クリスティーン



    ※タグの編集はログイン後行えます

    【この小説が収録されている参考書籍】
    オスダメ平均点

    8.00pt (10max) / 1件

    8.00pt (10max) / 1件

    Amazon平均点

    3.75pt ( 5max) / 4件

    みんなの オススメpt
      自由に投票してください!!
    2pt
    サイト内ランク []B総合:1161位
    ミステリ成分 []
      この作品はミステリ?
      自由に投票してください!!

    0.00pt

    39.00pt

    0.00pt

    57.00pt

    ←非ミステリ

    ミステリ→

    ↑現実的

    ↓幻想的

    初公開日(参考)1987年11月
    分類

    長編小説

    閲覧回数1,392回
    お気に入りにされた回数0
    読書済みに登録された回数2

    ■このページのURL

    ■報告関係
    ※気になる点がありましたらお知らせください。

    クリスティーン〈下巻〉 (新潮文庫)

    1987年11月30日 クリスティーン〈下巻〉 (新潮文庫)

    クリスティーンの周辺では次々に血腥い事件が起きた。アーニーやクリスティーンを傷つけた者は、無残な死を遂げた。アーニーは顔付きも性格もすっかり変り、親友のデニスは何とか彼をクリスティーンから引き離そうとするが、逆にクリスティーンから命を狙われるようになった。みずみずしいティーンエイジャーの日常生活を背景に、まがまがしい恐怖を余すところなく描ききった長編。(「BOOK」データベースより)




    書評・レビュー点数毎のグラフです平均点8.00pt

    クリスティーンの総合評価:7.60/10点レビュー 5件。Bランク


    ■スポンサードリンク


    サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
    全1件 1~1 1/1ページ
    No.1:
    (8pt)

    車への憧憬を織り交ぜた青春ホラー

    キングは過去の短編で機械が意志を持ち、人間を襲う話を描いてきた。クリーニング工場の圧搾機、トラック、芝刈り機など我々が日常に使う機械の、抗いようのない恐るべき力に対する畏怖をモチーフに恐怖を描いてきたが、この『クリスティーン』もこれら“意志持つ機械”の恐怖譚の系譜に連なる作品となるだろう。しかもこれまでは短編であったがなんと今回は上下巻併せて約1,020ページの大作である。

    アメリカ人と自動車との関係の深さは日本人のそれよりももっと深いように思える。今でこそ日本車が世界中に輸出され、一大勢力となっているが、フォードが20世紀初頭に自動車の量産化に成功してから、巨大な自動車産業国となった。20世紀からのアメリカ人は自動車と共に成長し、繁栄してきたのだ。
    更にガソリンが安いこともあり、広大な国土を持つアメリカを移動するのに、アメリカ人にとって自動車は無くてはならない生活必需品となった。特に日本と違い、アメリカではカーディーラーに行って気に入った車があると、そのまま乗って帰れるほど手軽に買えるようだ。

    今までキングが“意志持つ機械”をモチーフに書いてきた物語においてその対象が自動車になるのはそんな背景を考えると必然的であり、そして満を持して発表した作品だと云えよう。ある意味本書は“意志持つ機械”譚のこの時点での集大成になる作品と云えるだろう。

    但しそこはキング、意志を持った車が暴れ、人間たちを襲うと云った陳腐な展開をしない。このクリスティーンと名付けられた1958年型の赤と白の2色に塗り分けられたプリマス・フューリーがその本性を表し、人間に牙を剥くのは上巻の490ページの辺りだ。そこまでの展開は寧ろ少年と車との運命的な出逢いという少々色合いの違った話で物語は進む。

    何の前知識もなく、最初にこの作品を読んだ時、これはトップの5%圏内に入るほどの頭を持ちながらも、優等生グループにも入れない、スクールカーストの最下層に位置する17歳の少年アーニー・カニンガムが1台の古びた車と出遭うことで負け犬的人生を変えていく物語であると思うに違いない。彼の自動車のメカに関する優れた知識は天からの授かりものになるだろうが、彼が出遭う58年型のスクラップ同然のプリマス・フューリー、愛称をクリスティーンという車もまた彼の人生を変える天からの授かりものになる。
    そのおんぼろ車を自身で少しずつ再生していくうちにいわゆる負け組に属していたアーニーもまた生まれ変わっていく。ピザ顔とまで呼ばれていた吹き出物でいっぱいの顔は次第に綺麗になり、男ぶりも増していく。更に以前よりも度胸が増し、町の不良たちに絡まれても一歩も引かないようになる。更には学校で評判の美人の心も掴み、恋人にすることに成功する。
    一人で一台の車を再生することが即ち彼の人生を再構築させていくことに繋がっていく。これはそんな一少年の人生を変えていく青春グラフィティなのだ。

    また一方で主人公のアーニーが車中心の生活になっていくことで家族や親友との軋轢が生まれる。クリスティーンに一目惚れしたアーニーは少しでも早くその車を再生させ、走れるようにし、自分のパートナーとすることに執着する。しかしそれは親友であるデニスと過ごす時間が少なくなること、そして両親の懸案を増やすことになる。

    大学進学のための貯金は目減りし、上位だった成績も下がっていく。大学講師である両親は自分の息子がいい大学に進学することを望んでおり、自動車の整備に執心して学業や疎かになる息子に不安と不満を抱く。

    それらはいつまでも続くだろうと思われた友人関係、親子関係が、実は幻想であり、いつかそんな安定した関係が終わるその時が、アーニーとクリスティーンとの出逢いなのだ。

    親友のデニスは子供の頃から一緒だったアーニーが、それまではフットボールの選手でそれなりにモテていた自分の引き立て役のように見えていた親友が、古びれた車をたった一人の力で再生し、そしていつしか犯罪者のような自動車整備工場のオーナーとも信頼関係を築き、更には不良グループにも一歩も引かない度胸を身に着け、終いには学内一の美人と付き合うようにもなり、それに羨望と嫉妬を覚える。

    親は子供が自分の手を離れ巣立つことがまだ少し先のことだと思っていたが、実はもう息子はその時を迎えていたことを知らされる。今まで自分の云う通りに従っていた息子がだから車のことに関しては強く反発し、一歩も引かないことに驚きと失望を覚える。一方父親は夜、彼の整備した車でドライヴし、父と息子だけの男同士の対話をし、息子の成長を認めつつ、父として忠告をする。

    アーニーの成長を通して変わりゆく生活の変化をそれぞれの心情を交えてキングは訪れるべき変化の時を鮮やかに語る。

    それもただ彼の修理する車クリスティーンが命ある車であることを除けばのことだ。

    キングが他の作家と比べて一段優れているのは、通常の作家ならば子供の成長時期に訪れる親子と親友との変化のキー、メタファーとしてスクラップ同然の車の修理の過程を使うのに対し、キングはその車自体をも生ある物、持ち主に嫉妬するモンスターとして描いているその発想の素晴らしさにある。

    物に魂が宿るのは正直に云って子供の空想の世界だろう。女の子は人形を生きている自分の妹のように扱い、男の子は車の玩具やロボットの玩具に生命があるかのように自ら演じて興じる。

    そんな子供じみた発想もキングの手に掛かれば実に面白くも恐ろしい話に変るのだから驚きだ。

    更に『恐怖の四季』に収録されているキングの自伝的小説「スタンド・バイ・ミー」で培った青春グラフィティストーリーの手法が、見事に合わさっている。

    どこをどうやって考えてもこの異質な2つの成分が合わさるようには思えないのだが、これがキングの手に掛かると実に見事に融合し、奇妙な味わいを持ちながらもほろ苦さを感じさせる小説へとなるのだから実に不思議だ。

    さて物語がアーニーの思春期の通過儀礼とも云える親からの自立と反発というムードからホラーへと転じるのはクリスティーンがアーニーを目の敵としているバディー・レパートンたち不良グループにスクラップ同然にさせられるところからだ。そこから前の持ち主であるルベイとアーニーは無残なクリスティーンの姿を見て同調し、以前より増して2人の魂の親和性は強まり、アーニーはルベイの憑代となっていく。そしてクリスティーンもその怪物ぶりをようやく発揮し出すのだ。

    そこからのアーニーとクリスティーン=ローランド・ルベイの独壇場だ。

    最初は無人の状態で復讐を成していたクリスティーンだが、やがて亡くなった前所有者のルベイの屍が具現化して現れてくる。そこでようやく本書は『呪われた町』、『シャイニング』などのキング一連のモンスター系小説の系譜に連なる作品であることが解るのである。それは本書の献辞がジョージ・ロメロに捧げられていることからも解るように、ゾンビをモチーフにした怪奇譚であるのだ。

    ところで今回キングは2つの叙述を使っている。まず第一部は主人公アーニーの親友デニス・ギルダーの一人称叙述で語られるが、第二部は三人称叙述、そして最後の第三部は再びデニスの一人称叙述に戻る。

    まずこれは語り手であるデニスが途中フットボールの試合で重傷を負い、入院してしまうことからアーニーと一緒にいる時間がなくなるためであるが、このアーニーとデニスがしばらく疎遠になることがクリスティーンとアーニーの親和性を高めることになり、つまりアーニーが破滅への道を辿っていくのに大いに拍車がかかることになる。
    つまりこれはデニスこそがアーニーが狂気に至る、いやクリスティーンに憑りつかれていくことを防ぐ護符のような役割を示しているように思える。

    それを示すかのようにデニスが再びアーニーと対峙する第三部ではクリスティーンに魅せられ、そしてその前の所有者のローランド・ルベイの亡霊に憑りつかれ、性格どころか人格までもが変わっていくアーニーがルベイとクリスティーンの支配に抗って自分を取り戻そうとする。理解ある親友こそが墜ちていく自分を取り戻す最後の砦なのだ。
    これは怨霊に憑りつかれたアーニーだけに限らず、我々の人生にも関係する部分でもある。自分の人生に躓いた時、支えとなってくれる存在を1人は持つこと。それを描くのにこの3部構成は必要だったのだ。

    そういう意味では物宿る怨霊によって自分が自分で無くなっていくアーニーの姿は昔からある幽霊譚の1つのパターンであるが、また一方で私はこのアーニーの変化については我々の日常において非常に身近な恐怖がテーマになっているように思える。

    例えばあなたの周りにこんな人はいないだろうか。
    普段は温厚でも車を運転している時は人が変わったようになる、という人だ。それはある意味その人の意外な側面を表すエピソードとして、時に笑い話のように持ち出されるが、ある反面、これはその人の二重性が露見し、またそれを他者が目の当たりにする機会でもある。そしてその変貌が極端であればあるほど、それも恐怖の対象となり得る。
    つまり本書の恐怖の根源は実は我々の生活に実に身近なところに発想の根源があるのではないかと私は思うのだ。

    これはあくまで私の推測に過ぎないのだが、キングがこのエピソードを本書の発想の発端の1つにしていたのは間違いない。なぜなら同様の記述が本書にも見られるからだ。
    上巻の406ページにアーニーがこの車に乗るとなぜか人が変わったようになると書かれている。そのことからもキングが本書を著すにこんな身近で、どちらかというとギャグマンガの対象になるような性格の変貌―マンガ『こち亀』に出てくる本田のような―を恐怖の物語のネタとしたであろうことは推察できるし、そのことからもキングの非凡さを感じる。

    人の物に対する執着というのは物凄いものがある。
    例えば私は読書が最たる趣味なのだが、気に入った作家の本は是非とも前作、それも発表順に読みたいと思うので、一時帰国のたびに古本屋に出向いては求める本がないか探している(家族はもうそれが当然のこととして諦めてくれているのが有難いが)。

    私の場合はある1点物に対する執着ではないので、クリスティーンに対する執着とは性質が違うとは思うが、古来死者が生前愛でていた物に所有者の情念が宿るという怪奇譚は枚挙にいとまがない。その対象を58年型のプリマス・フューリーという実に現代的なアイテムに持ち込んだことにキングの斬新さがあると云えよう。
    既に述べたが、自動車愛好家たちにとって本書の車に対する執着の深さは頷けるところが多々あるのではないだろうか。自動車産業国アメリカが生んだ意志宿る車による恐怖譚。
    しかし車に対する愛情の深さはアメリカ人よりも深いと云われる日本人にとっても無視できない怖さがあった。たかが車、そんな風に一笑できない怖さが本書にはいっぱい詰まっている。


    ▼以下、ネタバレ感想

    ※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

    Tetchy
    WHOKS60S
    新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

    ※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
    未読の方はご注意ください

    No.4:
    (2pt)

    紙やけが酷かった

    紙の焼けが少し酷かった。
    クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)より
    4102193103
    No.3:
    (4pt)

    良作だと思います。

    主人公の友人がボロボロの中古車(クリスティーン)に一目惚れし、その車に取り憑かれてしまうホラー小説です。

    同じくキングの著で、この作品よりメジャーな「シャイニング」という長編(主人公の父親がホテルに取り憑かれてしまうホラー)がありますが、そちらが好きな方にもおすすめ出来るかと思います。

    「シャイニング」との大きな相違点として、主人公・その友人達が高校生であるという点が挙げられますが、個人的にはそこが特に印象深かかったです。

    主人公の友人は顔の吹き出物に悩み、運動も苦手、学校でも周囲から「負け犬」として認識されてしまう所謂苛められっ子で、それ故に魔性の車クリスティーンによりのめり込んでしまいます。

    学校という狭い空間での理不尽な、でもどうする事も出来ない周囲の評価。支配的で無自覚な母親。母親のイエスマインな父親。それらに圧迫され削られていく自尊心など、苛めやその周辺は古今東西通じるものがあるのだなあと面白くも物悲しく感じられました。

    ストーリー内容はシンプルですが、友人始め人物描写が丁寧で奥行きがあると思います。
    車とロックと高校生がメインテーマなので、若い人はより共感し易いかと。
    クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)より
    4102193103
    No.2:
    (4pt)

    キング版アメリカン・グラフティ

    これ、キングの作品の中ではあんまり人気ないんじゃないかな?

    本書はキング版アメリカングラフティである。高校生を主人公とした青春群像なのだ。

    もちろん本書はホラーである。クリスティーンが主人公なのである。このもの言わぬ狂気の車が静かに人を殺していく。

    しかし、本書で注目したいのはやはりキングの描くアメリカの高校生たちの日常なのである。

    クリスティーンの虜となる高校生アーニーは負け犬だ。気弱で、頭がいいわけでもなく人より秀でてることといえば自動車整備だけだった。そんな彼が路傍でほとんど捨てられたみたいになっていた'58年型プリマス・フューリーに出会い、自分で生き返らせ『クリスティーン』と名づけてこれの虜になっていく。しかし、この車には尋常でない因縁がからみついていたのだった。

    高校生を主人公にしていることで、そこには友情や恋愛なんてものが最重要なものとして描かれていくのだが、これがキングの筆にかかると素晴らしく活き活きと描かれるからたまらない。

    おそらくキングも劣等感の屈辱というものを少なからず経験してきたのだろう。この年代には特有の疎外感や、未知なる不安、それに憧れといったものが実感をともなって描き出されていく。文庫本で上下巻合わせて千ページを越えるかなりのボリュームだが、読み出したらやめられないおもしろさだった。これも現在絶版みたいだ。う〜ん、なんかさみしい。
    クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)より
    4102193103
    No.1:
    (5pt)

    けっこう好きですよ。

    世間ではあまり積極的に評価されていない、キングの作品の中では地味なものですが、読んでみるとこれが面白くて止まりませんでした。
    手の届かないものへの憧れ。異性への思い。友情。時代や場所が違っても、十代の頃の悩みや心理というのはそんなに変わらないものなんですね。
    またある意味で、十代の青春時代というのは、二十代くらいになって思い出すと恥ずかしいことも多い。それだけ、あの十代の頃というのは人生でも異常な時期であり、化け物じみていると言うこともできると思います。
    そうした青春時代の純粋さや異常さが、クリスティーンという怪物に象徴されているのではないかと個人的には感じました。
    クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)より
    4102193103



    その他、Amazon書評・レビューが 4件あります。
    Amazon書評・レビューを見る     


    スポンサードリンク