スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編



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スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

1987年03月25日 スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

行方不明だった少年の事故死体が、森の奥にあるとの情報を掴んだ4人の少年たちは、「死体探し」の旅に出た。その苦難と恐怖に満ちた2日間を通して、誰もが経験する少年期の特異な友情、それへの訣別の姿を感動的に描く表題作は、成人して作家になった仲間の一人が書くという形をとった著者の半自伝的な作品である。他に、英国の奇譚クラブの雰囲気をよく写した1編を収録。 (「BOOK」データベースより)




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斯くも自由奔放に物語の世界を羽ばたく珠玉の作品集

先頃読んだ『ゴールデンボーイ』に収録された2編と合わせて『恐怖の四季』として編まれた(原題は“Different Seasons”とニュアンスが異なるのだが。正しくは本書収録の前書きに書かれている『それぞれの季節』が正しいだろう)中編集の後編に当たるのが本書。

この四季をテーマにした中編集で「秋の目覚め」と副題がつけられたのがかの有名な作品である表題作「スタンド・バイ・ミー」だ。

本作については詳細を語る意味はないほど、有名な映画で知られている内容だ。
しかし当時映画で観た時よりもキング作品を順に読んでいったことで気付かされたことがある。これはやはり今までキングが書いてきた作品の系譜に連なる作品なのだと。

キングの作品の系列の1つにロード・ノヴェルがある。それはある設定の下にただ単純に歩くだけ、走るだけ、移動するだけの作品だ。
『死のロングウォーク』や『バトルランナー』が有名だが、超大作『ザ・スタンド』も新型インフルエンザのパンデミックで大半が死に絶えたアメリカを安住の地を求めて生存者が旅をする箇所が盛り込まれていることからその系譜に連なる作品になるだろう。

そしてこの「スタンド・バイ・ミー」はそれらの系譜に連なる作品であり、実はキング作品の中ではありふれたものなのだが、その内容の瑞々しさが他の作品よりも高く評価され、抜きんでいるように思える。発表されたのは上記の作品以後だが、本書の収められた作者の前書きでは脱稿したのは2作目の『呪われた町』の後だからずいぶんと早い段階である。
ただ『死のロングウォーク』はキングが大学時代に書いた作品なので、ロードノヴェルとしては2番目に当たるだろう。まだ作家になりたてのキングのフレッシュさがここには満ち満ちている。

映画の時には細部まで気付かなかったが冒険に旅立つ4人の少年たちの境遇は決して幸せではなく、問題を抱えた家庭で強かに、そして逞しく生きる姿が描かれている。

物語の主人公であるゴーディはキング自身を投影したかのような、物語を書くのが大好きな少年で、他の3人とは違った比較的裕福な家庭の子供だ。しかし両親は次男の彼よりも学内のスターであり、軍へ新兵として入隊した兄デニスに関心を大いに抱いていたが事故で亡くなったことにショックを受け、それ以来茫然自失の毎日を送り、「見えない子」になってしまっている。

4人のうち、最もゴーディと親しいクリスは頭がいいが、乱暴で飲んだくれの父親に殴られる毎日を送っており、2人の兄は町で札付きの不良として有名で、彼らが酒を飲んで狂暴になるのを目の当たりにしているがゆえに、酒を飲むことを頑なに恐れている。

眼鏡をかけたテディはどこかネジの外れた大胆さと口の悪さを誇るが、第2次大戦から帰ってきた父親にストーブに10回側頭部を打ち付けられたせいで耳が爛れ、補聴器無しでは聞こえなくなってしまっている。目は自然に悪くなったがほとんど見えないらしく、それなのにいつも度胸試しのため、道路の真ん中に立ってギリギリ当たるか当たらないかのスリルを味わうゲームに興じている。そして彼は自分にひどい仕打ちをした父親をノルマンディ上陸を果たした兵士として尊敬し、彼の送られた精神病院に定期的に母親と見舞いに行っている。

彼ら3人に死体を見に行く旅を持ち掛けたバーンもまた兄が町で有名な札付きの不良で、彼らはクリスの兄たちとつるんでは悪いことをやって幅を利かせている。しかし彼は兄と違って弱虫で、それを知られているにも関わらずタフを装っている。

そんな愛すべきバカたちの冒険はかつて少年であった私たちの心をくすぐり、離さない。映画も名作だったが、原作の小説もまた名作であることを認識した。

本作は誰もが一度は経験する大人になるための通過儀礼として描かれているのもまた読者の胸を打つ。
少年・少女から大人の階段を登り始めるために訪れる大きな変化。それがゴーディ、クリス、テディ、バーンにとって死体を見に行くことだったのだ。

私も子供の頃に経験したある思いがここには再現されている。案外子供たちは大人たちの知らない間に大人になっているということに。
子供たちだけの冒険は彼らを自然と精神的に成長させる。そして時に思いもかけないことを話したりするのだ。

クリスはゴーディに自分たち3人とは別のクラスに進んで真っ当な人生を歩めと告げる。クリスは旅の途中で話してくれたゴーディのパイ早食い事件の創作物語を聞き、いつか訪れる友との別れを今回の旅で悟ったのだ。

クリスが死体を見つけ、そして不良たちに立ち向かいながらも無事に済んだことを評して「おれたちはやった」という。
しかしその言葉から感じた意味はそれぞれで違っていた。それは彼らにとって少年期の終わりを示すことになったのだろう。

そして本作には映画にはなかった“その後”が描かれているのも興味深い。

とにかく色々な思いが胸に迫る物語である。後ほどまた本作については語ることにするが、何よりも本作が自分にとってかけがえのない人生の煌めきのようなものを与えてくれた作品になった。

最後の冬は「マンハッタンの奇譚クラブ」。マンハッタンの一角にあるビルで知る人のみ参加できる紳士のクラブの物語。

いやあ、なんとも云えない、物凄いものを読んだという思いがひしひしと込み上げてくる作品だ。
マンハッタンの一角のビルで毎夜開かれているクラブでは会員の誰かがいつの間にか煖炉の前に集まり、話をし始める。自らの戦争体験や若かりし頃に出くわした驚きの事件など。弁護士の1人はある日血塗れになった上院議員が狂ったように上司を呼び出すよう指示してきたという、いかにもありそうな非常時の物語から女子教師が移動式トイレに嵌って出られなくなり、そのまま運ばれてしまうと云った笑い話まで様々だ。

そして主人公がクラブに通うようになって10年経ったとき、古参の常連が初めて皆の前で話を披露する。その話とは医者である彼が若かりし頃に出逢った若く美しい妊婦の話だった。

今ではシングルマザーに対する理解は深まったものの、物語の舞台となる1935年ではそれは教義、道徳、倫理に反した不浄の者として蔑まされていた時代だ。そんな厳しい時代に遭って、マキャロンの前に現れたサンドラ・スタンスフィールドは毅然とした態度で左の薬指に指輪がないことを隠さず、彼に出産の協力をお願いする。
俳優を目指してニューヨークに出てきた彼女は演技教室で知り合った男性と関係を持ち、妊娠が発覚した途端、相手の男が去ってしまう境遇に置かれた。しかしそれでもなお自身の赤ん坊を産むことを決意した彼女の強さにマキャロンは女性としても魅かれながら、人間として魅かれていく。そしてマキャロンはまだ当時一般的でなかった独自の出産法をサンドラに勧める。そのうちの1つが今ではラマーズ法と呼ばれる呼吸法だった。
しかし彼女に訪れたのは悲劇だった。

陣痛が始まったクリスマス・イヴで雪の降りしきる中、病院の外で出産をするシーンは今まで私が読んできたどの物語よりも想像を超えた、凄まじく、そして感動的な場面だった。

収録された4編の中で比較的無名の存在だった本編も他の3編に負けない物語の強さを誇っている。
それは奇跡というには凄惨で、母の生まれてくる子供に対する力強い愛情の物語というには悲愴すぎる。クリスマス・イヴに誕生した赤ちゃんの物語としてはこれ以上の物はないだろう。
こんな状況で生まれながら、健在であるハリソンという苗字だけ解る人物のことを私は胸に刻んでおこうと思う。今後のキング作品に出てくることを期待して。

更にこのクラブとしか称せない富裕層の老人たちの憩いの場所も不気味な不思議に満ちている。どこの図書館にもなく、また文学名鑑にも記載されていない作品や作家の作品が多く収められ、そのどれもが傑作。そんな夢のような空間で語られるのはこれまた百戦錬磨の老人たちによる、夢にまで出てくるような印象深い話。
最後に語り手のデイビッド・アドリーが世話役のスティーヴンスにそれらの秘密を尋ねるが、彼は世話役の表情を見て踏み留まる。
彼が代わりに聞くのは他にも部屋はたくさんあるのかという問い。その問いにそれはもう迷ってしまうほどたくさんあると世話役は答える。そして最後にここにはいつも物語があるとスティーヴンスは答えるのだった。

世話役スティーヴンスはその名前が示す通り、スティーヴン・キングその人であり、クラブ自体がキングの頭の中を指しているのだろう。
彼の頭の中はいつでも物語が詰まっている。それもこの話で語られた老いた医者が語るような、読者の想像を超えた恐怖とも感動とも取れるまだ読んだことのない極上の物語が、いつでもそのペン先から迸るのを今か今かと待ち受けているかのように。


『恐怖の四季』後半はかの有名な映画『スタンド・バイ・ミー』の原作が収められている。しかし本書の題名に冠せられている作品が映画化され、大ヒットを記録したため、日本ではこちらが先に刊行されたことでこの秋・冬編がVol.1とされており、収録順が前後している。

従って本来前半部に当たる『ゴールデンボーイ』に収録されるべきであろうキング自身の前書き「はじめに」が本書に収録されており、なんとも奇妙な感じを受ける。
なお本書は1985年3月に刊行されており―私が手にしたのは50刷目!―、『ゴールデンボーイ』はちょうど1年遅れの1986年3月に刊行されているから、当時の読者はなかなか刊行されないこの前書きに既に書かれている2編を待ち遠しく思ったことだろう。
この前書きには既に『ゴールデンボーイ』に収録されている2編の、原題とは大いに異なる邦題にて触れられているが、これは同書が刊行されてから修正されたのかは寡聞にして知らない。

さてその前書きには本書の成り立ちが書かれている。これはやはり前半の『ゴールデンボーイ』を読む前に読みたかった。
ここに収録された作品群はキングが長編を脱稿した後にその勢いのまま書かれた作品で、順番としては「スタンド・バイ・ミー」(長編2作目『呪われた町』の直後)、「ゴールデンボーイ」(長編3作目『シャイニング』の2週間後)、「刑務所のリタ・ヘイワース」(キング名義長編5作目『デッド・ゾーン』直後)、「マンハッタンの奇譚クラブ」(キング名義長編6作目『ファイアスターター』の直後)となっている。
正直、上に挙げた長編のどれもが日本では上下巻で1,000ページ以上もあろうかと思える作品ばかりの後にこれらの中編が書かれたことが驚きだ。
いや逆にこれほどの長編を書くと、頭の中に色んな物語が生まれ、それらを物語の構成、進行上、泣く泣く削除しなければならなくなった話、もしくは副産物として生まれた物語が出来たために、それらが消えてしまわないうちに書き留めようとしたのがこれらの産物なのだろう。

そしてこれらはキング自身が語るように、彼の専売特許であるモダンホラーばかりではなく、ヒューマンドラマや自叙伝的な作品もあり、また1冊の本として刊行するには短編には長すぎ、長編としては短すぎる―個人的には300ページを超える「ゴールデンボーイ」と「スタンド・バイ・ミー」は日本では1冊の長編小説として刊行しても申し分ないと思うが―ために、この―当時の―キングにとって扱いにくい“中編”たちを1冊に纏めて、その纏まりのなさを逆手に取って“Different Seasons”と銘打ってヴァラエティに富んだ中編集として編まれたのが本書刊行の経緯であることが語られている。

そして4作品中3作品が映像化され、しかも大ヒットをしていることから、本書は結果的に大成功を収めた。そしてその作品の多様さが“キング=モダンホラー”のレッテルを覆し、むしろその作風の幅の広さを知らしめることになった。

小説に原作のある映画は元ネタの小説を読んでから観るのが私の性分だが、1986年に公開された映画はさすがにそちらが先。私は劇場でなく確かビデオを借りて観たので中学生か高校生ぐらいだったように思う。その時、出演していた少年たちは当時の私よりもちょっとだけ年下だったが、タバコを吸って女の子の話に興じる彼らは私よりも大人びて観えたものだ。その内容は私にとって鮮烈であり、今回の読書はその映画の画像を追体験するように読んだ。

もう30年近く前に見た映画なのに、本作を読むことで鮮明に画像が蘇ってくる。
犬に追いかけられて必死に逃げるゴーディの姿。
鉄橋を渡っている時に現れた列車から轢かれまいと死に物狂いで逃げる2人の少年たち。
後に小説家となるゴーディが語るパイ食い競争の創作物語の一部始終。
池に入ってたくさんのヒルに咬まれ、更にゴーディは股間にヒルが吸い付いて卒倒する。
ゴーディが心底心を許すクリスが自分がとんでもない家族に生まれついたことで将来を儚み、ゴーディに未来を託すシーン。
そして町の不良たちと死体の第一発見者の権利を賭けて対決する場面、などなど。
それらは映像で見たシチュエーションと全く同じであったり、細かい部分で違ったりしながらも脳裏に映し出されてくる。当時観た時もいい映画だと思ったが、今回改めて読み直して自分の心にこれほどまでに強く焼き付いていることを思い知らされた。

開巻後にまず驚いたのはその原題だ。邦題の「スタンド・バイ・ミー」に添えられた原題は“The Body(死体)”と実に素っ気ない。このあまりに有名な題名は実は映画化の際につけられたものだった。この題名と共にリバイバルヒットとなったベン・E・キングの名曲“Stand By Me”がどうしても頭に浮かんでしまい、読書中もずっと映像と曲が流れていた。それほど音と画像のイメージが鮮烈なこの作品の映画化はキング作品の中でも最も成功した映画化作品として評されているのも納得できる。

そして映画の題名こそが本作に相応しいと強く思わされた。
“友よ、いつまでもそばにいてくれ”。
それは誰もが願い、そして叶わぬ哀しい事実だから胸に響く。別れを重ねることが大人になることだからだ。そんな悲痛な願いが本書には込められている。
だからこそ本書では12歳の夏の時の友人が最も得難いものだったことを強調するのだろう。

もう1編の「冬の物語」と副題のつく「マンハッタンの奇譚クラブ」は紹介者だけが参加できるマンハッタンの一角にあるビルで毎夜行われる集まりの話。そこは主に老境に差し掛かった年輩たちが毎夜煖炉に集まって1人が話す物語を聞く、云わばキング版「黒後家蜘蛛の会」とも云える作品だ。
『ゴールデンボーイ』の感想に書いたように、この『恐怖の四季』と称された中編集に収められた作品のうち、唯一映像化されていないのがこの作品だが、だからと云って他の3作と比べて劣るわけではなく、むしろ映像化されてもおかしくない物凄い物語だ。

それは今まで物語を語らなかった男が語る昔出逢った若き美しき妊婦の話。1935年当時ではまだ知られていなかったラマーズ法と呼ばれる呼吸法を教えたがゆえに招いた悲劇の物語。ちなみに原題はこの呼吸法がタイトルになっている。

その美貌ゆえに俳優を目指しニューヨークに出てきたものの、右も左も解らない大都会で生きるために演技教室で知り合った男性と肉体関係を持ったがために夢を断念し、シングルマザーの道を歩まなければならなくなったある女性の話だ。この実にありふれた話をキングはその稀有な才能で鮮明に記憶される強烈な物語に変えていく。

自分のボキャブラリーの貧弱さを承知で書くならば、少なくとも10年間は何も語らなかった男がとうとう自分から話をすると切り出しただけに、読者の期待はそれはさぞかし凄い物語だろうと期待しているところに、本当に凄い物語を語り、読者を戦慄し、そして感動させるキングが途轍もなく凄い物語作家であることを改めて悟らされることが凄いのだ。

そして2012年にはこの最後の1編も映画化されるとの知らせがあったが、2020年現在実現していない。
「ゴールデンボーイ」は未見だが、残りの2作の映画は私にとって忘れ得ぬ名作である。もし実現するならばそれら名作に比肩する物を作ってほしいと強く願うばかりだ。

さて前作でも述べた他のキング作品へのリンクだが、まず私が驚いたのは「スタンド・バイ・ミー」の舞台がかのキャッスル・ロックだった点だ。
前半の「刑務所のリタ・ヘイワース」に登場したレッドも関係しているが、やはり何よりも『デッド・ゾーン』や『クージョ』の舞台にもなった町で、作中でも狂犬のクージョについて触れられている。
そして町のごろつき達が行き着く先はショーシャンク刑務所―本書では“ショウシャンク”と綴られている―と先の短編へと繋がる。キャッスル・ロックはキング自身を彷彿とさせるゴードン・ラチャンスが住んでいる町でもあり、キングにとってのライツヴィルのような町であるかのようだ。

春と夏、秋と冬。
それぞれ2つの季節に分冊された2冊の中編集はそれぞれの物語が陰と陽と対を成す構成となっている。
春を司る「刑務所のリタ・ヘイワース」と秋を司る「スタンド・バイ・ミー」が陽ならば、夏を司る「ゴールデンボーイ」と冬を司る「マンハッタンの奇譚クラブ」が陰の物語となる。それは中間期は優しさの訪れであるならば極端に暑さ寒さに振り切れる季節は人を狂わす怖さを持っているといったキングの心象風景なのだろうか。

そして各編に共通するのは全てが昔語り、つまり回想で成り立っていることだ。キング本人を彷彿させる小説家ゴードン・ラチャンスを除き、残り3編は全て老人の回想である。それはつまりヴェトナム戦争が終わった後のアメリカが失ったワンダーを懐かしむかの如くである。
田舎の一刑務所で起きたある男の奇蹟の脱走劇、元ナチスの将校だった老人の当時の生々しい所業、少年期の終わりを迎えた12歳のある冒険の話、そしてまだ若かりし頃に出逢ったある妊婦の哀しい物語。それらは形はどうあれ、瑞々しさを伴っている。

本書の冒頭に掲げられた一文“語る者ではなく、語られる話こそ”は最後の1編「マンハッタンの奇譚クラブ」に登場するクラブの煖炉のかなめ石に刻まれた一文である。

この一文に本書の本質があると云っていいだろう。モダンホラーの巨匠と称されるキング自身が語る者とすれば、本書はそんな枠組みを度外視した語られる話だ。

つまりキングが書いているのはホラーではなく、ワンダーなのだ。
キングはモダンホラー作家と云うレッテルから解き放たれた時、斯くも自由奔放に物語の世界を羽ばたけるのだと証明した、これはそんな珠玉の作品集である。

春夏秋冬、キングの歳時記とも呼べる本書は『ゴールデンボーイ』と併せて私にとってかけがえない作品となった。
永遠のベストの1冊をこの歳になって見つけられたキングとの出逢いを素直に寿ぎたい。


▼以下、ネタバレ感想

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Tetchy
WHOKS60S
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No.71:
(3pt)

うろ覚えですが中高生の頃に読んだ記憶

実写映画版は書籍版読了当時たしか
未視聴。
書籍版読了後大分経ち後に
劇場版も視聴し結構グロテスクな表現もあったのだなと。
若い頃読んだ書籍版の印象としては、
主人公とクリス(だっけ?)の関係性に、
デミアンのそれとはまた似て非なる純愛や(根っこの部分は同じかも)、
現実的な意味でのままならなさを感じ、
クリスが逆説的に格好良すぎる生き様を完遂した一方、
主人公はそんなクリスに対し、
事後的に感傷する事しかできない虚無的な哀愁に、
もののあはれを感じました。
オチは尊敬してます。
主人公の、クリス以外の友人達が若干当て馬ぽいですが。
スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)より
4102193057
No.70:
(4pt)

映画よりも深刻だった

映画の予告編とあの音楽だけで明るく楽しい青春ものだと思い込んでいました。原作はなんと深刻で重苦しい話なのかとびっくりです。映画はもっと明るく希望的に描かれているんでしょうか。

スティーブン・キングの半自伝的小説だそうです。
誰もがお互い顔を知っているような小さな町の閉鎖的な社会。白人でも貧しい家庭、家庭内暴力、子供に無関心な親たち、どうしょうもない不良で暴力的な兄たち。親だけでなく教師をはじめとする大人たちも問題あり。そんな環境で少年たちは必死で日々を生きています。
そんなある日、稀な非日常の機会が訪れます。行方不明になっている少年の死体が町の向こうに放置されているというのです。そこまで行ってみようと4人の少年たちのひと夏の冒険が始まります。

なんとかしてひどい境遇から抜け出そうとした親友は、見下しや嫌がらせにもめげず必死で大学に進学したのに、頭のおかしい男に刺されて死んでしまう。4人の少年のうち残っているのはもう自分ひとりしかいない、作家になった僕が子供時代を回想して書いたのがこの物語です。
この世は不公平で理不尽さに満ちている、貧困と無知の悪循環から逃れることができない絶望感。感動作と呼ぶ人が多いようですが、確かに強烈に心を動かす作品です。が、私にはものすごく苦い、やりきれない話に思えました。メンタルが弱っていたり状況がよくない人にはあまりおすすめしません。

「マンハッタンの奇譚クラブ」いわゆる奇妙な味の小説。
話をどんどん膨らませて人が引き込まれるような物語を作ってしまうのがキングの才能だとしたら、そのまさにわかりやすい例がこの小説という気がしました。
凍てつく冬のマンハッタンで、雲の上の人だと思っていた法律事務所のトップにいきなり「一緒にクラブに行かないか?」と招待された部下の弁護士の主人公。そのクラブは正体不明の執事が仕切っていて、膨大な蔵書と大きな暖炉のある格調高い場所。クリスマス前の木曜日には毎年メンバーの誰かがとっておきの話をするという決まり事があります。
結局このクラブはいったい何なのか?誰がどうやって運営しているのか?ちらりと超自然なこともほのめかされますが、最後までその謎は明かされません。
それにしても最後に老医師が語った昔の医療事情や凄惨な出産場面と交通事故は、細部まですべてを書く必要があったのか?と思いました。あの残酷さがキングの特徴かもしれませんが、静かな冬のクラブとの対比がものすごいだけに読み終わってしばし茫然としてしまいました。

キングの筆には強烈なパワーがあります。そして一見とてもアメリカンなんですが本質は暗いと思います。ただのおもしろい娯楽作品ではありません。それでも奇抜な展開に引き込まれつい最後まで読んでしまいます。
スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)より
4102193057
No.69:
(5pt)

悲しくも美しい物語

まず、驚いた。映画のイメージが強すぎて、よくある青春小説、少年時代に別れを告げ、大人になっていった思い出の物語なのだと思っていた。井上靖の「北の海」を読んだとき、この作品を思い出し、自分のなかで同ジャンルと思ったほどだったが、全くの見当違いであった。あの映画は、こんなに悲しい物語であったのか。「死体探し」に出かけるという、単なる冒険譚、青春小説では、決してない。

4人の子どもたちが12歳にしてすでに背負っている人生の荷。ゴーディとクリスの友情。死体となっている少年、レイ=ブラワーに対する思い。年上の不良少年たちに立ち向かいながらも、最後はやっぱりやられてしまう4人。そして、この物語が書かれているとき、すでに3人が亡くなっていたということ。しかも、普通の死に方ではない。揃いも揃って皆、悲惨な死に方をしていること。ゴーディに「バーンとテディとは別れろ。二人がお前の足を引っ張るのだ」と熱心に語ったクリス自身が、この二人と離れ、別な道を進み始めたにも関わらず、なんとしても抜け出したかったものから抜け出せなかったようで、胸が締め付けられる。

12歳の少年クリスが、すでに長い人生を生きてきた老人のように、ゴーディに語る場面はとても印象深い。クリスの予想通りの人生をたどってしまうバーンとテディの姿が悲しい。太って醜い中年にはなったが、エースが生きていることが、3人がすでにこの世にいないことを、ますます際立たせる。幼い肩に背負っていたものはあったとしても、あんなに屈託なく生きていた3人に、なんとか生きていてほしかった。

作者は「12歳のときのような友達を、その後、もったことはない」と言いながら、友達とは決して長続きするものではなく、レストランの皿洗いのようなもの、とも言う。真実と思う。最も心に残った言葉。「ことばは有害なものなのだ。愛には牙がある。噛みつくのだ。その傷は決して癒されない。無言であること、ことばを組み合わせたりしないことが、そういう愛の傷をふさぐ役目を果たす」全く真実と思う。

悲しい物語ではあるが、やはり随所にキングらしいさわやかな描写が多い。キャンプファイアの火に焼ける、肉汁のしみ出した肉。夏の朝の清々しさ。ゴーディが雌鹿と出会う場面。言葉を交わさなくとも、多くを通じ合った雌鹿との会話。レイ=ブラワーを発見するときの森の様子、嵐や雹。どれもこれも美しい。また、作中にゴーディの作品として、若き日の習作を二つ挿し入れている構成の巧みさも、うなってしまうほど見事である。映画化された作品を見て、果たしてキングは満足であっただろうか?それほど、映画だけでは表現できない悲しさと美しさが原小説にはある。

キングの小説は、言葉の量が多く、中短編といっても簡単には読みこなせない。これでもか、これでもか、という具合に言葉が降りかかってくる。まさに、言葉の洪水の中にいるようだが、その言葉の一つひとつをじっくり味わうことができる。

もうひとつ。クリスを刺した男は、ショーシャンク刑務所を出てきたばかりだという。最後にこうつなげるあたりも、いかにもキングの作品という感じがした。
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4102193057
No.68:
(5pt)

おもしろい

映画を見てハマったのですが小説だと映画には無いシーンが沢山あって良かったです。
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4102193057
No.67:
(5pt)

人生のバイブル

自分の小学生の頃(40年以上前)のまんまです。意地悪で乱暴な上級生(友達の兄貴たち)たち根性試しの鉄橋渡りに探検(防空壕に人の骨があるって噂)に探検先で上級生とかち合うもうまんまそれです。沼にはまり川では溺れそうになったり、怖いおじさん(屑鉄屋)に都会から引っ越してきたマドンナに…。初めて読んだのは扶桑社から創刊された恐怖の四季シリーズだったと思います(30年以上前です)。あまりにも自分の人生と重なり過ぎてて驚きですが昭和の頃はみんなこんな体験してると思います。これと刑務所のリタヘイワースは自分の人生のバイブルです。
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