない、と言わざるをえない。なにしろ、あのブルース・リーでさえ格闘シーンの中で一瞬だがこの手を使ったことがあるそうだが、それに観客が気づかないのはあくまでカメラ・アングルと編集のおかげなのだ。それに、重要な手がかりの一つがあまりに文章の中に埋もれてしまっているのも、『オランダ靴の謎』では手がかりを堂々と見せびらかせてくれたクイーンらしくなく、不満な点である。 | ||||
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クィーンの「国名シリーズ」中の一作。劇場、デパート、病院と言った広大ではあるが閉ざされた空間の中から犯人を探し出すと言うシリーズ一連の流れをくむ作品で、今回はロデオ競技場が舞台。 ロデオ・ショーの最中に往年の映画スターが銃殺される。事件直後すぐに競技場を閉鎖したにも関らず凶器が見つからず、当然犯人も不明と言う設定。消えた一つのシルクハットから推理を組み立てた「ローマ帽子」と似た体裁だが、本作の特徴は極端に登場人物が少ない点である。このため、犯人となり得る容疑者が少なく物語の起伏が乏しいと言う難点がある。この結果、他の国名シリーズと比べると地味な印象を与える。凶器消失の謎と犯人の設定はクィーンらしく良く練ったものだが、如何せん、上記の事情で当てずっぽうでも犯人が分かってしまう恨みがある。クィーンとしては、「きちんと推理せよ」と読者に要望しているのであろうが。 もう少し登場人物を増やし、人物間の錯綜した関係や犯行機会の多様性を盛り込めば、物語の面白さも増し、謎解きの巧妙さが浮き彫りになったかと思うと残念な作品。 | ||||
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クィーンの「国名シリーズ」中の一作。劇場、デパート、病院と言った広大ではあるが閉ざされた空間の中から犯人を探し出すと言うシリーズ一連の流れをくむ作品で、今回はロデオ競技場が舞台。 ロデオ・ショーの最中に往年の映画スターが銃殺される。事件直後すぐに競技場を閉鎖したにも関らず凶器が見つからず、当然犯人も不明と言う設定。消えた一つのシルクハットから推理を組み立てた「ローマ帽子」と似た体裁だが、本作の特徴は極端に登場人物が少ない点である。このため、犯人となり得る容疑者が少なく物語の起伏が乏しいと言う難点がある。この結果、他の国名シリーズと比べると地味な印象を与える。凶器消失の謎と犯人の設定はクィーンらしく良く練ったものだが、如何せん、上記の事情で当てずっぽうでも犯人が分かってしまう恨みがある。クィーンとしては、「きちんと推理せよ」と読者に要望しているのであろうが。 もう少し登場人物を増やし、人物間の錯綜した関係や犯行機会の多様性を盛り込めば、物語の面白さも増し、謎解きの巧妙さが浮き彫りになったかと思うと残念な作品。 | ||||
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2万の観衆を前に行われるロデオ、その最中に起きた殺人事件にエラリー・クイーンが挑む。 謎の一つ一つに対し、丁寧に解きほぐすエラリーは正に論理の申し子といった様相を呈します。 意地悪な目で見るなら、銃の隠し場所に関したところや、被害者の服に関して警察が注目しないはずがないかな? という点もあるのですが、フェアプレイに関しては問題はありません。さすがだなぁ、と思わされます。 まだ初期クイーンなので、論理機械的とはいえますが、設定、人物配置に考え抜かれている点にかわりはありません。 また、初期クイーンでは挑戦形式にばかり目が行ってしまいがちになるのですが、クイーンは他にも色々と考えていたんじゃないかと思わされます。 とりあえず設定だけに関してもローマ帽子では劇場、フランス白粉では百貨店、オランダ靴では病院、といった風に。 こういうところに初期クイーンの実験的(野心的? 適当な語彙が見つからない)なところを見受けることができるんじゃないかなと思いました。 | ||||
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