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自己紹介
読むのはミステリが主体ですが、感想系サイトに色々書いてます。内容はあまり変わりませんが、字数制限で書き方を変えているのでもしよければお目汚しになって申し訳ありませんが、感想読んでみて下さい。
ミステリが好きになったきっかけ
小学校の図書館にあったポプラ社の江戸川乱歩全集が一番最初のきっかけ。その後ロードス島戦記をきっかけにファンタジー系ラノベに移り、星新一に没頭し、ミステリからは離れてましたが、大学の時に友達が貸してくれた島田荘司の『占星術殺人事件』でミステリ熱が再燃し、今に至ってます。
好きな作品の傾向
本格物、ハードボイルド、キャラクター物など、あまりジャンルを限定せずに読んでます。最近は海外物の比重が大きくなってます。
オススメしたい作家や小説
原初体験になりますが島田荘司の御手洗潔シリーズは『占星術殺人事件』、『斜め屋敷の犯罪』、『御手洗潔の挨拶』、『異邦の騎士』までを読んだ人とは友達になりたい^^海外物ではローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズなど。これからの読書でこの欄の内容は変わるでしょうね。

レビュー数
1,436
最近のレビュー
9pt

オールディーズが似合う物語

  () 【ネタバレあり】

これはなんと評したらいいのだろう。読書中、常にそのことが頭を過ぎった。上下巻併せて1,120ページ強の本書はこれまでの作品と異なり、上下巻それぞれで主人公が異なり、また物語のテイストそのものも異なる構成となっている。上巻は1960年のコネチカット州のハーウィッチを舞台にした母子家庭であるボビーとリズのガーフィールド親子のアパートにテッド・ブローティガンという老人が引っ越してきて息子とこの老人との交流と別れの物語が描かれる。実はこの老人はある特殊な能力を持った人物で追手から逃れてハーウィッチにやってきたのだが、その追手に見つかって連れ去られ、その後のボビーの成長とその後老人が追手の許から再び脱出したことが判るまでが語られる。それまでが上巻で下巻はそのボビーを主人公に据えた物語が始まるかと思えば、一転して1966年のメイン州立大学を舞台に語り手もそこの学生ピート・ライリーへバトンタッチして別の物語が始まるのだ。更に物語は1983年のコネチカット州に移る。そこではビル・シーアマンという謎めいた男の物語が始まる。この男は実は上巻に登場するのだが、それはまた後で触れよう。読み終えて思うのはこれはキャロル・ガーバーという実に魅力的な女性の半生記をだったということだ。それについては後に述べるとしてこの移ろいゆく物語についてそれぞれ述べよう。まず上巻のボビー・ガーフィールドとテッド・ブローティガンのパートはボビーの親友キャロル・ガーバーとサリージョンことジョン・サリヴァン、そしてボビーの母親リズがメインの登場人物だが、これは不当な暴力の物語と云えるだろう。とにかくクセの強い人物たちが登場し、肉体的にも精神的にも痛々しいシーンが描かれる。このパートで一番クセが強いのはリズ・ガーフィールド。主人公ボビー・ガーフィールドの母親だ。彼女は最初は夫の突然死で遺された一人息子の世話と借金の返済のために夫が勤めていた不動産会社に事務員として、ある時は苦汁を飲む決断をしながら必死に生きているシングルマザー像のように見えるが、物語が進むうちに家を支配する高圧的な守銭奴であることが判ってくる。彼女の口癖「人生は不公平なものよ」はいわば息子にあらゆる希望を、要望を最終的に諦めさせる呪詛のような言葉として響いてくる。上巻は何とも痛ましい物語なのだ。下巻は打って変わってメイン州立大学の学生寮を舞台に学生のピート・ライリーが語り手とした学生生活を描いた物語が始まる。これはまさに学園物とも云うべき物語だが、メインとなるのはハーツというトランプゲームに興じ、次第にそれにのめり込んで学業が疎かになっていく大学生の物語だ。語り手のピート・ライリーもまたその虜になった1人でしかも寄宿舎内でもトップクラスの腕を誇るのだから、なかなかその沼から抜け出せない。なんと物語が始まって280ページを費やしてようやくハーツの魔力から逃れる始末だ。この魔術的な魅力を持ったハーツとの別れまでに語られるのは寄宿舎に同居する同級生の面々とのエピソードと激化するベトナム戦争への抗議運動の芽吹き、そしてキャロル・ガーバーとの恋愛である。キングの描く登場人物像は実に個性的で一読忘れがたいのが特徴だが、このメイン州立大学のピート・ライリーの同僚たちもまた同様だ。つまりはこの章もいわばそれぞれがそれぞれの事情や理由で人生を変えた物語だ。この章では青年期の終わりを描き、そして社会という荒波に立ち向かう予感と断片的にではあるが、荒波を生き抜いた末路が描かれて閉じられる。そして次に始まるのは1993年のニューヨークに住むビル・シーアマンという謎のサラリーマンの一日を綴った話だ。そう彼はビリー・ガーフィールドの章に出てきたセント・ゲイブリエル校の生徒でキャロルに暴行を加えた3人のうちの1人でその後ボビーの愛用のサイン入りのアルヴィン・ダーク・モデルのグローブを盗んだウィリー・シーアマンだ。これはウィリー・シーアマンの贖罪の物語である。そしてまた時は流れ1999年のコネチカット州。語り手はジョン・サリヴァン。ビリーとキャロルの親友の1人。そしてこの章はジョン・サリヴァンの回顧録のような話である。これらそれぞれの時代と場所、そして各章のメインの登場人物に共通する存在がヒロインのキャロル・ガーバー。前半の主人公ボビー・ガーフィールドに惚れ、自分からガールフレンドになることを申し出て、小学生の非常にピュアな付き合いが始まる。これは在りし日の喪失と再生の物語だ。かつて思いのまま生き、何でも話せる仲間がおり、お互いが打算や駆け引きなどせずに時間を共有していた純粋無垢な黄金時代が誰しもあったことだろう。本書はそんな眩しい日々が人生が長じるにつれて失われていく哀しみを、心の痛みをそれぞれの立場と人生の道程で語った物語だ。そしてその輝かしい日々を失ったそれぞれの人生が転落しているのが何とも痛ましい。従って本書は年を重ねれば重なるだけ、胸に痛切に迫るものを感じるだろう。読者もまた同じように人生を重ね、本書に書かれたボビー・ガーフィールドやピート・ライリー、ウィリー・シーアマン、そしてジョン・サリヴァンの思い出に自らのそれを重ねて甘くて苦い思いを抱くに違いない。少なくとも私はそうだった。『アトランティスのこころ』という一風変わった不思議な題名の本書ではしかし、アトランティスが登場するわけではない。しかし私はアトランティスはいわば象徴なのだと捉えた。それは“失われた大陸”もしくは“失われた楽園”を意味する。原題が示すように、アトランティスに置いていった心、すなわちもう戻れないあの頃の思い出を指す。本書を読みながら自分も色んな思い出が蘇った。私は惚れやすく、クラス替えがあるたびに好きな女の子が変わっていった。しかし当時恥ずかしがり屋で奥手の私はその誰にも告白はできなかった。唯一友人に騙され、好きな女の子の名前を云った時に、自分が風邪で休んだ時にクラス中にそのことがバラされたことがあり、その子が凄い剣幕で迷惑だと云わんばかりに私に詰め寄ったことがあった。社会人になって女性の飲み友達が出来て、その娘が会社の後輩を好きになったから付き合えるよう手伝ってほしいと頼まれたので、そうしていたらいつの間にか自分の方が彼女を好きになっていたこともあった。そんな色んなほろ苦い思い出が次々と蘇った読書だった。みんな私のキャロル・ガーバーだった。しかしキャロルと違い、その中の1人とてメディアに出るようなことは、今に至ってもない。だから近況は全然判らない。もし私のキャロルの1人に遭えたのなら、どんな顔をして私は対面するだろうか。どんな感じに話をするだろうか。ボビーやキャロルのようにお互い年を取ったよね、とそんな風に自然に話せたら、もうそれは恋の、そして思い出の終わりだろう。そんな日が来ることは叶わないだろうけど、どうかみんな元気でいてほしいと切に思う。何ともセンチメンタルな物語だな、これは。まいったよ、全く。しかし何とも美しい物語ではないか。この物語にはオールディーズが似合う。私の頭の中に最後に流れるあのメロディ、それはポール・アンカの“Diana”だった。これぞボビーの最後の想い。“Oh, please stand by me, Diana”

7pt

このシリーズでは珍しいカタルシス

  () 【ネタバレあり】

Gシリーズ5作目。これまで煮え切らない真相にもやもやしていた読後感をこのシリーズでは抱いていたが、今回初めてミステリとしての謎解きがストンと腑に落ち、カタルシスを感じることが出来た。T建設という建設会社の研究所内で密室状況の中、4人の射殺死体が発見される。その身元はいずれも研究所の人間ではなく、いずれも50代以上の年配者でしかも全員歯が抜かれ、ポケットには「λに歯がない」と謎めいたメッセージが書かれたカードが入っていた。本書の事件は上のたった3行で纏められるシンプルな物。しかしこれまでのGシリーズではこのギリシャ文字が含まれた奇妙なメッセージについてはこれと云った解釈がなされず、謎を謎のままとして放置され、さらに奇妙な事件の真相も全てが解かれずに、時には犯人さえも明かされずに物語が閉じられるという暴挙とも云える終わり方がなされていた。しかし今回はこの被害者全員の歯が抜かれていた奇妙な状況と「λに歯がない」という奇妙な言葉にも明快な答えが―物語ではそれも一応は想像の範疇に過ぎないとされてはいるが―示されるのだ。しかもそれらは思わずハッとさせられる本格ミステリが持つ独特のカタルシスを伴って提供されるのだ。その事件の真相に気付くまでに西之園萌絵と犀川は事件について語るうちに死について語るがこれがまた興味深い内容だった。それは次のような内容だ。例えばもっと生きたいと願って治療を続ける人ともう生きたくないと自殺を選ぶ人の理由のレベルは同じで、なぜなら自然の摂理に逆らおうとする行為をどちらも選択しているからだ。しかしそれでも死はその時点で終わりであるのに対し、生きようと抗うのは継続するという意味で上位である。そして人間誰しも生きたいと願っているわけではなく、死を選ぶ者もいれば人を殺したいと思う人もいる。そして生きている人は自殺を保留している人だとも。人はいつでも死を選ぶことが出来るからだ。長生きは選択肢ではあるが必ずしも叶うわけではない。そしてここから犀川は真賀田四季は我々凡人のように死を選ぶ自由という発想から永遠の生を選ぶという発想、つまり死んだ人間をもう一度生かすという発想をするだろうという考えに至る。そして事件について問答を繰り返すのはもちろん犀川だけではなく、このシリーズの中心登場人物であるC大学の面々も同じだが、彼らもずいぶんキャラクターが形になってきたように感じた。山吹は初登場時からそのあくまで中立的で何事も受け入れる性格は変わっていないものの、海月及介は必要なこと以外喋らない性格でほとんど無表情で仕草もそれと解る必要最小限の動きしかしない、省エネ人間であったが、巻を重ねるごとに次第に饒舌になってきた。そしてやはり彼はポスト犀川とも云うべき頭脳の冴えを見せ、最後の真相解明に一役買う―まあ、それも彼の推理の範疇に過ぎないと控えめに云うのだが―。それを犀川もまた同様に解き明かしていた、しかも少しだけ肉付けしてといったスタイルが確立しつつある。そしてヒロインの加部谷恵美は次第に煩わしくなってきた。一人テンションが高く、注目を浴びたいがために突拍子もない推理を開陳して逆に周囲を撹乱する自己顕示欲の強さが巻を重ねることに大きくなってきた。山吹や海月の両男子が自分に関心があると思い込んでこれ見よがしにほほ笑んで見せてその理由をガン無視されたのに、微笑んだ理由をなぜ訊かないのかと自分に関心を持つように強要する、TVのヴァラエティショーに出てくる2流芸人のような振舞いが多くなった。私はこれまでのシリーズで一番キャラクタが好きなのはVシリーズなのだが、その好感度には程遠いといった印象だ。そしてこのGシリーズでは先に述べた真賀田四季の影が常に事件の裏側に見え隠れしているが、本書では逆に今回の事件が四季が関わったものではないと各務亜樹良と思しき女性が登場し、赤柳と話す。そしてその際、なぜ警察が真賀田四季を捕らえることが出来ないのかについて彼女はこちらは分散型で事件を防ぐ側は集中型だからだと説く。つまり1つのチームとして動いている警察はそれぞれのチームがやるべきことを把握して独立して動いている真賀田四季側が複層的に起こす事件の対処に叶うはずがないと。しかしこれはやはり真賀田四季という圧倒的なカリスマがいるからこそ成り立つのだろう。自由度をそれぞれのチームに持たせながらも決してベクトルを逸脱することなく、また妙な野心を持って下剋上を成し遂げようとすら思えないほどの圧倒的な天才性を放つ彼女だからこその分散型組織ではないか。そして今回最も不可解な謎だったのがセキュリティシステムで出入りを管理されていた研究棟に入った方法なのだが、これも実に鮮やかに解き明かされる。いやあ、これはもう建築を専門にしているからこその密室事件であり、一連の謎解きには建築に携わっている人には実に堪らない真相だった。正直これまでのシリーズで一番面白いと感じた。これくらいのミステリが私には性に合っているようだ。

4pt

社会を批判しながらも批判的な行動を取る主人公は批判されるべき

  () 【ネタバレあり】

久々の薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズである。そしてシリーズも10作目を数えることとなった。1996年から始まったこのシリーズだが、薬師寺涼子の年齢はまだ27歳である。現在ではシリーズキャラクターは物語を追うごとに歳をとっていく傾向にあるが、薬師寺涼子は昔のマンガなどにみられるように、永遠に年を取らない設定のようだ。それは薬師寺涼子が世の常識を超越した、天下無敵でありながらも絶世の美女であるという理想を絵に描いたようなキャラクターであるからだろう。偶像は永遠の存在でなければならないというわけだ。さてそんな“永遠の天上天下唯我独尊的超絶美女警視”の薬師寺涼子一行が今回訪れたのは小笠原諸島の聟島から200キロ離れた無人島サメ島だ。そこにあるかつて郵政省が100億円以上かけて建設したものの経営破綻し、それを薬師寺涼子の父親の警備会社JACESのライバル会社NPPがたった500万円で買い取って30億円かけて追加投資して再建したリゾート施設である。薬師寺涼子と部下の泉田準一郎、そしてベテラン刑事の丸岡警部に阿部真理夫巡査と貝原さとみ巡査の5人がそこに訪れたのは10年前に起きた田園調布一家殺人事件の犯人がこの島にいるという匿名の手紙が届いたことによる。上司の刑事部長は厄介払いとばかりに薬師寺涼子とその部下たちにサメ島に赴いて事件の捜査を行うよう指示したのだった。しかしこのシリーズはそんな大真面目な過去の事件の捜査がメインではなく、怪奇事件簿の名がサブタイトルについているように、人知を超えた怪物との戦いがメインである。さてこの怪物のファーストインパクトは再建したリゾート施設のオープン前のお披露目会としてこの島に訪れた取り巻き連中と共に到着した防災担当国務大臣兼消費者問題担当国務大臣兼国家公安委員長の天神原アザミ議員たちが乗ってきた飛行艇が突如海中から飛び出した巨大な水の槍で破壊されるシーンだ。そしてこの議員の取り巻き連中の中に警護の仕事を仰せつかったライバル室町由紀子とその部下の岸本が加わり、またもやレギュラーキャストが揃うのである。そして天神原アザミ議員を救出すべく海上保安庁と海上自衛隊がこぞってサメ島に到着する。しかし彼らは議員を乗せて東京へ帰ろうとするが乗ってきた巡視船、オスプレイがまたもや水の槍によって破壊されて彼らもまた帰れなくなるのだ。今回の敵はほとんど無敵の存在だが薬師寺涼子は例によって例の如く、動じず、減らず口を叩きながら敵と立ち向かう…と云いたいところだが、今回どうも彼女の動きはそれほど活発ではない。というのも天神原アザミを救出に来た海保と海自、特に海自を率いて上陸してきた西原二等海佐は威圧的で明らさまに敵対心を露わにし、薬師寺涼子たちに行動制限を強いる。もちろん涼子はそんなことは聞く耳を持たないのだが、今までと異なり積極的に動くまでもなく、寧ろ海自と海保が未知なる生物―便宜上、海王星人としよう―との戦いでどんどん隊員を減らしていくのを傍観しているようなのだ。従ってどうも今までの物語に比べて間延びした感が否めない。350ページ強あるのだが、幕間を帰れないと騒ぐ天神原アザミとその仲間たちの愚痴のオンパレードとその会話の中で登場するエピソードの蘊蓄がところどころ挟まれる、そんな動きのない展開なのだ。そしてようやく涼子が怪生物退治に乗り出すのが200ページを過ぎてから。その後も雇ったトムとハックの裏切りに遭ったり、海底火山が島のすぐそばで起きたりとそれなりにスペクタクルはあるものの、それほど盛り上がりを感じない。これは単なる手抜きか田中氏なりの仄めかしか、いやそれとも校閲の段階で待ったがかかったのか解らないが、なんとも歯切れの悪さを感じた。さてこのシリーズが今なお作者が書いているのはどういった理由からだろうか?アルスラーン戦記や創竜伝などの大河小説とは異なり、本書は基本的に1話完結ものであるが、なぜか思い出したかのように刊行され続けている。私はそれは作者が日本の抱える色んな社会問題にメスを入れて喧伝するためだと思う。薬師寺涼子という傍若無人、天上天下唯我独尊の絶対的美女という最強毒舌キャラクターの口を借りてそれらの批判を思う存分に声高に行うためであると思うのだ。本書でも様々な日本社会の歪みや政治批判が書かれている。例えば原子力産業界の抱える闇の深さだったり―反抗すれば粛清を受ける可能性が知事であってもあり得ること、非核三原則に従う日本は持たず、つくらず、持ち込ませずといった3つの宣言がありながらも「使わず」の文言がないため、核兵器を使用できる状況にあること。興味深かったのはなぜ日本の6月には祝日がないかという疑問だ。これについてウェブで調べてみたが、薬師寺涼子が云うほどの不気味な理由が見つからなかった。一体これはどういった理由なのだろうか。また日本政府への批判に留まらず、海外、特にアメリカの批判も入れられている。1593年に小笠原貞頼が小笠原諸島を発見し、そのことを日本政府が1876年に主張したことで本来なら日本の物になるはずなのに1968年までアメリカ軍の占領下にあったこと、更にそのアメリカ軍の全兵士の75%が貧困層の出身者、つまり就職先がないために兵士になった連中が多いこと、など。まあこのような国内外のあらゆる社会の歪みに対する不平不満が溜まった時にそれらをぶちまけるためにこのシリーズはあると云っていいだろう。さて本来の薬師寺涼子たちの出張の目的である田園調布一家殺人事件の犯人捜しの真相は、なんとも脱力系だが、この手はもう二度と使ってほしくない。つまりこのような猟奇殺人の犯人が捕まっていないという痛切な事実を空出張のネタに利用するのが正論と圧倒的な財力を持って社会の矛盾と悪徳政治家や権力者に立ち向かう最強ヒロインのやるべきことではないし、それは断固として認めるべきではないからだ。ここにきて何となくだが、薬師寺涼子の存在意義自体が揺らいできたようにも思える。海自の本来の目的をぼやかしたことと云い、手放しに涼子の傍若無人ぶりを愉しめなくなってきた。やはり田中氏も衰えてきたということだろうか。もしくは私の方が年を取り、頭が固くなってしまったということだろうか。いずれにせよ、本シリーズも田中氏の終活の一環としてそろそろ幕引きすべきではなかろうかと思うのは私だけではあるまい。

7pt

二重スパイに対する作者の率直な激情

  () 【ネタバレあり】

『寒い国から帰ってきたスパイ』で一躍ベストセラー作家になり、そして彼のスパイ作家としての地位を盤石の物とした“スマイリー三部作”の第1作が本書。ソ連が英国情報部通称“サーカス”に潜入させたジェラルドと呼ばれる二重スパイを探し出すためにスマイリーは一度引退した英国情報部の調査に乗り出す。そう、これは有名なキム・フィルビー事件を題材にした作品である。イギリス秘密情報部(MI6)で長官候補にも挙げられる上位職員でありながら「ケンブリッジ・ファイヴ」と呼ばれるソ連がイギリス上流階級出身者で形成したスパイ網の中の1人だ。本書発表当時の1974年ではル・カレはまだ自身が英国情報部の元職員であったことを否定していたが、今回の新訳版は訳の刷新だけでなく、ル・カレが1991年に書いた序文が付せられており、当時の創作の裏話や彼の英国情報部員時代のことが書かれている。その中には題材にしたキム・フィルビーやKGBのスパイ、ジョージ・ブレイクのことを語っているが、ル・カレ自身はキム・フィルビーに会ったことがないまでも、彼はブレイクには異様に共感したものの、フィルビーに関しては自分に似すぎているため、嫌悪感を覚えたという。彼はフィルビーに別の自分を見出したようだった。またこの序文には今では普通に使われるようになった諜報世界での隠語の数々が当時はまだ浸透していなく、長期に潜伏するスパイ、スリーパーなどのことをもぐらと呼ぶがこれもまた本書が最初だったとのこと。そして彼が創作したスパイの隠語は点灯屋(ランプライター)、首狩り人(スカルプハンター)、子守(ベビーシッター)と数々あり、本書で初めて出てくるが、なんとその中にハニー・トラップがあるのを初めて知った。つまり今でこそ一般的にも使われるハニー・トラップはなんとル・カレによって生み出された隠語だったのだ。ちなみに本書では“色仕掛け(ハニー・トラップ)”と表記されている。そんな背景から考えると本書はいわばスパイ小説の文化を創った始まりの書と云っていいだろう。さてそんな伝説的作品で、かの有名なキム・フィルビー事件を題材にした本書の発端は次のようなものだ。かつての同僚ピーター・ギラムに呼び出されたジョージ・スマイリーは英国政府の情報機関監査役オリヴァー・レイコンの自宅に連れて行かれて、そこにいた元東南アジア担当のエージェント、リッキー・ターからソ連情報部の大物カーラが英国情報部、通称“サーカス”内にジェラルドという二重スパイを潜入させているという情報が寄せられる。しかもそのスパイはサーカス内でも上位の人間であるらしい。スマイリーはレイコンからこのジェラルドの正体を炙り出すよう依頼される。そこから物語の主軸は大きく分けて3つになる。1つはかつてジョージ・スマイリーの上司でもあり、サーカスのチーフでもあったコントロールの下で台頭してきた部下パーシー・アレリンがマーリンという情報屋を掴んで彼を通してソ連の諜報活動の情報を得る、通称「ウィッチクラフト作戦」にて出世の階段を一気に登っていったこと。2つ目は一方コントロールもまた彼がチェコスロヴァキアで計画していた大型作戦のために持っていた太いパイプ、通称“テスティファイ”と呼んでいたステヴチェクというチェコ砲兵隊の将官を得るが、逆に彼からサーカス内にソ連の二重スパイ、ジェラルドの存在を知らされ、彼もまたその情報を欲しがっているのが明らかになる。そしてコントロールはそれがサーカス内トップの5人だということまで絞り込んだ。その5人とはサーカスの後任チーフ、パーシー・アレリンを筆頭にサーカスのロンドン本部長となっているビル・ヘイドン、その補佐役であるロイ・ブランド、サーカスの首狩り人の責任者トビー・エスタヘイス、そして現役時代のジョージ・スマイリーだ。因みに奇妙な原題はこの5人をマザーグースの表現を借りて鍵掛け屋(ティンカー)(アレリン)、仕立て屋(テイラー)(ヘイドン)、兵隊(ソルジャー)(ブランド)と名付けたことから来ている。題名のスパイはマザーグースにはなく、作者による替え歌(?)だ。なおエスタヘイスは貧者(プアマン)、ジョージ・スマイリーは乞食(ベガーマン)と散々な役が割り当てられている。そして3つ目はスマイリーが過去の資料を当たり、当時の自身の記憶も手掛かりとして上の2つの大きな動きとアレリンとコントロールの対立を探り出し、容疑者を絞っていくパートだ。このように書くとシンプルな物語だと思うが、内容はかなり詳細で膨大な数の登場人物が現れ、しかも内容も色んな方向に飛んでいくため、なかなか頭に入りづらかった。ル・カレ作品は手強いと云われているが、それを初めて実感した。政府の情報機関監視役から直接ジェラルドの炙り出しを依頼されたスマイリーを取り巻く環境は以前と比べ、だいぶん変化している。例えば彼の上司であったコントロールは既に長患いの末、心臓麻痺で死出の旅に出ている。そしてスマイリーは相変わらず情報部時代の癖が抜けず、常に自分の生活圏に変化がないか、五感を研ぎ澄ませている。しかし二重スパイの炙り出しとはいえ、過去を調べることは自分自身の汚点とも云うべき忘れたい過去をも掘り返すことになるスマイリーは気の毒だ。なんせ幾度も既に別居中の美しい妻アンが元同僚のビル・ヘイドンと浮気していたことを知らされるのだから。しかも彼が二重スパイ、ジェラルドではないかと過去を洗い出していくうちに、そのことに纏わるチェコで起きたエージェントのジム・プリドーが背中から拳銃で撃たれるような問題が発生し、彼が遅れてそのニュースを知り、オフィスに来たのは自身の妻とビルが寝ていたからだと明らさまに云われる。いやはや何とも云いようがない。また作中でスマイリーが述べるように、彼ら情報部員は引退しても彼ら彼女らを狙う敵の目に常に脅かされる存在なのだ。本書でレイコンを訪ね、二重スパイ、ジェラルドの存在を知らせに来る元英国情報部の東南アジア担当だったリチャード・ターもスパイ稼業から足を洗ったにも関わらず、彼が引退生活を送るクアラルンプールに彼に金を貸したと云って探しているフランス人が現れたので英国に逃げてきたとある。また彼に二重スパイの情報をもたらしたソ連人女性イリーナは亡命直前にソ連に強制送還され、処刑されたことが後に知らされる。作中、ついに二重スパイ、ジェラルドの正体が解った時、耳をそばだてて会話の一部始終を聞いていたピーター・ギラムが胸に憤怒を滾らせるシーンがある。モロッコで惨殺された工作員たち、追放され、どんなに努力しても挫折ばかりの日々で若さが指をすり抜けるように失われていく。索漠感に常に囚われ、愛すること、楽しむこと、笑うことが出来なくなってくる。生きる指針にしている事柄が腐食し、自らに抑制を強いて尽くしてきた。そんな思いが彼の胸に次々と去来し、裏切り者へ全て叩きつけたくなる。このギラムの想いはそのまま作者ル・カレの想いと云っていいだろう。自身、MI5の下級職員として働き、MI6への転属を申し入れ、新人訓練を終える頃に出くわしたのが二重スパイ、ジョージ・ブレイク逮捕の知らせだった。つまり彼もまた各国で潜入してスパイ活動をする工作員たちの苦悩を熟知しており、それゆえにそんな隠密行動を味方のふりをして敵側に情報漏洩する二重スパイに対して多大なる怒りを覚えていたのだろう。そして彼はまたキム・フィルビーを嫌悪していた。諜報の世界は感情よりもイデオロギーや自国の利益が優先され、いわば他国を出し抜くために有益な情報をもたらし、そしてまた敵国が被害を被るよう工作を施すのがスパイであり、彼ら彼女らの存在は極秘でもしバレたとしても自身の身分を明かしてはならず、速やかに命を絶つか、別のスパイによって粛清される運命で、中には既に戸籍上亡くなっている者もいるくらいだ。つまり感情を排することこそが諜報活動では重宝されるが、ル・カレはそんな諜報の世界に身を置き、またそれをテーマに作品を書きながら、敢えて人間を、諜報の世界に所属する人々の感情を描く。本書が私にとって3作目のル・カレ作品だが、それらを読んで感じたのは結末の余韻が実に抒情的なことだ。スマイリー三部作の1作目と云われる本書は『寒い国から帰ってきたスパイ』よりも評価が高く、代表作こそコレだと推す人もいる。正直ル・カレの作品は読後は感嘆はするものの、世評と自分が抱く感想との温度差に戸惑うこともままだ。しかしこのように感想を書くために物語を再度繙いていくとそれまで見えてなかったものが見え、そしてそれがまた物語全体と最後の結末の余韻を色濃くさせ、しばらく心に留まり続けるのだ。従って今の時点では本書の評価は7つ星だが、三部作全てを読み切った後はまた変わるかもしれない。そしてこの三部作はソ連情報部の大物カーラとスマイリーと、英国情報部との戦いを描いているとのこと。この宿敵の風貌は痩せた小男で髪は白髪交じり、しわだらけのおっとりしたおじさんというのがスマイリーの印象だ。この後、どんな駆け引きや戦いが繰り広げられるのか、とにかく本書のストーリーが私の中で風化しないうちに三部作に手を付けることとしよう。

7pt

人は見た目ではないと解ってはいるが・・・

  () 【ネタバレあり】

私がレンデル作品を初めて読んだのが1998年。ウェクスフォード警部シリーズ第7作の『ひとたび人を殺さば』だった。それから23年を経てようやくシリーズの第1作を手にすることが出来た。ただ訳者あとがきによればウェクスフォード警部シリーズの邦訳紹介はその『ひとたび人を殺さば』だったようで、本書はシリーズ第2弾として出版されたらしい。私は『ひとたび人を殺さば』を傑作だと思っており、恐らくはシリーズ訳出の試金石としてそちらが先に発表されたのだろう。日本の翻訳出版事情はこのようにシリーズの順番関係なく評価の高い作品から訳出される傾向にあるが、これは作者の作品を刊行順に読みたい私にとってあまり歓迎したくない風潮だ。この有名なシリーズのデビュー作にしては実に事件は地味である。化粧気のない、しかし容姿は古風な美人といった感じのごく平凡な主婦の失踪事件から始まり、やがて農場の一角で遺体となって発見される。そして近くを捜索すると口紅が見つかり、その持ち主が中古車販売業を営む夫の妻だった。ただその女性は金満家の夫人らしく高価な服装と装飾品を身に纏った派手な性格の女性でかつては女優を目指していたというほどの美貌の持ち主。この光と影のような対照的な存在である2人の接点についてウェクスフォード警部とその部下バーデンが調べていく。また殺されたマーガレット・パースンズの夫ロナルドは身辺整理をするため、数多くの蔵書を整理するが、ウェクスフォード達はその中に高級な革装丁の詩集をいくつか見つけ、その中にドゥーンという男からミナという女性に宛てた愛の言葉が常に綴られているのを発見する。このミナが地味な女性パースンズ夫人であり、そして彼女には夫には内緒の相手がいたのかと更に捜査の手を広げていく。地味な一人の女性の死。その犯人は正直現代ではさほど意外なものではない。寧ろ途中で私は犯人が解ってしまった。本書は二項対立による先入観と時の流れによる人の変遷について書かれた作品であることが最後に判る。二項対立とは被害者であるマーガレット・パースンズと彼女の遺体の傍に落ちていた口紅の持ち主ヘレン・ミサル、そしてミサル家の専属弁護士クォドラント夫妻の妻フェイビアの2組を指す。前者は化粧気のない地味な古風な美人だが、わずかに肥満気味と、まあどこにでもいる主婦だが、それに反してヘレンは夫がカーディーラーを経営しており、生活は裕福でドイツ人の若い女性ベビーシッターを雇って子供の世話をさせている派手で美しい女性であり、一方フェイビアも弁護士夫人として優雅な物腰と高価な服を着た、いわゆるスノッブと揶揄される上流階級の女性たちだ。おおよそ接点のないこの3人の女性たち。寧ろヘレンとフェイビアはマーガレットのような女性と近所付き合いすることすら歓迎しないと思われたが、実はかつて同じ学校に通った女学生であり、しかも当時親しい仲だったことが判明する。そして女学生時代、マーガレットはその美貌と年不相応の落ち着いた雰囲気から先生からも綺麗で魅力的だったと評され、他の女学生達の憧れの存在であり、集合写真を写すときも中心で周囲が学生らしい若さを漲らせた笑顔を見せるのに対し、彼女だけが口角のみを挙げた大人びた微笑みを浮かべる表情を湛えていた。まさに価値観の反転である。「人は見た目で判断してはいけない」と云われるが、その反面「人は見た目で8割が決まる」と見た目が重視される言葉もある。この価値観の反転はまさに相反する謂れによって我々が見た目に惑わされているかを如実に表しているようだ。更にこの見た目に関する言葉はマーガレットという女性の人生に対して我々に余分な先入観を与えて離さないことが解ってくる。「こう見えても私は昔はモテたのよ」と過去の栄光を懐かしむ人がいる。それは現在の自分を顧みて、若さが自分にもたらせた輝きや万能感を惜しむ気持ちが滲み出ている言葉だ。自分が最も輝いていた時期を懐かしみ、そして惜しむ気持ちは誰しもあるだろう。しかしこのマーガレットは違ったのだ。彼女が亡くなった時に新聞に掲載された写真を見たかつての知人たちは「昔は彼女も美人だったのにねぇ」と半ば同情と哀れみを持ちながら、そして昔の美人も人の子だったとホッとするとともにちょっとした優越感を得る気持ちもあるだろう。それでも私はやはり心に残るのはかつてみんなの憧れの存在であった女性がまだ30歳の若さであるのに全てを諦めたかのように化粧もせず、地味に生きていくことを選んだことだ。それが彼女の本質だとしてもその成れの果ての落差に何とも心痛を感じざるを得ない。昔からかつては美貌で鳴らし、周囲の羨望の的であった女性が次第に老いていくことで老醜を露見していく様から「時の流れは残酷だ」と云われているが、しかしそれは実はかつての姿を知る他人が思うことであって、当人はそういう風には思っていないことが私には不思議である。いや彼女は既に魂の充足を手に入れていたのか、齢30にして。私は最初これは変われる人と変われなかった人との間に生まれた齟齬による悲劇だと思ったが、そうではなかった。大人になった人となれなかった人との間に生まれた軋轢の末の悲劇だったのだ。大人になれなかったヘレン・ミサルとフェイビア・クォドラント。そして大人のように振舞っていたマーガレット・ゴドフリーは大人になってマーガレット・パースンズになったのだ。しかしレンデルには感心させられる。実に人間臭い動機や考え、または性格が事件を生むまでに発展することを巧みに物語に、設定に取り込んでいるからだ。上に書いたように、被害者のマーガレットはただただ自分の思うままに振舞っただけである。それが古風な美貌と超然とした態度によって大人びた雰囲気を醸し出し、周囲の憧れを生む。みんな彼女のようになりたいと思うようになる。そしてそんなマーガレットに対して周囲は地味になった彼女に同情と憐れみを勝手に抱く。殺人事件の捜査をするウェクスフォードでさえ奇妙な女性だと思うほどだ。彼女にとってはそれが普通のことであり、何の不満も苦労もなかったのにも関わらず。それは上に書いたように成れの果ての落差に読者の私でさえ心痛を抱くほどだ。そして裕福になってもマーガレットは自分に憧れていた女性が未だにその影を追い続けているのを知る。本当に彼女は何もしていないのだ。彼女はただそこにおり、そして彼女らしく生活していただけなのに、周囲がざわめき、再び彼女を手に入れようとする。しかも今度は親の加護の下ではなく、裕福でお金もあるのは自分自身という自負も添えて。そして愛が再び届かないと知ると殺したいと思うほどまでその愛はいまだに深かったのだ。インフルエンサー。そう、まさにこのマーガレット・ゴドフリーは望むと望まざるとに関わらず、インフルエンサーになってしまった女性なのだ。しかしそれでもやはり本書は地味である。余韻と皮肉を残しながらもウェクスフォードとバーデンという部下と上司のみが登場する、いわば伝統的なホームズ&ワトソンコンビを踏襲しただけの本格ミステリであり、後に登場するウェクスフォードの家族やバーデンの家族は影も形もない。実は彼らが抱える家族の問題が事件とリンクすることで物語に厚みが生まれているのがこのシリーズの醍醐味なのだが、第1作の本書ではそれが楽しめないため、正直食い足らなさが残ってしまった。正直本書がどれほど好評を以て迎えられたかが解らないが、2作目の『死が二人を別つまで』ではいきなりウェクスフォードとバーデン側からではなく、捜査を受ける側から書かれている。つまり2作目でいきなりアクロバティックなことをしているのだから、レンデルはウェクスフォード警部をシリーズキャラとして定着させたかったのではなかろうか。一方でレンデルはウェクスフォード警部物を書くのに後年うんざりしているとインタビューで答えている。読者の要請があるから書いているだけで自分の本質はヴァイン名義で書くような純文学寄りのミステリなのだとも。原題は“From Doon with Death”。『ドゥーンより死をこめて』。原題ではミナに愛をこめて詩集を贈ったドゥーンが犯人であると明確に示されているようなものだ。とかく昔のミステリは配慮に欠けた題名が多い。しかし『薔薇の殺意』もまたあまり内容に即した物だとは思えない。私も50を過ぎ、来し方去りし方に思いを馳せることも多くなった。同窓会に行くと自分はどう見えるのか、またかつての憧れの君はどうなっているのかと時々思ってしまう。しかし想い出は美しいままで、そして当時の想いもまたそのままで胸に封印しておくのが最良の選択だろう。なぜなら私の人生は今ここに家族と共にある。もう余計な波風はいらない。薔薇は殺意ではなく愛を添えて妻のために捧げようではないか。

7pt

彼女もまた熊に襲われる

  () 【ネタバレあり】

本書は森に迷った9歳の少女のサバイバル小説である。この頃のキング作品にしては珍しく300ページ強の比較的短めの長編だーいやキングならばこれもまた中編と読んでいるレベルではあるがー。主人公の少女トリシア・マクファーランドは両親が離婚して兄と共に母親に引き取られた、いわば母子家庭の環境下にある。兄のピートは離婚を機に生まれ育ったボストン郊外の町から引っ越し、メイン州の南部の町に住むようになってから学校で孤立し、不平と不満の日々を送っているが、トリシアはどんな状況も前向きに捉える少女でペプシ・ロビショーという親友がいる。まあ親の離婚で中学で転校する兄の境遇とまだ9歳で小学校の転校という妹のそれとは確かに段違いの差があるだろう。ちなみにトリシアはもうすぐ10歳となる9歳であるから日本での小学4年生に当たり、既にクラス内に小さなコミュニティが形成されている段階だから、男子ならそれでも厳しいだろう。その点、女子は順応性が高い。主婦でもすぐにママ友が出来たりするので。話が脱線したが、物語はこのトリシアの母親キラ・アンダーセンが離婚してから家族の絆を深めるために毎週末に小旅行に行く習慣を新たに作り、今回アパラチア自然遊歩道に行った際に、ずっと口論を続ける兄と母親の後を歩きながら、尿意をもよおしたために脇道から少し茂みに入って用を足した後にはぐれてしまうことから始まる。さて本来ならばこのような少女の失踪事件が起きると行方不明のトリシアの決死行のドラマと彼女を捜索する側のドラマも描くのが定石だが、キングはそうしない。その筆のほとんどが遭難者トリシア側しか描かれないのだ。つまりまたもやキングはこの1人の少女の孤独な戦いをじっくりとねっとりと描いていくのだ。とにかくこの9歳の少女に次から次へと困難が襲い掛かる。まず前半は慣れない森の中での行軍で木の枝や棘に腕などを引っ掛け、どんどん傷だらけになっていく。さらに突然の雨が降り、ポンチョで雨を凌ごうとするが羽虫の群れが彼女の周りを飛び回る。そう前半はこれら虫との戦いだ。ユスリカやヌカカの大群に常に悩まされる。たかが蚊と思われるが、なんとジーンズの生地を通して血を吸おうとするのだ。アメリカは蚊さえも強靭なのかと驚いた。さらにスズメバチの巣を誤って刺激したがためにスズメバチの大群に襲われてしまう。しかしとにかく執拗なのは蚊だ。人が立ち入らない森の中では、迷い込んだ9歳の少女は血も新鮮で格好の餌食なのだろう。日頃鬱陶しいだけの存在だが、ずっと付きまとわれると恐怖さえ覚えてくる。彼女はそんな過酷の状態の中でも9歳の少女なりに生きる術を見出していく。例えば虫に刺されて腫れ上がった顔や手足には泥を塗って防護し、またシップ代わりにする。私は黴菌が入って更に悪化するのではないかと思ったが、これが功を奏すのだ。そんなまだ幼いながらも孤独な戦いを強いられたトリシアの拠り所は大好きなレッドソックスの試合中継を持参したウォークマンで聴くことだ。特に彼女のお気に入りは題名にも掲げられている、当時抑えの切り札だったトム・ゴードン投手だ。苦難と孤独感にさいなまれた彼女の生存への原動力がトム・ゴードンの活躍である。“トムがセーブすれば、あたしもきっと救助(セーブ)される”この掛詞を唯一の頼みとして彼女は一歩、また一歩と森の中を進むのだ。彼女の極限状態はますます高まる。彼女は生きるためにリュックサックの中に入っていたお菓子類を食べてしまった後、雨が降った後の水溜まりから上澄み水を掬って、まだ濁っているにもかかわらず、飲み干したり、ゼンマイをそのまま生で食べたり―甘くて美味しいようだが―、川の水を飲んだり、ズタボロになったポンチョのフードを使ってニジマスを捕まえ、そして内臓を取り出し、生のままその魚を食べる。日本人も同じでしょと嘯くが、捕まえた魚を内臓取っただけでそのまま食べる―しかも頭も!―なんて生臭くてとても食えたものではないだろう。そしてその追い打ちを掛けるかのようにトリシアはオタマジャクシさえも丸呑みするのだ。そんな悪食を繰り返すため、彼女は嘔吐・下痢をし、熱を出したりする。この辺、キングはたとえ主人公が9歳の少女であってもその描写は容赦ない。しかし生きるためにそんな悪食を繰り返さざるを得なかったトリシアを救ったのはチェッカーベリーとドングリだった。この2つは格別に美味く、彼女のエネルギー源となる。そしてなんと大量にその2つを採取してリュックサックに入れて備蓄することを思い付く。9歳の少女にしては上出来だ。やがて彼女には幻覚が見え、幻聴が聞こえだす。彼女の救世主でもあるトム・ゴードンと意地悪小娘の話も含め、これらは全て彼女の脳内で行われた対話であり決して真実ではない。しかしそれでも、特にトム・ゴードンの会話から得られるヒントはトリシア自身がそれまで行ったことのない場所でも与えてくれる、もはや天啓のようなものだと云えるだろう。また私が今回最も不穏だと感じたのは実は本書の題名である。『トム・ゴードンに恋した少女』そう、過去形になっているのだ。キングの物語が全てハッピーエンドに終わらないのは有名だ。従って本書の主人公、弱冠9歳のトリシアはもしかしたら助からないのではないかと読んでいる最中、心中穏やかではなかった。そして最後の大量のスズメバチや虫類に覆われた不気味な顔を持つ男は最後彼女をご馳走として救出されるまでずっと登場しなかった、彼女を見張る存在、アメリカクロクマの成獣を司るのか。このクマはこれまでの脱出行でいつでも彼女を襲える立場にありながら、それをまるで最後のデザートを取っておくかのように時に彼女を見つめながら、また他の動物を寄せ付けないように周囲から守りながらトリシアの後を追う。現代ならストーカークマになろうか。もしくは肯定的に云えば守護天使となるか。そして最後に彼女に対峙した時、彼女の目の前で顔はユスリカやヌカカが零れ落ちるうつろな穴の開いた虚ろな顔をして彼女に襲い掛かる。しかし満身創痍でありながらも彼女は“友人”トム・ゴードンの教えを守り、先手必勝で熊の追い出しを行ったのだ。そしてどうにか彼女は救出される。クマと戦う場面に遭遇した猟師によって。私の不安が杞憂に終わってよかったと思った瞬間である。さて本書の題名に挙げられているトム・ゴードンというレッドソックスの抑え投手だが、これは実在する選手だ。キングがなぜこの実在の選手を題名に冠し、そして出演までさせているのか。その理由は著者あとがきにも明らか何されていないが、レッドソックスファンにとってこのトム・ゴードンのその年の活躍と成績は印象深く、寧ろ彼が打ち立てたシーズン46セーヴ、連続43セーヴという驚異的な記録がかのチームをプレイオフまで導いたことの感謝なのかもしれない。後にも先にも実在する人物を題名に冠したのは本書だけなのだから、キングのこの時のトム・ゴードンに対する熱の入れようが解ろうというものだ。しかし悲しいかな。最後にトリシアが心通じ合うのは一緒に暮らしている母親ではなく、別れた父親の方なのだ。彼女が父親から貰ったトム・ゴードンのサイン入りのキャップこそが彼女を見事生還させる勇気のアイテムになったからだ。そして2人には野球という、いやレッドソックスという共有言語があるために言葉などいらない通じ合うものがあるのだ。願わくばこの彼女と父親の魂の交流を機にこの夫婦が寄りを戻してくれればいいのだが。全てを語りがちなキングには珍しく、マクファーランド家の行く末について余韻を残した作品だ。最後の一行の試合終了の意味が2人の不仲の戦いに対するものでありますようにと願ってこの感想を終えよう。

10pt

このタイトルではないだろう

  () 【ネタバレあり】

日本における、今に至るホロヴィッツ旋風の発端となった『カササギ殺人事件』のまさかの続編である。私は前作を読んだときの衝撃はいまだに覚えており、現代の古典、即ち今後100年遺されていくミステリの傑作だと確信していた。それゆえ正直続編の本書を読むのは期待半分、不安半分、いや期待3割、不安7割といった感じで手に取った。しかし本書はその私の不安で高められたハードルを易々と越えてしまった。前作に劣らぬ、いや前作にも増して本格ミステリに淫している作品だ。私は前作を“ミステリ小説をミステリするミステリ小説だ”と評したが、それに倣えば本書は“ミステリ小説の中のミステリで現実のミステリを解決するミステリ”だ。そう、前作よりもミステリの文字が増えているのは、前作が一粒で二度美味しいミステリだったならば本書は一粒で何度も味わいが変わる重層的な味わいを持ったミステリだからだ。今回主人公スーザン・ライランドが巻き込まれるのはサフォーク州にある高級ホテル《ブランロウ・ホール》のオーナー、トレハーン夫婦の次女の失踪事件だ。しかもそれは8年前のホテルの客の殺人事件が関わっており、その事件をテーマにしたアラン・コンウェイのアティカス・ピュントシリーズの1冊、3作目『愚行の代償』を読んだ後に失踪していることから当時その作品に編集者として関わったスーザンに失踪した娘セシリーの行方を探してほしいという依頼だ。失踪前に彼女が電話で8年前にホテルで自分たちの結婚式の最中に起きたオーストラリアからの宿泊客フランク・パリス殺害事件の犯人が冤罪で真犯人がその小説に書いてあったと云い残したのだった。娘が読んだ小説が原因で失踪したのだから、その本を書いた人は既に亡くなっているのであれば、出版した人が娘の失踪の原因と行方を探れるだろうとは、何とも常識を欠いた強引な依頼と思われるが、上流階級のホテルオーナーであれば世俗の常識は通用しないし、また失踪した娘の行方が杳として知れないのが続いているのであれば、藁にも縋りたいのが親心というものか。それよりも依頼を受けたスーザンは『カササギ殺人事件』の事件の後、勤めていた出版社《クローヴァーリーフ・ブックス》は潰れ、版権を持つアラン・コンウェイのアティカス・ピュントシリーズは《オリオン・ブックス》に譲渡して出版されており、彼女は恋人のアンドレアス・パタキスと共にクレタ島でホテルを経営している。しかしその経営状況は思わしくなく、彼女は望郷の念に駆られている。そんな状況下で持ち掛けられたアラン・コンウェイのアティカス・ピュントシリーズに纏わる事件だから、彼女は報酬の1万ポンドと久しぶりにイギリスに渡れるということで引き受けることになる。しかし請われたにも拘らず、スーザンの立場はいわば”招かれざる客”で、周囲の彼女に向ける眼差しは冷たく、ある者は露骨に嫌悪感を剥き出しにする。またスーザンはセシリーが失踪する原因となった『愚行の代償』のモデルとなったフランク・パリスの事件も調べることになるが、その妹夫妻が近くに住んでいるということで訪れる。フランクが彼らの許を訪れたのは新事業で失った大金を補填すべく新たな代理店を出すための投資を持ち掛けてきていた。彼らはゲイである兄が派手派手しく喧伝していることに嫌悪しており、そこではフランクのことを忘れたい妹ジョアンから二度と来るなと敵意むき出しで追い出される。また失踪したセシリーの夫エイデンからも警察でもないのにホームズやピュントのようになぜ自分も容疑者のように聴き込むのか、依頼の通り、さっさとここで『愚行の代償』でも読んでセシリー失踪の原因でも早く見つけてくれよと罵倒される。そしてセシリーが夫と共に残した娘ロクサーナの乳母エロイーズもまた彼女に対しては好意的でない悪魔でも見るような迷惑そうな眼差しを緩めようとしない。まあ、それも仕方ないだろう。オーナー夫婦の娘の失踪を探るとはいえ、成り行き上、一旦解決した8年前の自分たちのホテルで起こった殺人事件を嗅ぎ回るスーザンは彼らにしてみれば忘れたい過去を土足で入り込んで掘り起こす無粋な輩に過ぎないのだから。しかしスーザンも損な役回りである。このシリーズの最大の特徴は作中作であるアラン・コンウェイ作のアティカス・ピュントシリーズの1作が丸々読めるところにある。正直作中における現実世界のスーザン・ライランドのパートよりもこの作中作の方が面白い。前作では物語が始まってすぐに作中作である『カササギ殺人事件』が始まったが、本書ではスーザン事件関係者への一通りの訊き込みが終わった300ページが過ぎたあたりからようやく幕を開ける。但し、本書では題名の『ヨルガオ殺人事件』ではなく『愚行の代償』という作品だ。邦題は決して前作の大ヒットにあやかって決めたのではなく、原題“Moonflower Muders”とそのものだ。Moonfower、即ちヨルガオはスーザンの依頼人トレハーン夫婦が経営するホテル《ブランロウ・ホール》の1棟、ヨルガオ棟とそれをモデルにした『愚行の代償』に出てくる被害者メリッサ・ジェイムズが所有するホテル《ヨルガオ館》に由来する。さらにメリッサがヨルガオをホテルの名に選んだのは彼女が過去に主演した映画『ヨルガオ』から来ている。因みにヨルガオと夕顔は別の花であるからご注意を。さてその『愚行の代償』だが、作者ホロヴィッツはまたしてもこの作中作を実にリアルに実在する作品であるかのように模して物語に入れ込んでいる。まずきちんと表紙もあり、そして倒産してしまったスーザンの前勤務先《クローヴァーリーフ・ブックス》版ではなく、新たにシリーズを引き継いだ《オリオン・ブックス》版である事や新聞書評や雑誌での書評のみならず実在するピーター・ジェイムズやリー・チャイルドの賛辞が列記されたページから始まる、更にはアティカス・ピュントシリーズがケネス・ブラナー主演で連続ドラマ化が進行している、等々、またもやフィクションとノンフィクションの狭間に読者を誘う。そしてその『愚行の代償』の内容は今なお熱狂的なファンのいる43歳のハリウッド女優メリッサ・ジェイムズ殺人事件を扱っている。彼女は英国子爵の息子であるフランシス・ペンドルトンと結婚してデヴォン州の田舎町トーリー・オン・ザ・ウォーターにある《クラレンス・キープ》という美麗な屋敷を購入して隠遁しており、そこで《ヨルガオ館》というホテルを購入して経営に携わっている。《ヨルガオ館》はメリッサ目当てで訪れる客が多く、その甲斐あってホテルは満室なのだが、赤字状態が続いていることから手放すことをとうとう決意する。しかしその前に経営を任せている支配人のガードナー夫妻から収支の確認することにしていた。さらに彼女は夫以外の男性とも付き合っており、夫とは別れようと考えている。メリッサの屋敷《フランシス・キープ》で家政婦と執事をしているチャンドラー親子は息子のエリックがメリッサに対して憧れを抱いており、何か後ろめたい秘密を抱えている。このハリウッド女優という派手な女性に対して快く思っていない人物は多く、先述の支配人夫妻は経営状態を調べようとする彼女に慄いており、村医者のレナード・コリンズの妻サマンサはこの静かな村に騒々しさと猥雑さを持ち込んだとして毛嫌いしている。そしてその夫妻に予想外の幸運が迷い込む。叔母のジョイスはアメリカの大富豪ハーラン・グーディスと結婚し、夫を亡くして一人で暮らしていたのだがその叔母も亡くなり、なんとその遺産を彼女が相続することになった。そのサマンサの弟アルジャーノン・マーシュは長身で容姿端麗な男だが、若かりし頃に愚連隊に出入りして乱闘罪で逮捕され3ヶ月の実刑を食らった過去を持つ。サマンサとアルジャーノンはロンドン大空襲で両親を亡くし、叔母のジョイスに育てられたが、この乱闘罪のせいで叔母からは軽蔑の眼差しを受けて、決して好感を持たれていない。その彼はロンドンで不動産業を営んでいるが事業経営状態は怪しく、資金繰りに苦慮している模様。その彼はメリッサの投資も担当しており、彼女の依頼でトーリー・オン・ザ・ウォーターを訪れている最中に酔っ払い運転で誰かを轢いてしまう。また《ヨルガオ館》のフロント係のナンシー・ミッシェルは親し気に振舞うメリッサに対して恐れ、距離を置こうとしており、彼女はとある人物と関係を持ったことで妊娠してしまったことをコリンズ医師の診断で知り、一人悩んでいる。そしてロンドンからメリッサを訪ねてきたサイモン・コックスは実業家で映画製作に乗り出そうとしていた。その第1作目として彼はメリッサを主役にした映画『王妃の身代金』を製作するために出資し、あとはメリッサと契約を交わすだけでその交渉に来たのだが、すげなく断られ、全ての費用が水の泡となることに激高し、口論となる。そして《ヨルガオ館》を後にした彼女の後を追うように彼も車をメリッサが去った方向に走らすのをナンシーにも目撃される。そんな誰もが被害者と関りを持ち、また殺人の動機を持っている、いわば容疑者が多すぎる状況下での殺人事件の解決の依頼がメリッサのエージェントから手紙で依頼が来る。ちょうど大富豪のダイアモンド盗難事件を解決したばかりの彼は秘書のマデレン・ケインと共にトーリー・オン・ザ・ウォーターを訪れ、そこでハリウッド女優メリッサ・ジェイムズの事件のみならず、捜査の最中で発生したその夫フランシス・ペンドルトン殺害事件をも解決する。とにかくこの作中作が良く出来ている。全ての登場人物が関わるエピソードが解決へ寄与しているのだ。このように作中作『愚行の代償』それ自体が被害者の周囲は誰もが容疑者となり得る状況でありながら、2つの殺人事件で意外な犯人が判明するというミステリの醍醐味を堪能できる作品となっている。もうこの作品だけで正直1冊の傑作ミステリを読んだなという充足感に満たされるのだが、さらにスーザン・ライランドのパートの事件の解決が待っているのだから全く以て贅沢な作りである。まあアラン・コンウェイ作の『愚行の代償』という作中作が丸々収められている本書はつまりは『カササギ殺人事件』と同じ構造なのだが、現代パートと作中作パートの両者を読み比べて思うのは、明らかに作中作の方が面白く読めるということだ。それはつまり私が、いや同じように感じる読者が、名探偵が登場して事件を解決する本格ミステリの世界の方を好んでいるということだろう。なぜなら本書の構造というのが、前述のようにスーザン・ライランドが巻き込まれる依頼人の娘の失踪事件のヒントが8年前に依頼人のホテルで起きた殺人事件をモデルにしたアティカス・ピュントシリーズの『愚行の代償』にある、つまり現実パートと作中作パートの内容を対比して読むべきなのだが、どうしても後者の作品世界に没入してしまうのだ。それは故郷に帰ってきたような感覚とでも云おうか。小・中・高校生時代に初めてミステリの世界に触れたシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティの作品世界に帰ってきた懐かしさを感じさせるからだろう。そしてその出来栄えは前作同様に物語のガジェットに留まらず、それ自体が一級のミステリ作品になっている。それも本編の『ヨルガオ殺人事件』の物語が読んでいる最中、消え去ってしまうほどの面白さを兼ね備えているのだ。そしてこの読書体験を作中の登場人物スーザンと共有することで、読後に当時彼女が編集者として創作に携わったエピソードと共に『愚行の代償』に隠された仕掛けや裏話を堪能することも出来る。そして面白いことに作中作の『愚行の代償』を読んだ後、スーザン・ライランドのパートに戻るとこのパートが俄然それまで以上に面白みを増してくるのだ。まるでアティカス・ピュントのフィルターを通ることでミステリ色が増すかのように。誰もが犯人になり得る動機や接点があり、誰もが怪しい。なんと多くのレッド・ヘリングが仕込まれている事か。そしてそんな容疑者ばかりの事件の真相が明かされるが、それよりも私が驚嘆したのはその真犯人を補強する最終章での怒涛の畳みかけだ。それは『愚行の代償』の中に仕込まれていた現実世界の犯人への暗示の数々だ。私はいつの間にか眼前で繰り広げられるそれらモチーフの連続解明を「すげえ」を思わず連発しながら読んでいた。つまり最後まで読むと『ヨルガオ殺人事件』よりもふさわしい題名があることに気付かされるのだ。しかしその題名こそはこのミステリの大いなるネタバレになってしまう。ただただもう畏れ入ってホロヴィッツの前に平伏すしかない。しかしそれにしてもホロヴィッツ作品に登場する名探偵はなんともイヤな人物が多いことか。上に書いたフランク・パリスもかなりのものだが、ホーソーンシリーズのダニエル・オーソーンも明敏な頭脳で相棒の作者ホロヴィッツと読者が見えていない真相への道を確実に見透かしているが、彼は決して教えないし、ヒントも出さない。そして同性愛者を蔑視する強い偏見の持ち主だ。そしてこの《カササギ殺人事件》シリーズの作中作家アラン・コンウェイもまたクリスティを尊敬し、そのテイストを盛り込んだアティカス・ピュントシリーズを紡ぐ一級のミステリ作家だが、その人となりは決して人好きのするタイプではなく、寧ろ出来ることなら避けたい頑固者で、自身の作品に時にミステリを皮肉って馬鹿にし、今回のように犯人を示唆するキーワードをたくさん盛り込んで間接的に脅迫する痛烈な皮肉屋である。しかし彼の著すアティカス・ピュントシリーズはそんな隠れた悪意のメッセージを感じなければ古き良き黄金時代の本格ミステリの世界を堪能できる作品で、たくさんの読者を魅了してきた作家なのだ。ホロヴィッツ作品に登場する人物は仕事のできる男ほどイヤな性格の持ち主であるのが玉の瑕だ。さらに云えば今までホロヴィッツ作品を読んで思うのは明かされる真相が決して爽快感の身をもたらすに終わらないことだ。謎解きの妙味は今が21世紀なのかと疑うほどかつての本格ミステリの妙味に満ちており、盲が啓かれるカタルシスを得られるのだが、明かされる真相そのものは心がざらつくようなドロドロした人間関係である。人は表面上はごく普通の一般人として振舞っているが、その奥には様々な悩みや憎悪が秘められているものだ。さて色々書いてきたがもう1点、このシリーズのみならず、もう1つのダニエル・ホーソーンシリーズにも共通する出版業界や小説家を登場人物に扱っているからこその作家の創作の秘訣や編集者目線での作品に抱く感慨が織り込まれており、それがミステリ読者の興趣と共感を生んでおり、更に評価を一段上げているように思える。例えば登場人物の1人、失踪したセシリーの夫エイデン・マクニールが今回アラン・コンウェイが自分たちのホテルとそこで起きた事件を題材にしてミステリを書いており、更に自分をモデルにした登場人物アルジャーノン・マーシュが何とも間抜けな人物に書かれていることに憤慨し、作家とは身の回りから目の付いたものを盗んで作品を書く者なのかと詰問する。それに対してスーザンは作家というものは盗むのではなく、取り入れて自ら作った虚構の世界にどうにか言葉で埋めようとするのだと述べる。現実世界と虚構の世界の境目に生きているような人たちなのだと。あとスーザンが物語の最終に近づいたころにようやく冤罪で捕まったステファン・コドレスクと対面する時の感慨が実に面白い。小説を300ページ以上読み進めたあたりで主人公がようやく登場したものの、あとほんのわずかなページで物語が終わってしまうことがすでに分かっているかのような感覚。もうこの描写だけでステファンの人となりが判ろうというものである。しかし前作『カササギ殺人事件』でも思ったが、このアティカス・ピュントシリーズのパートの面白さを知ったことでやはりそのオマージュとなっている原典クリスティ作品はいつかは読みたい、いや読まなければならないミステリ作品だと思いを強くした。オマージュ作品でさえこれほどおもしろいのならば、やはりミステリ読みはクリスティを通るべきなのだと。さて日本のミステリシーンに衝撃を与えた『カササギ殺人事件』の続編として刊行されながら読者の期待値を超えるクオリティを眼前に繰り広げた本書。当然の如く、読者その続編を、いや特にまだ未読のアティカス・ピュントシリーズ残りの7作を期待したいところだが、最後のスーザンがシリーズ作を焼き払うシーンを読むに恐らくこの「カササギ殺人事件」シリーズは本書を以て幕引きとなりそうだ。それはミステリファンとして実に残念なことだが、なぁに我々にはまだダニエル・ホーソーンシリーズがまだあるではないか。このシリーズの続編は既に“A Line To Kill”が刊行されているとのこと。これはまだまだ当分ホロヴィッツの天下は続きそうだ。

8pt

沈黙は、果たして金?

  () 【ネタバレあり】

ガリレオシリーズ9作目。4年ぶりにアメリカから帰国した湯川学が最初に手掛ける事件が本書。時は確実に流れており、湯川は准教授から教授に、そして友人の草薙も捜査一家の係長に昇進している。久々のガリレオシリーズのメンバーが揃った本書で彼らが直面するのは23年前に少女殺害事件の最有力容疑者とされながらも徹底した黙秘権の行使により結局証拠不十分で無罪となった男の実家で3年前に失踪した成人女性の白骨遺体が見つかることで再度最有力容疑者に挙げられるのだが、再び同様の手口で処分保留となった後、殺害される事件だ。つまり周囲に憎まれた男がまんまと殺されるという、犯人側に肩を持ってしまう事件だ。東野氏は殺害した側を応援したくなるように、読者心情を煽り立てるが如く、被害者である蓮沼寛一という男を唾棄すべき男として描く。下層労働者として描きながら、暗い表情を湛えたその男は父親が元警察官であり、強引な取り調べで自供を引き出して犯人検挙率を上げて、それを誇らしげに家庭で語っていたことから、父親の権威主義出来な価値観を蔑むとともに反面教師として自供しなければ自分は罪を犯しても有罪とならないと学んだ。従って彼は警察の徹底した取調べにも関わらず、黙秘権を行使し、沈黙とはぐらかして決してボロを出さない。本当に自分が犯行を行っていなければ無罪を主張するのだが、この蓮沼という男はそれすらもせず、寧ろ自分を犯人にしたかったら、決定的な証拠でも証人でも見つけて来いとばかりに小馬鹿にした態度で臨む。そして大方の予想通り、酒の席で実に下らない、いや人を人と思わない、玩具か何かのようにしか思わず、最初の殺人も可愛がってやったら噛みついてきたのでお仕置きしたら死んだので埋めただけと子猫に例えて歯牙にもかけない。つまりはこの蓮沼寛一という男は殺されても当然だ、いや寧ろこのまま生きていてこの世にいることで次の犠牲者が生まれる、殺されるべき人間だとして描く。そしてその事件に立ち向かう湯川の変化も本書の読みどころだ。それについては後に述べよう。物語のメインテーマは非常に単純だが、その真相は重層的で複雑である。さて本書のテーマはタイトルにもあるように沈黙だ。出てくる人物は自分の秘密を守るためにずっと沈黙を続ける。まずは本書の焦点でもある、二度に亘って殺人事件の最有力容疑者となりながらも無罪となった蓮沼寛一の沈黙だ。彼は23年前の12歳の少女殺人事件と3年前の女性殺人事件において状況証拠ではあるが、自身と被害者を結び付ける物的証拠が挙げられながらも徹底した黙秘権を行使して無罪と処分保留を勝ち取った男だ。彼は自分の父親が警察官で父が容疑者を自分の脅迫めいた密室の取調べで自供を導き出したことを自慢しているのを幼き頃から苦々しく思っていたが、それを反面教師として逆にどれほど容疑が固まっても沈黙を保てば有罪にならないと確信した男だ。その蓮沼寛一殺害の一端を担った菊野市の商店街の面々もまた沈黙する。ただ加担した者はもちろんのこと、知らずに協力していた者もまた沈黙する。それは知らないからだけではない。特に今回のメインイベントである菊野市のパレードの責任者である宮沢書店の女社長宮沢麻耶は町の人々全員がお客様なのでその方たちが不利になるような話をしたくはないので沈黙罪という犯罪がないのなら黙秘権を行使するとまで草薙に面と向かって云う。そして蓮沼寛一殺害の発端を作った増村栄治は優奈の母親で父親違いの9歳年下の由美子が本橋誠二と結婚する際に犯罪者の自分が花嫁の兄だということを知られないよう、妹とその夫に2人の関係について沈黙するよう懇願する。そして新倉直紀は妻の留美が並木佐織を殺害したと話したことを隠そうして、佐織の父親の祐太郎が蓮沼から犯行の真相を聞けないように工作して妻の犯行を沈黙を以て隠そうとする。沈黙は金と云うがそれぞれの沈黙がもたらしたものの中には金に値するものがなかったものもある。沈黙を守ることは己の罪悪感や喋って楽になりたいという欲望との戦いだ。それに勝てないからこそ、人は沈黙を保てないのだ。それを保てたのが真の悪人である蓮沼寛一であったことは実に皮肉である。ところで私はこのシリーズを警察小説として読んでいなく、天才科学者が警察では想像すらできない真相を科学的論証に基づいて犯人へと導く、いわば現代に蘇った東野式ホームズシリーズだと思っていたが、今回では警察捜査の意外な情報が色々と得られる。例えば高速のNシステムによる捜査記録は証拠として提出しないことになっていること。提出すればNシステムの仕組みや監視場所の詳細を法廷で明かさなければならなくなるから避けるというのが警察庁の方針であること。指紋を残さないために手袋を着用するが、今では手袋痕を採取して犯行に使われた手袋を特定し、犯人の絞り込みを行うこと、等々。また実は本書の殺人方法は海外古典ミステリのトリックを応用しており、作中でもその作品について触れられている。メインの殺害方法の原典であるアガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』とジョン・ディクスン・カーの『ユダの窓』だ。敢えて作者はその作品を触れることで本歌取りであることを示している。温故知新。それが本書の裏テーマだろう。本書を読むことでこれら古典ミステリにも触れてほしいと云うのが本音だが、単に不可能的趣味に特化した古典ミステリよりも犯罪に加担したそれぞれの心情をも描いた本書を読んだ後では逆に物足りなさを感じることだろう。しかし探偵ガリレオこと湯川学もずいぶん変わったものだ。以前は単にすっきりと答えの出る論理的解明や方程式など論理的思考だけに興味があったのに、人そのものに興味を持っている。本書で彼が関わる定食屋「なみきや」の面々と常に相席となって会話を愉しみ、蓮沼寛一という悪をチームワークで殺害したことに心を傷める。単に悪いことをしたから彼らは裁かれるべきだとして割り切った答えを出さないのだ。この湯川学の心境の変化は作中でも湯川の言葉を通じて語られる。彼は『容疑者xの献身』で友人の石神が真犯人を庇おうとした献身が自身が真相を暴いたことで水泡に帰したことを悔いていたからだった。ドラマ『相棒』の杉下右京はどんな理由であれ、罪を犯した者は裁かれなければならないと徹底的な勧善懲悪論に立っているが、湯川は寧ろ殺されるべき人を殺した人々、罪を犯すことで救われる人々がいることを理解し、どうにか救済しようと苦心するのだ。私は本書を読んだ後、これはもう一つの『さまよう刃』だと思った。娘を犯され、無残に殺された主人公の復讐は結局叶わなかったが、本書ではその無念を晴らすかの如く、復讐が成就する。殺人は犯罪であり、被害者がどんな者であろうと罪は罪であるというのは真理であるが、それでも殺してやりたいと思うのが人間の心理だ。真理よりも心理を採った湯川の今後の活躍が非常に愉しみである。

7pt

原尞とかいう男の肖像

  ()

本書は遅筆で有名な原氏によるエッセイ集。本書は1995年に発刊された著者のエッセイ集をもう1冊のエッセイ集『ハードボイルド』とに分冊したうちの1冊。まず驚いたのは寡作家である著者が1冊に纏まるほどのエッセイを書いていたことだ。その内容は作者の遍歴と作者の趣味である音楽、とりわけジャズ、映画と小説について語られている。私は本書を読む前に『それまでの明日』刊行を記念して特集されたミステリマガジンの記事を読んでおり、正直その時が原氏のインタビューやエッセイの初体験だったわけだが、その時抱いたのは私とは相いれない人だなぁという思いだ。高校生の時にジャズに傾倒し、落第生となりながらもどうにか卒業して福岡の大学に行くがそこでもジャズにのめり込んで卒業後レコード会社に就職するも早速入社式の社長の訓辞が気に入らず、2カ月で辞め、ジャズ・ピアニストになり、それから映画の世界に入り、脚本を書くが1本も採用されず、そして小説を書いた結果、『そして夜は甦る』で鮮烈なデビューを果たし、その後も日本ハードボイルドの大家として現在に至っている。しかしその経歴と寡作ぶりからも解るように、この作家、かなりの気分屋で、己の規範を崩さない男だ。そう、彼自身の生き方そのものがハードボイルドに登場する、世の中を斜に構えて見つめる私立探偵そのものと云えるだろう。さてそんな彼の本質が垣間見えるエッセイには、本書では西日本新聞に1990年7月から9月まで連載されたエッセイ「飛ばない紙ヒコーキ」と佐賀新聞に1990年7月から1991年1月に亘って連載された「観た 聴いた 読んだ」、毎日新聞で1991年1月から3月までの連載「視点」に加え、その他の初収録エッセイや書き下ろしのエッセイ、そして同級生の中村哲氏との対談が収録されている。とにかく自分本位な男である。ジャズとの邂逅は兄の影響だが、レコード店でマイルス・デイヴィスのLPを見つけて買わずに毎日通って視聴するふてぶてしさを高校生で既に体得しており、大学生になってますますジャズにのめり込み、大学のジャズ・クラブに所属するがそういう“クラブ活動”でジャズはやるものではないと退部する。そして個人的に外部でジャズを好き勝手にやっているとTV局のプロデューサーから呼ばれて演奏をしたりする。提出期限ぎりぎりに卒論を仕上げ、期限までに出さなければならないのに時間に余裕があるからといってタバコを吸って休んでいざタクシーを拾って提出しに行こうとすれば満車ばかりで捕まらず、危うく卒業できなくなりそうになる。ジャズ・ピアニストとなってからは日本列島を飛込みライヴで行脚する。まず中小の都市に着くとめぼしいジャズ喫茶に入ってその場でライヴの交渉をする。報酬について交渉し、1万5千から2万円の収入を得るとまた次の都市に行って同じことをする。これはまさに今私が夢中になっているジャズ漫画『BLUE GIANT』の宮本大そのものみたいなのだ。私は福岡生まれで、佐賀の鳥栖生まれで福岡の大学に通っていた作者とは親近感を覚えるが、公立の小・中・高を卒業し、一浪を経て大学に入学し、その後東証一部上場の企業に入社し、サラリーマンとなって現在に至るという堅実かつ典型的な普通の人生を歩んできた私とはかけ離れた綱渡りの人生である。従って安定主義の私は原氏のような生き方はとても怖くてできなく、またあまりにはっきりと物を云う態度に眉を顰めて理解に苦しむところがあることは正直に告白しよう。本書で最も驚いたのは中村哲氏との対談だ。あのアフガニスタンで医療活動のみならず治水工事などインフラ整備にも尽力した日本人医師。そして2019年にアフガニスタンで武装勢力に銃撃され、死去した福岡の誇りだ。彼と原氏が同級生であったことに驚き、そして両者ともまともに学校に通ってなかったことに驚く。普通の生き方をしていない2人だからこそ相通ずるものがその対談にはあり、これはかなり面白く読めた。私が思うにはこのような人間こそが傑作を物にする、それも後世に残るほどの作品を書けるのだろうと思った。普通の生き方では得られない経験と人生訓。そういう知らない世界が描けるからこそ、人々は彼の小説を読み、そして自分の人生ではできない反抗と隠し続けなければならない反骨心を代わりに見せてくれる主人公に共感を覚えるのだろう。そして原氏そのものがそんな生き方をしているからこそ、彼の作品は輝くのだ。彼の生活はとにかく自身の内に秘める欲求のままに突き進んでいる。ジャズが好きだから勉強そっちのけでのめり込む。しかしそれでも中退はせず、高校・大学を―必要最低限の成績であっただろうが―卒業し、ジャズが好きというだけで見様見真似―聴き様聴き真似?―で我流でピアノを習得し、プロのジャズ・ピアニストになる。そして上にも書いたように大学のジャズ・クラブは肌に合わず、辞めて独自で外部活動することで彼は現在も一線で活躍する日本のジャズプレイヤーと知り合うことになる。興味深いのは処女作『そして夜は甦る』が生まれるまでの彼の執念とも云える拘りの創作姿勢だ。映画のシナリオがなかなか映像化されないことから、それらを小説化するために海外のハードボイルド作品、私立探偵小説を読み漁り、そこでレイモンド・チャンドラーこそが自分の理想の文体だと悟り、文章修行をするが自分の理想の文章が出来ないまま、両親が相次いで病気がちになって故郷の鳥栖に戻って看病しながらも小説の習作に取り組む。やがて両親も亡くなり、遺された貯金も使い果たしたにも関わらず、一行も書けないままでいる、その拘りゆえに。そして絶望の中、中学時代の恩師の「小説家になれ」の言葉を思い出し、習作の山を見返してようやく1行目を書き始め、11か月後に処女作が完成する。安定を求める私にはできないことだし、これほどの拘りと極限状態に陥った彼だからこそ、生まれた傑作だったのだろう。そして時の人となり、日本ハードボイルドの第一人者となってからも彼は変わらない。たった2作目で直木賞を受賞する快挙を成したときもインタビューで受賞の喜びはないと答え、受賞に恥じないような作家になるのではなく、賞の方が恥ずかしくなるような作家になってやると嘯く。地方のテレビ局にコメンテーターとして出演を依頼されれば、「吉野ケ里遺跡だろうが、湾岸戦争だろうが、何の興味もない」と答えるだけだと云って断られる。福岡に住んでいたのに博多山笠を大の大人がお尻丸出しで走り回って男らしいとは思えぬと歯に衣着せぬ物云いだ。人間として魅力的かと云われればそうとは思わない。生き方がでたらめだと思えば確かにそうだろう。何物にも属さず、そして何者にも媚びず、自分が欲するままに生きる。しかしだからといって暴力的ではなく、傍若無人でもなく不遜でもないが、頑固ではある。世界が止めろと云っても、販売禁止指定アイテムになってもずっとタバコは吸うだろう。そんな男だ。本当に不器用な男だと思う。しかし生き方が不器用なだけで音楽と映画と小説を観る目は確かで、その文章は練達の極みだ。彼の生き方自体がジャズなのだ。生き方自体がアドリブとインプロビゼーションに満ちている。それをカッコいいというには私は年を取りすぎた。寧ろ危うさが先に立つ。こんな男がハードボイルドの第一人者だというのが悔しすぎる。認めたくないが、認めざるを得ない。そんな男なのだ、原尞という男は。

7pt

三者三様のスパイの重圧と孤独

  () 【ネタバレあり】

前作『寒い国から帰ってきたスパイ』は世界的ベストセラーとなり、それがきっかけでル・カレは専業作家となった。その第1作が本書である。さて前作は何がそれまでのスパイ小説と異なっていたかといえば、それまでイアン・フレミングが創造したジェームズ・ボンドのような超人的な能力を持つ万能型スーパーヒーローとして描かれていたスパイを一介の組織に雇われた人間として描き、その隠密任務ゆえに常に孤独と忍耐を強いられる辛い境遇の人間であること、そして個人よりも組織、いや国家の利益を優先するがゆえに決して彼らの命は保障されないこと、いや寧ろその存在自体もないものとして使い捨てのコマのように扱われている事。さらには一般人には到底理解できない原理原則論に基づいて生殺与奪がなされることをまざまざと思い知らされたことがあげられる。そして本書はさらにそれが色濃く描かれている。潜入工作員をスカウトし、そして育てる一部始終が色濃く綴られる。但し、前作と異なるのが諜報部(サーカス)と呼ばれる英国情報部ではなく、ルクラーク・カンパニーというルクラークという人物が率いる陸軍部内の諜報機関である。このルクラークはちなみにジョージ・スマイリーとは知己の間柄である。さて本書では3人の潜行員の様子が語られる。最初の潜行員ウィルフ・テイラーは今回の物語の発端となる、東ドイツの一角にあるとの情報が入ったソヴィエト軍のミサイル基地を上空から収めた写真のフィルムを、英国情報部の息の掛かったフィンランドの航空会社のパイロットから受け取って帰国するだけの任務だった。彼は空港でフィルムを受け取るが、ホテルへの帰路に車に撥ねられて亡くなってしまう。2番目の潜行員ジョン・エイヴリーはその亡くなったテイラーの身柄と彼が受け取ったフィルムの受け取りに彼の弟という身分でフィンランドに入国する。しかし彼はマグビーと名乗っていたテイラーが本名を記した運転免許証や服を持っていたことで疑いを掛けられ、魂の冷える思いをする。一応命じられた任務のうち、テイラーの遺体の英国への移送は果たすが、フィルムについては受け取ることが叶わず帰国の途に就く。まだ32歳と若い彼は自国に利益と平和をもたらす諜報機関という仕事に誇りと意欲を持っていたが、この初めての潜行任務で拘束されるかもしれない恐怖と周囲のフィンランド国民全員が自分をスパイであると見破っているかのような疑心暗鬼を陥り、自分の仕事に自信が持てなくなる。そして最後の潜行員ライザー。彼はかつて20年前に陸軍に所属していたの青年兵士でポーランド人である。ルクラーク・カンパニーの一員であるアドリアン・ホールデンが過去のファイルから見つけた強い意志を感じさせる目を持った風貌の写真から彼はライザーを今回の潜行員に選ぶ。面白いのはこの三人の任務での待遇が異なることだ。例えばテイラーは古参の部員であり、今回初めて潜行員に選ばれた男だが、彼にとって海外での任務とはそれまではマドリッドでどんちゃん騒ぎをし、トルコにも再三行った、いわば“美味しい出張”を体験してきた身だ。しかし単にパイロットからフィルムを受け取って帰国する任務で彼は車に轢かれて亡くなってしまう。エイヴリーは部のボスであるルクラークを信奉し、彼の地位を押し上げるのに貢献したい、そのためには初の潜行任務を成功させなければならないと決意する、極めて真面目な部員である。しかし彼は国の機密任務を話せない妻の不満を買い、そして初めての潜行任務で危うい橋を渡ったことで自分にこの仕事が合っているのかと疑問を覚えるようになる。特にフィンランドで孤独な夜を過ごしたことで自分には似合わない、荷が重すぎると感じる。そして最後のライザーは退役した後、修理工場で働いていたが、かつての上司であったホールデンの訪問を受け、潜行員の任務を受けることにする。しかし元々兵士だった彼は今回要求される基地の情報を送るモールス信号に不慣れで、無線技術の専門家ジャック・ジョンソンの指導を受けながら訓練するが、何度も根を上げ、悪態をつく。この3人を通じて諜報活動が私生活に及ぼす影響についてもル・カレは描く。潜行先で亡くなったテイラーの妻と娘は政府からの援助も受けられるか解らない状況で明日を生きていかなければならなくなる。エイヴリーは自分の仕事のことを妻に打ち明けることが出来ず、妻はそれが何も知らないまま、一人息子の子育て夫が帰ってこない家を守る日々に疲弊して離婚を切り出す。そして独身のライザーは訓練の最中にロンドンで自由時間をもらうが女を買うことはできず、孤独な夜を過ごすだけだ。唯一彼は訓練に連れ添うエイヴリーに心を開いていく。そして彼は最後の最後で拠り所を見つける。さらにスパイの心得や取るべき行動なども微に入り細を穿って記述する。例えば初めて潜入任務を行うエイヴリーに対し、スマイリーはフィルムのサイズから質問し、泊まるホテルについて自分の一押しを勧め、ホテル内のレイアウトや贈る花束の花の本数や花の値段、時計をホテルの時刻に合わせること、タクシー代は渋らず、正規料金を払うこと、フィルムを受け取ったらポケットに入れて、カバンに入れてはならないこと、特にスーツケースは周囲の目を引くので危険云々。このように細かい指令も含めてまさに一挙手一投足、指示通りに行うことを強いられるが、その3人の潜行員の任務を通じて知らされるのはどれほど綿密に計画を立てても、全くそのようにはスパイ活動は進行しないということだ。常に変化し、また想定外の事態が起きる。それは事前の調査不足であったり、万に一つの最悪の事態に遭遇したり、もしくは協力者の感情の揺れによって余計な言動がなされ、そこから周囲の注目を浴びたりもする。しかし何よりも潜行員自身が被る多大なプレッシャーによる焦りと緊張が生むミスによるところが大きい。そして本書でもジョージ・スマイリーが登場する。物語の通奏低音のように彼は腕利きの諜報員としてその名を轟かせる。彼こそは諜報に不慣れなルクラークたちに本当の諜報活動というものを教えるために来た、英国諜報部の原理原則そのものなのだ。しかしよくよく考えると物語の発端は東ドイツにソヴィエトのミサイル基地が建設されているという情報を得て、それを探るためのスパイを潜入させよという内容。つまり本書ではアメリカが体験したキューバ危機をイギリスに準えたもので、本来ならばその事実が判明し、そこから国防のためにミサイル基地の殲滅を計画し、遂行するという流れになるのだが、本書はそこまで物語は続かない。あくまで基調としては前作の流れを汲む、一介のスパイの悲劇を描いた物語なのだ。つまり本当の諜報活動を熟知しているル・カレにとって基地の殲滅という行為は国際問題に発展する、いわば戦争であり、そんな戯画的なアクションは現実的ではないとして描かないのだろう。描くとすればあくまで国際間の政治家たちの駆け引きを描いて道筋をつける方向に進むことになるだろう。しかし物語がシンプルなのに対して、細部に力を入れ過ぎたためにバランスの悪い作品になったことは否めない。特にメインの潜行員フレッド・ライザーの章は約250ページと420ページ強の本書でも大半を費やされているが、彼が実際に東ドイツに潜行するのは160ページ以上費やしてからだ。つまりそれまではほとんど訓練シーンにページが割かれているのだ。それはひょんなことから潜行員に選ばれた男の訓練の苦しみと任務の想像を絶する緊張感と国益優先のためにはリスクを排除するために命を切り捨てることさえ厭わない諜報の世界の非情さを対比させるには充分であったが、動きが少なく、地味すぎた。しかし『寒い国から帰ってきたスパイ』と本書に共通するのは孤独なスパイの心の拠り所は女性ということか。スパイがスーパーヒーローでもなく我々と同じ普通の人間、誰かの愛を欲する人間と変わらぬことを本書は前作でのメッセージを更に推し進めたように感じた。


読書数
1,451
最近の読書で 8pt 以上の小説

A 8.00pt 8.00pt 4.41pt

はじめてのキスは乾いていて、なめらかで、日ざしの温もりをたたえていた―1960年の夏、ボビー、キャロル、サリー・ジョンの仲良し3人組は11歳だった。

A 10.00pt 7.61pt 3.95pt

『カササギ殺人事件』から2年。クレタ島でホテルを経営する元編集者のわたしを、英国から裕福な夫妻が訪ねてくる。

S 7.57pt 7.66pt 4.08pt

静岡のゴミ屋敷の焼け跡から、3年前に東京で失踪した若い女性の遺体が見つかった。

A 7.00pt 7.80pt 4.08pt

ベルリンの壁を境に展開される英独諜報部の熾烈な暗闘を息づまる筆致で描破! 作者自身情報部員ではないかと疑われたほどのリアルな描写と、結末の見事などんでん返しとによってグレアム・グリーンに絶賛され、英国推理作家協会賞、アメリカ探偵作家クラブ賞

B 7.33pt 6.71pt 4.36pt

バラードは、ホームレス男性の焼死事件の現場に出向いていた。

A 8.50pt 7.82pt 4.38pt

時は1932年、舞台はアメリカ南部のコールド・マウンテン刑務所の死刑囚舎房。

B 8.00pt 8.00pt 4.08pt

このままでは、殺される―ある朝、シーツについた小さな血の染みをみつけて、ローズはそう口にしていた。

B 7.50pt 7.14pt 3.54pt

あこがれの同級生、真知花梨の故郷を訪れた郡司と栗城。

B 8.00pt 6.50pt 4.36pt

70歳の老人、ラルフの睡眠時間は日に日に短くなり、ついに幻覚を見るようになる。

S 7.61pt 7.93pt 4.33pt

匣の中には綺麗な娘がぴったり入ってゐた。箱を祀る奇妙な霊能者。

B 7.00pt 7.17pt 4.15pt

ロス市警ハリウッド分署深夜勤務女性刑事レネイ・バラードがボッシュと共演。

A 8.00pt 7.32pt 3.78pt

実直さが評判の離婚専門の弁護士が殺害された。現場の壁にはペンキで乱暴に描かれた数字“182"。

B 8.00pt 6.45pt 3.93pt

異能の名探偵が挑む謎の連鎖。殺人の動機、不倫に隠された秘密。

B 6.75pt 6.90pt 3.72pt

練馬のマンションの一室で若い女性の他殺体が発見された。

A 8.00pt 7.67pt 4.61pt

サンフェルナンド市警の刑事として、自発的に未解決事件捜査にあたっているボッシュ。

A 9.50pt 8.50pt 4.36pt

ニューオーリンズ市警最強の麻薬班を率いるジミーは、ある手入れの報復に弟を惨殺され復讐の鬼と化す――。

B 7.50pt 6.25pt 3.33pt

フィンランド国家捜査局で特殊部隊を指揮するカリ・ヴァーラ警部は、術後の後遺症にもめげず超法規的に麻薬を取締まる日々を送っていた。

B 7.67pt 7.00pt 4.30pt

フィンランドはユダヤ人虐殺に加担したか―歴史の極秘調査ともみ消しの指令を受けたカリ・ヴァーラ警部。

A 8.00pt 7.36pt 3.65pt

自らの葬儀の手配をした当日、資産家の婦人が絞殺される。

A 6.62pt 7.02pt 3.26pt

雪に閉ざされた山荘に、UFO研究家、スターウォッチャー、売れっ子女性作家、癖の強い面々が集められた。

S 7.79pt 7.65pt 3.37pt

1955年7月、パイ屋敷の家政婦の葬儀がしめやかにおこなわれた。

B 8.00pt 6.43pt 3.98pt

家業の牧場を騙し取られ、非業の死を遂げた父。

B 8.00pt 8.00pt 4.00pt

鬱の病いを持つ青年ジョー。病院から追い出された上に、里親からも見棄てられ、絶望した彼は遂に自殺をはかる。

B 7.50pt 7.20pt 4.12pt

主人公レネイ・バラードは、ハワイ出身(ポリネシアとコーカソイドの混血)の三十代のロス市警女性刑事、独身、ボクサー犬ミックスの大型雌犬をコンパニオン・アニマルにしているなど、従来のコナリー作品には登場してこなかったキャラクター。

B 7.50pt 6.59pt 3.73pt

都内で働く広太は、合コンで知り合った桃美とスノボ旅行へ。

B 7.00pt 7.31pt 3.77pt

ボディランゲージから嘘を見抜く天才、キャサリン・ダンス捜査官。

S 9.00pt 8.29pt 4.42pt

ボッシュは、ロス市警時代の旧知の知人が本部長を務めるロス北郊の小さな自治体サンフェルナンド市(人口二万人強)の市警察に誘われ、無給の嘱託刑事として勤務するようになっていた(一方で私立探偵免許をあらたに取り直していた)。

A 9.00pt 7.67pt 4.21pt

ボッシュはロス市警退職を余儀なくされ、異母弟のリンカーン弁護士ミッキー・ハラーを代理人に立てロス市警への異議申し立ての訴訟をおこなっている。

A 7.83pt 7.80pt 4.00pt

若槻慎二は、生命保険会社の京都支社で保険金の支払い査定に忙殺されていた。

A 8.67pt 8.13pt 4.19pt

2014年、定年延長制度の最後の年をロス市警本部強盗殺人課未解決事件班で迎えようとしているボッシュは、あらたな相棒として、若き新米女性刑事ルシア・ソト(28歳)と組むことになった。

B 8.00pt 7.00pt 3.14pt

夭逝した天才作家の文学記念館で、奇妙な放火未遂が相次いだ。

A 8.00pt 7.29pt 4.53pt

依頼人アンドレ・ラコッセは殺害容疑で逮捕されていた。女性を絞殺し、証拠隠滅をはかって火を放ったのだという。

A 8.67pt 7.63pt 3.94pt

ロス暴動大混乱の最中に発生し、まともに捜査ができず心に残っていたジャーナリスト殺害事件から20年。

B 9.00pt 6.78pt 4.51pt

雪道の自動車事故で半身不随になった流行作家のポール・シェルダン。

B 7.80pt 7.32pt 4.21pt

妃真加島で再び起きた殺人事件。その後、姿を消した四季を人は様々に噂した。

S 9.00pt 8.08pt 4.41pt

当代最高のハードボイルド作品と言われる、ハリー・ボッシュ・シリーズの邦訳最新刊!冷厳冷徹に正義を貫き捜査を進める一方、仲間や恋人、愛娘に見せるボッシュの優しい姿が胸に響く不朽のLAハードボイルド作品です。

A 9.00pt 7.89pt 4.23pt

ローン未払いを理由に家を差し押さえられたシングルマザーが、大手銀行副社長撲殺の容疑で逮捕された。

A 7.80pt 7.80pt 3.78pt

ニューヨークの地下で拉致された女性は毒の針で刺青を刻まれ、死亡していた。

A 8.00pt 7.57pt 4.09pt

無罪を訴える服役囚が犯人であることを確信して、ボッシュ刑事は調査員としてハラーのチームに加わり、新たな証人を見つけ出す。

B 7.50pt 6.67pt 4.09pt

いつものバーで、いつものように酒を呑んでいた「俺」は、見知らぬ女から、電話で奇妙な依頼を受けた。

B 7.00pt 6.86pt 3.61pt

かつて暴動が起きたエリアで酒店を営む中国人が銃殺された。

B 7.67pt 7.13pt 4.06pt

人員整理のため二週間後に解雇されることになったLAタイムズの記者マカヴォイは、ロス南部の貧困地区で起こった「ストリッパートランク詰め殺人」で逮捕された少年が冤罪である可能性に気づく。

B 8.00pt 7.60pt 3.88pt

犯罪未満の壮大な悪戯を目的とする非営利団体“ZOKU”と、彼らの悪行を阻止せんとする科学技術禁欲研究所“TAI”。

B 9.00pt 6.43pt 3.63pt

野尻湖畔にある修道院の塔で起こった二つの密室殺人。満開の桜の枝に、裸で逆さに吊るされた神父の首なし死体。

B 5.88pt 6.67pt 3.88pt

まるで拾った宝くじが当たったように不運な一日は、一本の電話ではじまった。

B 7.00pt 6.80pt 3.92pt

深夜、ロスの展望台で発見された男の射殺体。後頭部に二発。

A 8.71pt 7.60pt 4.00pt

人口わずか千三百、三方を尾根に囲まれ、未だ古い因習と同衾する外場村。猛暑に襲われた夏、悲劇は唐突に幕を開けた。

B 6.36pt 6.55pt 4.10pt

「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。

S 8.50pt 8.00pt 4.65pt

ロサンジェルスのエコー・パーク地区で、女性二人のバラバラ死体を車に乗せていた男が逮捕された。

B 8.00pt 7.00pt 4.17pt

高級車の後部座席を事務所代わりにロサンジェルスを駆け巡り、細かく報酬を稼ぐ刑事弁護士ミッキー・ハラー。

A 8.00pt 7.88pt 4.42pt

3年間の私立探偵稼業を経てロス市警へ復職したボッシュ。