トム・ゴードンに恋した少女
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| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt | ||||||||
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本書は森に迷った9歳の少女のサバイバル小説である。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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| 道が見えるとはどういうことなのか。世間の心配をよそに現実はまったく別の様相をしている。そして進むしかない…。 「考えすぎると、ちゃんと焦点を合わせて見ると、見失っちゃうからね。」 | ||||
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| しわくちゃになるまで 何回も読んでます | ||||
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| (Kindle化され)全面改稿されたと聞き、読んでみることにしました。スティーヴン・キングを読むのは「ミスター・メルセデス」(2016/8月)以来になります。「キャリー」から「クージョ」までを狂熱的に読み続け、間が空いて、『11/22/63』でそのキング熱がまたぶり返し、また少し熱が冷めての繰り返しでした。 彼は常に米国をシンボライズする具体的な商品名の羅列によってホラー、スリラー、そして米国という「国家」の危うさを表現し続けています。今回は"MLB"という商品(笑)。 九歳のトリシアはパパと離婚したばかりのママと兄のピートと共に日帰りのハイキングに出かけますが、或る理由からハイキング・コースを逸れてメイン州の森の中へと取り残されてしまいます。その森の中でのサヴァイバルの一部始終がベースボールの試合展開になぞらえられるように繰り広げられていきます。その血と涙と負けん気の(美しいと言ってもいい)一部始終。 或る種のスリラーについてディティールを描くことは叶いませんが、トリシアが愛するボストン・レッド・ソックスのクローザー、トム・ゴードンの姿に想いを託して彼女はあらゆる困難に非力ながら立ち向かっていきます。 <ソックスが勝てば・・・もしトムがセーブできたら、あたしもきっとセーブ(救助)される>(p.80) そう、この物語はそれだけの物語です。よって、私たちはその一球を追って最後まで固唾を呑む。試合終了まで。 ◾️「トム・ゴードンに恋した少女 "The Girl Who Loved Tom Gordon"」(スティーヴン・キング 河出文庫) 2024/10/13。 | ||||
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| 随分前に(二十年くらい経つかも)読んだんだけど、河出文庫に入って刊行されたのを知り、久しぶりに再読しました。 九歳の少女トリシア(パトリシア)が、母と兄からはぐれて迷子になり、森の中をさ迷うその様子を描いた、ほんとにシンプルな話なんだけど、それがどうしてこんなにも心を震わせてくれるのか。胸を熱くさせてくれるのか。「こんだけ、話んなかに入り込ませてくれて、まるで自分がトリシアになったみたいな気持ちにさせてくれるこの芸当ってのは、やっぱ、キングならではだよなあ」てなこと思いながら、頁をめくってました。そのめくり方も、終盤になるほどに速くなっていくのを、もう、抑えることはできませんでした。 この辺りのこたえられない読み心地については、訳者の池田真紀子さんが、巻末「あとがき」で、こんなふうに書き記しています。 《それにしても、「少女が森でサバイバルする」だけの物語がどうしてこれほど面白いのだろう。世界最高のストーリーテラーの作品だから、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、私たちの住む日常世界と魔物の棲む異世界の境界線は、私たちが想像しているよりずっと手前にあり、本書でトリシアがしたように、ハイキングコースからちょっと外れただけで簡単に踏み越えてしまうような細いもので、しかもいったん越えてしまったら最後、魔物にむんずとつかまれ、容易には帰らせてもらえないというキング作品の大半に共通するモチーフが、物語が単純であればあるほどくっきりと浮き彫りになるからではないだろうか。》p.307 それと、トリシアの弱気になった心の支えとしてあるのが、大リーグはボストン・レッドソックスの押さえの投手(ピッチャー)、トム・ゴードン。彼が九回のピンチをしのぎ、セーブに成功した時にするのが、天を指さすポーズなんですね。このポーズ、大谷翔平がその一員として戦っているロサンゼルス・ドジャースの中継ぎ(時によっては、抑えの)投手、トライネンもするよな、てなことも、ふっと思い浮かべました。 にしても、森に迷ったアメリカの一人の少女の心の強い支えとなる力を、大リーグの選手は持っているのだなあ。きっと、我らが大谷翔平も、多くの少年少女の野球ファンにとって、そうした〝スター〟の輝きを放つ特別の選手なのは間違いありません。 おっと、話が妙な方向に逸れてしまった‥‥。トリシアみたくおかしな道に迷い込まないうちに、この辺で失礼します。 | ||||
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| 1998年6月、9歳のトリシア・マクファーレンは母親と兄ピートとメイン州南部で暮らしていた。ある日、母親は子どもたちを連れてアパラチア遊歩道にハイキングに向かう。母は1年ほど前に離婚していて、兄のピートはそれ以来、母との折り合いが悪くて常に口喧嘩をしている。ハイキング中も相変わらずで、二人の喧嘩にうんざりしたトリシアは、用を足そうと遊歩道をはずれて森の奥へと入り込んでしまう。済ませた後ですぐに二人に追いつこうとしたが、もはや自分がどこにいるのかわからなくなっていた。森から脱するために少女が頭の中で孤独な対話を続けた相手は、大リーグの名リリーフ投手トム・ゴードンだった……。 ------------------------------ モダン・ホラーの帝王スティーブン・キングの1999年の作品です。キングお得意のおどろおどろしい超常現象が起きる――ということはなく、深林の中で迷子になった幼い少女が、持てるバイティリティを最大限に発揮していくサバイバル小説です。 先の見えない極限状況に置かれたトリシアの頭脳は高速回転を始め、これまでの9年間で周囲の大人たちから聞かされた金言、箴言の数々を思い返していきます。 「いつも思い通りにいったら罰当たり」(父の口癖/28頁) 「辛(つら)いときは幸運を数え上げること」(母の口癖/36頁) 「手遅れでもやらないよりはまし」(パパならそう言っただろう/53頁) 「お嬢ちゃん、いいことを教えよう。ことによると、いやなことはもう起きるだけ起きてしまったのかもしれないよ」(トリシアが自分に言い聞かせる/54頁) トリシアは危難の中でこうした言葉を噛みしめ、そして自分なりに成長の糧としていきます。その姿がとても凛々しく感じられます。 ですが、いつまで立っても脱出劇の終わりは見えず、トリシアの心と体は限界まで追い詰められていきます。 「人生はひどく惨めなものなのかもしれないとトリシアには思えた。そして、人生とはたいてい惨めなものなのだ。世間の人々は、そうではないふりをして生き、子どもが怯えたり失望したりしないよう、子どもには嘘を聞かせる。【……】世界には歯があって、油断していると噛みつかれる。いまのトリシアはそのことを知っている」(201頁) 大人になることとは世界や人生の過酷さを悟ること。そんな真実を見つけたトリシアの思いをニヒリズムの現れと捉えることも可能かもしれません。無辜な少女が、世間に対して斜に構えた大人へと変容していく様子が見られ、誰しもが避けては通れない成長に伴う痛みを感じないでもありません。 しかし、トリシアのニヒリズムの先にあるのは絶望感ではありません。 「 “人生はそういうものだから”それが気に入らないなら、番号札を取って出口に並べばいい」 「トリシアは思った――いろんな意味で、いまの自分はピートより大人になった」(ともに201頁) このように少女の過酷な成長を描く教養小説(ビルドゥングスロマン)として読むことが可能な物語ですが、その一方でこれは特異な信仰告白でもあるように感じられました。というのも、トリシアが「神とは何か」と壮大な質問を父にすると、父は「環境音(サブオーディブル)」だと答える場面が挿入されます。(84頁) 「サブオーディブル」とは、冷蔵庫のスイッチが入ったときやパイプ式暖房機が時折たてる音。意識していないと気づかない、日常生活で出会う背景音のようなもののことです。神とは、何らかの力がそこには働いているけれど、人間の意識にのぼらない何かであり、その意味では背景音だというのです。そしてその何かのおかげで、大多数の人間が死なずに済んでいる。 「その何かは、慈愛にあふれた、すべてお見通しの完璧な神じゃあない。そんな神じゃなく、何らかの力だってことを示してる」(87頁) 私はこのくだりを読んで、サリンジャーの『 | ||||
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