スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編
- キャッスルロック (5)
【この小説が収録されている参考書籍】 |
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点10.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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先頃読んだ『ゴールデンボーイ』に収録された2編と合わせて『恐怖の四季』として編まれた(原題は“Different Seasons”とニュアンスが異なるのだが。正しくは本書収録の前書きに書かれている『それぞれの季節』が正しいだろう)中編集の後編に当たるのが本書。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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実写映画版は書籍版読了当時たしか 未視聴。 書籍版読了後大分経ち後に 劇場版も視聴し結構グロテスクな表現もあったのだなと。 若い頃読んだ書籍版の印象としては、 主人公とクリス(だっけ?)の関係性に、 デミアンのそれとはまた似て非なる純愛や(根っこの部分は同じかも)、 現実的な意味でのままならなさを感じ、 クリスが逆説的に格好良すぎる生き様を完遂した一方、 主人公はそんなクリスに対し、 事後的に感傷する事しかできない虚無的な哀愁に、 もののあはれを感じました。 オチは尊敬してます。 主人公の、クリス以外の友人達が若干当て馬ぽいですが。 | ||||
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映画の予告編とあの音楽だけで明るく楽しい青春ものだと思い込んでいました。原作はなんと深刻で重苦しい話なのかとびっくりです。映画はもっと明るく希望的に描かれているんでしょうか。 スティーブン・キングの半自伝的小説だそうです。 誰もがお互い顔を知っているような小さな町の閉鎖的な社会。白人でも貧しい家庭、家庭内暴力、子供に無関心な親たち、どうしょうもない不良で暴力的な兄たち。親だけでなく教師をはじめとする大人たちも問題あり。そんな環境で少年たちは必死で日々を生きています。 そんなある日、稀な非日常の機会が訪れます。行方不明になっている少年の死体が町の向こうに放置されているというのです。そこまで行ってみようと4人の少年たちのひと夏の冒険が始まります。 なんとかしてひどい境遇から抜け出そうとした親友は、見下しや嫌がらせにもめげず必死で大学に進学したのに、頭のおかしい男に刺されて死んでしまう。4人の少年のうち残っているのはもう自分ひとりしかいない、作家になった僕が子供時代を回想して書いたのがこの物語です。 この世は不公平で理不尽さに満ちている、貧困と無知の悪循環から逃れることができない絶望感。感動作と呼ぶ人が多いようですが、確かに強烈に心を動かす作品です。が、私にはものすごく苦い、やりきれない話に思えました。メンタルが弱っていたり状況がよくない人にはあまりおすすめしません。 「マンハッタンの奇譚クラブ」いわゆる奇妙な味の小説。 話をどんどん膨らませて人が引き込まれるような物語を作ってしまうのがキングの才能だとしたら、そのまさにわかりやすい例がこの小説という気がしました。 凍てつく冬のマンハッタンで、雲の上の人だと思っていた法律事務所のトップにいきなり「一緒にクラブに行かないか?」と招待された部下の弁護士の主人公。そのクラブは正体不明の執事が仕切っていて、膨大な蔵書と大きな暖炉のある格調高い場所。クリスマス前の木曜日には毎年メンバーの誰かがとっておきの話をするという決まり事があります。 結局このクラブはいったい何なのか?誰がどうやって運営しているのか?ちらりと超自然なこともほのめかされますが、最後までその謎は明かされません。 それにしても最後に老医師が語った昔の医療事情や凄惨な出産場面と交通事故は、細部まですべてを書く必要があったのか?と思いました。あの残酷さがキングの特徴かもしれませんが、静かな冬のクラブとの対比がものすごいだけに読み終わってしばし茫然としてしまいました。 キングの筆には強烈なパワーがあります。そして一見とてもアメリカンなんですが本質は暗いと思います。ただのおもしろい娯楽作品ではありません。それでも奇抜な展開に引き込まれつい最後まで読んでしまいます。 | ||||
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まず、驚いた。映画のイメージが強すぎて、よくある青春小説、少年時代に別れを告げ、大人になっていった思い出の物語なのだと思っていた。井上靖の「北の海」を読んだとき、この作品を思い出し、自分のなかで同ジャンルと思ったほどだったが、全くの見当違いであった。あの映画は、こんなに悲しい物語であったのか。「死体探し」に出かけるという、単なる冒険譚、青春小説では、決してない。 4人の子どもたちが12歳にしてすでに背負っている人生の荷。ゴーディとクリスの友情。死体となっている少年、レイ=ブラワーに対する思い。年上の不良少年たちに立ち向かいながらも、最後はやっぱりやられてしまう4人。そして、この物語が書かれているとき、すでに3人が亡くなっていたということ。しかも、普通の死に方ではない。揃いも揃って皆、悲惨な死に方をしていること。ゴーディに「バーンとテディとは別れろ。二人がお前の足を引っ張るのだ」と熱心に語ったクリス自身が、この二人と離れ、別な道を進み始めたにも関わらず、なんとしても抜け出したかったものから抜け出せなかったようで、胸が締め付けられる。 12歳の少年クリスが、すでに長い人生を生きてきた老人のように、ゴーディに語る場面はとても印象深い。クリスの予想通りの人生をたどってしまうバーンとテディの姿が悲しい。太って醜い中年にはなったが、エースが生きていることが、3人がすでにこの世にいないことを、ますます際立たせる。幼い肩に背負っていたものはあったとしても、あんなに屈託なく生きていた3人に、なんとか生きていてほしかった。 作者は「12歳のときのような友達を、その後、もったことはない」と言いながら、友達とは決して長続きするものではなく、レストランの皿洗いのようなもの、とも言う。真実と思う。最も心に残った言葉。「ことばは有害なものなのだ。愛には牙がある。噛みつくのだ。その傷は決して癒されない。無言であること、ことばを組み合わせたりしないことが、そういう愛の傷をふさぐ役目を果たす」全く真実と思う。 悲しい物語ではあるが、やはり随所にキングらしいさわやかな描写が多い。キャンプファイアの火に焼ける、肉汁のしみ出した肉。夏の朝の清々しさ。ゴーディが雌鹿と出会う場面。言葉を交わさなくとも、多くを通じ合った雌鹿との会話。レイ=ブラワーを発見するときの森の様子、嵐や雹。どれもこれも美しい。また、作中にゴーディの作品として、若き日の習作を二つ挿し入れている構成の巧みさも、うなってしまうほど見事である。映画化された作品を見て、果たしてキングは満足であっただろうか?それほど、映画だけでは表現できない悲しさと美しさが原小説にはある。 キングの小説は、言葉の量が多く、中短編といっても簡単には読みこなせない。これでもか、これでもか、という具合に言葉が降りかかってくる。まさに、言葉の洪水の中にいるようだが、その言葉の一つひとつをじっくり味わうことができる。 もうひとつ。クリスを刺した男は、ショーシャンク刑務所を出てきたばかりだという。最後にこうつなげるあたりも、いかにもキングの作品という感じがした。 | ||||
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映画を見てハマったのですが小説だと映画には無いシーンが沢山あって良かったです。 | ||||
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自分の小学生の頃(40年以上前)のまんまです。意地悪で乱暴な上級生(友達の兄貴たち)たち根性試しの鉄橋渡りに探検(防空壕に人の骨があるって噂)に探検先で上級生とかち合うもうまんまそれです。沼にはまり川では溺れそうになったり、怖いおじさん(屑鉄屋)に都会から引っ越してきたマドンナに…。初めて読んだのは扶桑社から創刊された恐怖の四季シリーズだったと思います(30年以上前です)。あまりにも自分の人生と重なり過ぎてて驚きですが昭和の頃はみんなこんな体験してると思います。これと刑務所のリタヘイワースは自分の人生のバイブルです。 | ||||
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