無実はさいなむ
- アリバイ (477)
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| アガサ・クリスティーファンなら是非! 「春にして君を離れ」を先に読んでからだと尚更彼女の凄さに身震いします。 | ||||
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| 他にはない設定で、読むほどに引き込まれる。探偵は登場しないが、ドラマチックな展開で一気に読み終えました!秋の夜長にぜひ。 | ||||
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| 母親を殺した罪で投獄された息子が、病気で獄中死します。 独裁的で疎まれていた母親と鼻つまみ者の息子が居なくなって、他の家族はそれなりに仲良く暮らしていましたが、息子の無実を証明する証人が現れたことで事態は一変。 誰が真犯人なのかお互い疑心暗鬼に陥ってしまいます。 こんなストーリーなので登場人物はよく作り込まれており、家族一人ひとりの葛藤や苦悩が丁寧に描かれているうえ、それらが上手く物語に絡めてあります。 大仕掛けのトリックはなく、登場人物の個性も控えめで、全体的に大人しい印象ですが、上述の通り人物造形や心理描写に重きを置いた作品かと思うので、静かにじわじわと惹き込まれていく質の高さを感じました。 唯一、残念だったのが探偵役です。 正義感が押し付けがましく、その正義も理解はできるものの自己満足からきているように見えて、最後まで好きになれませんでした。 ちなみに終盤の怒涛のカップル成立にはちょっと笑ってしまいました。 クリスティーの作品にはよくあることとはいえ、この成立数は最高クラスではないでしょうか。 | ||||
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| 予想してたよりかなり面白く、読みごたえがありました。巻末解説に《愛すべき失敗作》とタイトルがついてるけど、失敗作だとは思わなかったけどなあ。濱中利信氏の解説文にある《本書の最大の難点は、事件に対する視点が一定していないことにあるのでは》p.427 にしても、私は違和感を感じなかったし。作者が上から俯瞰(ふかん)して物事を眺めている視線、登場人物たちにその眼差しを照射して語らせている味わいがあって、これはこれでありなんじゃないのと思ったんだけど。 本作品でまず印象に残ったのは、二年前に殺されたレイチェル・アージルという人物のキャラクターでした。この人、クリスティーの『春にして君を離れ』の主人公・ジョーンの系譜に連なる人かなあと。 自分では自覚せずに他者を抑圧し、彼らの自由を奪っている人。一見、大人物の立派な人とも見えますが、その実、自己満足の塊と言ってもいい独裁者。殺されたこのレイチェルって婆さんの養子として引き取られた某人物の次の台詞など、ぞっとしちゃいましたよ。 《「わたしが憎んだのは、お母様がいつも正しいことばかりしていたからよ」(中略)「いつも正しい人間なんて、こわくない? 見ていると、こっちが無能力者みたいな気持ちになってくるわ。(後略)」》p.308 もう一つ、本書の肝(きも)としてスリリングで面白かったのは、過去の事件が蒸し返されたことによって起こる家族間の疑心暗鬼、そのぞくぞくする恐怖でした。それは、次の文章に要約されるものです。 《「あの一家に嫌疑がかかるとすれば、その嫌疑は永いあいだ──たぶん永久に晴れないかもしれません。そして真犯人が家族の一員だとすれば、それが誰なのかということは、かれら自身にも分からないのです。アージル家の人びとは、お互いに顔を見合って、疑心暗鬼で‥‥‥そう、それが一番おそろしいことではありませんか。誰かが犯人なのに、それが一つの家のなかですら分からないという‥‥‥」》p.84 小笠原豊樹の訳文。初出は1960年なので、今から六十年以上前の訳文です。ですが、ほとんど違和感なく読んでいくことができました。古びていない、しっかりとした訳文だなあと感じました。 それと、文庫の表紙カバーの写真が、なかなかに意味深なものではないですか。大きな環(わ)に、いくつもの環がからまって付いている鎖(くさり)の写真。これあたかも、作中のアージル家を暗示しているみたい。ふと、ショスタコーヴィチの『交響曲第5番』の音楽が脳裏をよぎりました。妙なさむけを覚えました。 | ||||
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| 本書『無実はさいなむ』は、ノン・シリーズものです。 シリーズものの集大成でもあり、その原型でもあるように感じます。 本書『無実はさいなむ』のタイトルは、奇妙で、絶妙です。 「無実」という言葉と「さいなむ」という言葉は、反対語のようです。 「無実」はポジティヴでよろこばしい。 一方、「さいなむ」はネガティヴで悩ましい。 原書のタイトルは、 ”Ordeal by Innocence” 直訳すれば、無実によって生ずる試練。 試練? 「この試練に耐えることこそ義務なのだと思いました」(43頁) 「いわば神の試練です」(348頁) 現実の事件でも冤罪が後を絶ちません。 犯罪捜査が犯人を特定できないとき、 誰かを犯人と推定し、解決させることがあるからでしょう。 しかし、これは、正しい「解決」ではありません。 「何事も解決されない。それが正しく解決されるまでは」(27頁) 「正しく」とは? どのような価値観で、どのような法体制で正しいのか? キップリングの言葉のようですが、出典を知りたくて、 キップリングの本を何冊か読んで探してみましたが、まだ見つけられません。 しかし、読者にとって、この探すこと自体が楽しいから不思議です。 普段、素行の悪い者は、確たる証拠がないのに、 状況証拠だけで犯人にされてしまいがちです。 自らアリバイを証明できなければ、有罪にされてしまいます。 無実のアリバイが証明されたら、 今度は、では真犯人は誰か、ということになります。 動機のある人間は実にたくさんいます。 動機だけでは有罪を断定できません。 容疑者がたくさんいる場合、真犯人は誰か、 決め手が無く、悩ましい状況になります。 警察は再捜査しなければなりません。 疑わしい人たちは互いに疑心暗鬼となり、愛する人まで疑ってしまいます。 愛どころではなくなってしまうのです。 真犯人にとっては、口の軽い人間がうっかり真相をしゃべることが恐ろしい。 口封じのために第二の殺人が計画されてしまうこともあります。 本書では、メアリの夫のフィリップ(フィル)・デュラントみたいな人間があぶない。 ゲーム感覚で首を突っ込みの探偵好きの人間も、第二の殺人事件に巻き込まれやすい。 本書には登場しませんが、ミス・マープルのような好奇心の強い人間も危険です。 真犯人による口封じの犠牲となるリスクが大きいからです。 マープルは、どうしても推理の筋がつながらない場合、 ちょっとした罠を使ってまで真犯人に自供させるところがあります。 これがアガサのフィクションを面白くさせているところです。 最後に、「帆柱の鳩」の謎について。 「ふねが行くとき帆柱の鳩は、ひたすら嘆き悲しんで」(424頁) 「カーステンがよく歌ってくれた唄」(424頁) 「恋人はわたしの右手に立って」(424頁)歌います。 「おお乙女、いとしい乙女、わたしはここにおりませぬ。どこにもいない、海にも、岸にも。いとしいあなたの胸にいる」(424頁) この唄の出典が知りたくなりました。 インターネットで調べてみましたが、依然不明。 アガサの創作なのかも。 長年、アージル家の忠実な家政婦を務めてきたカーステン。 彼女にも若き乙女だった頃があったはず。 本書の殺人事件の動機の一部を示すために、 アガサが創作した唄だったのかも知れませんが・・・ | ||||
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