ガラスの村



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初公開日(参考)1960年01月
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長編小説

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ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)

1976年08月01日 ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)

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ガラスの村の総合評価:7.13/10点レビュー 8件。Cランク


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(7pt)

当時のアメリカの世相を色濃く反映した作品

エラリイ・クイーンといえば、名探偵エラリイ・クイーンにドルリー・レーンのシリーズが思い浮かび、それ以外の作品はないかと思っていたが、本作は数少ない彼のノンシリーズ作品。<シンの辻>と呼ばれるニュー・イングランドの過疎化が進む村で起きた事件を扱った作品だ。

ここで起きるのはこの寒村でアメリカの財産とも云われるほどの画家となった村の誇りとも云える老婦人ファニー・アダムスが何者かによって殺されるという事件。そして折りしもポーランドからアメリカに避難してきたジョゼフ・コワルチックなる男がその近くを通っていたことから、村人たちは彼を犯人とみなし、即私刑を下そうといきり立つ。
これほどまでに村が一致団結して異邦人を断罪しようとするのは、その昔、イタリアからの移民で流れてきたジョー・ゴンゾリが村の指導者ヒューブ・ヒーマスの弟レイバンの想い人を寝取ったことでいきり立ったレイバンがジョーを殺そうとし、返り討ちにあって死んでしまうという事件があったからだ。しかし裁判はジョーの行為を正当防衛とみなし、無罪放免となったという忌まわしい事件があった。それ故に今回の事件こそ司法の手に委ねず、自分達の法に則って始末したいという思いが強かった。

人口たった36人の閉鎖されたコミュニティで起きる殺人事件はいわば村の誰もが家族のような者だから、近所同士の結びつきが強い。つまり村民一人一人が家族のようなものだ。
そんな中で起きた殺人事件。しかも殺されたのはおらが村の有名人で古株で誰もが慕う老婦人だから、村人達は狂気にも似た思いで容疑者を断罪せんと裁判に臨む。

一方容疑者コワルチックを守ろうとするのは<シンの辻>の由来となったシン一族のルイス・シン判事と彼の従弟ジョニー・シンの2人。特に戦争から帰還し、軍隊を去った判事の従弟ジョニーは原子爆弾の落とされた広島の惨状を目にし、人生の意味を見出せぬまま、無職の日々をすごし、判事に付き添う。戦争から帰っても普通の生活になかなか戻れなく、放蕩生活を続けるしかない彼の心情は戦争の暗い翳を感じる。

生きる意味を見出せないジョニーと一人の死に固執し、敵討ちに意気込む閉鎖されたコミュニティの連中。この対比がジョニーにある決意を生む。

この閉鎖された社会での事件というテーマを考えるとどうしてもライツヴィルシリーズが思い浮かんでならない。特にスキャンダラスな事件が起きることで村中の人間が一人の人間に怒りの眼差しを向ける展開は、『災厄の町』を思い起こさせる。本作はライツヴィルシリーズで遣り残したことにチャレンジした一冊とも取れる。

クイーン作品にしては珍しくほとんどが法廷シーンで繰り広げられる。しかし内容は村人が総出で参加する私的裁判であるから、実は無効裁判なのだ。
そんな茶番劇であっても判事や弁護士、検察は手を緩めず、真実を追及していく。村人はいつでも容疑者を有罪にして死刑にせんと息巻いている。

法廷シーンばかりであっても、きちんとロジックで容疑者の無実を判明するところがさすがはクイーンである。

特に超写実主義といえる被害者ファニー・アダムスの絵を巡って推理が繰り広げられ、真実が明るみに出るあたりはもう見事の一言だ。実に上手い小道具だ。

従ってなぜ本書にクイーンが出てこないのかが不思議だ。ジョニーの役はクイーンに置き換えても違和感はなかっただろう。なぜこの作品の主人公がエラリイ・クイーンでなく、元軍人のジョニーなのか。
それは作中でも書かれている戦争による大量虐殺の悲劇とそれがもたらすミステリの存在価値を今一度問うために、戦争を経験した者に敢えて一人の個人の死の真相を探らせることが必要だったではないかと個人的に思う。

ここで思い起こさせられるのはやはり笠井潔氏の『大量死と密室』論だ。以前戦争による無名の人間が大量に殺されることの無意味さ、虚しさについてクイーンは『帝王死す』でも明確にメッセージを打ち出していた。
やはりクイーンはあの作品だけでは足らず、戦争経験者を主人公にすることでさらに深く描こうとしたのではないか。広島の原爆の惨状までもが言及されるのには驚いた。

しかしかつて警察捜査のノウハウすら知らないことが作中でも散見されたクイーンだが、本書では証拠品の保護や現場保存について田舎警官を強く追及するシーンを読んだ時は、第1作目の国名シリーズを読んだときと隔世の感を覚えた。
あれだけ無頓着に現場に立ち入り、指紋付着に配慮せず、勝手に遺留品に触り、時には持ち帰って警察に内緒にするという、およそ警官の捜査を扱った作品とは考えられないほどの非現実さを感じたものだが、本書ではそういう行為をきちんと罰しているところが凄い。やはりハリウッドや探偵クラブなどの交流で警察捜査の知識を蓄えていったのではないだろうか。

閉鎖された空間での魔女裁判を描いた本書。題名が示すとおり、一枚岩と思えた村人たちの団結は実はガラスのように脆いものだった。
地味な作品だが、本書に込められたテーマは案外重い。作者クイーンの犯罪とそれに関与する人間たちの謎への探究は今後も続いていく。


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No.7:
(5pt)

アメリカへの失望と希望

エラリイ・クイーンが登場しないエラリイ・クイーンの小説、というのを初めて読んだ。最初はどうかなと思っていたが、予想外に面白かった。

閉鎖的な村で殺人事件が起こり、あらゆる状況証拠が外部から来た浮浪者に不利な中で、村人が一致団結する様子には、得もいわれぬ怖さがある。このまま放っておくとリンチにされるところを、登場人物の判事の機転で急ごしらえの村内裁判が開かれ、やがて…。
と、ストーリーを紹介しても仕方ないけれど、クイーンの小説の中では最も文学的な雰囲気のある作品だと感じた。いくつか印象に残ったくだりやセリフを挙げてみよう。

●「変わるということは悪いことじゃありません。でも結局、良いものはちゃんと生き残ります――つまり値打のあるものはね」(P42)

●「記憶というものは、あらゆる苦痛のなかで一ばん辛(つら)い苦しみです」(P104~105)

●人間というものは、たとえ民主主義のもとにおいても、暴民に堕落する傾向が多分にある。(P141)

●「彼らはたしかに間違っている。だが彼らは信念をもって、なすべきだと思うことをやっているのだ。しかしなにが正しいかを知りながらそれを守り続けないとすれば――そういう人間は失われた人間ですぞ」(P285)

●「貧しいものだけが与えることのぜいたくさを知るといったのはだれでしたかな?」(P308)

本書は、マッカーシズムが吹き荒れ、公民権運動の機運が高まっていた1950年代に書かれている。アメリカという国に不信感を覚えながらも、それでもクイーンはアメリカを信じていたのだと思う。だからこそ本書のラストシーンには、希望がある。
差別や偏見によって分断が進む今のアメリカも、似たような状況にあるのではないか。クイーンが現代に生きていたら、どんな小説を書くだろうと想像する。やっぱり、法治国家や民主主義には健全な自浄作用があることを期待せずにはいられないのではあるまいか。
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)Amazon書評・レビュー:ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)より
4150701083
No.6:
(3pt)

閉鎖的な村・・・

とても雰囲気のあるストーリー展開で、昔のアメリカの片田舎の小さな村で、村の主要人物の老婆が殺害される。 とてもその当時の閉鎖的な、「よそ者」は信用せず、受け入れようとは決してしない。 村人は皆、頑なで一方的に「よそ者」を犯人と決め付け、(ほぼ)村人だけによる裁判をしようとする。 そこから探偵エラリーは今回は登場しないが、いつものエラリーにとって代わる役を「よそ者」の1人のジョニーが謎解きをしていく。 この作品は、この小さな村の人々の背景や、村の情景など目に浮かんできた。 ☆3にしたが、気持ち的には☆3.8くらいです。
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)Amazon書評・レビュー:ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)より
4150701083
No.5:
(4pt)

作家クイーンが、狂気ともいえる時代の中で、市民的自由の尊厳を訴えた作品

最初に読んだのは20代後半。当然ながら、本作の成り立ちというか、クイーンの意図も知っていたはずだが、当時は、単に“読んだ”だけだった。四半世紀ぶりに再読したのだが、当時読み落としていた部分に改めて気付かされた。

まず、ミステリとしての評価だが、それほどの作品ではない。クイーンの作品の全てを読んでいるわけではないが、代表作として挙げられる『Yの悲劇』や『ギリシア棺の謎』はおろか、国名シリーズのなかでも評判のよくない『アメリカ銃の謎』と比べても、見劣りする。探偵エラリー・クイーンが出てこないことも、その要因だが、全体に低調である。

ただ、訳者が「あとがき」で書いているが、本書に関してはクイーンの狙いは「別のところ」にある。
それを端的に表しているのは、主人公のシン判事が独立記念日に村の人々に話すスピーチだ(54〜57ページ)。それは当時アメリカ合衆国に吹き荒れていたマッカーシズムへの批判、市民的自由に対する攻撃への批判、もっと言えばアメリカ憲法の精神をないがしろにすることへの批判である。独立記念日という設定は、それと無縁ではあるまい。そして、このスピーチを聞いたばかりといっていい村人たちの変貌、要するに、リーダーの勇ましい発言に引きずられ、簡単に理性を失っていく姿も、クイーンが描きたかったものだろう。

原著では、どうなっているのか分からないが、11ページに「るつぼ」という言葉が出てくる。原著刊行(1954年)の前年、アーサー・ミラーが魔女狩りを題材にした『るつぼ』という作品を発表している。この作品も、マッカーシズム批判であることを考えると、この言葉を意図的に使ったような気がするが、どうなのだろうか。
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)Amazon書評・レビュー:ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)より
4150701083
No.4:
(1pt)

未読

正直、購入するまで気付きませんでした。エラリークイーンの事件簿では無いことに
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)Amazon書評・レビュー:ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)より
4150701083
No.3:
(4pt)

つまり民主主義のペルソナに偲び込んでみる単なるattribute

しかしそれでもなお彼らすべてがこの中にいるのも事実なんだね

1954年作。エラリーは出てこないだ そんな条件付けからの解放によって肌合いは違うようでやっぱりこの抑圧的非常識さともいえる知性は...
さて舞台はニューイングランドの北部、〈シンの辻〉と呼ばれる人口三十六人の寒村。独立記念日の翌日、産業も衰退したここを経済的に支えて
くれてもいた村の唯一の誇りといえる老女流画家が無惨にも殺された。その時たまたまここを通りかかっていた他国者の浮浪者なんかがいて、
まあ村における生理作用として犯人はすぐに断定され捕まったわけだけど、どぎつく差し迫ってくるこの画面! なんだかリンチめいて、、
極度の感情表出による野蛮な不協和音を奏で始める。。レオ・フランクもびっくりです
しかしこれには理由があって、過去のある事件に起因してるんだね。そんな喪失に対する恐怖が架空の敵と戦うかのような形で常に表面下に
存在していたんだ。よって映し出される失意ではあるんだが、いくらなんでも非常に不穏なことになりだして、
あくまで自分達で取り扱って裁判もするんだと、干渉は許さぬと息巻いて、司直には委ねないわ州警察の介入には武装でもってこれを
拒んでみる一触即発(笑) P2Pで無限責任組合員
さてそんなことなので出番です 唯一外部との接点が強い州裁判所の老判事。このフレーム問題を解決する為にわざと定義を循環的にしてみる。
こそこそと這いまわるバグにはバグでもって対応するという知恵、連帯に対する共鳴の反映にしてそれを発展的に解消するが為の行動、
故に設けられる存続を決議する場、この順番で必須......... 統率 処理 このじいさんがすごいの(笑)。
結果として招聘しながらvaporwareなわけだけど(笑)。枯れた技術の水平思考的に逆説的な優しい終身の独裁者というわけさ
んで相棒は投げ遣りなフェロー(笑) 訪ねてきていた従弟の元少佐なんだけど、人生に意義が見いだせなくなってしまったんだ。 
第二次大戦と朝鮮戦争、二度の戦争経験で大量の死を目の当たりにしたことにより虚無的になっている男。それが一人の人間の尊厳に直面した
ときにどうその冷めた目による観察から心が動いて目標を定めてゆけるのか と、こういうことだわな
謎解き的には現場状況の着眼点は たき木 だわな。これさえあれば・・・・・しかし消えて紛失してるんだから平沢貞通もびっくりです。
あとあれだな、この状況の設定の一部がアーサー・コナン・ドイルが擁護した冤罪事件を思い起こさせるところがあったりもする。
あれも動機的にはあれが真犯人だと目されていたわけだし、まああれだけど(笑)。
まあそれはいいとしてまとめれば、生と死、磔(貼り付け)、プログラムされたあがない主、と、やはり結果的ではなく第三者視点の手続き的
埋め込みとしての過程でアルゴリズムを禁欲的かつ温もりをもって改良しているのかもしれないなあ。
解けるかな?ヒントはHurtsの「Wonderful Life」の歌詞及びビデオの中にあるよ!never give upと
ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)Amazon書評・レビュー:ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)より
4150701083



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