帝王死す
- 第三期エラリー・クイーン (12)
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今までのクイーン作品の中で最も舞台設定が凝っており、後期クイーンの諸作で深みが増した人間ドラマの一面にさらに濃厚さが増した、リーダビリティ溢れる作品だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初のエラリィ・クイーン。 | ||||
| ||||
|
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
異色作。とだけ書いて筆をおいてもいいのだが、もう少し雑感を書いておこう。キングと呼ばれる軍需産業のドンが君臨する絶海の孤島。ここにニューヨークから強引に連れてこられてしまった、エラリイとクイーン警視。キングに対する脅迫状が次々と届く不穏な空気の中、やがて不可能犯罪が起こり…。 と、あらすじを書いても仕方ないのだが、面白かったような気もするし、そうでもなかったような気もするし、ビミョーだったというのが正直なところだ。訳者あとがきでも「緻密に計算されたこの筋立てがおもしろい」としながら「物語全体にやや緊迫感を欠いたために、その効果が減殺されたうらみはある」と煮え切らない評価がされている。 話が横道にそれるけれど、昔の解説の類には、手放しで褒めずにけっこう辛口なものも多かったのではないかという気がする。あと、巻末の寄稿にネタバレが多いのも昔の本の特徴で、本書でも訳者がさらりとトリックの一部をバラしている。なので、これからお読みになる方は、あとがきを先に読まれませんように。 閑話休題。本書は冒険小説風の展開の中に、なぜか一部だけ「ライツヴィルもの」が挟まれるところも異色だ。しかしそれがまたビミョーで、いささか中だるみの弊を免れていない。過去の人間関係に実は重要な手がかりが潜んでいて…というのは興味深いのだけれど、そういうのはクリスティーがやっぱりうまかったと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
期待していただけに肩すかしをくらった印象。 現実離れした環境やトリックのあっけなさ、最後の後味の悪さ、エラリイクイーンだから我慢できるのか。 ライツヴィルが出てるくのがせめてもの救いか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ちょっと驚きの作品でした。犯人は十分想像できる内容ではありますが・・・規模?がブっ飛びすぎて・・・私的には、あまり好きではないストーリーでした。エラリーぽくないと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
クイーンの作品の設定には、ある種のとんでもなさがあり、驚かされることが少なくない。本作冒頭のクイーン父子の拉致にしても、ペンディゴ帝国にしても、驚きを通り越して、あきれるような部分がある。 さて、メインとなる殺人事件の“犯人”を当てるのは、さほど難しくない。そういった意味では、さほど面白くない。 ただ、事件の背景や旧約聖書やキリスト教が関わる兄弟たちの名前などは興味深い。アメリカの小説や映画は、「カインとアベル」をベースに屈折した兄弟関係を描いた作品が多いが、ある意味では、本作もその一つだろう。 なお、本作の2年後、クイーンはマッカーシズムに抗して『ガラスの村』(1954年)を書いたと言われているが、ベンディゴ兄弟が関わる軍需産業に関する記述を読んでいると、本作も当時の時代背景とは切り離せないと感じる。ちなみに、本作が書かれた1952年には、チャップリンの『殺人狂時代』が公開され、チャップリンがアメリカを追われた年でもある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いきなり命数尽きた・・・・かと思われた1952年作。信じがたいほどの特権、日常の力学が崩れ去る。ニューヨークのアパートから ほとんど拉致同然に軍需工業界の怪物キング・ベンディゴが独裁支配するベンディゴ島へと連れて来られたクイーン父子。 キング宛ての脅迫状の捜査は意外な展開へと発展して、なんの危険もからくりもないと確認され完全な密室と化した機密室のなかにいる キングを射撃してみせるという予告不可能犯罪へと変わるんだね・・・神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」の 歌詞及び再録撮り直しの方のPVのなかにあるよ!・・・っとなんの前触れもなくまったく新しい次元からヒントを出してみる(笑)。 それはそれとして、現実から遊離するかのようなあの演出と、《あれ》に関する緻密に計算されたテクニックは最高だ。しかしこと密室ものと なると作家クイーンの能力はそがれてしぼみがちなのも事実かもしれない。そう、もともと次元が衆人環視の驚異の大空間における論証の美学 にこそ芸術性を発揮してたんだから。 また物語は意外な広がりをみせ、ケイン(カイン)、ジュダ(ユダ)、エーベル(アベル)という呪われた名前を付けられたベンディゴ兄弟の 生い立ちを探るために彼らの出生地であるライツヴィルへと向かうエラリー。魂の故郷。。ひとり残されるクイーン警視のやるせなさ(泣笑)。 そしてこのエピソードと第二次世界大戦前後の政治情勢とが関連しあって更なる広がりが付与されるところが面白かったりするんだな。 ひとつの優位意識が再起不能になってもユートピアは願望され続ける・・・皮肉を内蔵したラストも感慨深い。 それにしても人を人だと思わずモノのように扱うなんてのは当然批判ということになる訳だけど、その行き着く先が人間をいかに部品のように 効率よく扱うかということだとするとこれもまた困った、とね。なんだろうほとんど民主主義という理念を体良く利用した完全犯罪だからなあ。 幻想なんだ。でもだからこそなんだ。 「実際のところ、民主制は最悪の政治形態だと言うことが出来る。これまでに試みられてきた他のあらゆる政治形態を除けば、だが」とは ウィンストン・チャーチルの言葉だけど、結局はだからこそそれぞれが高い自覚と認識があってこそ成立する。それがすっぽり抜け落ちても 当然のごとく唯一無二の絶対として神聖視するんだから神学の世界の決め付けの御話し。 それが現実だよと誰かが言う。でもそれをわざわざ言葉に出すセンスのなさが一番信じられないのかもしれないけど。たんたんと怜悧なまでに こなしてゆく。感傷に浸れば、情感に溺れれば取り残されてしまうだろう。だが無害だから平和。そのしょせん肉体的健康自慢な目線。 しかしそれこそがじゃないかと真顔で尋ねられれば、もう特になにも返す気もしないだろう誰も。と、ウダウダしてると結局何が言いたいのか 分からなくなるという毎度のパターンなんだけど(苦笑)、どっちにしろ人間の心はプラスチックで出来てるわけじゃないんだから、 ありとあらゆる高級なサプリメントよりも、決して鳴りやまないたった数分間の衝動を、ということになる。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 13件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|