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トム・ゴードンに恋した少女



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トム・ゴードンに恋した少女の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:2人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

彼女もまた熊に襲われる

本書は森に迷った9歳の少女のサバイバル小説である。
この頃のキング作品にしては珍しく300ページ強の比較的短めの長編だーいやキングならばこれもまた中編と読んでいるレベルではあるがー。

主人公の少女トリシア・マクファーランドは両親が離婚して兄と共に母親に引き取られた、いわば母子家庭の環境下にある。
兄のピートは離婚を機に生まれ育ったボストン郊外の町から引っ越し、メイン州の南部の町に住むようになってから学校で孤立し、不平と不満の日々を送っているが、トリシアはどんな状況も前向きに捉える少女でペプシ・ロビショーという親友がいる。まあ親の離婚で中学で転校する兄の境遇とまだ9歳で小学校の転校という妹のそれとは確かに段違いの差があるだろう。ちなみにトリシアはもうすぐ10歳となる9歳であるから日本での小学4年生に当たり、既にクラス内に小さなコミュニティが形成されている段階だから、男子ならそれでも厳しいだろう。
その点、女子は順応性が高い。主婦でもすぐにママ友が出来たりするので。

話が脱線したが、物語はこのトリシアの母親キラ・アンダーセンが離婚してから家族の絆を深めるために毎週末に小旅行に行く習慣を新たに作り、今回アパラチア自然遊歩道に行った際に、ずっと口論を続ける兄と母親の後を歩きながら、尿意をもよおしたために脇道から少し茂みに入って用を足した後にはぐれてしまうことから始まる。

さて本来ならばこのような少女の失踪事件が起きると行方不明のトリシアの決死行のドラマと彼女を捜索する側のドラマも描くのが定石だが、キングはそうしない。その筆のほとんどが遭難者トリシア側しか描かれないのだ。つまりまたもやキングはこの1人の少女の孤独な戦いをじっくりとねっとりと描いていくのだ。

とにかくこの9歳の少女に次から次へと困難が襲い掛かる。

まず前半は慣れない森の中での行軍で木の枝や棘に腕などを引っ掛け、どんどん傷だらけになっていく。
さらに突然の雨が降り、ポンチョで雨を凌ごうとするが羽虫の群れが彼女の周りを飛び回る。

そう前半はこれら虫との戦いだ。
ユスリカやヌカカの大群に常に悩まされる。たかが蚊と思われるが、なんとジーンズの生地を通して血を吸おうとするのだ。アメリカは蚊さえも強靭なのかと驚いた。さらにスズメバチの巣を誤って刺激したがためにスズメバチの大群に襲われてしまう。

しかしとにかく執拗なのは蚊だ。人が立ち入らない森の中では、迷い込んだ9歳の少女は血も新鮮で格好の餌食なのだろう。日頃鬱陶しいだけの存在だが、ずっと付きまとわれると恐怖さえ覚えてくる。

彼女はそんな過酷の状態の中でも9歳の少女なりに生きる術を見出していく。
例えば虫に刺されて腫れ上がった顔や手足には泥を塗って防護し、またシップ代わりにする。私は黴菌が入って更に悪化するのではないかと思ったが、これが功を奏すのだ。

そんなまだ幼いながらも孤独な戦いを強いられたトリシアの拠り所は大好きなレッドソックスの試合中継を持参したウォークマンで聴くことだ。
特に彼女のお気に入りは題名にも掲げられている、当時抑えの切り札だったトム・ゴードン投手だ。

苦難と孤独感にさいなまれた彼女の生存への原動力がトム・ゴードンの活躍である。

“トムがセーブすれば、あたしもきっと救助(セーブ)される”

この掛詞を唯一の頼みとして彼女は一歩、また一歩と森の中を進むのだ。

彼女の極限状態はますます高まる。彼女は生きるためにリュックサックの中に入っていたお菓子類を食べてしまった後、雨が降った後の水溜まりから上澄み水を掬って、まだ濁っているにもかかわらず、飲み干したり、ゼンマイをそのまま生で食べたり―甘くて美味しいようだが―、川の水を飲んだり、ズタボロになったポンチョのフードを使ってニジマスを捕まえ、そして内臓を取り出し、生のままその魚を食べる。日本人も同じでしょと嘯くが、捕まえた魚を内臓取っただけでそのまま食べる―しかも頭も!―なんて生臭くてとても食えたものではないだろう。

そしてその追い打ちを掛けるかのようにトリシアはオタマジャクシさえも丸呑みするのだ。

そんな悪食を繰り返すため、彼女は嘔吐・下痢をし、熱を出したりする。この辺、キングはたとえ主人公が9歳の少女であってもその描写は容赦ない。

しかし生きるためにそんな悪食を繰り返さざるを得なかったトリシアを救ったのはチェッカーベリーとドングリだった。この2つは格別に美味く、彼女のエネルギー源となる。

そしてなんと大量にその2つを採取してリュックサックに入れて備蓄することを思い付く。9歳の少女にしては上出来だ。

やがて彼女には幻覚が見え、幻聴が聞こえだす。

彼女の救世主でもあるトム・ゴードンと意地悪小娘の話も含め、これらは全て彼女の脳内で行われた対話であり決して真実ではない。
しかしそれでも、特にトム・ゴードンの会話から得られるヒントはトリシア自身がそれまで行ったことのない場所でも与えてくれる、もはや天啓のようなものだと云えるだろう。

また私が今回最も不穏だと感じたのは実は本書の題名である。

『トム・ゴードンに恋した少女』

そう、過去形になっているのだ。キングの物語が全てハッピーエンドに終わらないのは有名だ。従って本書の主人公、弱冠9歳のトリシアはもしかしたら助からないのではないかと読んでいる最中、心中穏やかではなかった。

そして最後の大量のスズメバチや虫類に覆われた不気味な顔を持つ男は最後彼女をご馳走として救出されるまでずっと登場しなかった、彼女を見張る存在、アメリカクロクマの成獣を司るのか。

このクマはこれまでの脱出行でいつでも彼女を襲える立場にありながら、それをまるで最後のデザートを取っておくかのように時に彼女を見つめながら、また他の動物を寄せ付けないように周囲から守りながらトリシアの後を追う。

現代ならストーカークマになろうか。もしくは肯定的に云えば守護天使となるか。

そして最後に彼女に対峙した時、彼女の目の前で顔はユスリカやヌカカが零れ落ちるうつろな穴の開いた虚ろな顔をして彼女に襲い掛かる。

しかし満身創痍でありながらも彼女は“友人”トム・ゴードンの教えを守り、先手必勝で熊の追い出しを行ったのだ。

そしてどうにか彼女は救出される。クマと戦う場面に遭遇した猟師によって。私の不安が杞憂に終わってよかったと思った瞬間である。

さて本書の題名に挙げられているトム・ゴードンというレッドソックスの抑え投手だが、これは実在する選手だ。
キングがなぜこの実在の選手を題名に冠し、そして出演までさせているのか。
その理由は著者あとがきにも明らか何されていないが、レッドソックスファンにとってこのトム・ゴードンのその年の活躍と成績は印象深く、寧ろ彼が打ち立てたシーズン46セーヴ、連続43セーヴという驚異的な記録がかのチームをプレイオフまで導いたことの感謝なのかもしれない。後にも先にも実在する人物を題名に冠したのは本書だけなのだから、キングのこの時のトム・ゴードンに対する熱の入れようが解ろうというものだ。

しかし悲しいかな。最後にトリシアが心通じ合うのは一緒に暮らしている母親ではなく、別れた父親の方なのだ。
彼女が父親から貰ったトム・ゴードンのサイン入りのキャップこそが彼女を見事生還させる勇気のアイテムになったからだ。そして2人には野球という、いやレッドソックスという共有言語があるために言葉などいらない通じ合うものがあるのだ。

願わくばこの彼女と父親の魂の交流を機にこの夫婦が寄りを戻してくれればいいのだが。全てを語りがちなキングには珍しく、マクファーランド家の行く末について余韻を残した作品だ。

最後の一行の試合終了の意味が2人の不仲の戦いに対するものでありますようにと願ってこの感想を終えよう。


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