(短編集)
クリスマス・プディングの冒険
- エルキュール・ポアロ (40)
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- クリスマス (112)
- ミス・マープル・シリーズ (17)
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クリスティの長編に比べると、いつもの見事な人物描写がコンパクトな感じになるので、感情移入や共感、嫌悪といった気持ちを抱きづらく、読んでいて物足りなさを感じます。 しかしこの少ないページ数でよくこれだけの内容を盛り込めるなと感動するくらい、どの話も楽しめました。 「クリスマスプディングの冒険」 古き良き時代のワクワクするような田舎のクリスマスの雰囲気が大変見事に描かれています。 終盤で起きた事件に「やっぱりこうなったか!予想通り!」と思っていたら、それをひねって見事なオチがついていました。 気持ちよく騙されたので読後感が最高でした。 「スペイン櫃の秘密」 ちょっと天然でイライラさせられるけど、男を惹きつける魅力を持つ一人の女性を巡る、色恋沙汰が中心の作品です。 面白かったのですが、証拠が無く、本人に話せば自供するよ、というラストはすっきりしませんでした。 「負け犬」 人間性が鍵となる話なので、人物造形と描写がとても上手く出来ていて大変楽しめました。 しかし、人との会話から推理するポアロらしからぬ方法をとって真相を導き出したのには、ちょっとがっかりしました。 「二十四羽の黒つぐみ」 レストランに出てくる食べ物の描写がたまりません。 それ以外はちょっと印象が弱い作品でした。 食べ物の印象が強すぎたのかも? 「夢」 自殺する夢を何度も見る男が、性格的に自殺なんて絶対にしないだろうに、その夢の通りに自殺してしまうお話。 微妙に胡散臭い雰囲気が面白かったです。 「グリーンショウ氏の阿房宮」 これはいろんな意味でトリックが素晴らしい作品です。 そんなのあり得ないでしょー!とツッコミたくなるくらい無理があるのですが、この清々しいほどの無理矢理感が逆に潔くて気に入りました。 | ||||
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日本語の文章そのものが、非常にわかりにくいです、、、 直訳も直訳、文章の違和感が気になってしまい、内容が全く入って来ません。 翻訳が残念です。 | ||||
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収録作品六篇は、以下のとおり。 ☃️ クリスマス・プディングの冒険(1960年。橋本福夫 訳。エルキュール・ポアロもの。原型の短篇「クリスマスの冒険」1923年作品は『マン島の黄金』に収録。深町眞理子 訳。) ☃️ スペイン櫃(ひつ)の秘密(1960年。福島正実 訳。エルキュール・ポアロもの。原型の短篇「バグダッド大櫃の謎」1932年作品は『マン島の黄金』に収録。中村妙子 訳。) ☃️ 負け犬(1926年。小笠原豊樹 訳。エルキュール・ポアロもの。) ☃️ 二十四羽の黒つぐみ(1940年。小尾芙佐 訳。エルキュール・ポアロもの。) ☃️ 夢(1937年。小倉多加志 訳。エルキュール・ポアロもの。) ☃️ グリーンショウ氏の阿房宮(あぼうきゅう)(1956年。宇野利泰 訳。ミス・マープルもの。) いかにもクリスマスらしい愉しさに満ちたポアロものの中篇「クリスマス・プディングの冒険」と、本書のトリを飾るミス・マープルものの短篇「グリーンショウ氏の阿房宮」。この短篇集のなかでは、この二篇が印象に残る作品でした。ほかの四篇は、可もなく不可もなしといった感じのミステリ。いまいち、期待はずれの作品でした。 | ||||
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本書『クリスマス・プディングの冒険』は、アガサのおとくい料理集です。 その「添えもの料理」としての「グリーンショウ氏の阿房宮」を読みたくて、購入。 「このクリスマスのご馳走の本」(3頁)では、 「グリーンショウ氏の阿房宮」という短篇は「添えもの料理」。 「グリーンショウ氏の阿房宮」にはミス・マープルが登場するのに、 <ミス・マープル>シリーズには入っていません。なぜでしょう? 本書は、クリスマス・プレゼント用の本です。 「グリーンショウ氏の阿房宮」は、 アガサ自身が「添えもの料理」にたとえ、位置付けしたものです。 「グリーンショウ氏の阿房宮」は、58頁の短篇小説。 本書『クリスマス・プディングの冒険』の巻末に、ひっそりと静かに収まっています。 「グリーンショウ氏の阿房宮」のタイトルにある「阿房宮」って何でしょう。 「グリーンショウ氏の阿房宮」は、英語では ”Greenshaw’s Folly” 調べると、《フォリー》とは、建物の様式の名前らしい。 遊び半分で建設した、偽物っぽい、目立つ建物らしい。 どこか人間の愚行を感じさせるような建物みたいです。 「まともな名前」(407頁)ではないようです。 「阿房宮」は、秦の始皇帝の時代に実際に建設されたお寺風の建物らしいです。 ”Folly” を「阿房宮」と訳すのは、中国的。 エジプトのピラミッド風の《フォリー》な建物というのも、実在するようです。 本書中から《フォリー》の使用例を拾ってみます。 「このばかでかい建物」(407頁) 「こんな途方もないもの」(407頁) 「ばかでかいあの邸」(424頁) 「ばかばかしいほど巨大な建物」(460頁) 「化けものみたいな家」(460頁) 《フォリー》とは、そんな意味で使われる言葉のようです。 | ||||
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〇電子書籍版発行……2011年12月10日 Kindleの「メモとハイライト」「栞」機能……×(本文のどこに入れても、「目次」と表記) Kindleの表紙……〇(Amazonの表示と同じ、紙Ver.の表紙画) Kindleのページ表記……〇(あり) 電子書籍版の発行日が『愛の探偵たち』と同一日時なのに、表紙とページ表記はまともだ。 担当が別人で、『愛の探偵たち』担当がよりボンクラだったのか? 表題作の感想のみ。 1923年に雑誌掲載された初期短篇「クリスマスの冒険」を1960年にリビルドして発表された作品。ページ数が二倍強に膨らんだ。 原作の感想で、「一体YOUはどーしてそんなとこに」の興味からはじまると書いたが、本作ではその依頼を受けるシーンから始まる。つまり最初のWHYの興味はなくなるのだが、寒さに尻込みするポワロが可愛いし、それを巧みに説き伏せる政府関係者とのやりとりがおかしくて、その点ではプラスマイナスゼロといったところ。 そして、わたしの興味についてである。 ヘイスティングスに関するコメントは残されているかどうか? 元の作品からして、発表当時33歳だった著者が、自分の少女時代の思い出を被せた作品だったが、本作はそれから四半世紀、つまり一世代分ほどさらに時が経っているので、1960年の読者に対しては、「はじめに」で著者の少女時代のクリスマスの思い出を紹介するとともに、孫娘のお相手をひたいてらてらの赤ら顔のおっさんから、都会風の青年に変更して、彼に(旧態のクリスマス・パーティーなんて)古臭いと何度も言わせている。レイシイ夫人の台詞でも、彼らの家が旧態のクリスマスパーティーに拘っていることが何度も示唆される。 しかし読者に対してはともかく、物語の時代設定を現代(1960年当時)にする必要性はない。第一ポワロが『カーテン』で他界したのは、第二次大戦中だった筈だ……。 ところがこのひっかかりへの懸念は、レイシイ夫人の台詞、「あの子たちはこれからテープレコーダーで遊ぶつもりでしょうよ」(P.33)で確信に変わった。 うすうす臭いとは感じていたが……やりおったな、クリスティw 戦前からトーキー映画もあったんだし、テープレコーダーや映写機を所持している家庭があってもおかしくはなかっただろうが、こどもたちが遊ぶようなものではなかった筈だ。 これは本作の時代設定を作品を発表した1960年付近にしているからだろう。 なのでヘイスティングスロスの言及なんて、当然消えている。 この時点で『カーテン』は発表されていないとは言え、『スタイルズ荘の怪事件』で初登場したポワロは、第一次欧州大戦の戦禍を避けるためにイギリスに疎開していたのであって、その時点でベルギー警察を退職していたのだから、1960年に元気で活躍していたとは怖ろしい。つまりは当時の多くの作家のように、著者もまたポワロを永劫回帰、わかりやすく云えばサザエさん的な年を取らないキャラクターにしていたということだ。 自分で『カーテン』を書いた後だというのに……。 このあたりの現実との乖離が、シャーロック・ホームズのように活躍の年表が作られない(かどうかは知らないが、少なくともわたしは目にしたことがない)理由なのだろう。 一方、ミステリ的な仕掛けについては新旧でほぼなにも変わっていない。 登場人物名は一新されていて、人数配置にも若干の変更があり、ポワロのターゲットの最後の行動に関しても違いがあるが、物語の根幹に関わるものはない。冒頭のWHYがなくなった分、ひとつ薄くなったと云うことも可能だろう。 文量が二倍になっても、冗長さなどはまるで感じなかったから、物語的によりクッションが効いて良質になっているのは間違いないと思うが、さりとて個人的には加点になるほどの印象差は受けなかった。冒頭部のポワロが可愛いだけだw つまり作品全体でも、――霜月蒼に反抗するつもりはないのだけれど――新旧比較はプラマイゼロという感想である。 | ||||
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