最後の一撃



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初公開日(参考)1958年01月
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長編小説

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最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)

1977年07月01日 最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)

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最後の一撃の総合評価:7.25/10点レビュー 4件。Cランク


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(7pt)

とうとうクイーンは自身の人生そのものをミステリにした

本書は元々エラリイ・クイーンシリーズに一区切りをつけるために書かれた作品だと云われている。
そのためか本書はクイーン作品史上、解決に至るまで最も永い時間が掛けられている。事件の発生から27年後になってようやく事件の真相が明らかになるのだ。
しかし物語の発端としてはそのさらに25年前から始まる。それはエラリイ・クイーン自身が生まれた年だ。
そう、本書はエラリイが生まれてから1957年当時に至るまで、本書刊行が1958年であるからほぼリアルタイムでの作家生活の道のりと共に歩んだ事件なのだ。

そのような背景もあって本書はそれまでのエラリイ・クイーンシリーズの作品とは思えないほど、ドラマチックな幕開けを見せる。

それは本書のキーとなる人物、若き新鋭の詩人ジョン・セバスチアンの出生の秘密から語られるからだ。

身重の妻とクリスマスの休暇をニューヨークで豪勢に過ごすことにした出版会社社長夫妻が遭遇した自動車事故の悲劇の最中で生れたジョン・セバスチアン。しかし彼は1人息子でなく、もう1人双子の弟がいたのだった。しかしその2人目の子供の出産が妻の命を奪うことになったことで夫は2人目の子を取り上げた老医師夫妻に渡してしまう。そして間もなく当人も事故の後遺症で亡くなり、双子の存在は老医師夫妻のみぞ知ることとなる。

そして四半世紀の月日が流れ、25歳となった遺児ジョン・セバスチアンが実の両親が遺した莫大な遺産を相続するその夜に奇妙な事件が発生する。そしてそこに居合わせるのがこの詩人ジョンの友人でもある、エラリイ・クイーンだ。

そしてこの時まだエラリイは処女作『ローマ帽子の秘密』を刊行したばかりの駆け出し探偵作家なのだ。この事件は彼にとって2番目の、実質的には最初の殺人事件であると書かれている。

つまり作家デビュー間もないクイーンに探偵役を担わせ、刊行前年に解決に至る設定を盛り込んでいることからクイーンの作家生活の裏側で本書の事件もまた進行していたことが明らかにされているのだ。
そしてそれは新人作家エラリイが登場することから原点回帰的な印象をも受ける。

本書はジョン・セバスチアン出生の1905年の出来事、25年後の遺産相続記念のクリスマス・パーティで起こる奇妙な事件、そしてさらに27年後の1957年それら全ての謎が解決するパートの3部構成になっているのだが、原点回帰を思わせる証拠としてなんと第3部に『ローマ帽子の秘密』からの引用という体裁ではあるが、「読者への挑戦状」が付されているのだ。

本書の謎は大きく分けて6つある。

1つは双生児として生まれながら、取り上げられた医師の子として育てられたジョン・セバスチアンの弟の行方。

2つ目はジョン・セバスチアン25歳の誕生日を祝うクリスマス・パーティに訪れた謎のサンタクロースの正体。

3つ目は12夜に亘って行われるクリスマス・パーティに毎夜届けられるメッセージカードとアイテムの意味。

4つ目はそれらを贈る人物は一体誰なのか?

5つ目は図書館で亡くなっていた謎の老人の正体。

6つ目は最終夜にジョン・セバスチアンを殺害したのは一体誰か?

そのうち最たる謎は12夜に亘って開催されるクリスマス・パーティに毎夜謎の人物から贈られる謎めいたプレゼントとメッセージカードの意味だ。

第1夜では白檀の雄牛の彫刻と作りかけの人形の家、合金で出来た皮に包まれた駱駝の像。

第2夜では小さなドアとステンドグラスの窓で作りかけの家に合うものだ。

第3夜では鉤のように折り曲げられた釘が、第4夜では小さな木の柵が、第5夜では掌にXの文字が刻まれた石膏で作られた男性の手、第6夜は小さな鞭、第7夜ではなんと作りかけの家のために設えた小さな金魚鉢と小さな本物の魚が贈られる。

第8夜では鋏で胴体から切り離された人形の頭でおまけに片目がつぶられたような模様が書かれている。

第9夜では布で出来た猿の人形、第10夜で第8夜で贈られた人形の頭に上向きの歯が付け加えられていた。そして第11夜ではミニチュアの家の柱につける看板でXの文字が書かれており、そして最終夜の第12夜では最後の一撃と書かれたメッセージカードと共に宝飾がついたナイフがジョンの背中に突き立てられる。

そのいずれもがいつの間にか滞在客が気付かないうちに邸のどこかに置かれている―最後のナイフのみ被害者の背中に突き立てられるが―。
そしてこれら一見何の関係もなさそうなアイテムとカードの内容に若きエラリイ・クイーンは悩まされるのだ。

またしばしば記憶喪失に襲われ、また瞬間移動したとしか思えない状況で出くわすジョン・セバスチアン。常に同じ服を2着揃えており、また時に出版社々長のダン・フリーマンに遺産相続の暁にはもともと父親の会社だった出版社を自分に明け渡すことを申し立て、弁護士のローランド・ペインの女癖の悪さを脅迫のネタにして英文学教授をしている息子に自分の詩集を絶賛されるよう強要したりと黒セバスチアンが現れることの事実からエラリイは彼が実は双子であることを看破するが、ジョン・セバスチアンの出生の秘密の捜査を依頼したクイーン警視とその部下ヴェリーによって双子の弟がいたことは確認できたが、ある事実が判明し、エラリイの推理は敢え無く崩壊する。
これには意外な真相が待っているのだが、正直私はそれは解ってしまった。

あと本書では出版関係の仕事に携わる面々出てくるせいか、やたらと1930年当時の小説などに登場人物たちがやたらと触れているのが目立った。

例えばエラリイが読んでいる小説がバークリーの『毒入りチョコレート事件』であったり、第6夜では年配連中がヘミングウェイの『武器よさらば』、ピュリッツァー賞受賞作品のジュリア・ピーターキンの『スカーレット・シスター・メアリー』、チック・セールズの『スペシャリスト』などを俎上に挙げて文学談議に興じたり、ジョン・セバスチアンの部屋の書棚にレックス・スタウトの『神の如く』が置かれていたり、シンクレア・ルイスという作家についても語ったり、最終の夜でも文学の座談会に興じるなど、かなり頻度は高い。

それだけでなく、1957年に至るまでの時事についても触れられ、さながらクイーン作家生活の追想のような様相を呈している。

そんな意欲作であった本書は最後まで読むに至り、いささか肩肘が張りすぎたような印象を受けた。

真相を知ると時代が、世相が起こした事件であった。
そしてそれはそのまま作者クイーンが歩んできた道のりでもあった。彼が作家生活を振り返ったときにそれまでの歴史的出来事を物語に、ミステリに取り込むことを思いついたのが本書だったのではないか。

しかしこの本書の最後の一行に付された“最後の一撃(フィニッシング・ストローク)”に私は気負いを感じてしまった。
文学に行き、そして言葉に、文字に敏感であったクイーン自身が最後にたどり着いた一撃に関心こそすれ、さほどインパクトを感じなかったからだ。

作者のミステリ熱と読者の私の謎解きに対する熱に大いに温度差を感じた作品であった。
確かに力作である。
後期の作品においてこれほどの仕掛けと演出とそして複雑なロジックを駆使しただけにクイーンコンビの本書にかける意欲がひしひしと伝わった。やはりクイーンはとことんミステリに淫した作家であったのだ。

初心忘れるるべからず。本書はそれを自らの肝に銘じた作品ではなかっただろうか。


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Tetchy
WHOKS60S
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No.3:
(3pt)

約30年後・・

エラリーには珍しく、犯人がわからないまま、時が過ぎていき事件から約30年後になって真犯人にエラリーが気か付くという、ちょっと変わったストーリーになっています。
最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)Amazon書評・レビュー:最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)より
4150701148
No.2:
(3pt)

徐々に姿を消し始める退行は経験世界の曖昧さを示唆するだけ すでに たらんと

1958年作。純粋、悲しみ、影、1905年1月新年な雰囲気に幸せに没入したセバスチアン夫妻。ニューヨークからの帰途、雪、根本的信頼が常に抱く
恐れということで、意向に添えば予想もできないことではない人為的な、自動車、加速度的変化、転覆、身重の妻、うみおとされた・・・
そんななかで、ただ中に置かれる依拠診断、先行してあった虚しさ、一つの関心事。最終的な事実に対する認識はアンビバレントに転嫁された
橋渡しであり、思惑は考慮され・・・・ ここから四分の一世紀
1929年12月24日 駆け出しの説得力、信頼に推移するにはまだきわめて不安定な若きエラリー・クイーン君。無頓着に一人前ぶっているが
位置関係として余興する機会を与えられただけ(笑)。さてそんなこんなでクリスマスから新年にかけてのパーティー。まず現れた虚構現実と
してのサンタクロース(笑)(変な表現だな。(笑))。そしてどのように展開させるべきか?一同の思考を支配下に置く判じ物。疑心暗鬼を
誘発させる詩的(私的)プレゼント。その不気味に慎重に準備されたものにどう取り組めば?
続いて、あるべき存在理由を持たない死体(これも。。)。また部分的な要素に還元されながら、延々と・・・・延々と・・・・組み立てられる
玩具の生成過程は一体全体・・・・果たして・・・・理由付けが・・・・侘びしくも・・・・何々と・・・・ね
またこの間に、それ本来の役割、重要な役割を負っている規則性としての一個に見られるいささかの変形・・・・、しかし懸命なエラリー君には
全然醒めた情勢に過ぎない・・・・否・・・・その思索、解体、ますます難しい劇的な錯覚。。
事件の全貌が明かされるのは更に四分の一世紀以上も経った27年後、1957年・・・・
置かれていた。終焉(終演)に向かう過程に置いて状況は保持されて・・・・一端を担った当事者の補助的親愛の情から古い記憶は
呼び覚まされる と、じゃいつもの この事件のヒントはAndrew Birdの「Imitosis」のビデオの中にあるよ!
さて総じて、どっかしら総括的な、再現するためとしての謎の多さに対する共通認識が持てて、まあ何より、空虚な余韻、それ自体がこの上ない
魅力そのものだという、たいてい〜するものだという、そんな本格ミステリを如実に物語る犯人がいいわな(笑)。
しかしやはり全体の傾向として名残とどめてふけっているんだと、権限委譲できないが故の空中分解なんだと、そういう極端な反感情。
それは文字通りの浮かび上がる過程。ただ波を識別して同じ機能を担わせて意図的に転位させたわけじゃないだろうけど(結局貪欲なアイデア力
で)、ある種の権謀術数の揺り戻しとしてこれに対する手だてを講じてしまっているのがあの次作ともいえるわけだね。
時代の流れはより精神的に専心・特化していくわけだから。そこに裏方的なものが入ってきたとき雑音を排斥しながら無感覚に縁取り始める。
60年代前半からのそれ、つまりこれは現実的な意味合いとして、平衡としての同じ立場という意義を演出するんだね、かるがゆえに、
スタンドプレー本位の顕示は取り囲まれて隔離。しかしあえて厳然たる区別として並列させたときに、表現的な意味合いとしては他を
寄せつけない独創性という面があって、基調としては80年代中盤まであったもの。
それからはわかりやすくて、現実的な意味合いとしては意図的な足場へと・・・・ 0からの関係性
本当の意味で地に足がついた状態で垣根を副次的なものへと(中流幻想的庇護下の刷新)。で表現的なそれは?
まさに無軌道な斬新さ、新たに出発する可能性。だからこれは、荒木飛呂彦のジョジョの奇妙な冒険においてのあの配される具現化といえば
わかりやすい(笑)。特に対立関係としての問題意識、その根底にある規定形態を新たに解釈し直した第四部が ダイヤモンドは砕けない。
なにをもっての 強さの変質。良いも悪いも含めて、あくまで日常の町に潜む愛すべきゲテモノ掃除(笑)。
なんか久しぶりに読むとあんまりいい奴すぎて泣けてくるという(笑)、東方仗助。変な話だけどある意味日本人らしい日本人なんだな(笑)
目指して整える個性が無個性に転覆する時に垣間見えるサディスティックさとか、福徳があるが故の倫理的方向感覚の麻痺とか、それでいて
基本的には一方的な態度をとらない、何よりの慈愛とね、そもそもの中心たる能力がもうそれなわけだし、修復。
こうした発想を地域における精神性とリンクさせた時、絶対に振り切れない修復、常に有形な再発見、常に始り続けることを余儀なくされる。
互いの関連性として有形における超一流のアレンジセンス。だのでそれこそ取って代わられた時、無形情報戦にね、日本はどうしても遅れを
とってしまう、要するに苦手なんだね(笑)。あんまきりがなくなるので(笑) 終わり
最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)Amazon書評・レビュー:最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)より
4150701148
No.1:
(5pt)

クイーンは何故か50代でもNYに・・・

1905年。ある裕福な出版社社長は、自らが運転する車の事故で産気付いた妻を近くの医院に運び込む。しかし、妻は双子の男の子を産んで死に、社長は、2人目の子供が妻を殺したのだと忌み嫌い、その子を医師夫婦に与え、1人目だけを連れ帰る。そして本人もほどなく事故の後遺症で死んだ。
その25年後。
若き推理小説作家エラリー・クイーンは、クリスマス休暇に旧友の別荘に招かれる。
その旧友こそ、25年前に生まれた双子の兄の方だった。十二夜を過ごすために集まった客は12人。しかも全員が異なる星座に生まれ、12の星座が揃っている。そして、旧友に奇妙な贈り物が届き始め、ある日、別荘に、誰も会ったことのない人物の死体が・・・。贈り物も12個届くのか?
あらゆる手掛かりが、医師夫婦に預けられた後間もなく病死したはずの双子の弟を指し示す。まさか彼は生きているのか?
全ての謎が解けたのは、何とそれから30年近く後のことだった。今や50歳を過ぎたエラリーは、ひとり犯人の許を訪れる。「最後の一撃」というタイトルの意味も、そこで明かされる。
・・・それにしても、オチがすごい。意外にこれは禁じ手かも。
ところで、エラリーは、デビュー作『ローマ帽子の謎』では、「今は探偵を引退してイタリアで妻子とともに悠悠自適」とあったのに、何故ずっとNYにいるのだろうか
最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)Amazon書評・レビュー:最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)より
4150701148



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