ペット・セマタリー



    ※タグの編集はログイン後行えます

    【この小説が収録されている参考書籍】
    オスダメ平均点

    9.50pt (10max) / 2件

    7.25pt (10max) / 4件

    Amazon平均点

    4.42pt ( 5max) / 36件

    みんなの オススメpt
      自由に投票してください!!
    9pt
    サイト内ランク []A総合:261位
    ミステリ成分 []
      この作品はミステリ?
      自由に投票してください!!

    0.00pt

    38.00pt

    92.00pt

    0.00pt

    ←非ミステリ

    ミステリ→

    ↑現実的

    ↓幻想的

    初公開日(参考)1989年08月
    分類

    長編小説

    閲覧回数5,152回
    お気に入りにされた回数1
    読書済みに登録された回数10

    ■このページのURL

    ■報告関係
    ※気になる点がありましたらお知らせください。

    ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)

    1989年08月01日 ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)

    都会の競争社会を嫌ってメイン州の美しく小さな町に越してきた、若い夫婦と二人の子どもの一家。だが、家の前の道路は大型トラックがわがもの顔に走り抜け、輪禍にあう犬や猫のために〈ペットの共同墓地〉があった。しかも、その奥の山中にはおぞましくも…。「あまりの恐ろしさに発表が見あわせられた」とも言われた話題作。 (「BOOK」データベースより)




    書評・レビュー点数毎のグラフです平均点9.50pt

    ペット・セマタリーの総合評価:8.87/10点レビュー 38件。Aランク


    ■スポンサードリンク


    サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
    全2件 1~2 1/1ページ
    No.2:
    (10pt)

    貴方はその死を受け入れられるだろうか?

    私は死を意識したのはそう、中学生の頃だっただろうか。
    自宅にいてなぜかふと突然、死を意識し、一人その恐ろしさに身悶えした記憶がある。
    どうして人は死ぬのか。死ぬのであれば生きていることは意味がないのではないか。
    この世からいなくなるとどうなるのか。
    そんな無意味さ、無力感、そして虚無感に見えない死の先の暗黒を想像して一人悩んだ時期があった。

    メイン州を舞台にした本書のテーマは誰しにも訪れる死。ペット・セマタリーという地元の子供たちで手入れがされている山の中のペット霊園をモチーフにした作品だ。

    この作品も映画化されており、何度かテレビ放送されたが、なぜか私は観る機会がなく、従って全く知識ゼロの状態で読むことになった。

    シカゴから大学付属病院の所長の職を得てメイン州の田舎町に引っ越してきたクリード一家。新しい家は申し分なく、しかも隣人のクランドル老夫妻は好人物で何かと助けてくれ、そしてすぐさま夜中の晩酌を共にするほど親しくなる。おまけに関節炎に悩まされているノーマ夫人の心不全の発作を適切な処置によって一命を取り留めることができ、ますます家長のルイス・クリードとジャド・クランドルの絆は深まるばかり。

    そして職場の連中も気のいい連中ばかりでルイスに信頼を置いていると新生活としては順風満帆でこれ以上望むべくもない環境にある中、唯一の懸念は家の裏山に町の子供たちが世話をするペット霊園があることだった。

    正直に云って題材は特段珍しいものではない。
    引っ越してきたところの奥に山があり、そこにはペットの霊園がある。但しそこはかつてインディアンの種族の1つが埋葬地として使っていた霊的な場所で、そこにペットを埋めると生き返る。そんな矢先、最愛の息子が死に、悲嘆に暮れた父親は息子を取り戻したいがためにそのペット霊園に埋葬する。

    典型的な死者再生譚であり、そして過去幾度となく書かれてきたこのテーマの作品が押しなべてそうであったように、ホラーであり悲劇の物語だ。
    実際に本書の中でもそのジャンルの名作である「猿の手」についても触れてもいる。

    そんな典型的なホラーなのにキングに掛かると実に奥深さを感じる。登場人物が必然性を持ってその開けてはいけない扉を開けていくのを当事者意識的に読まされる。

    読者をそうさせるのはそこに至るまでの経緯と登場人物たちの生活、そして過去、とりわけ今回は死に纏わる過去のエピソードが実にきめ細やかに描かれているからだろう。それについては後で詳しく述べることにしよう。

    さて一口に死と云っても色々ある。

    大往生と呼べる自然死。
    突然の災禍に見舞われる事故死。
    重病に罹って苦しみながら死ぬ病死。
    そんな色んな死についてキングは登場人物たちが体験したエピソードで死を語らせる。

    主人公のクリード夫妻の妻レーチェルがたった6歳という幼き頃に直面した髄膜炎で亡くなった姉ゼルダの壮絶な死。半ば開かずの間のような部屋に寝たきりで、健常者である妹に対して逆恨みめいた憎悪を見せるモンスターに成り果てた姉の看病で疲弊し、そして最後に舌を喉に巻き込んで窒息死した姉の断末魔を目の当たりにしたために死に対してトラウマを抱える。

    ルイスとレーチェルの娘エリーは隣人ジャドに連れられて裏山にあるペット霊園に行ったことで初めて死を意識する。手作りの墓碑に書かれたペットの名前と献辞を見て愛する猫チャーチが神の御許に行くことに強く反発する。
    いつかは訪れる死を見つめる時。ジャドはあの霊園こそがラドロウの町の子供たちにテレビや映画で観る死を超越してリアルに感じさせる場であると説く。それはあたかもラドロウに住む子供たちにとっての通過儀礼であるかのように。

    しかし一方でエリーは年老いた隣人ジャドの妻ノーマがハロウィンの夜に心不全の発作を起こしてルイスが適切な処置を施して一命を取り留めた時、ノーマの死に対してはいつか訪れるものだと、既定の事実のように受け止める。

    更に娘に内緒で死なせた猫のチャーチをミクマク族の埋葬地の不思議な力で蘇らせた時、どこか生前と異なるチャーチを見て、それがいつ死んでも受け入れられると話す。

    そしてクリード家をペット霊園に案内した隣人ジャドは子供の頃に飼っていた愛犬を喪った哀しみを知っている。その深い哀しみゆえに彼が犯した過ちもまた。
    だからこそ彼は最愛の妻ノーマが亡くなった時に、その運命を受け入れ、あるがままにしたのだ。しかし一度禁忌の扉を開いた者はそれを誰かに教え、協力するようになる。その相手こそがルイス・クリードだった。しかしそれは自然の摂理に逆らった人間の傲慢さゆえの過ち。犯していけないタブーの領域に踏み入った時にさらなる災厄が降りかかる。

    しかし最愛の息子を亡くした深い悲しみと喪失感からルイスがペット霊園に埋葬して再生しようとする展開にキングは安直に持って行かない。
    ルイスの導き手として、また時には悪魔の囁きを施し、または神のように善意の忠告を行うジャドを介して、昔ラドロウで戦争で亡くなった息子を蘇らせたある男の話をする。それを延々20ページに亘って実におぞましくも恐ろしいエピソードとして語る。それはまさに人ならぬ道に足を踏み入れようとするルイスを留まらせるのに十分なほどの抑止力を持つ話だ。

    しかしそれを以てしても禁忌の領域に足を踏み入れるルイスを実に丹念に描く。その心の葛藤の様に多くの筆をキングは費やす。

    実際に息子を蘇らせた男が迎えた不幸。実際に甦った愛猫の変わり様。失敗することが目に見えているのにルイスはとうとう息子ゲージの再生に取り組む。
    今度は上手く行くのではないか。先人が失敗したのは時間が経ち過ぎていたからだ。
    猫のチャーチは確かに以前とは変わってしまったが、我慢できないほどではない。確かに蘇った動物たちは以前とは少し違う。少しばかりバカになり、少しばかり愚鈍になり、そして少しばかり死んだように見える。
    しかしそれが何だと云うのだ。たとえ息子がそんな風になっても、知的障害者を育てると思えば問題ないではないか。
    問題は息子がいないことだ。生きてさえいれば困難も乗り越えられる。もし失敗したら、その場で撃ち殺せばいい。

    情理の狭間で葛藤する父親が、愛情の深さゆえに理性を退け、禁断の扉を開いていく心の移ろう様をこのようにキングは実に丁寧に描いていく。
    判っているけどやめられないのだ。
    この非常に愚かな人間の本能的衝動を細部に亘って描くところが非常に上手く、そして物語に必然性をもたらせるのだ。

    つまりこの家族の愛情こそがこの恐ろしい物語の原動力であると考えると、これまでのキングの作品の中に1つの符号が見出される。

    それはキングのホラーが家族の物語に根差しているということだ。家族に訪れる悲劇や恐怖を扱っているからこそ読者はモンスターが現れるような非現実的な設定であっても、自分の身の回りに起きそうな現実として受け止めてしまうのではないか。だからこそ彼のホラーは広く読まれるのだ。

    デビュー作『キャリー』の悲劇はキャリーの母親が狂信的な人物だったことが彼女の生い立ちに影響を及ぼしていた。
    『シャイニング』は癇癪持ちだが、それでも大好きな父親が怨霊に憑りつかれて変貌する恐怖を描いていた。
    『ファイアスターター』は図らずも特赦な能力を持つことになった親子の逃走の日々の中、追われる者の恐怖の中でも強く持ち続ける親子の絆を描き、『クージョ』も狂犬に襲われた親子の、噛まれた息子を助けたい母親の強さを描いている。
    『クリスティーン』はいつかは訪れる息子と両親との別離を車に憑りつかれて変貌していく息子というモチーフで恐怖を以て描いた。

    超能力者、幽霊屋敷、怨霊といわゆるホラー定番のお化けや超常現象を現代風に描いたと云われているキングの本質は、普遍的な家族にいつかは訪れる避けられない転機そして悲劇を超常現象を織り交ぜて色濃く描いているところにあると私は考えている。それはどこの家族にもあり得る悲劇や凶事だからこそ、キングのホラーは我々の生活に迫真性を以て染み入るのだ。

    仲睦まじい家庭に訪れた最愛のペットが事故で亡くなるという不幸。
    同じく最愛のまだ幼い息子が事故で亡くなるという深い悲しみ。
    本書で語られるのはこの隣近所のどこかで誰かが遭っている悲劇である。それが異世界の扉を開く引き金になるという親和性こそキングのホラーが他作家のそれらと一線を画しているのだ。

    愛が深いからこそ喪った時の喪失感もまたひとしおだ。それを引き立たせるためにキングはルイスの息子ゲージが亡くなる前に、実に楽しい親子の団欒のエピソードを持ってくる。
    初めて凧揚げをするゲージは生まれて初めて自分で凧を操ることで空を飛ぶことを感じる。新たな世界が拓かれたまだ2歳の息子を見てルイスは永遠を感じた事だろう。人生が始まったばかりのゲージ、これからまだ色んな世界が待っている、それを見せてやろうと幸せの絶頂を感じていた。
    美しい妻、愛らしい娘と息子。全てがこのまま煌びやかに続き、将来に何の心配もないと思っていた、そんな良き日の後に突然の深い悲しみの出来事を持ってくるキング。物語の振れ幅をジェットコースターのように操り、読者を引っ張って止まない。

    過去作品を並べたついでに本書における他作品とのリンクについても触れておこう。

    メイン州を舞台にした本書では妻のレーチェルが車でローガン空港からラドロウに戻る道すがらに通り過ぎるのが『呪われた町』のジェルサレムズ・ロットであり、『クージョ』で起きたセントバーナード、クージョが狂犬病に罹って何人も死なせた事件が忌み事のように語られる。あの事件は『デッド・ゾーン』に出てきた殺人鬼フランク・ドットに由来するものだから、これらメイン州を舞台にした物語は1つのサーガのようになっているのだ。

    それを証明するかのように、本書においてもある不可解なことをキングは潜り込ませている。
    それは死者が生き返るミクマク族の埋葬地のことではない。ルイスの息子ゲージが亡くなった事故についてである。
    ゲージを轢いたトラックの運転手は自分の犯した罪の重さに自殺を図ろうとする。彼はそれまで飲酒運転もしたことなくスピード違反もしたことがない模範的なドライバーだったのに、なぜかあの時は急にアクセルを思い切り踏み込みたくなったと述懐している。そのことを聞いてルイスはあの場所には力があると理解する。その力こそはフランク・ドッドの力ではないか。クージョを経て今度はラドロウの、クリード家の前の道路に地縛霊のように居座り、そしてペットを殺してはラドロウの人々たちに禁忌の領域に足を踏み入れさせているのではないだろうか。

    そんなキング・ワールドの悪意に魅せられた不幸な主人公ルイスとレーチェル・クリード夫婦は5歳の娘と2歳の息子を持つことからも解るようにまだ若い。

    一方隣人のジャド・クランドル夫妻は80歳を超えた老夫婦の2人暮らし。

    片やまだ死の翳など見えもしない、未来ある家族。片やささやかな日課を愉しむ老夫婦でいつか近いうちに訪れる死が安らかであることを願う2人。

    この2組の家族の対比構造によって死というものの重さを全く異なる風にキングは描く。

    2組の夫婦はそれぞれお互いに対する愛情は深いのが共通項だが、クランドル夫妻は残りの人生の旅路のパートナーといった風情であるのに対し、クリード夫妻はまだ若いだけあって、愛情は求め合う欲望と等しく、従って夜の生活もお盛んだ。

    この2人の夜毎のセックスをキングが述べるのは単にルイスとレーチェルの夫婦愛を示すだけではなく、セックスが新たな生を生み出す行為だからだろう。死を語ったこの物語においてこのルイスとレーチェルのセックスは生を意味しているのだ。

    この新たな生をもたらす行為に対し、自然の摂理に逆らって取り戻した生に対して何も代償はないかと云えばそうではない。愛猫チャーチを取り戻したルイスは代わりに最愛の息子ゲージを亡くす。それはやはり神の理に逆らった天罰ゆえの代償だったのではないかとジャドは云う。

    そう、これは自分の犯した過ちのために、人として踏み入れてはいけない領域に入ってしまったために代償を払い続ける物語なのだ。

    最初は可愛い愛娘に嫌われまいという思いから死んでしまった愛猫を隣人の指示に従うままにその領域に踏み入り、生き返らせるという自然の摂理に逆らった行為をしてしまった。医者という人の命を扱い、そして死に直面することが日常的な職業に就きながらもそれが我が身に降りかかると理不尽さを覚えてしまう。それがルイスの弱さだった。

    そして死せるものが甦る、その手法を、その禁断の扉を知ってしまったがためにルイスは坂を転がり続けることになる。

    人はやはり本来あるべき方法で生を得るべきなのだというのがこのクリード夫妻のセックスが示していたのではないだろうか。

    そうやって考えると本書は見事なまでに対比構造で成り立った作品である。

    生と死。
    若い夫婦と老夫婦。
    死を受け入れるクランドル夫婦と受け入れらないクリード夫妻。
    本来命を救う医者であるルイスが行うのは死者を弔う埋葬。
    そして過去と未来。

    ルイスはゲージをミクマク族の埋葬地に埋めて家に戻った時に、そこがかつて在ったクリード家を温かく包んでいた家とは思えなかった。既にもう何かが変わってしまったことに気付き、自分が取り返しのつかないところまで来ていることに気付かされていたのだ。

    彼がもう戻れなくなってしまったのはいつだったのか。
    ゲージを蘇らせようと決心した時?
    愛猫チャーチを蘇らせてしまった時?
    隣人ジャドと出逢ってしまった時?
    ラドロウに引っ越しした時?
    我が身を振り返ると同じような感慨が時折起きることがある。どうしてこうなってしまったのだろうか、と。

    本書の半ば、ジャドの妻ノーマの葬式で不意にルイスはこう願う。

    神よ過去を救いたまえ、と。

    せめて美しかった過去だけは薄れぬものとして残ってほしい。死んだ者は忘れ去られていく者であることに対するルイスの悲痛な願いから発したこの言葉だが、一方で今が苦しむ者がすがるよすがこそが美しかった過去であるとも読めるこの言葉。

    しかし人は過去に生きるのではない。未来に生きるものだ。
    彼が選んだ未来はどうしようもない暗黒であることを考えながらも、果たして自分が同じような場面に直面した時、もしルイスのように禁忌の扉を開くことが出来たなら、彼のようにはしないと果たして云えるのか。

    キングのホラーはそんな風に人の愛情を天秤にかけ、読後もしばらく暗澹とさせてくれる。実に意地悪な作家だ。


    ▼以下、ネタバレ感想

    ※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

    Tetchy
    WHOKS60S
    No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
    (9pt)

    ペット・セマタリーの感想

    昔話題になり映画化もされたが、一切触れる事がなかった。『シャイニング』を読んでからスティーブン・キングの小説の面白さを知り(今更)『ペット・セマタリー』を読み終わって思ったのは、恐ろしくも悲しい物語だった。主人公ルイスは家族四人仕事場近くの新居に引っ越して来るが、ルート15を挟んだ向かいの隣人ジャドと親子のように親しくなる。倍率の高い職場に就け美しい妻と可愛い娘エリーや息子のゲージ、ペットのチャーチと尊敬でき頼もしい隣人のジャドとの先行き明るい未来が詰まったラドロウの地。しかし出勤初日に起きた出来事から何かが狂った・・・もしくはレールに敷かれたのか。残念な事に人とはいとも簡単に狂ってしまうし、魅力的な物には目を背ける事が出来ない。深く考えさせられる物語だった。

    HUNTER×2
    A4G4U3I8
    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

    ※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
    未読の方はご注意ください

    No.36:
    (4pt)

    愛情ゆえに禁忌を犯す人間の愚かさが邪悪なものを目覚めさせてしまった

    今頃になってキングにはまっています。「ジョイランド」「呪われた町」に続いて読むのは3冊目です。
    そこに埋めたら死んだものが甦ってくるという魔性の土地。けれど甦った者に元の善良さはなく、何かとてつもなく邪悪なものとして現れる。それが薄々わかっていても愛する者を失った悲しみは耐え難く、再生を願わずにはいられない・・そんな人間の煩悩と執着、そして死とは何かを描いて秀逸です。
    長いですが飽きることなく引き込まれ一気読みしてしまいました。

    しかし・・突っ込みどころというかご都合主義に思える部分もあります。まず納得がいかなかったのは、聡明な隣人の老人ジャドはどうして主人公ルイスにあの禁忌の土地を教えたのか?亡霊になったパスコーが「ここを超えて行ってはいけない」と忠告したのは正しかった、けれど気味の悪い亡霊よりも目の前にいる人間のジャドを信頼するのは当たり前のこと。ルイスがジャドに連れられてそこを超えてしまったのは無理もありません。知ってしまえばいつか使わずにはいられないとジャドはわかっていたはずなのに・・。
    そしてルイスが息子を甦らせようとしたことも、すでに猫の例でもわかっているのに、ダメに決まっているのに・・当然結果は最悪のバッドエンドに。なのにさらに同じことをするかな・・ネタばれするのであまりかけませんが、こうなってくると主人公の自業自得じゃないのかと思ってしまいます。
    つまりは悪の力が増大しているから・・ジャドやルイスの愚かな行為はすべてそれで説明できると?そのあたりがどうもしっくりこず無理があると感じてしまいました。
    邪悪な何者かが存在するという根源的な恐怖は、キリスト教圏独特のものでしょうか。

    北米の事情には疎いのですが、かつてインディアンと呼ばれ現在はネイティブ・アメリカンと言われている人たちには呪いのようなものがあったのか。それともこの小説の舞台の場合、たまたまインディアンと州や国との係争地に”悪い土地”があったということでインディアンとは関係がないのか?何か民間伝承のようなものがあるなら興味深く、知りたいと思いました。
    ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)Amazon書評・レビュー:ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)より
    416714803X
    No.35:
    (4pt)

    発送には何の問題がありませんが

    和訳がひどいです。
    ペット・セマタリー〈下〉 (文春文庫)Amazon書評・レビュー:ペット・セマタリー〈下〉 (文春文庫)より
    4167148048
    No.34:
    (5pt)

    引き込まれました

    Kindle版で購入しました。
    読んでいくうちに、ドンドン話しに引き込まれ、途中から恐怖を感じましたが、夢中で読みました。本を読み終えた後、映画を見ましたが本で内容がわかっているにも関わらず、映画は本より数十倍怖かったですが、スリラー好きには、本と映画、両方ともお勧めします。
    秋の夜長にスリラーはいかがですか?
    ペット・セマタリー〈下〉 (文春文庫)Amazon書評・レビュー:ペット・セマタリー〈下〉 (文春文庫)より
    4167148048
    No.33:
    (5pt)

    後半はそれやったらあかんの連続...

    上巻から転じて下巻は一気に話が展開。
    ルイスそれあかん、の連続。
    それやっちゃうのはわかるけど、予想より上行く悪い結果がついてくる。
    読んでいて辛い...救いがない最後。
    苦しくなったけど、読むのが止められず、
    ああ、なんて読後感。
    誰も悪くないのに...なんで家族の幸せは差し出されてしまったのか。
    特にエリーの今後を思うとたまらない。
    ペット・セマタリー〈下〉 (文春文庫)Amazon書評・レビュー:ペット・セマタリー〈下〉 (文春文庫)より
    4167148048
    No.32:
    (4pt)

    下巻が楽しみ...

    最近スティーブンキングに再度はまってます。
    上巻はこれから起こるであろうことの、伏線がたっぷりと語られます。
    主人公の子どもと妻との幸せな生活、通りの向こうに住む良き老夫婦、ペット霊園にまつわる話...
    下巻で何か起こりそうな雰囲気プンプンで終わるので、幸せな暮らしが語られれば語られるほど、この先の展開が怖いです。キングであればジェットコースターのように、上巻のストーリーを回収しながら下巻を展開していくんだろうなあ。楽しみです。

    ところで途中途中でる地名のデリーや狂犬病の話は、他作品とつながってるのかな。
    ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)Amazon書評・レビュー:ペット・セマタリー〈上〉 (文春文庫)より
    416714803X



    その他、Amazon書評・レビューが 36件あります。
    Amazon書評・レビューを見る     


    スポンサードリンク