人魚の眠る家



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人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

2018年05月30日 人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れた―。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。(「BOOK」データベースより)




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人魚の眠る家の総合評価:8.11/10点レビュー 210件。Bランク


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人魚の眠る家の感想


▼以下、ネタバレ感想

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mick
M6JVTZ3L
No.10:2人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

その愛は深い母性か、それとも狂気か

東野圭吾氏が今回選んだのは脳死をテーマにした人の死について。以前『変身』では他者の脳が移植された男の実存性について語ったが、今回は脳死とは本当に死なのかについて語られる。

実に、実に解釈の難しい物語だ。人の生死について読者それぞれに厳しく問いかけるような内容だ。

物語は娘瑞穂が突然の水難事故で心拍停止状態に陥り、回復したが脳の機能が停止した植物人間状態になった播磨夫妻の、娘の回復に一縷の望みを掛けた苦闘の日々が語られる。

まず脳死とは脳死判定を行った上で脳死であると判定された時点で見なされる状態。その時心臓はまだ動いていても、即ち臓器が生きて活動していても脳が機能していなければ脳死、即ち死人と見なされる。改正された臓器移植法ではドナーカードを持っていれば即ち患者の意志と見なされて臓器移植へのドナーとなり、一方ドナーカードを持っていなくても患者の家族が脳死判定をすることに同意し、脳死の判定が下されればドナーとなる。
また一方で脳死判定に同意しなければ当然判定は行われず、従って死亡したとみなされることはない。臓器移植法とは実に奇妙な法律である。本書では人工呼吸器に繋がれて生かされていたとしても脳死と判定されればそれが抜かれることで文字通り息の根を止められるような思いがすると当事者家族の思いが生々しく語られる。

播磨夫妻は一旦それを受け入れるが、お別れの際に握っていた瑞穂の指がピクリと動いたと感じたことからそれを翻し、娘の回復に望みをかける。

つまり本書における瑞穂の状態は正確には脳死ではないのだが、便宜上ここでは彼女の症状、状態について敢えて脳死という言葉を使わせていただく。

物語の中心であるこの播磨夫妻のパートを読めば、本書は脳死と云う不完全死に挑む夫婦の物語として読める。そして別居中の夫が脳と機械を信号によって繋ぐことで人間の、障害者の生活を改善する技術を開発している会社の社長とであることから、最先端の技術を駆使して脳死状態の人間を徐々に健常者へ近づけるよう努力をするのだ。
これを本書の第一の視点としよう。

つまり本書における脳死患者と家族の戦いは播磨夫妻のような富裕層でないとできない戦いなのだ。
私はこれについて金をつぎ込まないと奇跡は起きないと云っていると解釈しない。東野氏のミステリのテーマとして常にある、最新技術を駆使したミステリを描くこと、即ち最先端の技術で人はどのように脳死を乗り越えることが出来るのかを語った物語として読んだ。

しかし上に書いたように本書はそんなたゆまぬ夫婦の努力を描きながら、どこか歪な雰囲気が全体に纏われている。

それは瑞穂の母親である播磨薫子の造形だ。通訳の仕事をしているだけあって彼女は通常の主婦以上に理知的だが、一方で頑として譲れないところがある女性だ。自身そんな自分を陰険だと評している。

そして自分の目的のためには周囲をとことん利用しようと考える女性でもある。
夫の浮気に気付き、解消した後もその後の人生でその悪しき出来事を思い出すのが嫌なために別居だけでなく別れることにしながらも植物人間状態となった娘の生存維持のため、多額なお金をかけて生かすために敢えて離婚を選択せず、しかし一方で別居はそのままとしたところ。

また夫の会社の社員星野が植物状態となった娘の身体を磁気による刺激によって人為的に動かす装置を発明したことで、その後も娘を少しでも健常者に近づけるために、彼が自分へ好意を持っていることを知りながら利用し、そして囲い込もうと企みもする。

但し、そんなことを企みつつも悪女でないという実に不思議な魅力を持った女性である。
それは何よりも全てが娘の回復という奇跡のためにささげられているからだ。

つまり彼女は娘の回復を願うあまりに自分が魅力的であることを自覚しながらそれを最大限活用してとことん他者を利用し尽くす、一つの目的に対して貪欲なまでの執念を持った女性であることが見えてくる。

それは彼女の母千鶴子もまたそうだろう。
自分の不注意で瑞穂を預かっている最中にプールで溺れさせ、植物人間状態にしてしまった負い目を一生背負うことを覚悟し、その後娘の子供を預かることがトラウマになりながら、孫の介護の協力を娘から申し出られると、そのことにその身を捧げることを決意し、それが自分に与えた罰への唯一の償いとして身を擲つ。
しかし彼女の場合はもし同じような境遇にあった場合、それしか選択肢はないようにも思える。

そしてまずは横隔膜ペースメーカー、即ち気管切開せずに横隔膜に電気刺激を与えることで見た目普通の人と変わらぬように呼吸ができる技術AIBSから始まり、先に述べた磁気刺激装置で筋肉を刺激して動かす人工神経接続技術、即ちANCを導入し、さらにそれを発展させ顔面の表情筋をも動かすまでに至る。

しかし一方でこの播磨夫妻が物云えぬ人形のような瑞穂を機械の力で動かすところを見て戦慄を覚え、神への冒瀆だとまで云う人々もまた現れる。
これが本書の第二の視点だ。

脳死状態で本来なら手足も動かせない我が子に電機や磁気で刺激を与え、動かすその行為そのものに親の愛情に狂気を見出し、悲鳴を挙げて逃げ出す、その技術を施したハリマテクスの社員星野祐也の恋人川嶋真緒。

電気仕掛けで動く孫に衝撃を覚え、そうすることを選んだ嫁の行為に嫌悪感を抱く播磨和昌の父多津朗。

脳死と云われているのに大金を投じて手足を動かす薫子を異常だと評する薫子の妹の夫。

それだけではなく、瑞穂の弟生人は小学校の入学式で母親が瑞穂を連れてきたおかげで周囲からいじめを受け、瑞穂が死んだと云わざるを得なくなり、それによって生人の中で瑞穂への見方が変わってしまう。

さらに先天性の病気で臓器移植を待つ幼い娘を持つ家庭のことも描かれる。
これが第三の視点だ。

もし脳死判定によって死亡が確定し、ドナーが現れれば助かったかもしれない命。それを待つ側の夫婦の話が描かれる。

このように植物人間となった少女1人を通じて物語はそれぞれの取り巻く状況を深く抉るように描かれる。

そして瑞穂のところに特別支援学級から定期的に派遣される特別支援教育士の2人。

最初の米川先生はどうにか瑞穂に意識を戻らせようと音楽を聞かせたり、話しかけたり、楽器を演奏してみたりと積極的に関わる。

一方その代わりに来た新章房子はひたすら本を読み聞かせ、薫子が席を外している時はそれさえも止めてじっと娘を見つめる無表情な女性。

この2人の対照的な教育士の話は実に興味深い。

こういう端役にも厚みを持たせるエピソードを持たせる東野氏は実に上手いと唸らされる。それが登場人物の造形を深くする。
上に挙げた以外にもまだあるので少し述べよう。

まず思わず目頭が熱くなったのは播磨夫妻の娘瑞穂の四つ葉のクローバーのエピソードだ。

そしてアメリカでの娘の臓器移植手術に一縷の望みを託す江藤夫妻の話もそうだ。

上にも書いた瑞穂の許に派遣される特別支援教育士新章房子が瑞穂に話す童話の話。この何気ない物語に隠された新章房子の真意とそして薫子が生んだ誤解。

随所に挟まれるこれらのエピソードが登場人物に厚みを持たせ、そしてそれぞれの行動原理に意味を持たせ、物語全体を補強する。物語巧者として匠の域に達した感がある。

それだけではなく、臓器移植法について単に法律を紹介するだけでなく、それに向き合う医師の言葉で解釈を据えるのもまた物語を補強する要素となっている。

上に書いたように脳死判定で脳死と判定されれば患者は死んだとみなされ臓器移植が成される。しかし一方で心臓は生きているため、完全死ではない。そこにこの法律のジレンマがあるが、その基準となる竹内基準を人の死を定義づけるものではなく、臓器提供に踏み切れるかどうかを見極める境界を決めたものだという解釈だ。

ポイント・オブ・ノー・リターン。つまりそこに至れば今後脳が蘇生する可能性はゼロである。
つまり正式には「回復不能」、「臨終待機状態」と称するのが相応しいが、役人たちは「死」にこだわったため、脳死という言葉が出来たようだ。

この話は私の中でようやく脳死判定に対する解釈が腑に落ちた感がした。
心臓が生きているから死んでないと解釈するからややこしいのであってそこからは回復が望めないと判断される境界であると実に解りやすく解釈すれば、受け取る側も理解しやすい。
やはりこういうデリケートな内容は医師を中心に法律を決めさせたらいいのではないかと思う。

介護をされながらも生きることは介護をする側に負担を強いることだ。それは介護する側の精神をすり減らし、いつ終わるかもしれぬ無間地獄を強いることでもある。
どんな形でも生きてほしいと望みながら、いつこの苦しみは終わるのだろうといつしかその死を望むようになる。それが現代介護の厳しい現実なのだ。

そうやってまで生きること、生かされることに価値があるのか?
寧ろ上にあるようにもはやそこからは回復できないと判断された時は自分を「生かす」のではなくせめて他人のために「活かし」てほしい。そのための臓器移植法だと我々は解釈せねばなるまい。

本書の最大の謎とは播磨薫子と云う女性そのものだったと読み終わってしみじみ思う。
子供の愛情が強く、少しでも可能性があるのならばいつか回復するものと信じて娘が脳死と見なされることを拒否し、生かそうとする。

ここまでは普通の母親の姿だが、そこから更に彼女は夫の会社の技術と財力を利用して娘に最新技術による人工呼吸法、磁気で刺激して手足を動かし、更には顔の表情まで作ろうとする。そしてそれを介護の成果として周囲に見せるが、そんな状態を見てただの親のエゴによる自己満足に過ぎず、子供を玩具にしているものだと嫌悪される。

一方で幼き娘に臓器移植の手術をアメリカで受けさせるために寄付を募るボランティアに参加し、脳死判定と云う曖昧な基準で幼児の臓器移植が一向に進まない日本の現状について議論を吹っかけ、更に臓器を待つ両親にその気持ちを問い質す。

更に娘を完璧に近づけようとするが、やがて周囲の目が娘を死人とみていることにショックを受け、警察を呼び、自ら包丁を持って、娘を今目の前で刺したら殺人になるのかと問う。
その有様はほとんど狂える母親にしか見えないのだが、云っていることは論理的で矛盾がない。その圧倒的な迫力に気圧される。

しかしその一件で何か憑き物が落ちたかのように一転して今度は自分一人で娘の世話を見ることを決意する。もはや周囲に娘が生きていると納得させることも放棄したかのように。
その姿はしかし世捨て人や隠遁者と云った雰囲気ではなく、悟りを開いた、そう菩薩のように見える。

娘の死を受け入れた以降は娘の葬儀の準備に奮闘する。

彼女がふと漏らすのは母親は子供のためには狂えるのだという言葉だ。それを本当に実行したのが彼女であり、そのことだけが彼女の謎への解答となっている。

しかし播磨薫子は周囲を気にせず、全て自分の意志で行い、そしてそれを貫いた。
彼女はただ納得したかったのだ。周囲の雑音に囚われず、娘がまだ生きていることを信じ、そのために出来ることを全てした上で結論を出そうとしていただけなのだ。
それは飽くなき戦いであり、それを全うしただけなのだ。
これだけは云える。彼女は信念の女性だったのだと。

倫理観と愛情、人の生死に対する解釈、それによって生まれる臓器移植が日本で進まない現状。
子を思う母親の気持ちの度合い。
難病に立ち向かう夫婦と現代医学の行き着く先。

そんな全てを播磨薫子と瑞穂の2人に託して語られた物語。色々考えさせられながらも人と人との繋がりの温かさを改めて感じさせられる物語でもある。
情理のバランスを絶妙に保ち、そして我々に未知の問題と、それに直面した時にどうするのかと読者に突き付けるその創作姿勢に改めて感じ入った。

子を持つ親として私はどこまでのことをするのだろう。読中終始自分の娘の面影が瞼に過ぎったことを正直に告白しよう。我が娘が眠れる人魚にならないことを今はひたすら祈るばかりだ。
こういう物語を読むと遠い異国の地で家族と離れて暮らす我が身に忸怩たる思いがする。これもまた東野マジック。またも私は彼のマジックに魅せられたようだ。



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Tetchy
WHOKS60S
No.9:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(3pt)

帯の言葉はどこへいった!

作家生活30周年記念の2作目の超大作。
「脳死」と「臓器移植」について思い悩む家族の心境が書かれた重い物語。
文庫本の帯にあった「答えてください、娘を殺したのは私でしょうか」、これが本編にほとんど書かれていないのが大いに不満。以下、ネタバレへ続く。
帯の過大評価に憤慨した作品であった。
プロローグとエピローグだけ読めば話は終了する、本編がその説明になっている読まされる本になってしまった。
評価が分かれる東野作品では個人的には3作目。
この作品も映画化されるようだが、多分ラストを変えるでしょうね。


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yoshiki56
9CQVKKZH
No.8:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
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人魚の眠る家の感想

死の定義について考えさせられる作品。人それぞれの考え方で、それを追及する立場にはないが、作品の中では瑞穂ちゃんの言葉と、その後のストーリーに違和感はなく読めました。

kmak
0RVCT7SX
No.7:
(5pt)

人魚の眠る家の感想

すみません、最後まで読みきれませんでした。
脳死など人の生死をテーマにしています。
文章が重く、且つ興味がないことだったので途中でドロップアウトしました。
東野作品では初めてです。
賛否ある作品だと思います。

ぺこりん12
M5MH63SF
No.6:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

人魚の眠る家の感想

考えさせる内容だった

呑んだくれ
P3S7II56
No.5:
(5pt)

人魚の眠る家の感想

東野の文章で重い話を
うまく伝えてます。
予備知識がないので
何時、殺人事件が起きるのかと
読み進めたため 
ちょっと違和感を感じた。
エビローグは前の東野なら
本文に、もっとからんできたような気がする。
ちょっと中途半端

jethro tull
1MWR4UH4
No.4:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)
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人魚の眠る家の感想

「生と死の定義」・「移植手術の可否判断」など一貫して重いテーマで進んでいく。幻想的なプロローグは好対照。

水生
89I2I7TQ
No.3:3人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

人は、いつ死ぬのか(非ミステリー)

脳死を巡る家族と社会の物語。ミステリーではないが、どんどん引き込まれていく傑作エンターテイメントである。
離婚を前提に別居生活していた和昌、薫子夫婦は、娘、瑞穂がプールで溺れて緊急病院に運ばれ、意識不明のまま回復の見込みなしと診断され、臓器提供の意志を問われる。一晩話し合った二人は臓器提供を申し出るが、脳死判定のための最後のお別れの場面で、娘の手が動いたと感じたため、急遽、脳死判定を断った。莫大な費用と労力をかけてまったく意識のない娘を生かし続けることを選択した二人だったが、その選択は間違っていなかったかどうか、常に苦悩することになった。
「脳死」と「臓器移植」をテーマに、「人が死ぬとは、どういうことなのか」、医学的、生物学的、哲学的、人情的、法的、社会的な判断基準の多様性、曖昧さの間隙をついて、物語は思わぬ方向に展開され、クライマックスでは極めて重い問いかけを投げかけてくる。日頃何気なく新聞やテレビで目にする「脳死」、「臓器移植」について、もう一度、深く考える契機となる作品だ。
とは言え小説としてのレベルも高く、多くの読者にオススメしたい。

iisan
927253Y1
No.2:
(3pt)

人魚の眠る家の感想

期待した内容ではなかった。

ビッケ
K1LY4PU3
No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)
【ネタバレかも!?】 (1件の連絡あり)[]  ネタバレを表示する

考えさせられる

人の死は何をもって定義されるのか、重たいテーマで描く内容はずっしり来ます。
考えさせられる作品です。

J.M
5N544G8O
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